藤森安和 『15才の異常者』

 大江健三郎の「政治少年死す(「セヴンティーン」第二部)」は、1961年『文學界』2月号に掲載されたが、右翼の抗議にあい、出版社側が謝罪したため、2018年7月に『大江健三郎全小説3』に収録されるまで、長らく単行本未収録の封印作品となっていた。

 実は、鹿砦社から出た『スキャンダル大戦争2』という本に、深沢七郎の「風流夢譚」と一緒に無断で収録されていて、俺もそれを持っていたのだが、雑誌からのコピーをそのまま掲載しているので文字がかすれていて読みにくいうえ、いつでも読めるからという安心感から、長らく放置していたのだが、フォロワーがリツイートした下の大塚英志のツイートがきっかけで、再度興味を持つことになった。

 

 

 俺が興味を持ったのは大江だけではなく、大塚のツイートで取り上げられている藤森安和という聞いたことのない詩人に対しても同じだった。特に「15才の異常者」という特異なタイトルと、坂本龍一までもが触れていたという事実から、余計に知りたくなったのである。

 それで、図書館に『15才の異常者』がないか検索してみたら、都内では国会図書館しか所蔵していなかった。古本の方は、大江効果なのか、それなりの高値がついており、手元不如意だった俺は、しばし諦めることにし、寺山修司の『戦後詩 ユリシーズの不在』という詩論に藤森の詩が引用されているということを調査の途中で知ったので、まずはそちらで読むことにした(「政治少年死す」は『大江健三郎全小説3』で読もうと思って、図書館で借りようとしたら、予約が多く、こちらもしばらく保留することになった)。

 寺山の『戦後詩』は、1965年に出版されたもの(俺は講談社文芸文庫版で読んだが)。「戦後詩における肉声の喪失、人間の疎外」をテーマにし、あとがきでは、次のような不満を述べている。

 

 ここに引用した詩の数倍の「戦後詩」を読んで、私の感じたことは何よりもまず、詩人格の貧困ということであった。詩人たちはみな「偉大な小人物」として君臨しており、ユリシーズのような魂の探検家ではなかった。詩のなかに持ちこまれる状況はつねに「人間を歪めている外的世界」ではあっても、創造者の内なるものではないのだった。私がこのアドリブ的な詩論の副題に「ユリシーズの不在」とつけたのはそうした詩人格への不満に由来している。

 

 そうした詩壇の状況に満足しない寺山が、藤森を取り上げているのは、彼の詩が、「人生の隣」にある「直接の詩」に近いからで、そこには「公衆便所の落書を思想にまで高めようとする悲しい企みが感ぜられる」という。そして、「15才の異常者」が数ページにわたって引用される。別のところでは、「あら。かわいらしい顔。──イヤラシイ子ダヨ──」も全篇引用されている。第五章の、「戦後詩人ベストセブン」の中にはいれていないし、紹介の言葉もさほど多くはないのだが、寺山が藤森を重要な詩人の一人だと考えていたのは間違いないだろう。

 また、寺山の「消しゴム──自伝抄」(『悲しき口笛 自伝的エッセイ』所収)には、藤森と出会った時のことが書いてある。

 

『十五歳の異常者』という詩集を出したばかりの藤森安和が訪ねてきた。

 彼は、静岡で畳屋をやりながら詩を書いていた。

「いい家ですね」と言いながら、応接間へあがりこんだ彼は、進歩的文学者に内在している小市民性についての悪口を言いながら、ポケットからチリ紙をとり出して、洟をかみ、それを絨毯の上へ捨てた。

 彼の煙草の灰は、灰皿ではなくテーブルの上にじかにこぼれていた。そして、私はそれを、はらはらしながら見ていた。

 彼が帰ったあと、応接間に散らばった吸殻、灰、洟紙を見ながら、私はふいに気づいた。

 これはたぶん彼が意識的にしたことなのだ。かつてともに、あらゆる既存の価値に反抗し、「墓にツバをかけて」きた私が、いつのまにか家を構え、庭に花を植え、マイホームのなかへ退行しているという現実を、彼はことば以外のもので批評して帰ったのだろう。そう思うと、私はいたたまれない気分になった。

 

 まるで三島由紀夫の短編小説「荒野より」みたいなエピソードだと思った。

 

 4月分の給与が入った俺は、ついに『15才の異常者』を4000円で購入した。届いた本を見ると、帯には「セックスと暴力の世界を謳ってセンセーションを巻き起こした“15歳の異常者”」という惹句が。その裏には、評論家・関根弘による「詩の世界にも、カミナリ族が殴り込みをかけてきている」という勇ましい言葉。逆に、著者略歴は、「1940年沼津市に生る。現在畳職」と非常にそっけない*1

「セックス」、「暴力」、「カミナリ族」といったフレーズから、詩壇における石原慎太郎的存在として期待されていたように見えるのだが、実際に詩集を読んでみると、「見るまえに飛べ」を書いた頃の大江に──使っている語彙を含め──近い感じだった。例えば、次のような性をグロテスクなものとして描いた詩。

 

あじけない接吻の秋」

 

汗臭い脂肪が沸騰したバーの

麦酒の腐った臭いが脳心頭に突き上げ

姦婦をだいた異人の口腔は

ねばねばした粘液で粘つき

ぶよぶよ太った性器のような指が

スカートの下をあいぶした。

黒人の粘液と姦婦の粘液が熔けあい

男の眼前に

タイトスカートからぬけ出た

姦婦の股が炎えた。

 

 また、「セックス」や「暴力」よりも、むしろオナニズムといった方がよいような詩も多い。それこそ寺山が引用していた「十五才の異常者」では、「院長さんの話だと/僕は精神異常だそうだ。/精神がどんな異常だと聞くと/性欲があまりに強すぎるのに/相手がいないからだそうだ。」と書いているのだ。

 それに、「グロテスクな空想家」では、「私は教室のピエロである。/なぜグロテスクなことを言って/人を笑わせようとするのだろうか。/それは悲しみであり/孤独であり/絶望である。」とも言っている。こういう自意識のあり方は、「カミナリ族」のそれと180度異なる物で、どうも出版社の売り出し方と本人の書いている詩に齟齬があるような気がしてならない。藤森の詩は、実感的というよりかは、空想的な要素の方が強く、時にその観念の強さが空回りしていることもあり、アマチュア臭さが残っているが、当時20歳という年齢から、むしろ強みと見なされてもいたようだ。

 藤森に影響を与えたと思われる大江だが、「政治少年死す」で引用していたのは、寺山も取り上げていた「あら。かわいらしい顔。──イヤラシイ子ダヨ──」だ。委員長を刺殺した「おれ」が、天皇を讃える和歌を作っていたのに対し、同世代の藤森の「あら。かわいらしい顔。──イヤラシイ子ダヨ──」が反天皇的かつ変態的であると、「某主婦」によって批判されるという形で使われている。ただし、「政治少年死す」のこの部分は、実在の人物による浅沼事件に対する反応を書き写したところだから、「某主婦」の発言というのも何かからの引用かもしれないが、今のところよくわからない。「あら。かわいらしい顔。──イヤラシイ子ダヨ──」は次のような詩だ。

 

「あら。かわいらしい顔。──イヤラシイ子ダヨ──」

 

