藤森安和 『15才の異常者』

 大江健三郎の「政治少年死す(「セヴンティーン」第二部)」は、1961年『文學界』2月号に掲載されたが、右翼の抗議にあい、出版社側が謝罪したため、2018年7月に『大江健三郎全小説3』に収録されるまで、長らく単行本未収録の封印作品となっていた。

 実は、鹿砦社から出た『スキャンダル大戦争2』という本に、深沢七郎の「風流夢譚」と一緒に無断で収録されていて、俺もそれを持っていたのだが、雑誌からのコピーをそのまま掲載しているので文字がかすれていて読みにくいうえ、いつでも読めるからという安心感から、長らく放置していたのだが、フォロワーがリツイートした下の大塚英志のツイートがきっかけで、再度興味を持つことになった。

 

 

 俺が興味を持ったのは大江だけではなく、大塚のツイートで取り上げられている藤森安和という聞いたことのない詩人に対しても同じだった。特に「15才の異常者」という特異なタイトルと、坂本龍一までもが触れていたという事実から、余計に知りたくなったのである。

 それで、図書館に『15才の異常者』がないか検索してみたら、都内では国会図書館しか所蔵していなかった。古本の方は、大江効果なのか、それなりの高値がついており、手元不如意だった俺は、しばし諦めることにし、寺山修司の『戦後詩 ユリシーズの不在』という詩論に藤森の詩が引用されているということを調査の途中で知ったので、まずはそちらで読むことにした(「政治少年死す」は『大江健三郎全小説3』で読もうと思って、図書館で借りようとしたら、予約が多く、こちらもしばらく保留することになった)。

 寺山の『戦後詩』は、1965年に出版されたもの(俺は講談社文芸文庫版で読んだが)。「戦後詩における肉声の喪失、人間の疎外」をテーマにし、あとがきでは、次のような不満を述べている。

 

 ここに引用した詩の数倍の「戦後詩」を読んで、私の感じたことは何よりもまず、詩人格の貧困ということであった。詩人たちはみな「偉大な小人物」として君臨しており、ユリシーズのような魂の探検家ではなかった。詩のなかに持ちこまれる状況はつねに「人間を歪めている外的世界」ではあっても、創造者の内なるものではないのだった。私がこのアドリブ的な詩論の副題に「ユリシーズの不在」とつけたのはそうした詩人格への不満に由来している。

 

 そうした詩壇の状況に満足しない寺山が、藤森を取り上げているのは、彼の詩が、「人生の隣」にある「直接の詩」に近いからで、そこには「公衆便所の落書を思想にまで高めようとする悲しい企みが感ぜられる」という。そして、「15才の異常者」が数ページにわたって引用される。別のところでは、「あら。かわいらしい顔。──イヤラシイ子ダヨ──」も全篇引用されている。第五章の、「戦後詩人ベストセブン」の中にはいれていないし、紹介の言葉もさほど多くはないのだが、寺山が藤森を重要な詩人の一人だと考えていたのは間違いないだろう。

 また、寺山の「消しゴム──自伝抄」(『悲しき口笛 自伝的エッセイ』所収)には、藤森と出会った時のことが書いてある。

 

『十五歳の異常者』という詩集を出したばかりの藤森安和が訪ねてきた。

 彼は、静岡で畳屋をやりながら詩を書いていた。

「いい家ですね」と言いながら、応接間へあがりこんだ彼は、進歩的文学者に内在している小市民性についての悪口を言いながら、ポケットからチリ紙をとり出して、洟をかみ、それを絨毯の上へ捨てた。

 彼の煙草の灰は、灰皿ではなくテーブルの上にじかにこぼれていた。そして、私はそれを、はらはらしながら見ていた。

 彼が帰ったあと、応接間に散らばった吸殻、灰、洟紙を見ながら、私はふいに気づいた。

 これはたぶん彼が意識的にしたことなのだ。かつてともに、あらゆる既存の価値に反抗し、「墓にツバをかけて」きた私が、いつのまにか家を構え、庭に花を植え、マイホームのなかへ退行しているという現実を、彼はことば以外のもので批評して帰ったのだろう。そう思うと、私はいたたまれない気分になった。

