作家の性癖
人が自分の性癖を意識するのは何歳ぐらいからだろうか*1。個人的な経験から言わせてもらえば、小学校にあがる前、大体五歳ぐらいの時には、変態的な「エロ」を認識していた(詳しくは「童貞と男の娘」を読んで欲しい)。頭で自分の性癖を理解していたというよりかは、本能的に「そこ」に向かっていたという感じ。それが、他人と異なる嗜好であることは何となくわかっていたが、変態的であるということまではわかっていなかったような気がする。きちんとそれを理解したのは、中学に入ってからだと思う。
男の作家の伝記を読んでいると、「性の目覚め」についてのエピソードが書いてあることが多い。それは作家自身が自ら語っているからだ。
まず、有名なのは三島由紀夫だろう。なにしろ、自伝的小説『仮面の告白』は、「性欲」が重要なテーマとなっているのだから。
坂を下りて来たのは一人の若者だった。肥桶を前後に荷い、汚れた手拭で鉢巻きをし、血色のよい美しい頬と輝く目をもち、足で重みを踏みわけながら坂を下りて来た。それは汚穢屋──糞尿汲取人──であった。彼は地下足袋を穿き、紺の股引を穿いていた。五歳の私は異常な注視でこの姿を見た。まだその意味とては定かではないが、或る力の最初の啓示、或る暗いふしぎな呼び声が私に呼びかけたのであった。(文中の傍点省略)
意味を理解していたわけではないけれど、五歳の頃には、はっきり「性の目覚め」を経験している。しかも、変態的な「それ」である。この後、六歳の時には、「白馬にまたがって剣をかざしているジャンヌ・ダルク」の絵、それから「兵隊たちの汗の匂い」や松旭斎天勝の舞台、「殺される王子」に、罪の意識を感じつつも、倒錯的な興奮を覚えていく。『仮面の告白』は小説だから、ジョン・ネイスンのように、「三島が自己自身のものとしている空想が、ほんとうに五歳だった当人の頭脳にあったかどうかはわからない」(『新版・三島由紀夫──ある評伝──』新潮社)ともとれるが、私自身の経験から言わせてもらえば、あり得ることだと思う。
他の作家を見てみると、谷崎潤一郎の場合、六歳の時、歌舞伎座で「東鏡拝賀巻」の「実朝の首が公暁に切り落とされるのを見て、エロティックな興奮を覚えたという」(小谷野敦『谷崎潤一郎伝 堂々たる人生』中央公論新社)。『武州公秘話』では、幼き日の武州公が、敵の首を洗い清める美女を見て、「恍惚郷に惹き入れられて、暫く我を忘れ」るシーンが描かれているが、「それがどう云う感情の発作であったかは、後になって理解したことで、当時の少年の頭では何も自覚していなかった」と書かれていて、やはり少年時代の「性」は後から言語化されるものらしい。
谷崎の変態性は有名すぎるほど有名で、女装を扱った「秘密」、女の鼻水がついたハンカチを舐める「悪魔」*2、それからマゾヒズムを描いた多くの小説がある。また、大宅壮一が「日本エロチック作家論」で指摘しているように脚フェチでもある。
彼は、全体としての女よりはその肉体の一部、特に足に対して非常な興味を感じる。彼と一緒に遊んだことのある私の友人も言つてゐたが、彼は女が来るとまづ第一に足を見て、気に入らなかつたら、早速帰つてしまふさうだ。彼が如何にそのエロチシズムの重心を足に置いてゐるかは、「富美子の足」といふ小説を見ればよくわかる。
谷崎の「足」賛歌は、 『瘋癲老人日記』まで続いていく。
江藤淳は『なつかしい本の話』で、七歳の頃、紀伊国屋文左衛門の歌を歌っていたら、それを聞いた女中が続きを歌い、その事になぜか「燃えるような羞恥の感情」を覚え、とっさに近くにあった火箸を彼女の手に押し付けた、というエピソードを書いている。その後、谷崎潤一郎の小説を読み、女の「弾ち切れんばかりに踝へ喰ひ込んだ白足袋」の興奮するようになって、家の女中の白足袋を盗むようになったという。小谷野はこれらの出来事を「小児性欲の変態的な現れ」と評している(『江藤淳と大江健三郎』)。江藤は小説家ではないが(小説を書いたことはある)、幼年時代に現れた変態的な性欲を忘れることはなかった。
フランスの文豪・ユゴーは若かりし頃、結婚に煮え切らない態度示す恋人アデールに対し、手紙で童貞であることを伝え、自分の一途さ、純粋さを熱烈にアピールしたことがあった。しかし、アデールとの結婚後、ロマン派の代表者として有名になるにつれて、女性関係もすこぶる派手になり、自分の絶倫っぷりを誇るようにもなった。ポール・ジョンソンのコラム「長寿明暗」(『ピカソなんかぶっとばせ』所収)にこんなエピソードが載っていた。
私(注:ポール・ジョンソン)が一九五〇年代初めにパリに住んでいたころ、ある老人がこんな話をしてくれた。四、五歳のころ、当時八十歳を超えていたヴィクトール・ユゴーに会ったそうだ。時は、真夏の朝六時前、場所は、とある古城。最上階の板張り廊下で、子供たちやメイドが眠っていた。少年は退屈してベッドを抜け出し、城を探検しようとして、ユゴーに出くわしたのだった。ユゴーは寝巻に裸足といったいでたちで、前の晩ディナーで目を付けた美人メイドの寝ているあたりを探してそろりそろりと歩き回っていた。カーテンのない蜘蛛の巣が張った窓に、日の光がさんさんと差し込んでいた。この髭面の老人は、まるで旧約聖書の預言者に見えたという。老人は少年の手をつかんで、自分の勃起したところにあてて、こう言った。
ほら、坊や。わしの年にしちゃこれは珍しいことなんだよ。詩人ヴ
ィクトール・ユゴーの体をつかんだんだ。そうきみの息子たちに自
慢していいよ。(鈴木淑美訳)
そんなユゴーだが、彼の性癖は、谷崎と同じく脚だった。その「目覚め」は五歳になる前のこと。当時ユゴーはモン・ブラン街の、ある学校に通っていた。朝、彼は学校の先生の娘であるローズ嬢の部屋に連れていかれ、朝寝坊だった彼女が身づくろいするのをよく目撃した。その時、彼女が「靴下をはくその姿をじっと見つめていた」という(『その生活に立ちあった人の物語ったヴィクトール・ユゴーの姿』。引用はアンドレ・モロワの『ヴィクトール・ユゴーの生涯』より)。
情欲の最初の衝動はあとあとまでも深い痕跡を残すものであり、人間は生涯を通じて、こうした感動をもう一度味わってみたいと思いつづけるものなのである。ヴィクトール・ユゴーが生涯女の脚だとか、女の白や黒の靴下だとか、女の裸の足だとか、こういった「素足の恋歌」につきまとわれることになるのもこのためであった。(『ヴィクトール・ユゴーの生涯』)
その後も、寄宿学校に入った頃、「ロザリー嬢のあとから階段を登りながら、この裁縫婦の脚をじっと眺めていた」など、脚の観察はずっと続いた。老人になっても女癖の悪かったユゴーだが、結婚するまでは、もっぱら「のぞき」専門だったようだ。そんなユゴーだが、モロワの言う通り、詩や小説の中でも、「脚」の描写にこだわっている。あの『レ・ミゼラブル』から、ちょっと長いが引用してみよう。マリユスがリュクサンブールの園で見かけたコゼットに片思いしてから、何度目かの出会いのシーン。
(前略)晩春の強い風が吹いて篠懸の木の梢を揺すっていた。父と娘とは互いに腕を組み合して、マリユスのベンチの前を通り過ぎた。マリユスはそのあとに立ち上がり、その後ろ姿を見送った。彼の心は狂わんばかりで、自然にそういう態度をしたらしかった。
何物よりも快活で、おそらく春の悪戯を役目としているらしい一陣の風が、突然吹いてきて、苗木栽培地から巻き上がり、道の上に吹き下ろして、ヴィリギリウスの歌う泉の神やテオクリトスの歌う野の神にもふさわしいみごとな渦巻きの中に娘を包み込み、イシスの神の長衣よりいっそう神聖な彼女の長衣を巻き上げ、ほとんど靴下留めの所までまくってしまった。何とも言えない美妙なかっこうの片脛が見えた。マリユスもそれを見た。彼は憤慨し立腹した。