真夜中のことだった。

おらよ。凍った路へしょうべんたらしたよ。

ゆげが、ほかほか、

上に横にさわやかな夜風になびいたよ。

いけないことだよ。おまえ ポリさまに怒られるよ。

いけないよ。いけないよ。たんといけないよ。

なんだい、天皇陛下が御馬車で御通りになったからってよ、

天皇陛下だってしるんだよ あれをさ。バアチャン、バアチャン、アレダヨ。

天皇さまだって人間だものアレしるさ。

アレってなんだい。バアチャン。

アレだよ。

だからアレってなんだい。

だからアレだよ。

あれあれファンキージャンプ。

  

 多分、「ファンキー・ジャンプ」 というフレーズは、石原慎太郎の同名の短編ジャズ小説からとっているのだろう。

 ちなみに、山口二矢は「某主婦」が言うように、和歌を作っていたと伝えられ、「政治少年死す」でもそのことを踏襲しているが、沢木耕太郎の『テロルの決算』によれば、山口の辞世として有名になった「大君ニ仕エマツレル若人ハ今モ昔モ心変ラジ」と「国ノ為神州男子晴レヤカニホホエミ行カン死出ノ旅路ニ」の二首は、「二矢自身の手になるものでは」なく、「人から与えられたものだった」という。そもそも山口は、和歌を作るための「充分な素養を持っていなかった」のだ。事件後、それらの歌が山口のものだとされた事情を沢木は次のように書いている。

  

 事件の数カ月前のことだった。二矢は吉村法俊に共に起ってくれと迫ったことがある。吉村は拒絶したが、その折に自作の歌のいくつかを二矢に贈った。共に起たぬことへの弁明でもあり、ひとり起とうとはやっている少年へのはなむけでもあった。二矢はその歌が気に入り、ノートに筆写した。

 しかし、取調べに際しては、そのような事情を語るわけにはいかなかった。もしこの歌が吉村の作であることがわかれば、事件に関しても二矢の背後で何らかの指示を与えていたと疑われかねない。それは吉村に迷惑が及ぶという懸念ばかりでなく、二矢自身の自尊心が許さなかった。二矢はその歌を自作のものであるという嘘をつき通した。後にこの二首が二矢の辞世として流布されるようになるのは、そのためである。

 

  今でも、それらの首を山口のものだと勘違いしている右翼団体が、ネット上にいくつかあった。

 しかし、山口の作だとされていた和歌がそうではなかったことで、大江が「政治少年死す」で試みた、「おれ」と藤森の対比が成り立たなくなってしまったということは、今後「政治少年死す」を読むうえで意識すべき事柄だろう。

 

 藤森は『15才の異常者』を出して以降、完全に沈黙している。国立国会図書館サーチで藤森の名を検索すると、少なくとも1962年までは雑誌などに寄稿していたようだが、そこから先はわからない。生死も不明だが、生きていたら79歳だ。1971年出版の『戦後詩体系Ⅳ』には、自作の収録を許可しているのだから、この辺りまでは連絡がとれたのだろう。『15歳の異常者』が古本市場でプレミア価格となっているのに、依然として復刊の噂がないのは、誰も本人の連絡先を知らないからか。自分から詩作を放棄したのなら、ランボーみたいだが、寺山が書いていたように、意識して傍若無人に振る舞うところなんかもランボーっぽい。

 もし、藤森の詩が気になるという人がいれば、前述した『戦後詩体系Ⅳ』に、『15才の異常者』から三分の一ぐらい収録されているので、それで確認して欲しい(「才」の表記が「歳」になっているが)。多分、こっちは都内の図書館に結構所蔵されていると思う。

 

 最後に、もう一つ気になったことを書き記しておくと、『15歳の異常者』に収録された鮎川信夫の解説に、「「ユリイカ」新人賞間宮舜二郎」というのが出てくるのだが、これはリクルート事件にかかわった間宮舜二郎と同一人物なのだろうか?

 

おまけ 

ラジオで藤森の「15歳の異常者」を朗読する坂本龍一(4分26秒ごろから) 

nico.ms

 

 

15才の異常者―藤森安和詩集 (1960年)

15才の異常者―藤森安和詩集 (1960年)

 

  

スキャンダル大戦争 (2)

スキャンダル大戦争 (2)

 

  

大江健三郎全小説 第3巻 (大江健三郎 全小説)

大江健三郎全小説 第3巻 (大江健三郎 全小説)

 

  

  

新装版 テロルの決算 (文春文庫)

新装版 テロルの決算 (文春文庫)

 

 

*1:『戦後詩体系Ⅳ』(三一書房)に掲載されている藤森のプロフィールでは、1940年1月15日生まれ、沼津高商(定時制)卒、「ぴすとる」同人、現代詩新人賞と書いてある。現代詩新人賞というのは、飯塚書店が出していた雑誌「現代詩」の新人賞か

中上健次が選ぶ150冊

 中上健次の没後出版された『現代小説の方法』という本は、彼の講演をまとめたものだが、最後におまけのような形で、「中上健次氏の本棚──物語/反物語をめぐる150冊」という章があって、中上が選んだ150冊の本のリストが載っている。元々は、1984年に、「東京堂書店神田本店でのブックフェア用に配布されたパンフレット」に載っていたもののようだ。以下、そのリスト。

 

古事記』(岩波文庫

『宇津保物語』(『日本古典文学大系10~12』岩波書店

日本霊異記』(東洋文庫平凡社

太平記一・二』(角川文庫)

『往生要集一・二』(東洋文庫平凡社

神道集』(東洋文庫平凡社

『説教節』(東洋文庫平凡社

謡曲集』(『日本古典文学大系40~41』岩波書店

上田秋成雨月物語』(旺文社文庫

上田秋成春雨物語」(『春雨物語・書初機嫌海』新潮社)

近松門左衛門心中天網島」(『日本古典文学大系53』岩波書店

曲亭馬琴椿説弓張月」(『日本古典文学大系60~61』岩波書店

佐藤春夫佐藤春夫集」(『現代日本文学大系 第二十七巻』筑摩書房

谷崎潤一郎吉野葛』(新潮文庫

谷崎潤一郎春琴抄』(新潮文庫

谷崎潤一郎少将滋幹の母』(新潮文庫

谷崎潤一郎『陰翳礼讃』(中公文庫)

三島由紀夫仮面の告白』(新潮文庫

三島由紀夫『サド侯爵夫人』(新潮文庫

三島由紀夫『英霊の聲』(河出書房新社

深沢七郎楢山節考』(中央公論社

梅崎春生『幻花』(福武書店

徳田秋声『あらくれ』(新潮文庫

坂口安吾『白痴』(角川文庫)

坂口安吾「教祖の文学」(『坂口安吾選集 第十巻』講談社

川端康成『禽獣』(角川文庫)

武田泰淳ひかりごけ』(新潮文庫

武田泰淳『富士』(中央公論社

武田泰淳『めまいのする散歩』(中央公論社

安部公房砂の女』(新潮社)

安部公房箱男』(新潮社)

円地文子『花食い姥』(講談社

円地文子『なまみこ物語』(新潮文庫

森敦『月山』(河出書房新社

小島信夫抱擁家族』(講談社文庫)

藤枝静男『田紳有楽』(講談社

瀧井孝作俳人仲間』(新潮社)