 

 まるで三島由紀夫の短編小説「荒野より」みたいなエピソードだと思った。

 

 4月分の給与が入った俺は、ついに『15才の異常者』を4000円で購入した。届いた本を見ると、帯には「セックスと暴力の世界を謳ってセンセーションを巻き起こした“15歳の異常者”」という惹句が。その裏には、評論家・関根弘による「詩の世界にも、カミナリ族が殴り込みをかけてきている」という勇ましい言葉。逆に、著者略歴は、「1940年沼津市に生る。現在畳職」と非常にそっけない*1

「セックス」、「暴力」、「カミナリ族」といったフレーズから、詩壇における石原慎太郎的存在として期待されていたように見えるのだが、実際に詩集を読んでみると、「見るまえに飛べ」を書いた頃の大江に──使っている語彙を含め──近い感じだった。例えば、次のような性をグロテスクなものとして描いた詩。

 

あじけない接吻の秋」

 

汗臭い脂肪が沸騰したバーの

麦酒の腐った臭いが脳心頭に突き上げ

姦婦をだいた異人の口腔は

ねばねばした粘液で粘つき

ぶよぶよ太った性器のような指が

スカートの下をあいぶした。

黒人の粘液と姦婦の粘液が熔けあい

男の眼前に

タイトスカートからぬけ出た

姦婦の股が炎えた。

 

 また、「セックス」や「暴力」よりも、むしろオナニズムといった方がよいような詩も多い。それこそ寺山が引用していた「十五才の異常者」では、「院長さんの話だと/僕は精神異常だそうだ。/精神がどんな異常だと聞くと/性欲があまりに強すぎるのに/相手がいないからだそうだ。」と書いているのだ。

 それに、「グロテスクな空想家」では、「私は教室のピエロである。/なぜグロテスクなことを言って/人を笑わせようとするのだろうか。/それは悲しみであり/孤独であり/絶望である。」とも言っている。こういう自意識のあり方は、「カミナリ族」のそれと180度異なる物で、どうも出版社の売り出し方と本人の書いている詩に齟齬があるような気がしてならない。藤森の詩は、実感的というよりかは、空想的な要素の方が強く、時にその観念の強さが空回りしていることもあり、アマチュア臭さが残っているが、当時20歳という年齢から、むしろ強みと見なされてもいたようだ。

 藤森に影響を与えたと思われる大江だが、「政治少年死す」で引用していたのは、寺山も取り上げていた「あら。かわいらしい顔。──イヤラシイ子ダヨ──」だ。委員長を刺殺した「おれ」が、天皇を讃える和歌を作っていたのに対し、同世代の藤森の「あら。かわいらしい顔。──イヤラシイ子ダヨ──」が反天皇的かつ変態的であると、「某主婦」によって批判されるという形で使われている。ただし、「政治少年死す」のこの部分は、実在の人物による浅沼事件に対する反応を書き写したところだから、「某主婦」の発言というのも何かからの引用かもしれないが、今のところよくわからない。「あら。かわいらしい顔。──イヤラシイ子ダヨ──」は次のような詩だ。

 

「あら。かわいらしい顔。──イヤラシイ子ダヨ──」

 

真夜中のことだった。

おらよ。凍った路へしょうべんたらしたよ。

ゆげが、ほかほか、

上に横にさわやかな夜風になびいたよ。

いけないことだよ。おまえ ポリさまに怒られるよ。

いけないよ。いけないよ。たんといけないよ。

なんだい、天皇陛下が御馬車で御通りになったからってよ、

天皇陛下だってしるんだよ あれをさ。バアチャン、バアチャン、アレダヨ。

天皇さまだって人間だものアレしるさ。

アレってなんだい。バアチャン。

アレだよ。

だからアレってなんだい。

だからアレだよ。

あれあれファンキージャンプ。

  