娘はひどく当惑した様子で急いで長衣を引き下げた。それでも彼の憤りは止まなかった。──その道には彼のほか誰もいなかったのは事実である。しかしいつでもいないとは限らない。もしだれかいたら! あんなことが考えられようか。彼女が今したようなことは思ってもいやなことである。──ああしかし、それも彼女の知ったことではない。罪あるのはただ一つ、風ばかりだ。けれども、シュリバンの中にあるバルトロ的気質がぼんやり動きかけていたマリユスは、どうしても不満ならざるを得ないで、彼女の影に対してまで嫉妬を起こしていた。肉体に関する激しい異様な嫉妬の念が人の心のうちに目ざめ、不法にもひどく働きかけてくるのは、皆そういうふうにして初まるのである。その上、この嫉妬の念を外にしても、そのかわいらしい脛を見ることは、彼にとって少しも快いことではなかった。偶然出会う何でもない婦人の白い靴下を見せられる方が、彼にとってはまだしもいやでなかったろう。(豊島与志雄訳)
十九世紀のフランスで、長衣に隠れていた脛が見えるというのは、今でいうパンチラに近いものなのかもしれないが、ユゴーが「脚フェチ」であるということを考慮すると、この描写は味わい深く見えてくる。面白いのは、嫉妬の念にかられると、ラッキーなエロも、嬉しくなくなるということだ。その女を独占したいという強烈なエゴから、苦しみが生まれるのだろうし、周りが全てライバル(影までも!)に見えてくるから、気の休まる時がない。マリユスはユゴーがモデルのキャラクターだが、ユゴー本人もひどく嫉妬深い人間で、態度のはっきりしない許嫁のアデールに「どうぞぼくのみじめな嫉妬心を不憫に思って、ぼくをお避けになるのと同様に、ほかの男たちをも、ひとり残らずお避けになってください」という手紙を送っている(モロワ『ヴィクトール・ユゴーの生涯』)。
これらの作家のエピソードからわかるのは、変態というのは幼いころから変態ということだ。しかも、まだ十分に言葉や文化を知らない段階で、「文脈」付きのエロにまで反応するのだから、「性欲」というのは本当に根が深い。
引用・参考文献
- 作者: ジョンネイスン,John Nathan,野口武彦
- 出版社/メーカー: 新潮社
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- 作者: ヴィクトルユーゴー,豊島与志雄
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パリス・ヒルトンをディスった時のバンクシーはダサかった
バンクシーが自分の作品をオークション会場でシュレッダーにかけた事件は、わりと賛否両論だった。ハフィントン・ポストの記事にもあるように、このアクションによって、バンクシーの作品の価値は、シュレッダー以前よりも高まることになった。つまり、バンクシーはアート・ゲームのルールを充分に理解したうえで、そういった行動に及んだ可能性が高いわけで、その小賢しさが鼻につく、というのが否定派の大きな理由だろう。
バンクシーの名前を久々に目にした時、俺は彼がパリス・ヒルトンをディスった時のことを思い出した。
パリス・ヒルトンは2006年に『パリス』というタイトルのアルバムを出した。ヒルトン一族の一員として、生まれた時からいわゆる「セレブ」として注目浴びていた彼女は、モデル活動やリアリティー・ショーの出演などで絶大な人気を獲得しつつも、セックスビデオの流出やアホな言動によって、悪名も同時に高め、常にゴシップ誌の標的となっていた。アルバムは、そんな状況下で発表され、そこに噛みついたのがバンクシーだった。
具体的にバンクシーが何をしたのかというと、まず「パリスのアルバムの偽物を五百枚製作し、ひそかに国内(注:イギリス)のレコード店に配置した」。曲はデンジャー・マウスがリミックスしたもので、「どうしてわたしは有名なの?」、「わたしはいったい何をしたの?」、「わたしはなんのためにいるの?」というタイトルがつけられていた。そして、ブックレットには、「トップレスのパリスや頭部が犬になったパリスがコラージュされていた」(引用は全てチャス・N・バーデンの『パリス・ヒルトン』による)。
バーデンは、『パリス・ヒルトン』の中で、バンクシーの行為を激しく批判しており、バンクシーについて、「反資本主義を表明しながら大手企業と仕事をしたり、大手オークション会社サザビーズを通して作品を高額で売ったりしていることから、偽善的との批判を受けている」とも書いている。
バンクシーがダサかったのは、パリス・ヒルトンという叩きやすい人物をターゲットに選んだことだ。別にバンクシーが批判しなくても、ヒルトンのことを悪く言う人間は大勢いるのであって、勝てる試合に乗っかったというイメージが強い。
また、批判の内容も、「どうしてわたしは有名なの?」といった、彼女のセレブリティぶりを浅く揶揄するだけのものであって、そのセンスはワイドナショーのコメンテーターとどっこいどっこいである。多分、バンクシーが姿を隠して活動しているのは、表に出るとバカがばれるからだろう。『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』というドキュメンタリー映画では、自分よりもバカな奴を出演させて、手玉にとっていたが。
では、実際『パリス』の出来はどうかというと、少なくともバックトラックに関しては、悪くない。なぜなら、スコット・ストーチ、ドクター・ルーク、J.R.ロテムといった売れっ子プロデューサーたちを惜しみなく起用しているからだ。ちなみに、シングル・カットされた「ターン・イット・アップ」では、リミックスにポール・オーケンフィールドが参加している。
肝心の歌にしても、特別下手というわけではないし、官能的ですらある。だから、アルバムがリリースされた時、酷評してやろうと手ぐすねを引いて待っていた批評家たちも、多くは「意外と悪くないじゃん」といったところに落ち着いたようだ。
確かに、悪くはないが、驚異的なまでに「安っぽい」アルバムではある。先に「官能的」と書いたが、喘ぎ声ばかりが大きい雑なAV、といった方が正確かもしれない。中でも、ロッド・スチュワートの「アイム・セクシー」のカバーは、「安い」を通り越し、「虚無的」ですらある。
この「虚無」は、レディオヘッドの『KID A』に匹敵するだろう。レディオヘッドが人工的な虚無だとしたら、こちらは天然の虚無である。そして、その虚無ほど、21世紀のセレブリティ文化を体現しているものはない。バンクシーがわざわざ騒がなくても、全てはここに揃っているのである。ピッチフォークやローリング・ストーンは選ばないだろうが、『パリス』というアルバムは間違いなく21世紀を代表するものだ。
パリス・ヒルトン 小悪魔セレブの優雅な生活 (P‐Vine BOOKs)
- 作者: チャス・N・バーデン,今泉敦子
- 出版社/メーカー: スペースシャワーネットワーク
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- アーティスト: Paris Hilton
- 出版社/メーカー: Warner Bros / Wea
- 発売日: 2006/08/22
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バンクシー(のスタッフ?)が『パリス』の偽物を配布している様子と、デンジャー・マウスによるリミックス。
「ザッツ・ホット」というのは、パリスの口癖で、リアリティー番組『シンプル・ライフ』を通して流行語になったもの。後に、商標登録された。
童貞と男の娘③
大阪を離れてから二日後の月曜日、俺は歯医者に行く予定があった。右下の奥歯の真下に、良性の腫瘍があって、それが大きくなっていないか確認するため中学生の頃から毎年レントゲンを撮りに行っているのだが、その日の朝起きると、かなり具合が悪かった。前日の夜から体の不調を感じていたのだが、市販の風邪薬を飲めば大丈夫だろうと高を括っていたら、全然治っておらずむしろ悪化していた。間違いなく熱があるような気がしたが、一番気になったのは喉の痛みだった。すぐさま俺は「性病じゃないか?」と疑った。