宮沢賢治風の又三郎』(新潮文庫

和田芳恵『接木の台』(河出書房新社

壇一雄『火宅の人』(新潮社)

水上勉『雁の寺・越前竹人形』(新潮文庫

水上勉金閣炎上』(新潮社)

遠藤周作『沈黙』(新潮社)

開高健『日本三文オペラ』(新潮文庫

大江健三郎『個人的な体験』(新潮社)

大江健三郎万延元年のフットボール』(講談社

大江健三郎『新しい人よ眼ざめよ』(講談社

石原慎太郎『行為と死』(新潮文庫

石原慎太郎「処刑の部屋」(『太陽の季節新潮文庫

石原慎太郎『化石の森』上・下(新潮社)

安岡章太郎『流離譚』上・下(新潮社)

古井由吉『円陣を組む女たち』(中公文庫)

李恢成『伽倻子のために』(新潮文庫

金時鐘猪飼野詩集』(東京新聞出版局)

小林美代子『髪の花』(講談社

島尾敏雄『死の棘』(新潮社)

田中小実昌『ポロポロ』(中央公論社

吉行淳之介『すれすれ』(角川文庫)

村上龍コインロッカー・ベイビーズ』上・下(講談社

島田雅彦『優しいサヨクのための嬉遊曲』(福武書店

ジャン・ジュネ泥棒日記』(新潮文庫

ジャン・ジュネ「薔薇の奇跡」(『ジャン・ジュネ全集 第三巻』新潮社)

ジェイムズ・ジョイス『ダブリン市民』(新潮文庫

ジェイムズ・ジョイス「若い芸術家の肖像」(『世界文学全集71』講談社

ジェイムズ・ジョイスユリシーズ」Ⅰ・Ⅱ(『河出世界文学大系73~74』河出書房新社

ジェイムズ・ジョイス「フィネガンズ・ウエイク」(『世界の文学1』集英社、抄録)

ウィリアム・フォークナー『アブサロム、アブサロム』(集英社文庫

ウィリアム・フォークナー『フォークナー短編集』(新潮文庫

ノーマン・メイラー『裸者と死者』上・中・下(新潮社)

フィリップ・ロス『さようなら、コロンバス』(集英社文庫

ジェイムズ・ボールドウィン『もう一つの国』(集英社文庫

ミシェル・ビュトール『時間割』(中公文庫)

エルンスト・ブロッホ『未知への痕跡』(イザラ書房)

アラン・シリトー長距離走者の孤独』(集英社文庫

ロベルト・ムジール「特性のない男」(『世界文学全集 第二集 第二十三巻』河出書房新社

ジャック・ケルアック『路上』(河出文庫

ウィリアム・バロウズ裸のランチ』(河出書房新社

アレン・ギンスバーグ『ギンズバーグ詩集』(思潮社

ギュンター・グラスブリキの太鼓』(『世界の文学21』集英社

アレクサンドル・ソルジェニーツィン収容所群島』全六巻(新潮社)

トニ・モリスン『青い眼がほしい』(朝日新聞社

リチャード・ライト「ブラックボーイ」(『世界文学全集92』講談社

トルーマン・カポーティ『冷血』(新潮文庫

フラナリー・オコナー『オコナー短編集』(新潮社)

ルイ=フェルディナン・セリーヌ『夜の果てへの旅』上・下(中公文庫)

ルイ=フェルディナン・セリーヌ「なしくずしの死」(『セリーヌの作品 第二巻~第三巻』国書刊行会

ルイ=フェルディナン・セリーヌ「北」(『セリーヌの作品 第八巻~第九巻』国書刊行会

金芝河「南」(「海」一九八三年四月号、中央公論社

金芝河『苦行』(中央公論社

尹興吉『長雨』(東京新聞出版局)

中上健次+尹興吉『東洋に位置する』(作品社)

春香伝」(『韓国古典文学選集 第三巻』高麗書林)

『現代韓国文学選集』全五巻(冬樹社)

『未堂・徐廷柱詩選──朝鮮タンポポの歌』(冬樹社)

ホルヘ・ルイス・ボルヘス『不死の人』(白水社

フリオ・コルターサル「石蹴り遊び」(『世界の文学29』集英社

マリオ・バルガス=ジョサ「ラ・カテドラルでの対話」(『世界の文学30』集英社

ガブリエル・ガルシア=マルケス百年の孤独』(新潮社)

ホセ・ドノソ「夜のみだらな鳥」(『世界の文学31』集英社

カール・マルクス+フリードリヒ・エンゲルスドイツ・イデオロギー』(岩波文庫

折口信夫死者の書』(中公文庫)

折口信夫『古代研究』(中公文庫)

柳田国男『山の人生』(角川文庫)

柳田国男遠野物語』(角川文庫)

南方熊楠『十二支考』全三巻(東洋文庫平凡社

保田與重郎保田與重郎著作集』(南北社)

三角寛『サンカ社会の研究』(朝日新聞社

吉本隆明共同幻想論』(角川文庫)

吉本隆明『初期歌謡論』(河出書房新社

小林秀雄『ドスエフスキイの生活』(新潮社)

小林秀雄「Xへの手紙」(『小林秀雄全集 第二巻』新潮社)

江藤淳小林秀雄』(角川文庫)

山口昌男『文化と両義性』(岩波書店

山口昌男『道化の民俗学』(新潮社)

松田修『日本逃亡幻譚』(朝日新聞社

松田修『闇のユートピア』(白水社

高取正男神道の成立』(平凡社

角川源義『語り物文芸の成立』(角川書店

中村雄二郎魔女ランダ考』(岩波書店

谷川健一『青銅の神の足跡』(集英社

網野善彦『無縁・公界・楽』(平凡社

吉田敦彦『ヤマトタケル大国主』(みすず書房

川村二郎『語り物の宇宙』(講談社

秋山駿『定本 内部の人間』(小沢書店)

梅原猛+中上健次『君は弥生人縄文人か』(朝日出版社

柄谷行人マルクスその可能性の中心』(講談社

柄谷行人日本近代文学の起源』(講談社

柄谷行人『畏怖する人間』(冬樹社)

柄谷行人『意味という病』(河出書房新社

三浦雅士『私という現象』(冬樹社)

蓮實重彦『小説論=批評論』(青土社

高橋悠治『ことばをもって音をたちきれ』(晶文社

坂本龍一『Avec Piano』(思索社

矢沢永吉矢沢永吉激論集 成りあがり』(小学館

ジョン・ケージ+ダニエル・シャルル『ジョン・ケージ 小鳥たちのために』(青土社

ロラン・バルト『神話作用』(現代思潮社

ロラン・バルト『零度のエクリチュール』(みすず書房

ミルチャ・エリアーデシャーマニズム』(冬樹社)

ジョルジュ・バタイユ『エロティシズム』(二見書房)

ジョルジュ・バタイユ『呪われた部分』(二見書房)

ジャック・デリダ『ポジシオン』(青土社

ジャック・デリダエクリチュールと差異』上・下(法政大学出版局

ルネ・ジラール『暴力と聖なるもの』(法政大学出版局

モーリス・ブランショロートレアモンとサド』(国文社)

レオン・トロツキー『文学と革命』Ⅰ・Ⅱ(現代思潮社

オクタビオ・パス『弓と竪琴』(国書刊行会

ジョリス=カルル・ユイスマン「さかしま」(『澁澤龍彦集成 第六巻』桃源社

ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリリゾーム」(「エスピテーメー」一九七七年十月号臨時増刊号、朝日出版社