 多分、「ファンキー・ジャンプ」 というフレーズは、石原慎太郎の同名の短編ジャズ小説からとっているのだろう。

 ちなみに、山口二矢は「某主婦」が言うように、和歌を作っていたと伝えられ、「政治少年死す」でもそのことを踏襲しているが、沢木耕太郎の『テロルの決算』によれば、山口の辞世として有名になった「大君ニ仕エマツレル若人ハ今モ昔モ心変ラジ」と「国ノ為神州男子晴レヤカニホホエミ行カン死出ノ旅路ニ」の二首は、「二矢自身の手になるものでは」なく、「人から与えられたものだった」という。そもそも山口は、和歌を作るための「充分な素養を持っていなかった」のだ。事件後、それらの歌が山口のものだとされた事情を沢木は次のように書いている。

  

 事件の数カ月前のことだった。二矢は吉村法俊に共に起ってくれと迫ったことがある。吉村は拒絶したが、その折に自作の歌のいくつかを二矢に贈った。共に起たぬことへの弁明でもあり、ひとり起とうとはやっている少年へのはなむけでもあった。二矢はその歌が気に入り、ノートに筆写した。

 しかし、取調べに際しては、そのような事情を語るわけにはいかなかった。もしこの歌が吉村の作であることがわかれば、事件に関しても二矢の背後で何らかの指示を与えていたと疑われかねない。それは吉村に迷惑が及ぶという懸念ばかりでなく、二矢自身の自尊心が許さなかった。二矢はその歌を自作のものであるという嘘をつき通した。後にこの二首が二矢の辞世として流布されるようになるのは、そのためである。

 

  今でも、それらの首を山口のものだと勘違いしている右翼団体が、ネット上にいくつかあった。

 しかし、山口の作だとされていた和歌がそうではなかったことで、大江が「政治少年死す」で試みた、「おれ」と藤森の対比が成り立たなくなってしまったということは、今後「政治少年死す」を読むうえで意識すべき事柄だろう。

 

 藤森は『15才の異常者』を出して以降、完全に沈黙している。国立国会図書館サーチで藤森の名を検索すると、少なくとも1962年までは雑誌などに寄稿していたようだが、そこから先はわからない。生死も不明だが、生きていたら79歳だ。1971年出版の『戦後詩体系Ⅳ』には、自作の収録を許可しているのだから、この辺りまでは連絡がとれたのだろう。『15歳の異常者』が古本市場でプレミア価格となっているのに、依然として復刊の噂がないのは、誰も本人の連絡先を知らないからか。自分から詩作を放棄したのなら、ランボーみたいだが、寺山が書いていたように、意識して傍若無人に振る舞うところなんかもランボーっぽい。

 もし、藤森の詩が気になるという人がいれば、前述した『戦後詩体系Ⅳ』に、『15才の異常者』から三分の一ぐらい収録されているので、それで確認して欲しい(「才」の表記が「歳」になっているが)。多分、こっちは都内の図書館に結構所蔵されていると思う。

 

 最後に、もう一つ気になったことを書き記しておくと、『15歳の異常者』に収録された鮎川信夫の解説に、「「ユリイカ」新人賞間宮舜二郎」というのが出てくるのだが、これはリクルート事件にかかわった間宮舜二郎と同一人物なのだろうか?

 

おまけ 

ラジオで藤森の「15歳の異常者」を朗読する坂本龍一(4分26秒ごろから) 

nico.ms

 

 

15才の異常者―藤森安和詩集 (1960年)

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スキャンダル大戦争 (2)

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大江健三郎全小説 第3巻 (大江健三郎 全小説)

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新装版 テロルの決算 (文春文庫)

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*1:『戦後詩体系Ⅳ』(三一書房)に掲載されている藤森のプロフィールでは、1940年1月15日生まれ、沼津高商(定時制)卒、「ぴすとる」同人、現代詩新人賞と書いてある。現代詩新人賞というのは、飯塚書店が出していた雑誌「現代詩」の新人賞か