急いでネットで検索すると、咽頭クラミジア・咽頭淋病というのが引っかかった。これらの病気はオーラルセックスで感染するらしい。しかも、そこに書かれている症状が、今の状況とほぼ一致している。どうやら、普通の風邪と見分けがつかないとか。俺はすぐに病院に行かなくてはと思った。それで近所の性病科のある病院をいくつか調べてみたら、運が悪いことに、個人病院だからか、全部お盆休みに入っていた。お盆でもやっている大学病院には性病科がなく、途方に暮れていたところ、yahoo知恵袋で「泌尿器科でも咽頭クラミジアの検査はできる」と書いている人がいて、藁にも縋る気持ちでそれを信じ、最寄り駅から二駅先にあるT大学病院に自転車で向かった。高熱で煮えたぎった脳の中では、ヘンリー・ミラーの『南回帰線』のある部分がぐるぐると旋回していた。
ズボンをぬいでいたとき、ぼくはふとクロンスキーの奴に言われたことを思い出した。さっそく一物を取り出ししげしげと眺めてみたが、いつもと同じ無邪気な表情だった。「梅毒にかかったなんて言わんでくれよ」と言い聞かせながら、ぼくはそいつを手に取り、膿でも出ないかためそうとするように、ちょっとばかり絞ってみた。いや、梅毒にかかるなんていうことは考えられなかった。ぼくはそんな星の下には生まれていないはずだった。淋病──と、こいつのほうは十分可能性があった。淋病なら、だれでもいつかはご厄介になる。だが、梅毒だけはいただけなかった!(河野一郎訳)
俺のペニスもまだ「無邪気な表情」をしていた。だが、今後どうなるかわからない。それにしても、たった一回の風俗で性病にかかるなんて、なんて不運な男なんだろう、俺は……。今となっては手遅れだが、たとえフェラでも、コンドームをつけてするべきだった。
例の悪夢のこともあって、ミラーとは逆に、段々それが必然というか、そういう星の下に生まれてしまったというか、何かの罰のようにも思えてきた。人類の歴史では、梅毒とかエイズといった強力な性病が流行るたびに、宗教勢力がそれを「天罰」と見做してきたが、セックスというのは罪悪感と結びつきやすいから、そういう発想に至るのだろうけど、性病にかかった側(まだ決まったわけではないけど)としても、「天罰」と考えるほうが納得いくような気がした。それは性病というのが交通事故の如く不意に訪れるからで(初めから性病を覚悟してセックスする奴はほとんどいないだろう)、これを「偶然」と割り切るには、パニックに陥らない強い精神力が必要だった。
不安が極限に達した頃、病院に着いた。そして、受付嬢を視界に入れた時、彼女に性病について告白しなければいけないのだと想像すると、自然に足が止まった。それで、受付の周辺を不審者よろしく無暗にうろつき、五分ほど悩んでから、清水の舞台から飛び降りるつもりで泌尿器科への案内を頼んだ。特に症状については聞かれなかったのでほっとした。俺は診察券を泌尿器科の受付に出し、待合室のソファに座った。性病とは無縁そうな老人しかその場にいなかった。そのうちに、診察室から古強者といった感じのおばさん看護婦が出て来て、「氷川さん」と俺の名前を呼んだ。
「はい」と言って、俺は立ち上がった。
「今日、どうしました?」
俺は言葉に詰まった。周囲に人がいるからかなり話しにくい。
「ちょっと、喉が……」
「喉?」
「いや、性病というか、風俗で病気をもらったかもしれなくて……。喉のクラミジアじゃないかと……」
俺は相手に聞こえてるか不安になるぐらい小声で喋った。
「遊んじゃった?」
「ええ、まあ」
「遊んじゃったか。それだったら、ここじゃ検査できないねえ」
「あ、そうなんですか」
「保健所で検査できるから、まずはそこに行って、そこで結果が出てからだねぇ」
「わかりました」
「今日のところはカードを返しておくね」
カードを受け取り、俺は逃げるように病院を脱出した。保健所で性病の検査が行われていることは知っていたが、保健所の指定する日じゃないと検査ができないからこうして病院に来たのに、泌尿器科じゃそれが出来ないって何なんだよ、と羞恥心に由来する激しい怒りが沸き上がった。
俺は電車に乗って新宿に向かった。新宿には、お盆でも休みじゃない、性病科のある病院があって、最初からそこに行けば良かったと今更ながら後悔した。しかし、俺は母親、祖母と同居しているから、遠出するとなると説明しなきゃいけないので、できれば近場で済ませたかったのだ。もちろん、今日も歯医者に行くことは言っているが、性病のことについては一言も告げていないし、熱があることも教えていなかった。すべて内々に終わらせたかったのだ。
歯医者の予約は十六時だったから、昼頃に新宿につけばそれに間に合うと考えた。電車のなかでは、ずっとスマホで淋病、梅毒、エイズについて調べていたが、混乱してあまり頭に入ってこなかった。
都営新宿線の新宿駅で降り、そこから五、六分歩いたところにある雑居ビルの五階にその病院は入っていた。エレベーターに同乗した白人と風俗嬢っぽい女も、同じ階で降りたので、密かに苦笑してしまった。この病院は、内科もあるが、基本的には性病の検査・治療で有名らしく、恐らく患者の半分以上は、それ目的なのだろう。待合室は場所柄的に、二十代、三十代が多く、荒っぽい感じの人間も少なくなかった。さっきの大学病院と違って、「性病仲間」という意識が生まれるからか、受付で症状を説明してもあまり恥ずかしさを感じないのが良かった。体温計を受け取って、今日初めて熱を測ったら、三十八度を超えていた。そのわりには動けるなと思った。
問診表を記入してから、三十分近く待って、診察室に呼ばれた。眼鏡をかけた三十後半ぐらいの男の医者だった。
「今日はどうされましたか?」
「喉が痛くて、熱があるんです。風俗に行ったから、それが原因じゃないかと思って」
「風俗に行ったのはいつですか?」
「先週の金曜日です」
「じゃあ、まだ二日しか経ってないんですねえ。早すぎると、検出されないことがあるんですよ」
「そうなんですか」
「一応検査しますけど、一週間以上経ってもまだ具合が悪かったら、また再検査ということになりますね」
「あの、薬とかは出るんですか?」
「申し訳ないんですが、検査の結果が出ないと薬は出せないんですよ」
「え、そうなんですか」
俺はこの医者の首を締めたくなった。三十八度の熱を出しているのに、そのまま帰れっちゅうのか、こら。間違いなく悪化するやんけ。
「じゃあ、検査まで待合室で待機してください。あと、その間この紙も読んでおいてください」
と言って医者は検査について説明した紙を渡してきた。それによると検査結果は、病院のホームページにアクセスして確認するという方式らしい。喉の性病の場合、結果が出るのは、2~4日のようだ。
「津崎さんどうぞ」
検査室は小さな部屋で、看護婦が二人そこに待機していた。用意された椅子に座ろうとしたら、ベッドの横に置かれていた点滴に足を引っかけそうになった。誰か寝ているらしいが、カーテンで遮られ、確認することはできない。
「じゃあ、この薬で二十秒間うがいしてください。二十秒経ったら、このコップに薬を出してくださいね」
俺は言われたとおりうがいを始めたが、途中で苦しくなり、うがいが止まりかけ、液体を飲みそうになった。
「あと、五秒なので頑張ってください」
とタイマーを持った看護婦が冷酷に言った。
タイマーが鳴り、俺は薬をゆっくりコップに吐き出した。この茶色い液体の中に、菌が入っているのか。当然それは目視できないのだが、何となくそれっぽいものが浮かんでいるような気がした。
神保町に着いた時には、さらに身体がおかしくなっていた。食欲は全然なかったが、歯医者までの時間を潰すためにドトールに入ってコーヒーとパンだけを注文した。席に着く際、少しふらついてコーヒーをこぼした。幸い、誰にもひっかからなかった。