エリック・ホッファー『現代という時代の気質』(晶文社

『音楽の手帖 ジャズ』(青土社

 

 

 ノーマン・メイラーフィリップ・ロスを選んでいたのには驚いた。言及しているのを見たことがなかったから。メイラーは村上龍の世代ぐらいまでは、影響力があったが、その後は急速に沈んだ。そう言えば、映画評論家の滝本誠も、高校時代メイラーにはまっていたと『映画の乳首、絵画の腓』に書いてあった。

 村上春樹が一冊も入っていないとか、蓮實重彦が柄谷に比べて少ないとか、色々言おうと思えば言えるが、円地文子が2冊入っているのは、谷崎潤一郎賞を欲しがっていた中上の戦略的選択のように邪推してしまう。なぜなら、かつて金井美恵子に対しこんなことを言っていたから(よく見ると、金井美恵子もリストに入っていない)。

 

 円地文子は、戦後の女流文学界に君臨する、といったふうの有名作家であり、たとえば丸谷才一のせいで谷崎潤一郎賞をもらいそこねた中上健次は、どうしても谷崎賞が欲しいので、まずババアにお世辞を使って攻略するのだと(私に)言い、選考委員であった円地文子と文芸雑誌の『海燕』で対談をしたものだったが、フン、そこまでババアを甘く見てはいけない、もちろん、もらえはしなかったのであった。(「様々なる意匠、あるいは女であること 1」『目白雑録5 小さいもの、大きいこと』所収)

 

 『海燕』というのは、恐らく金井の記憶違いで、中央公論社から出ていた『海』1979年10月号に、「物語りについて」という題で二人の対談が掲載されている(単行本では円地文子『有縁の人々と』に収録)。中上が初めて谷崎潤一郎賞にノミネートされたのは1977年で、対象作は『枯木灘』だった(受賞は島尾敏雄の『日の移ろい』)。ちなみに、円地文子は、自分で自分に谷崎賞を与えた人である。さらに余談だが、佐藤春夫も選考委員を務めていた読売文学賞で、自分の作品(『晶子曼荼羅』)に賞を与えたことがある。

『海』で行った対談では、主に上田秋成ついて話し合っていて、谷崎、永井荷風三島由紀夫の話題も出ている。当時、中上は、學燈社が出していた『國文學』で、「物語の系譜・八人の作家」という連載を持っており、谷崎を取り上げた際には、「断っておくが、ここでは谷崎に何人もの批評家や作家らが左から右からささげているオマージュに、またぞろこの私も唱和してみようと思うのではない。谷崎はここでは敵だという認識を持っている」と書いたが、さすがに円地との対談では、和やかに谷崎について話し合っている。中上には、意識するがゆえに、喧嘩腰になるという癖があり、谷崎だけでなく大江健三郎に対してもそうだった。「物語の系譜」でも大江に噛みついている個所がある*1

 中上は対談の中で、「物語の系譜」では円地のことも取り上げる予定だと語っていたが、渡米のため、1979年10月号の「折口信夫」でいったん連載が中断し、円地について書き始めたのは、約5年後の1984年4月号からとなった。しかも、それも未完で終わった。「物語の系譜」はそうした長い中断があったために、1983年に冬樹社から出た『風景の向こうへ』というエッセイ集には、途中までしか収められていない。集英社の『中上健次全集15』や『風景の向こうへ/物語の系譜』(講談社文芸文庫)には、(未完だが)全て収録されている。ちなみに、当初は8人の作家を取り上げる予定だったが、5人で終わっているので、残りが誰なのかはわかっていない。井口時男講談社文芸文庫版の解説で、三島由紀夫保田與重郎泉鏡花深沢七郎などを推測している。

「物語の系譜」で、中上は円地について、「短編小説の名手である」とか、「物語の系現在を考えれば、円地文子は、まことの稀有な存在としか言葉がない」といって褒めているが、84年の谷崎賞では、『日輪の翼』がノミネートされながら、落選。翌年には、村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』が受賞するという、中上にとっては屈辱的な出来事が起きた。

 谷崎賞の選考委員には、江藤淳が「文壇の人事担当常務」と呼んだ吉行淳之介が入っていたが、中上と吉行はわりと良好な関係で、このリストにも、吉行の『すれすれ』が入っている。しかし、代表作とは言えないようなものを選ばれて、吉行はどう感じていたのか。

 

 

現代小説の方法

現代小説の方法

 

   

目白雑録5 小さいもの、大きいこと

目白雑録5 小さいもの、大きいこと

 

 

有縁の人々と―対談集

有縁の人々と―対談集

 

  

 

 

 

*1:大江健三郎に言っておくが、早く書こうが遅く書こうが、私は自分の作品(制作)を書きっぱなしにした事は一度もない。ナルシスティックな自分を言うようで羞かしいが、これを契機に言っておけば、私は自分の作品(制作)に関して、最低でも十回は読み返しているのだ。対談の際に、早く書く、読み返さない、と言ったところで、それをうのみにする事はない」

Apple Musicのひどい不具合

 Apple Musicの会員になってから半年ぐらい経つが、不満なことが一杯ある。アレがあるのにコレがないみたいな、曲数についての不満も当然あったりするが、一番イライラするのは、技術的な問題だ。ちなみに、使っているiTunesのバージョンは、12.9.3.3である。

 

1 アルバムが勝手に分裂する①

 

 日本版Apple Musicでは、洋楽でもアーティストの表記が勝手にカタカナにされている。俺はLast.fmiTunesを連携させて再生数をカウントしているので、アルバムをライブラリに追加した後(ダウンロードではない)、わざわざ自分で元の表記に打ち直しているのだが、これをすると知らないうちに、なぜか最初の1曲目とそれ以外という、2枚のアルバムに分割されてしまうことがよくある。片方は打ち直したアーティスト名なのだが、もう片方はアーティスト名が、「不明」か元通りになってしまっているのだ。仕方なく後者の方を打ち直すと、再び統合されるが、面倒くさくて仕方がない。

 

2 アルバムが勝手に分裂する②

 

 あるベスト・アルバムをライブラリに追加し、しばらくしてまた聴こうと思ったら、なぜか、そのベスト・アルバムから数曲だけ消えているという妙な状況が起きた。よく見ると、ベスト・アルバムの隣に、自分が絶対に追加していないアルバムがあって、そこに消えた曲があった。つまり、ベスト・アルバムに入っていた「A」という曲を勝手にライブラリから消し、同じ「A」が入っている別のアルバムを追加していたわけだ。なぜ、こんなことが発生するのかわけがわからない。ベスト・アルバムをライブラリに入れると、これが良く起きる。

 

3 登録されているアーティストが、別人の名前になっている

 

 ある日、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのギタリスト、トム・モレロのソロでも聴いてみようかな、と思って「The Nightwatchman」(トム・モレロのソロ名義)と検索すると、まず「トム・モレロ」のページが出てきた。そこに飛んで、「同じタイプのアーティスト」の欄を確認すると、「The Nightwatchman」はなく、「Brendan James」というアーティストが、最初に表示されていた。そして、それをクリックすると、一応The Nightwatchmanのページに飛んだが、アーティスト名の表記はなぜか「Brendan James」となっていた。Brendan Jamesというのは実在するミュージシャンらしいが、なぜトム・モレロのアルバムがBrendan Jamesという名義にされたまま放置されているのだろう。誰も気づいていないのか? それとも俺だけこんな表示になるのか? もう一つ指摘しておくと、臼井OZMA孝文のページには、アメリカのバンドのOZMAが混ざっている。

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(2019年3月6日現在)

 

4 ライブラリにアルバムを追加できない(解決)

 

 現在新たに以下の状況が起きている。

 

 

  Appleのサポートに連絡したが、あちらから指示された対処法が全て効果なかったので、この記事を参考にして直した。俺自身はApple製品を持っていなかったので、母親のiPadを借りたが、iPadiPhoneを所持していないで、同じトラブルに見舞われた人はどうすればいいんだろうか? それをどうにかしてほしくてサポートに連絡したのだが、一週間近く経っても解決できなかった。

 

Spotify Music

Spotify Music

 

 

サイモン・ブラウンド編 『幻に終わった傑作映画たち』

 キューブリックの『ナポレオン』、オーソン・ウェルズの『ドン・キホーテ』、 アレハンドロ・ホドロフスキーの『デューン砂の惑星』、デヴィッド・リンチの『ロニー・ロケット』……。完成することなく幻に終わった映画は、「幻」であるがゆえに、魅力的である。なぜなら、そこには、それが一体どんな映画になるはずだったのか、妄想する余地が無限にあるからだ。そして、完成させることのできなかった監督本人こそ、一番の夢想者として、生きることとなる。

『幻に終わった傑作映画たち』は、様々な理由で未完成に終わったりお蔵入りした映画たちの顛末を描いたノンフィクションである。取り扱う範囲は、1920年代から2000年代までで、他に例を挙げると、エイゼンシュタイン『メキシコ万歳』(ちなみに、現在流通しているのは、グレゴリー・アレクサンドロフによる再編集版)、スピルバーグ『ナイトスカイズ』。エルロイ原作の『ホワイト・ジャズ』、コーエン兄弟の『白の海へ』、ジェリー・ルイスの『道化師が泣いた日』などなど……。なかでもオーソン・ウェルズがとりわけ多く、『ドン・キホーテ』、『風の向こうへ』、『ゆりかごは揺れる』、『ヴェニスの商人』と4作も紹介されていて、ウェルズの映画人生の多難さがうかがえる(ちなみに、『風の向こうへ』は、撮影から40年以上経過した、2018年11月2日にNetflixで配信された)。

 本書によって知ったのだが、「Development Hell」(開発地獄)という、映画やゲーム産業周辺で使われる用語があって、文字通り、いくら努力しても開発の進捗が進まない状況を指す言葉なのだが、作品自体の完成・未完成関係なく、使えるらしい(『Tales from Development Hell』という本書でもよく参照されている本があるが、残念ながら未邦訳)。未完成に終わった映画の多くがこの「開発地獄」に陥っているのだけれど、監督の肥大したエゴがその原因になったりもする。例えば、キューブリックの『ナポレオン』は、あまりにも「完璧さ」を求めすぎたために、調査ばかりに時間をかけすぎたせいで、本格的な撮影に入る前に制作がとん挫してしまった。

 それが本当に自分のやりたいことであればあるほど、きちんとした形にするのが難しくなるというのは、この本を読んでいて特に感じることだ。無論、それは映画製作の構造の問題でもある。巨匠たちは未だ誰も成し遂げたことがないような壮大な映画を夢見るが、映画は、小説や音楽と違って、関わる人間とかかるお金が段違いである。大ヒット映画を世に放った制作会社が、次にとんでもない大コケ映画を作ってしまい倒産するなんてのはありふれた話だ。だから、規模が大きくなればなるほど、相当な計画性が求められるわけだが、エゴの肥大しきった監督にそんなことできるはずもない。また、巨匠であるがゆえに、他人がコントロールするのも難しい。

 監督たちには、「こんな画を撮りたい」という一つ一つのイメージはあるものの、それらを繋げる「糸」を用意していないことがある。セルジオ・レオーネが『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』の後に企画した『レニングラードの900日』(仮題)は、レニングラード包囲戦を描く偉大な戦争叙事詩となるはずだったが、オープニングしか構想がなく、計画はすぐに破綻した。これも巨匠だからこそ、その無計画な妄想に周囲が付き合った例だろう。

 しかし、失敗してもタダでは転ばないのが、芸術家である。キューブリックは『ナポレオン』で得た知識と技術をもとにして、『バリー・リンドン』を撮ったし、テリー・ギリアムは、何度も制作が中止となった『不完全な探偵』のアイデアとヴィジュアルを『Dr.パルナサスの鏡』に転用した。ただし、未完成に終わった『カレイドスコープ』を、『フレンジー』という失敗作に変えてしまったヒッチコックの例もある。

 この本で紹介されている幻の映画の中でも、特に魅力的に感じるのは、『ナポレオン』や『地獄』(アンリ=ジョルジュ・クルーゾー)のように、それが実現不可能なほど「空想的」「偏執的」であり、しかし、偉大な作品をモノにしてきた彼らなら、それをどうにかすることができたのではないかという希望をこちらに抱かせてくれるものだろう。巨匠と妄想のコラボレーションを本書では堪能することができる。

「開発地獄」以外にも、キャストが死んだり、制作した本人が秘蔵してしまったために幻となった映画もいっぱいここでは紹介されていて、そちらも興味深い。執筆を一人ではなく、大勢で分担したのも、調査がより行き届く結果になったと思う。シナリオをもとにしたあらすじや当時のヴィジュアルもきちんと掲載されている。面白いのは、架空のポスターが、それぞれの映画ごとに作られていて、そのセンスの良さに、一瞬本物かと思ってしまうほどだ。これもぜひ確認して欲しい。

 

幻に終わった傑作映画たち 映画史を変えたかもしれない作品は、何故完成しなかったのか?

幻に終わった傑作映画たち 映画史を変えたかもしれない作品は、何故完成しなかったのか?

 

  

Tales From Development Hell: New Updated Edition (English Edition)

Tales From Development Hell: New Updated Edition (English Edition)

 

 

J・D・サリンジャー 『ハプワース16、1924年』

 サリンジャーが雑誌などに発表した短編小説の中には、本人が後に単行本化するのを拒否したため、封印状態になったものがいくつかある。例えば、『ライ麦畑でつかまえて』の原型となった、「マディソン・アヴェニューのはずれでのささいな抵抗」や「ぼくはちょっとおかしい」などがそうだ。そして、封印されたもののなかでも、一番物議をかもしたのが、1965年、ニューヨーカーに掲載された中編小説「ハプワース16、1924年」だろう。
「ハプワース」はサリンジャーにとって6年ぶりの新作で、掲載紙であるニューヨーカーも、サリンジャーの小説と広告以外は何も載せないという特別扱いをし、その重要性を強調した。しかし、その評判はどうかというと、酷評か黙殺だった。以後サリンジャーは、2010年に死亡するまで、二度と小説を発表しなかった。
 ただし、一度だけ、幻の作品となっていた「ハプワース」が単行本化されそうになったことがある。地方でオーキシズ・プレスという小さな出版社を経営していた、ロジャー・ラスベリーという大学教授が、1988年、サリンジャーに「ハプワース」を書籍化させてくれないかと直接手紙で頼んだのだ。サリンジャーはその手紙に対し「考えておくよ」と返事を出し、それから8年も経ってから、承諾した。ラスベリーはサリンジャーと何度も打ち合わせをしたが、結局、計画は頓挫した。この原因については、色々言われているが、デイヴィッド・シールズは『サリンジャー』(角川書店、2015年)の中で、次のようにまとめている。