その後気合で病院に行き、検査を終わらせたが、会計を待っている時に、突然北極にいるかのような凄まじい冷えに襲われた。悪いことに、外では大雨が降っていた。雨宿りと体力の回復のため、しばらく椅子に座って待つことにした。三十分経過し、雨はやや収まったが、体調は全然よくならなかった。しかし、このままここにいてもしょうがないので、無理にでも帰宅することにした。
電車を降りた後、最寄り駅から自宅まで、雨に濡れながら自転車を漕いだ。家に戻ると、気力が切れたのか、ふらつきが激しくなった。急いで風呂に入り、母親と祖母に熱があることを伝え、そのままベッドに入った。ミイラになるぐらい、ものすごい量の汗が出た。母親に家の目の前にあるスーパーでポカリスエットを買ってきてもらい、それを飲んで命を繋ぎ止めたが、全身が倦怠感の繭に包まれているような感じで、何をしても苦しかった。
幸い次の日には平熱よりやや高いぐらいまでに症状は治まったが、喉は依然として痛かった。またぶり返しそうだったので、近所の総合病院(性病の検査を受けにいったところとは別)に行き、治療を受けた。その際、溶連菌に感染しているかもしれない、と言われ、綿棒で喉の細胞を採取したが、菌は検出されなかった。医者に、性病のことは話さなかったので、もらった薬がきちんと効くのか半信半疑にならざるを得なかった。
新宿の病院を訪れてから三日後、性病検査の結果が出た。クラミジアも梅毒も陰性だった。ほっとしたが、検査を受けるのが早すぎるとちゃんとした結果が出ないという医者の言葉もあって、全ての不安が取り除かれたわけではなかった。この「潜伏期間」というのが、性病の恐ろしさを倍加させている気がする。本当に悪魔のような病気だ。
薬を飲んだ後、体調は次第に元に戻り、夏休み明けの会社にも普通に出社できた。しかし、三週間ぐらいは、少し具合が悪くなるたびにナーバスになった。とにかく、身体の不調の全てが性病に起因しているような気がしてならなかったのだ。オナニー中包皮の一部分が固くなっていることに気付いた時は、「梅毒の初期症状か?」と思って、風呂で何度も確認したりした。
そして、一か月以上経過した今、喉の痛みも消え去り、特にこれといった症状は出ずに済んでいる。それで、また「男の娘」がいる風俗のページを見るようになった。喉元過ぎれば熱さを忘れるというわけだ。
今回、「性病」に振り回されたことで、ヘンリー・ミラーがより身近になったような気がした。娼婦が出てくる小説は色々あるが、性病にまできちんと言及しているものは、あまりない。性病はセックスを脱ロマン化するからだ。その点ミラーは、短編「マドモアゼル・クロード」で、娼婦クロードを「天使そのもの」と呼びながら、彼女から病気を移されたのではないかと怯える男を描いた。この生臭い生活感こそ、ミラーをミラーたらしめている要素でもある。逆に、「マドモアゼル・クロード」の翻訳者でもある吉行淳之介とか、村上春樹の描く娼婦が余計胡散臭く思えてきた。特に、村上の『ダンス・ダンス・ダンス』における、「僕」と高級コールガールとのやり取りなんか、滅茶苦茶鼻白む。娼婦と言わずに、「コールガール」、しかも「高級」というところが余計腹立たしい。俺は一万五千円出すのにも、相当ためらっているのに。
快楽主義者とみられた谷崎潤一郎や、自由恋愛を称賛していたアプトン・シンクレアなどは、実生活では結婚を重視していた。二人とも性病を恐れていたので、素性の知れない人間とセックスするのは、あまり気が進まなかったようだ。5回結婚したヘンリー・ミラーや、6回結婚したノーマン・メイラーも、そうだったのかもしれない。性病は、恋愛主義者に「結婚」という道をとらせる。逆に、結婚しない恋愛主義者は、病気があまり怖くないのだろうか。
引用・参考文献
遊郭経営10年、現在、スカウトマンの告白 飛田で生きる (徳間文庫カレッジ)
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聖母のいない国―The North American Novel (河出文庫)
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童貞と男の娘②
動物園前駅から梅田駅に着くころには、ちょうどホテルのチェックインの時間が近づいていた。ホテルは阪急梅田から徒歩10分程度のビジネスホテルを予約していた。ここならエメラルドにも歩いていける。部屋は、ベッドがスペースの半分を占拠しているような狭さだったが、一泊するぶんには問題なさそうだった。俺はシャワーを浴び、汗臭くなった服を着替え、荷物はほとんど部屋に置いて、阪急三番街にある古書街に向かった。予約した八時までは、まだ一時間ほど時間があった。
大坂に住んでいる友人は、「大阪は東京に比べると規模が小さい」と言っていて、東京のように都会が分散しておらず、栄えている場所はほとんどが梅田周辺ということらしい。本好きの立場からすると、大阪に神保町のような場所がないというのは割と驚きで、古書街と言えるのは阪急三番街にあるそれが唯一のものらしいが、実際行ってみると、全然たいしたことはなかった。
古書街を適当にぶらついた後、地図アプリを見ながら、15分ぐらいかけて、エメラルドの前まで寄った。大きな道路に沿ってひたすら南下するだけの道のりだったが、夜の街の湿った風と光は、自我が消えゆくロウソクの炎の如くゆらめくような感覚をもたらし、心地よかった。
アプリだと、目的地であるエメラルドに赤い印がついていて、自分のいる場所を示す青いアイコンが少しずつそこに向かって動いていく様子が、レーダー画面とそれに映るミサイルを想起させた。前日にグーグルマップでその付近の様子を調べていたから、到着しても驚きのようなものはなく、答え合わせをしているような感じになった。
地図で見ると碁盤目状になっているこの地域は、飲み屋、風俗店、案内所、ラブホテル、駐車場などが地雷のように散らばり、猥雑とした雰囲気と油っぽい空気で満ち満ちていた。そうした小さい欲望の集合体といったところが、なんとなく池袋のロサ周辺を想起させた。しかし、金曜の夜というのに、人はまばらだった。「ただいまジョニーが見回りをしています。冗談です! こちら高橋です」というつまらない冗談が、路上に駐車してあった民間のパトロール・カーのスピーカーから流れてきて、自分はいま大阪にいるんだなぁ、と感じさせた。
予約の時間にはまだ早すぎると思い、エメラルドの面している小汚い路地からから少し外れたところにあった寺の前で、周囲に明かりがほとんどない中、スマホをいじって時間を潰した。本当に風俗に行くのだという熱狂と背徳感、その両方の気持ちを抱きながら、Twitterのタイムラインを眺めていると、「この人たちは俺が今から風俗に行くこと知らないんだよなぁ」ということに気付いた。これまで自分は特に秘密にしておくような事柄をほとんど持っていなかったが、初めて共有をためらうような出来事が今ここで起こっていることに、変な感動を覚えた。
8時10分前に、店の入っているビルのエレベーターに乗り、9階のボタンを押した。ビルは風俗店と案内所の間にあり、一階は激安のホテルで、全体的にみすぼらしく、大きな地震が起きれば一瞬で粉になりそうだった。エレベーターを降りると、すぐ右側に重厚な金属製のドアがあり、左側にはむき出しの非常階段があった。恐る恐るインターフォンを押すと、「いらっしゃいませ。予約しているお客さまですか?」と男の声で聞かれた。
「8時に予約した範多康成です」
メールで予約した時に使った、親戚の苗字と川端康成の名前を組み合わせた偽名を名乗った。これなら忘れないと思ったからだ。
「少々お待ちください」