 

 ラスベリーによれば、彼が意図せず信頼を裏切ってしまったためにサリンジャーとの連絡を絶たれたというが(筆者注:ラスベリーが「ハプワース」の出版計画をある小さな雑誌に漏らしてしまったこと)、それはサリンジャーがカクタニの批評に傷つけられた感情をごまかすための建前にすぎないと考えるのが妥当なのではないだろうか? もしかすると、サリンジャーはこの先あり得るグラス家の物語群の出版に向けて様子見をしていたのであり、「記録としての新聞(Newspaper of record)」が「反対」の立場に大きく傾いていたために撤退したのかもしれない。

 

 カクタニによる批評とは、「ハプワース」出版の噂が流れた1997年に、ニューヨーク・タイムズに載ったもので、カクタニは当時のニューヨーカーに掲載されたテクストを読んだのだが、その評価は酷評だった。もっともカクタニは辛口の批評家として有名であり、サリンジャーだけが特別批判されていたわけではないのだが、本人からしてみれば決定的なものだったのかもしれない。何しろ、30年以上の時を経てからの再批判であり、ニューヨーク・タイムズという影響力のある新聞に掲載されたのだから。
 さて、アメリカ本国では、複雑な経緯を辿った「ハプワース」だが、日本では1977年に、荒地出版社からサリンジャー選集の別巻として出版され、その後も、東京白川書院が翻訳を出した。また、「ハプワース」以外にも、単行本化されていない短編が、その二つの出版社からほとんど翻訳されており、一時期は日本人の方がサリンジャーの幻の著作を簡単に読めたのではないか。

 

 俺がサリンジャーに触れたのは、中学三年生の時で、読んだのは村上春樹訳の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』だった。母に勧められたからというのが、そのきっかけだったが、この小説の入門の仕方としてはあまりにダサすぎると自分でも思う。それはともかく、実際に読んでみると、そこで使われていた文体の新鮮さと、主人公の反抗的な態度に、学校や周囲の状況に不満を持っていた当時の俺は、簡単にはまってしまい、英語で自分の好きなものを発表するという授業で、野崎訳の『ライ麦畑でつかまえて』を紹介したりもした(野崎訳の方が、言葉遣いが古い分、逆に渋いと思っていた)。それから、『ナイン・ストーリーズ』と『フラニーとズーイ』を読んだが、こちらはあまりよくわからず、『大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章』や「ハプワース」には手をつけないままサリンジャー熱は自然に収まった。しかし、サリンジャーがきっかけで、アメリカ文学に興味を持ち、大学に進学した際も、英米文学科を選択したのだから、人生の進路に大きな影響を与えられたわけだ。
 ただ、大学に進学して以降、サリンジャー的な思想とはどんどん遠ざかることになった。それまでの俺は、中高一貫の男子校という、教師から「ビニールハウス」と揶揄されるぐらい、温い環境で6年間過ごしてきたので、他人からの評価というものを避け続けることができたが、大学に入って「異性の目」に晒された時、自分がいかに女にもてない、魅力のない人間であるかということを骨の髄まで実感させられ、それが現在に至るまでの長い悩みになっている。むろん、サリンジャーの小説において、こんな形而下的な苦悩は描かれるはずもない。つまり、サリンジャーの世界に共感できるような立場ではなくなってしまったのだ。
 それでも、腐れ縁のような感じで、主要な作品には目を通しておこうと、未読だった『大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章』(新潮文庫)を数年前に読んでみたが、やはりサリンジャーと自分の間にある深い溝ばかりが意識させられただけだった。
 そして、去年、新潮社から「ハプワース」の新訳が出た。以前、荒地出版社版『ハプワース』を読もうとしたこともあったのだが、出だしから「四時間前」を「四年前」に誤訳(誤植?)していて、それ以上読み進める気にならず、今度の新訳は再チャレンジへのちょうど良い機会だと考え手に取った。
「ハプワース」は、サリンジャーのライフワークとなるはずだった、「グラス・サーガ」の一部で、主人公はグラス家の長男シーモアである。そのシーモアが7歳の時に、キャンプ場から送ってきた手紙が、「ハプワース」の中身なのだが、実際にそれを読んでみて、どうしてこの作品が様々な批判に晒されたのかよくわかった。
 身も蓋もないことを言えば、その手紙の内容がまったく7歳のそれに見えない。言葉の調子だけは、子供らしさを装っているが、中身は完全に大人である(特に、手紙の後半で、ジェイン・オースティンディケンズヒンドゥー教の指導者について語るところなど)。これを発表した時のサリンジャーは46歳になっていたが、中年の男が7歳児の仮面を被って、自分の思想を照れることなく開陳したのかと思うと、うすら寒くなる。
 また、この小説にはほとんど筋がない。サリンジャー本人が自分は短編作家だと自覚していたように、彼はそもそも複雑なプロットを組み立てるのが苦手である。『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読めば、それがいくつかの短編小説の繋がりのように出来ていることがわかるはずだ。そして、彼の小説は段々と「物語」的なものから離れていった。無論、それが必ずしも悪いというわけではないが、サリンジャーの場合、素材をそのまま放り出しているという感じで、読ませるための加工・工夫がまったくなされていないのだ。その傾向は、「シーモア-序章」で著しくなり、「ハプワース」で頂点を極めた。「ハプワース」では、語り手であるシーモアが、ホールデンに負けず劣らず喋りまくる。それがあまりにも辛辣かつ一本調子なので、読者としては辟易せざるをえない。特にひどいのが、脚をけがしたシーモアが、ミス・カルゲリーという看護婦に治療をしてもらう場面。 

 

 笑っちゃいそうなほど粗末だけど、清潔といえなくもない診療所で、ミス・カルゲリーが傷を消毒して包帯を巻いてくれた。ミス・カルゲリーは資格を持った若い看護師で、年齢はわからないけれど、魅力的でもないいし、かわいくもない。ただ、こざっぱりして、スタイルがいい。キャンプの指導員全員、あと上級クラスの何人かが、大学にもどるまえに肉体関係を持とうと頑張っている。よくある話だ。彼女はとても口数が少なく、健全な判断を自分で考えつく資質も能力もない。そしていろんな表情を浮かべてみせるけど、このキャンプ場では自分以外に男性の相手ができそうな美人はいないと勘違いをして興奮している。ミセス・ハッピーは数に入らないからね。診療所では落ち着いていて、控えめで、受け答えはてきぱきしているので、面倒な状況でもあわてないようにみえる。だけど、それは悲しいほどうわべだけで、実際にしゃべる内容は最低。たぶん、頭を置き忘れて生まれてきたんだと思う(金原瑞人訳)。

 

 サリンジャーは、シーモアを魅力的で天才的な思考を持つ人間に仕立て上げようとしているようなのだが、怪我の治療をしてくれた人に対し、必要以上に残酷な評価を下す7歳児に、我々はどんな反応をすればいいのだろうか? また、「バナナフィッシュにうってつけの日」では、シーモアの内面を謎に包むことでその作品の魅力を作り上げていたのに、それをこんな風に露出してしまうのは、蛇足でしかないだろう。
 つまるところ、「ハプワース」は、サリンジャーという作家の欠点が、もろに現れてしまっている作品なのだが、そのことが逆に、自分がなぜサリンジャーから離れて行ったのかということもよくわかった。
キャッチャー・イン・ザ・ライ』にせよ、「ハプワース」にせよ、そこにはある種の選民思想がある。ホールデンシーモアは、他人を徹底的に批評はするが、他人から彼らの実存を脅かすような批判を受けることはなく、申し訳程度の自虐があるだけ。しかも、彼らには、自分の存在を、無条件で受け入れてくれる「身内」が存在している。この他者性の不在が、サリンジャーの小説に、選民思想を浮かび上がらせてしまうのだ。
 中高時代の俺がなぜサリンジャーの小説に共感できたのかといえば、根拠のない自信と現実感のなさに由来する、「俺はあいつらと違うんだ」という選民思想を強く持っていたからだ。しかし、年をとってくるにつれ、自分の能力にもある程度見極めがつき、また、就活や仕事などで他人からの評価も避けられないとあれば、その種の選民思想は自然と消えていくというか、落ち着いていく。
選民思想の裏には「エゴ」の問題がある。「俺はあいつらと違う」と感じるのは、「あいつら」のエゴを感じ取っているからであり、そのことによって、自分自身の「エゴ」にも敏感になっている。だから、フラニーやホールデンは作中で苦しんでいるのだし、シーモアが「バナナフィッシュにうってつけの日」で突然の自殺をしたのも、「エゴ」が原因だと考えられる。小谷野敦は、「サリンジャーを正しく葬り去ること」(『聖母のいない国』所収)の中で、それらのことについて指摘しており、サリンジャーが結局は「エゴ」についての考察が不十分なまま沈黙してしまったと書いている。
 小説家サリンジャーにとって、隠遁生活は本当に正しかったのだろうか? むしろ、それは問題の本質から目をそらす結果になったのではないか? あまりにも自分の世界にこもりすぎたため、小説をコントロールする術を失ったように俺には見える。
サリンジャーの伝記などを読んでいて悲しくなるのは、彼がいつまでも10代や20代前半の女の子にしか興味を持てなかった点だ。ピーターパン症候群じゃないけれど、本当に成長を止めてしまったかのような感覚を覚えてしまう。サリンジャーの娘、マーガレット・A・サリンジャーの『我が父サリンジャー』には、49歳のサリンジャーが、当時文通していた10代のイギリス人少女に会いに、わざわざイギリスまで旅行した時のことが書かれているが、自身のこうした執着に向き合うことができていれば、「エゴ」に関しても、別の考察が出来たように思えるのだが、そうした「恥」を晒すような真似は決してできなかったのだろう。

 

サリンジャー (-)

サリンジャー (-)

 

  

キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)

キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)

 

  

  

聖母のいない国―The North American Novel (河出文庫)

聖母のいない国―The North American Novel (河出文庫)

 

  

我が父サリンジャー

我が父サリンジャー

 

 

板東英二 『プロ野球 知らなきゃ損する』

 野球選手も人間である。人間であるからには、金・女・嫉妬といった俗世間のしがらみから簡単に逃れることはできない。いや、むしろ彼らはそういったものに、人一倍敏感にならざるをえない環境に身を置いているとも言える。オフシーズンになれば年俸が話題になるし、ドラフトでは自分のポジションを奪うかもしれないライバルが入ってくるし、なまじ体力があるから女との付き合いも派手だったりする。しかし、そういったことは、中々選手本人の口から語られることはない。

 板東英二の『プロ野球 知らなきゃ損する』は、野球界を「欲望」の観点から眺めた著書である。この本が出たのは1984年だが、この時板東は売れっ子のタレントで、コーチや監督といった球界のインサイダーとなる道を完全に断っていたから、こういう本が書けたのだろう。逆にいえば、将来監督やコーチになろうと考えているなら、思い切ったことを言うのは難しくなる。

 文章は板東の関西弁をもとにしているので、読みやすく、ポップである。また、常に身も蓋もなく、球界の建前をぶった切る姿勢はある種痛快で、常識が次々とひっくり返っていく。

 俺が、「へえ」と思ったのは、例えば元巨人の中畑清が、「こんなに神経質で、デリケートな男はおりまへんで」という件。確かに、ただの剽軽者だったら、日本プロ野球選手会の初代選手会長に選ばれることはないだろう。あの派手なパフォーマンスは、気配りが行き過ぎたうえでの行為らしく、根っこのところは暗いとか。

 さらに、選手がデッドボールを食らった時の監督の本音。

 

 主力選手がデッドボールをくらう。ベンチからバッターボックスへ、ひた走る間に監督はこう考えます。

〈あのバカたれが、あんなタマもようよけんと、当たってしまいよった。あの様子じゃ、一週間くらいはあかんやろ。ここであいつを使えんのは痛いなあ。負けがこんだらどないすんねん。ホンマにドアホ! けど、オーナーにあいつがいてへんから負けました。私のサイ配のせいやおまへん。私のサイ配は完璧です、わかっておくんなはれ、とも言えんし……〉

 まあ、こんなとこやと思いますわ。けど、倒れてる選手のそばにいったら、胸のうちを正直にいうことはありません。

「大丈夫か? 痛いことないか?(ホンマによけられんかったんかいな)」

「無理せんと、休んどいたらええ(無理しでも出えよ)㊟()は本音です。

 プロ野球は監督も選手も個人事業主です。そやから、かわいいのは自分ひとり。当たった選手の心配を誰がしますかいな。監督の頭の中は、その選手がおらんようになったときの戦力のことだけですわ。そのために負けがこんだときの、自分のクビだけが唯一最大の関心事なんですわ。

 

 今年で引退した巨人の杉内が引退会見で「心から後輩を応援するようになった。勝負師として、違うかなと感じました」と言った。板東の本にも同じようなことがもっとどぎつく書いてあって、ベテランはライバルとなる若手を潰すために、あえておだてて、彼らが無理をするようにしむけるとか。だから、「他人の意見をきかん、好意(?)を無にする、生意気……。これでないと一流にはなれへん」という。それでも若手に抜き去られたベテランは、「監督にベタッとくっつく」き、将来の安定を確保しようとするとか。とにかく、野球選手からすると後輩というのは、ライバル以外の何物でもないのだ。

 他に、選手にバカにされる監督の条件とか、金田批判とか色々面白かった。生身の野球選手を知りたい人にはオススメの一冊である。

 

 

いいね!5未満の男によるペアーズ印象記

 吉原真理の『ドット・コム・ラヴァーズ』を読んだ。だいぶ前からいつか読もうと思ってタイミングを逃し続けてきたのだが、数か月前から自分がペアーズをやるようになったので、ちょうど良い機会だと思い、手を伸ばした。

『ドット・コム・ラヴァーズ』は、アメリカ文化やジェンダーについての研究者である吉原真理が、2003年にアメリカのオンライン・デーティング・サイト、マッチドットコムを利用した時の体験記だ。吉原によれば、アメリカでは2000年を過ぎた頃から、ネットを通して恋人を探す人々が増え始め、この本が出た2008年にはもう「年齢・職業・人種・地域を越えて、アメリカ主流文化の普通の一部となって」いたという。