コンクリートの古びた狭く寒々しいエレベーターホールには、洗濯物が入っていると思われる大きな青い袋が置いてあった。それから、壁には、監視カメラとセコムのステッカー。あまりの無機質さに、このドアの向こうで何人もの男たちが倒錯的なセックスをしているとは誰も想像できないだろう。
気温と湿度が猛烈に高いせいで、立っているだけでも汗がじっとりとにじみ出た。店員は5分経っても出てくる気配がない。俺は段々、「一体どうなってるんだろう」と心配になってきた。谷崎潤一郎に「秦淮の夜」という、南京に旅行した時のことを描いた小説風の紀行文があって、谷崎は現地の案内人に頼んで妓館巡りをするのだが、人気のない見知らぬ土地を彷徨っているうちに、不安が増大し、女を買う気が失せていくという話で(最終的には素人を買うのだけれど)、今の俺もそんな気分になっていた。
それから三分経って、ようやくホストみたいな恰好をした金髪の男が出て来た。
「お待たせしました。こちらにどうぞ」
中に入ると、スリッパに履き替えるように言われた。1.5人分しか幅のない廊下には、どこかの個室に繋がるドアがいくつもあったが、誰とも出会わなかった。俺は一番奥の部屋に通された。そこには、茶色のシーツがかけられた薄い蒲団の他に、なぜか囲炉裏付きの小さなテーブルと座布団が置いてあって、灰の中には煙管が刺さっている。奥には「感謝」と書かれた安っぽい掛け軸がかかっているし、床も畳で、全体的に「床の間」風の造りとなっているようだ。
なんだこの部屋はと訝しんでいたところ、そういえばホームページに「花魁コース」っていうのがあったなと不意に思い出した。普通のコースを頼んだはずなんだけど別料金かかったりしないよなぁ、念のため金は余分に持ってきてはいるけど、とか内心そわそわしていると、身体にバスタオルを巻いた娘が、出入口横のシャワールームに繋がっているドアからいきなり出てきた。
「あ、ごめんなさい!」
どうやら、シャワールームが隣の部屋と共同らしく、出る部屋を間違えたようだ。俺は胡坐をかきながらテーブルにもたれ、煙管で灰を混ぜたりしながら、指名した娘を待った。そして、8時を少し過ぎた頃、ドアをノックする音が聞こえ、「どうぞ」と言うと、
「こんばんは」
と言って、白い花柄のワンピースを着た、異国的な顔立ちの男の娘が入ってきた。花月だった。彼女はクロックスを履き、手には小さなバッグを持っていた。軽くパーマをかけた茶髪は、二の腕の辺りまで伸び、女らしさを演出していた。背が高くすらっとしているのも印象的だった。サイトの写真は修正されているから、顔の表面がのっぺりしていたのだが、実物は当然もう少し凹凸があって、その人間らしさが加工された写真よりもはるかに肉感的だった。それと、体つきが、男だからなのか痩せているからなのか、あまり丸みを帯びていず、全体的にゴツゴツと尖っているようだった。しかし、特に気になるというほどではなく、むしろ、俺の目には「女」にしか見えなかった。声も、わざとらしさを感じさせない、普通の「女らしい」発声で、そこが一番驚きだったかもしれない。正直、男にしか見えない「男の娘」が来たらどうしようと思っていたので、その点はまったくの杞憂だった。
俺は何を喋ってよいのかわからず、黙って俯いていると、花月が「フフッ」と笑った。俺も「ハハッ」と笑い返した。まるで言葉の通じない外国人同士みたいだ。俺はどういう風に会話すればいいのか見当もつかなかった。まあ、そういうことに長けているのだったら、とっくに童貞は卒業しているはずだが。
「あの、先にお金もらうシステムなんで、いいですか?」
俺はリュックから財布を取り出し、二万渡した。彼女はそれを受け取ると、また出て行き、五分ぐらいしてから、釣りの五千円を持って戻ってきた。特別料金が発生していないことに安心した。それから、クーポンをくれたが、「もう来ないんだけどな」と思いつつ、黙って受け取った。
「じゃあ、シャワー浴びる?」
と言われ、「うん」と答えた俺は、ぎこちなく服を脱いだ。チラッと横を見ると、彼女もパンツを脱いでいるところだった。勿論、そこにはペニスがあった。
心配だったのが、眼鏡を外さなければいけないことで、裸眼だと俺は視力が0.1以下だから、ほとんど何も見えなくなってしまうのだ。みうらじゅんも視力の弱い人間が裸眼でセックスをすることの困難さを度々語っていたが、そうすると童貞の俺はなおさら酷いことになりそうだった。
シャワールームは満員電車かというぐらい狭かった。多分密着できるよう敢えてそういう風にしているのかもしれない。結構大きいとは思っていたが、こうやって並ぶと、彼女は174㎝の俺より若干大きかった。プロフィールでは、170㎝だったはずだが……。
花月はシャワーを手に取ると、お湯の温度を手で確かめてから、俺のペニスをやさしく洗い始めた。いや、正確には洗っているというよりかは、やさしく撫でているという感じで、俺は即勃起した。それから、やさしく背中を洗ってもらっていると、
「気になるところありますか?」
と聞かれ、「あ、大丈夫です」と返した時、「なんか美容院にいる時みたいだな」と思った。会話がどうしても業務的になってしまうのだ。その責任のほとんどは、打ち解けられない俺にあるのだが。
顔から下を洗い終わった後は、青い半透明のイソジンみたいな液体でうがいをし、先に蒲団で待った。彼女はやって来ると、
「部屋、暗くする?」
「じゃあ、お願い」
部屋の中が薄暗くなり、ぼやけていた景色が、モノクロになった。
「じゃあ、どうします?」
「ああ、あの、じゃあ、キスから」
蒲団に座ったままの状態からキスをし、ゆっくりと彼女を押し倒して抱き合ったままキスを続けた。ナメクジのように太く湿った舌を互いにくちゃくちゃ絡ませ合っていると、時折彼女が俺のそれを軽く吸い、スープを啜った時のような音が出た。俺も吸ってみようかと思ったが、いまいちタイミングがつかめず出来なかった。その代わりに、前にAVで見て以来、ずっとエロいなぁと思っていた、「キスの流れで相手の下唇を軽く噛む」というのをやってみた。彼女の唇は寒天のように弾力があって、噛み心地は最高だった。
しばらくして、彼女が上になり俺が下になった。そして、俺の乳首を舐め始めた。電撃が頭に走った。かなり気持ちよかった。乳首が性感帯だというのはよく聞いていたが、これまで確かめようがなかったので、半信半疑だった。だから、自分がそれで感じるのだということを知ったのは、ある意味新大陸発見だった。前日に、乳首周辺の毛を剃っておいて良かった。
彼女は段々下の方に降りていって、最後に俺のペニスを咥えた。勃起していた俺は、「ここで射精したらもったいない」と思って、にわかに下半身を緊張させた。ペニスは縮小こそしなかったものの、固さが失われた。そのうち彼女はまた戻って来て、俺に覆いかぶさった。見た目こそ、アバラがやや浮いているぐらい痩せているのに、こうして思いっ切り乗っかられると、結構な重みを感じた。身体が「男」だからこんなに重いのかなとも考えたが、女とセックスしたことのない俺には、比較する術がなかった。他のこと、例えば唇や肌の柔らかさにしてもそうだが。
上下を交代する際、なるべく体重をかけないよう、両肘を蒲団につけてから、彼女の上になった。そして、閉じていた腋に、鍵をあける感覚で舌をスッと差し込んだ。女の身体の部位で、俺が一番好きなのは、「腋」だった(一番人気であろう「胸」にはほとんど関心がない)。やっかいなことに、「腋」というのは、見るだけでは欲望を充分に満足させることができない性的個所である。嗅覚・味覚・視覚・触覚といった、聴覚以外の四感をフル動員してこそ、その感動を真に味わうことができると言えよう。だから、それがようやく叶うと思うと嬉しかった。彼女の腋は、制汗剤がかかっていたのか、かなり苦く、山椒を噛んだ時の如く舌がピリッと痺れた。それでも、舐めようとすると、
「え、恥ずかしい」と言われ、しぶしぶ諦めた。次に、彼女の耳たぶでも噛むかと思って(これもAVで見た性戯だ)、そこに顔を近づけると、髪からほのかにタバコの匂いがした。そして、耳たぶを軽く噛むと、また「恥ずかしい」と言われたので、いたずらを見つけられた子供のように慌てて顔を離した。
経験の少ない俺は彼女の真似をして、乳首を丹念に舐め、それから芋虫のようなペニスを咥えてみた。ペニスは無味無臭で、「こんなものか」という淡白な感想しか出てこなかった。俺は、歯を立てないようにフェラチオの真似事をしてみたが、彼女のペニスは、縮みこそしなかったが、大きくもならず、空気が抜けたようにぐんにゃりとしていた。彼女は、俺が愛撫している間、喘ぎ声を出していたが、それが盛り上げるための演技であることは、このペンニスが証明していた。
フェラチオを止め、また乳首を舐めると、自分の唾の臭いがして、思わず顔をそむけそうになった。小説や映画で様々なセックス描写を見てきたが、こういうことを描いた物はほとんどなかった気がする。
69を試してみたいと思ったが、それをどういう風に伝えるか、悩んだ。というのも、性的な単語を口にするのが恥ずかしかったのだ。まるで良家育ちの処女みたいだが、自分の口からそういう生々しい言葉を発するのは、何かこう、持っている人格とかけ離れているような感じがした。それでも、欲望には抗えず、
「お互いに、ちんこを咥えてみない?」と提案した。ちなみに、「ちんこ」というか「ちんぽ」というか「ペニス」というかでも悩んだ。「69」とは言おうと思っても言えなかった。
「いいよ」
俺が上になり彼女が下だった。しかし、どうやってもぴったしくる体勢にならず、ジグソーパズルで間違ったピース同士を無理やりはめ込もうとしているかのように、噛みあわなかった。俺は彼女のペニスを口に含めるのだが、彼女の方が俺のそれを中々口に入れられなかった。
「ちょっと、横にしよ」と彼女が言い、結局、サイズの異なる勾玉を強引に組み合わせたような形で、69をした。もうかれこれ三十分以上こんがらがった紐ののように絡み合っているが、俺のペニスは、あの射精を無理やり我慢した時をピークに、枯れていく一方だった。以前、多分中原昌也だったと思うけど、誰かとの対談でセックスの話になり、「セックスは相手の身体を使ったオナニーでしかない」みたいなことを言っていて、その時はそんなものなのかなと流したが、実際自分が初めてセックスをしてみると、相手に気を遣うので精一杯になり、自分勝手にできるオナニーとはまるで勝手が違うということがわかった。快楽の度合いで言えば、オナニーの方が高いように思えた。そもそも彼女と一緒に蒲団に入って以降、常に行為を俯瞰で見てしまっていて、没入感がまったくなかった。「キスをしている俺」、「乳首を舐めている俺」、「ペニスを咥えている俺」、「フェラチオされている俺」という風に、必ず脳内でそれらの行動が、別視点から浮かび上がり、天井裏から性行為を覗いているような、屋根裏の散歩者的気分だった。何年か前に読んだ、メアリー・マッカーシーの『グループ』という小説の中で、処女喪失を目前にした女が、「さまざまな薄気味の悪い的はずれの考え」、例えばヨーロッパの穀物乙女について考え始めるシーンがあったが、それに似た感覚を追体験しているように思えた。
戦隊シリーズのコスプレが好きだったり、AVを鑑賞する時は女の方に感情を移入していたりするなどの特殊な性癖を持っているから存分に興奮できないのかとも思案したが、元々これまでの人生で我を忘れるという経験をしたことがほとんどなかったような気がする。それに、人見知りをする自分では、初めての相手だと、緊張を解くことができず、性的な方向へ気持ちが向かわないのかもしれない。あと、ペッティング一辺倒の単調なやり方も、ペニスを萎れさせた原因の一つとなり得ただろう。
彼女の方も、萎えている俺のペニスに焦ったのか、自らイラマチオに近いフェラチオをした。俺も何とか射精しようと、「自分は女である」という妄想を膨らませてみたが、性的な感情からは乖離する一方だった。次に、彼女は俺の乳首を舐めながら手コキした。これは少し効果があった。ただ、力を入れないと俺が感じないと思ったのか、段々ペニスをぎゅっと握りつぶすような強さで擦り始めたので、亀頭の周りが痛くなった。そこで、俺が自分で自分のペニスをしごくことにした。その間、彼女は俺の身体を舐めたり、キスをしてきたりした。徐々に、これはセックスなんだろうかという疑問が頭に浮かび始めた。これじゃあオナニーと変わらないんじゃないかという思いにとりつかれた。さすがに、二十八歳にもなって、セックスに対し過度な期待は抱いていなかったが、想像以上に味気ない感じで、人生の欠落感を埋める行為にはなり得なかった。むしろ、欠落が広がったような気もするが、その方が諦めもつくのかもしれない。
「あ、そろそろ出るかもしれない」
と俺は報告した。そして、射精した。たいして気持ちよくもなかった。中途半端な性欲によって、義務的にオナニーをすることが、男にはよくあるが、その時に味わう徒労感に近かった。彼女は枕元からティッシュを持ってきて、腹に出た精液を拭いた。暗かったからどの程度の量出たのか、よくわからなかった。
「ごめんね、うまくできなくて」
「いや、俺も緊張してたから」
時間はまだ十分ぐらい残っていたので、どちらから言うのでもなく、極自然に横になって抱き合う流れになった。俺は初めて彼女を強く抱きしめた。彼女の体温が直に伝わって来て、リラックスできた。セックスは、快楽よりも、こういう「安心感」を求めてやるものではないかとふと思った。
「ここって、変わった部屋じゃない?」と入室した時から保持していた疑問をぶつけてみた。
「ああ、花魁コースの部屋なんだよね。他の部屋が全部埋まってて」
会話の突破口が出来たので、
「俺、旅行で大阪に来てるんだよ」と言ってみた。
「へえ、そうなんだぁ。東京から?」
「うん。普段は、新宿で働いてる。新宿にも、この店あるんだよね?」
「うん。行ったことある?」
「いや、風俗自体今日が初めてだったから」
「へえ。あ、何か飲む?」
「何があるの?」
「お茶か、ジュースか」
「じゃあ、お茶で」
彼女が飲み物を取りに行っている間に眼鏡をかけた。世界が輪郭を取り戻した。
俺は小型の冷蔵庫に入っていた缶のお茶を渡され飲んだ。
「あたしも、前は大阪じゃなくて千葉に住んでた」
「あ、そうなんだ」
「たこ焼きとか食べた?」
「いや、まだ」
「じゃあ、食べてってよ」
「ん、そうする」
シャワーを浴び、服を着ると、彼女が「誰もいないか確認してくるね」と言って、廊下に出た。客同士が鉢合わせするのを防ぐためのようだ。
「大丈夫だった」
俺は彼女の後ろについて、廊下を進んだ。どこかの部屋から豚のような呻き声が聞こえてきて、尻を掘られている客がいるのかなと想像した。
玄関には監視カメラのモニターが取り付けられていて、外の様子が窺えるようになっていた。これで見られてたのか、と俺は気付いた。今、外には誰もいなかった。俺は靴を履いて、「じゃあ、さよなら」と言い、あっさり彼女と別れた。
友人に用事が終わったとラインし、JR梅田駅に向かい、どこかのバスターミナル周辺で待ち合せした。そういえば、大阪に来るまで、梅田駅と大阪駅が近いことも知らなかった。今も、自分がどこにいるのかよくわからなかったので、視界に入るものを伝えると、十分もしないうちに友人が現れた。普段からよく梅田周辺を開拓しているので、迷うことはほとんどないという。
友人の選んだ飲み屋の向かっている途中、「用事」のことを聞かれたらどうしようかと懸念したが、特に何も言われなかった。最も、一番気になったのは、自分の息からほんのりイソジンの匂いがすることで、これによって風俗に行っていたことが見透かされているのではないかと心配になったが、気付いているのか気付いていないのかわからないまま店に行き、二時間近く飲んで、解散した。
ホテルに戻ったのは、十二時前で、テレビで野球のニュースを見てからベッドに入った。疲れていたせいかすぐに眠れたが、悪夢を見て跳ね起きた。それは、小学校時代の同級生に風俗に行ったことを糾弾される夢だった。俺は教室の真ん中に置かれた机に座っていて、その周囲を彼らがぐるっと囲み、俺のことをきつく詰っていた。
時計を確認すると朝の七時で、待ち合せの時間まで未だ二時間以上あったから、もう一度寝たら、また同じ状況の夢を見た。今度はなぜか、彼らの目の前で裸の女のプラモデルを組み立てさせられていた。「これで女を勉強しろ」と誰かに囃し立てられたところで、目が覚めた。
なぜ、十年以上も会っていない小学校の同級生が夢に出てくるのか。これまでも、中・高・大が舞台の夢はほとんど見たことがなかった気がする。恐らく、嫌な記憶が一番多いのが、小学校時代で、それが夢にも影響しているのだろう。
しかし、風俗に行った次の日の朝にそんな夢を見るなんて、俺の罪悪感はどれほど強いのか、と我ながら呆れた。根本的に風俗と合わない人間なんだとベッドに寝っ転がりながら考えた。
童貞と男の娘①
まったく奇妙な夜だった。一日かそこらすれば、疼き出すのではないか。さまざまな心配。急いで馳けつけるアメリカン・ホスピタル。黒い葉巻をくわえたエールリッヒ博士の幻が、幾重にもダブって見えてくる。異常はないのだろうか。取り越し苦労なのだろうか。
八月十一日から十五日まで、会社がお盆休みに入るということで、高校時代の友人のいる大阪へ、一泊二日の旅行をすることに決めた。友人との久しぶりの再会以外に、マッチング・アプリ、ペアーズで使う写真を撮ってもらうのも大坂へ行く理由の一つだった。普段、写真を撮ることも撮られることも皆無なので、掲載できるまともな写真が一枚もなかったからだ。
最初は12日の土曜日に日帰りで行こうと計画していたのだが、10日ぐらい前に新幹線の空き状況を確認したら、既に朝から夕方にかけてグリーン車まで埋まっていたので、金曜昼大坂着の切符を取り、土曜の最終電車で帰ることにした。
土曜は友人らと遊ぶことにして、金曜は自分一人で行動しようと考えた。ネットで観光名所を色々調べてみたが、元々旅行や食に興味のない無味乾燥な散文的人間なので、どこにも食指が伸びない。しかし、二三週間前にTwitterで川端康成文学館が難しいクロスワードパズルを作ったというツイートを見かけたのを思い出し、まずはそこに行くことに決め、ついでに古本屋にも寄ることにした。
さて夜はどうしようかとマリアナ海溝ばりに深く思案していたところ、「旅の恥は搔き捨て」ということわざを思い出し、そこから「風俗に行ってみるか」という考えが天啓のごとく降ってきた。そもそも俺は風俗に対しかなりの忌避感があって、大学に入り恋愛を夢見るようになって以降、初めての相手が風俗というのはちょっとな、とか、そんなとこ行ってたら女に嫌がられるだろう、とか、はまったらやばいな、とか行かない理由を色々作っているうちに、肝心の恋愛がまったくできないまま「28歳童貞」という腐乱死体と化してしまったので、さすがにもう解禁だ、俺は悪くない社会が悪い、という半ばやけくそな気持ちで風俗関係のサイトを熱心に渉猟した。
しかし、どうせ行くにしても普通の風俗じゃありきたりでつまらないというか、新たな刺激を求めて、去年ぐらいから気になっていた、「男の娘」のいる風俗に挑戦することにした(女との初めてのセックスは、風俗嬢ではなくまだ見ぬ恋人にとっておきたいというのもあった)。元々、「男」のような雰囲気が微妙に漂う「女」、というのが好きで、偶然、ネットで「男の娘」のAVを見かけた時に、そこに出ている女優(男優?)が、俺の理想とする容姿に近く、それ以来そっち方面も時折オナニーの対象にしていたのだ。ただし、「男の娘」といっても、「女よりも女らしい」というタイプと、「男の要素がほのかに残っている」というタイプの二種類に分類できるのだが、俺の好みは後者に限られていた。
一時間以上にわたる熟慮の結果、梅田にあるニューハーフ・女装専門店エメラルドに在籍する、花月という二十歳の「男の娘」を指名した。サイトに掲載されている写真を見てピンときたのだが、大幅に修正されているのではないかという疑念があったのと、指名料のランクが三段階で一番低いランクに設定されていたことから、一応指名前に5chとバクサイで彼女の情報を収取してみたところ、タレントのIVANに似ているという書き込みがあって、グーグルでその人を検索してみると、全然いけるじゃないか、と思いすぐにメールで予約を入れた。夜八時からの一時間コースだ。
メールでは、あらかじめプレイの内容を指定できた。病気が怖かったので、挿入するのもされるのも初めから想定せず、「キスを多めに」、「フェラでいきたい」、「会話よりプレイ中心」というのを選んだ(選択肢は30個ぐらいあって、そこから最大5個まで選べる仕組みだった)。俺はAVを見ていても、挿入よりキスに興奮する性質だったので、性行為ができるならキスをたっぷりしたいなあ、と常日頃思っていたのだ。
予約が決まってから、友人から「金曜の夜飲まない?」というラインが入った。俺は風俗で金曜の予定を終えるつもりでいたので、困ったな、と思ったが、断るのもあれだったので、「用事があるから、九時以降でいいなら」と返した。すると、「それでいい」とのことだったので、風俗の後、飲むことが決まった。
旅行当日、興奮でそれどころじゃなくなるのではないかと懸念していたが、意外と冷静だった。昼の1時半ぐらいに新大阪に着き、そこからJR京都線で茨木に向かう。今はスマホで地図アプリと乗り換えアプリが常時確認できるから、土地勘がなく旅行慣れしていなくても、だいたいどうにかなる。茨木駅に着いてから、スマホの地図を見ながら歩いたのだが、案外遠かった。確かに公式サイトには駅から徒歩20分と書いてあって、歩くのが早い俺ならもっと短い時間で行けるだろうと軽く見越していたのだが、やっぱり初めての土地だとそうもいかず、しかも滅茶苦茶暑いから体力をわりと消耗した。ただ、「川端通り」という標識を見つけた時は、テンションが上がった。
川端康成文学館は想像よりはるかに小さく、隣接する市立青少年センターの建物の一部という感じで、10分もかければ全ての展示を回れる規模だった。かつて「文壇の総理大臣」と呼ばれ、ノーベル賞までとった人間を記念する施設としては寂しい気がしたが、まあ、そんなものなのだろう。
とりあえず、入口付近に置いてあった例のクロスワードパズルをとり、問題を確認すると、確かに難しい。が、展示を観ればある程度答えがそこに書いてあるし、全てのマスを埋めなくても、指定された部分をいくつか埋めることができれば、最後の答えを予想することは可能なので、実際解けたのは4分の3ぐらいだったが、指定された7文字のうち4文字を埋めた時点で解答できた。それで、パズルを学芸員に渡すと、「これ結構難しいのによくできましたね」と言われ、報酬のクリアファイルを貰った。クリアファイルはいくつか種類があったが、俺は、西澤静男による『雪国』の駒子を描いた銅版画がプリントされたものを選んだ。展示物で最も印象に残ったのは、中学時代の川端が「おれは今でもノベル賞を思はぬでもない」と書いた野心的な日記とノーベル賞のメダルだった。
川端康成文学館を出た後は、飛田新地を観察しに行った。もちろん、夜にそっちの予定が入っているので、上がる気はないのだが、一度見ておきたかったのだ。新大阪周辺では、吉本芸人が喋るようなこてこての関西弁というのはまったく耳に入ってこなかったのだが、ここで初めて「今、西成の〇〇にいる、ゆうとんじゃろが、われ!」という強烈な恫喝的関西弁が鼓膜に刺さった。見ると小汚いおばさんが携帯で怒鳴っていたのだが、ものすごく声が高くて、山田花子みたいだった。それでも、関西弁だと異様な迫力が出るものだ。
駅と新地の間にある商店街は、異常にカラオケ付きの飲み屋が多く、ところどころ小便臭かった。そこにある全てが、生まれた時から既に、時代から取り残されているような雰囲気だった。いや、時代にそぐわないものをそこに押しやったというか。恐らく、これから先もただ人間だけが入れ替わっていき、街は何も変わることなく、永遠に時代から取り残され続けていくのだろう。
新地に一歩足を踏み入れると、店の前を通るたびに、「兄ちゃん、ちょっと女の子見てってやぁ」とやり手ババァたちから盛んに粘っこい勧誘を受け、単なる冷やかしであることがだんだん心苦しくなり、「私はただの通行人です」という体を装いつつ、横に視線を向けないようにして、すぐにその場を離れた。意外だったのは、やり手ババァらが、水商売関係者に見えない、スーパーでレジ打ちでもしてそうな、普通のおばさんばかりだったということだ。飛田で長く遊郭を経営するためには、まず質の高いやり手ババァを確保しなければならない、ということを前に元遊郭経営者の本で読んだことがあった。だから、今声を張り上げて客を呼んでいるおばさんらは、見た目によらず、人間の動かし方をよく心得ているのだろう。
夕方だからか客は全然いなかったが、一軒、水着を着た女の子が座っている店で男が直接交渉していた。普通は隠されているものがこうやって日常として成立しているのは奇妙だった。キム・ギドクの映画で観た韓国の風俗街も、風俗嬢が店頭で顔出しするスタイルだったな、ということを急に思い出したりもした。
ネルソン・オルグレンと寺山修司の出会い
ジル・クレメンツが作家たちを撮ってまとめた、『ライターズ・イメージ』という写真集を見ていたら(ちなみに、クレメンツの夫はカート・ヴォネガットで、この写真集の序文もヴォネガットが書いている)、ネルソン・オルグレンのところで、気になるものがあった。
後ろの壁に、日本で行われたボクシングの試合のポスターが飾ってあるのだ。俺は直感的に、「寺山修司に案内してもらったのかな」と思った。寺山は日本で最もオルグレンに傾倒していた作家で、最近映画化された『あゝ荒野』は、オルグレンのボクシング小説『朝はもう来ない』に強く影響されているし、多分「荒野」という言葉も、オルグレンの短編集『ネオンの荒野』から取っているのだろう(ただ、ユージン・オニールの戯曲で、ずばり『あゝ荒野』というタイトルのものがあるが)。余談だが、オルグレンの小説『荒野を歩け』は映画化されていて、日本では長く未ソフト化状態だったが、今月、復刻シネマライブラリーからDVDが発売される予定である。
それで、寺山がオルグレンについて書いたものはないかなと探したら、『寺山修司青春作品集 3 ひとりぼっちのあなたに』の中に、「ネルソン・オルグレン・ノート」というのが収録されていたので読んでみた(この「ノート」の使い方はノーマン・メイラーの真似だろう)。
オルグレンが来日したのは、1968年の冬。知っている日本人が、文通をしていた寺山だけだったことから、彼を頼ったようだ。二人は、山谷や吉原、新宿の元赤線地帯に行ったり、ニコリノ・ローチェ対藤猛の世界タイトルマッチを観戦したりした。寺山によると、ボクシング観戦後、「ジムを出る時のネルソンは上機嫌で、壁に貼ってあったポスターを二枚も三枚も引きはがしてふところにしまいこんだ」というから、例のポスターはその時のものだろう。
オルグレンの来日から二年後、今度は寺山がシカゴに住むオルグレンを訪問した。この面会から11年後に、オルグレンは死ぬのだが、当時60歳だったオルグレンは既に「死」に囚われ始めていたようで、寺山に向かって、自分が死ぬ夢をよく見ると語っている。寺山はオルグレンの暮らしぶりについて、「老作家が、朝からマティーニに酔い、家族もなく、たった一人でアパート暮らしているのを見るのは、私にとってはなぜか心の痛む光景である」と告白している。
アパートの壁には、あのポスターだけでなく、写真や新聞の切り抜き、旅行先での思い出の品などがべたべたと貼られているらしく、中には愛人だったボーボワールと一緒に撮った写真もあった。寺山はそれを見て、こう記している。
写真の中の二人は、今の私よりもずっと若く見える。私は、「時」こそ悪であると、思わないわけにはいかない。すべてのロマンスは主人公の死とともに終り、風景だけが取り残されるのである。たぶん、ネルソンともう一度会えるかどうか、私にはわからない。
クレメンツの写真は、寺山が来訪してから一年後に撮られたもののようだが、寺山のエッセイを読んでから見ると、ひどく寂しいものに感じられる。
オルグレンと寺山が観戦した試合。二階席にいたので、姿を確認することはできない。
The Writer's Image: Literary Portraits
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寺山修司青春作品集〈3〉ひとりぼっちのあなたに (1983年)
- 作者: 寺山修司
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東京電力の社員を名乗る泥棒
家に泥棒が入った。泥棒を入れたのは家族だった。
水曜日の午前11時頃、俺が会社に行っている間、家に「東京電力の検査員」を名乗る小太りの中年男がアポなしでやってきたらしい。男は作業着姿で、社員証らしきものを首から下げ、腕に腕章を巻いていた。
家には祖母と母がいて、男の対応には祖母があたった。祖母は数十分前に、男が同じ階の別の部屋を訪れていたのを目撃していた。母は吠える犬(他人を噛む癖がある)を抱いて自分の部屋にいた。男はアンケートみたいなものを持っていて、「事前にこのアンケートを入れてたんですが」と言った。祖母はそれに心当たりがあったような気がしたので、男を家に入れ、言われるがままに家中のコンセントを点検させた。何度か、「ブレーカーの方を見てきてほしい」と頼まれ、男を一人にした。男は話しが上手く、快活に色々調子よく喋って、警戒を解いたらしい。
夜、俺が家に帰ってくると、祖母から「あんたの部屋、ホコリがたまってて危ないらしいよ。ブラシを外した掃除機でコンセントの中のホコリ吸い取れって。火事になるから」とその男からの忠告を俺に伝えた。
「でも、一番危ないのはあたしの部屋なんだって。全然使ってないコンセントが一つあって、そこにすごいホコリたまってたから気をつけろって」と祖母は言った。
次の日、祖母の部屋の机から金が抜き取られていたことが発覚した。男は我が家に来る数日前に、他の部屋に入り、「明日部品を持ってきます」と言い残し退散したが、いくら待っても訪れず、怪しんだ住人が管理人に確認して、男が偽の検査員だということが判明した。その注意書きが、俺の家に泥棒が入った次の日に、一階の掲示板に貼られ、それを見てようやくそいつが泥棒だったことに気が付いたわけだ。
金曜日に警察に来てもらい現場検証をしたが、このタイプの泥棒は関西には多いらしいが、埼玉では始めてだという。部屋から指紋をとったが、泥棒は当然しっかりと黒い手袋を嵌めていたし(「検査するのに危ないからはめてなきゃいけないんですよ」とまで言っていたとか)、マンションの監視カメラの場所もきちんと把握してから来ただろうし、祖母は男の顔をほとんど覚えていなかったから、手がかりはほとんどなく、捕まえるのは難しそうだった。
そもそもアポなしで来た男を何の確認もせず家に入れた時点で、相当な間抜けである。このまま、埼玉で誰も被害に合わなければ、うちは埼玉で一番間抜けな家族となってしまう。なので、誰か被害にあってほしい、というのは冗談だが、こういう泥棒もいるということを書いておく。
職業「泥棒」年収3000万円(決してマネをしないでください)
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