 ネットを通じた出会いが胡散臭く見られていたのは、アメリカも日本も変わらないが、市民権を得たのはアメリカの方が圧倒的に早かった。日本だと、オンライン・デーティングが、交際相手を探す際の手段として認められ始めたのは、スマートフォンが普及してからだろう。それまでは、ネットのデート・サイトというのは、「出会い系」と総称されてて、かなり怪しまれていた。だから、俺の登録しているペアーズなんかも、「マッチング・アプリ」と称し、アングラ臭をどうにか消そうとしているのだ。

 しかし、吉原の体験から15年近く経っているわけだが、全然今と変わらないなあ、というのが本を読んだ時の俺の感想。国も違うのに、「ネット」「出会い」「恋愛」が揃うと、人間の考えや行動がだいたい同じものになるようだ。その行動・思考について、自分の経験も踏まえつつ、思いついた順につらつらと書いてみたい。

 

そもそもプロフィールを書くのは難しい

 

 俺のような売りが全然ないオタク顔・低年収マンが、魅力的なプロフィールを作るのは、ラクダが針の穴を通るよりも難しい。ちなみに、ペアーズの年収欄は、選択できる項目が、200~400という(多分、わざと)アバウトな作りになっているので、多少の誤魔化しがきくようにはなっている(こんなこと書いたら、俺がどこの層に属しているかばれるけど)。一度、男のプロフィールを見たことがあるが、600~800がずらりと並んでいて、思わず目をつぶった。

 また、性格・タイプとか社交性、酒を飲む頻度などを選択肢から色々選べるようになっているのだが、性格を「インドア」、社交性を「一人が好き」、酒を「飲まない」にしたら、完全な引きこもり人間が出来上がってしまい、これじゃいかんと思って、慌てて、社交性を「少人数が好き」に直したが(一瞬、飲酒についても「時々飲む」にしてみたが、止めた)、性格に関しては自分で「思いやりがある」とか「謙虚」とか「誠実」とか言うのが恥ずかしくて、結局「穏やか」しか追加していない。だけど、確実に言えることは、自分から「謙虚」なんて選んでる奴は、謙虚じゃないということだ。

 性格では他に、「奥手」とか「マイペース」とかあるのだけど、「奥手」な男なんて犬も食わないので当てはまっていても選択しなかった。「マイペース」は、「わがまま」の言い換えのような感じがしてこれも選ばず。もしかしたら、俺が気にしすぎなのかもしれないが、減点対象になるようなことはなるべく避けたいのだ。ただ、男の場合は減点でも、女の場合はそうでもない、というケースもあるだろう。 

 

プロフィールをきちんと読まない男が多い

 

 吉原はサイトに登録した際、相手に求める条件の一つとして「トニ・モリソンを知っていること」と書いたのだが、全然それを読まないでメッセージを送ってくる男がめちゃくちゃ一杯いたらしい。

 これはペアーズでも同じで、とにかく手当たり次第に「いいね」を押す男が存在する。俺の友達も、そんな「数撃ちゃ当たる」戦法でやっていたが、相性とかよりも、とにかく「出会うこと」の方が先行していて、それで実際出会えたとしても共通項が少ないならば、よほど女慣れしている男じゃないと上手くいかないんじゃないかとも思う。ただ、マッチング・アプリというのは基本的に男が積極的に動かなければどうにもならないし、複数の人間とやり取りすることが(男女問わず)結構当たり前らしいので、「数撃ちゃ当たる」戦法は理にかなっているのかもしれない。一人に絞ると、駄目だった時のダメージは必然的にでかくなる。

 俺は逆に、女のプロフィールや入っているコミュニティを熟読玩味しすぎて、他の男たちのように気軽に「いいね」が押せない。「あー、このコミュに入ってるのかぁ。う~ん」みたいな。あと、複数の女に同時に「いいね」することもできない。万が一両方とマッチングしてしまった場合、二人同時に相手にするのは、体力とか罪悪感などの面から厳しいからだ。だから、俺は山のように「イイネ」が余っていて、やろうと思えば現時点で200人以上の女に「イイネ」が押せる。にっちもさっちもいかなくなったら、全ての「イイネ」をばらまいて爆裂四散しようかと考えている。

 しかし、女のプロフィールを眺めるのは単純に面白い。「〇〇が好きな女って、こんな感じなんだ」というのがよくわかるから。ペアーズは異性の情報しか見られないから推測なのだけれど、例えばマイナーな芸術系のコミュニティの場合、男はヘビーなオタクで、女はライトなファンといった感じに分断されていると思う。女は風変わりなマイナー・コミュニティに入っていても、プロフィールを見る限り社会性が高そうだが、男は社会不適合者が多いんじゃないか(自分含め)。だから、俺は中々マッチングしないのか?

 

建前といいね数

 

 やっぱり、人間というのは「プライド」があるので、自発的にマッチング・アプリをインストールしたとしても、そのことは隠しておきたいものである。そのため、プロフィール欄には、「職場では出会いがない」とか「友達にすすめられた」とか「フェイスブックの広告で知った」といったような受け身の文言が踊ることになる。これは20代に多いが、「ゆるくやっている」と書き、余裕を見せようとする人もいる。また、多くの人が、始めたばかりであることを強調し、「初心者です」とプロフィールに書く。とにかく、自分は「モテないわけではない」し「出会いに飢えているわけでもない」ということを、ところどころに滲ませる女が多い。多分、男もそんな感じなんだろう。

 しかし、実際は期待が大きすぎて長期会員になってしまう人間も少なくない(ちなみに、俺が長期会員になっているのは単純にモテないからである)。何しろ、常に新規会員が現れるわけだから、そっちの方も気になってしまう。新規登録した女に対する、男の群がり方は尋常ではない。普通程度の容姿でも、すぐに三ケタ「いいね」がついたりする。

 女の被・「いいね」数は、人並みの容姿で、だいたい50~80ぐらいだと思う。あまり容姿に優れていなくても、最低20前後は「いいね」がつく。逆に、男はその5分の1ぐらいか。中にはなんでこんなに「いいね」がついているんだろうと思う女もいるが、謎である。ただ、500以上の「いいね」を貰っていて、特に容姿も良くない場合、それは足跡を付けまくって稼いでいる可能性が高い。俺のところにも全然接点がないのに、何度も足跡をつけてくる女がいて、そういうのはプロフィールを見るとだいたい被・いいねが500を超えているから、「あ、いいね稼ぎか」と思って非表示にしている。こんなところで人気者になってもしょうがないと思うのだが。

 

短期間しか関係が続かない

 

 まあ、やっぱり「リアル」の関係じゃないから、切るのも切られるのもあっという間ということが多い(ようだ)。吉原の本にも、デートはしたけどすぐにフェイドアウトしたこととか、そもそも待ち合わせ場所に相手が来なかったことなどが書いてある。俺は初めてマッチングした女の子に、どんなメッセージを送って仲を深めればいいんだろうと考えているうちに、一ヶ月以上経ってしまったことがあった。当然、それで終りである。

 一度、女の子の方から俺に「いいね」を押してきたことがあった。ペアーズを始めてから三ヶ月目ぐらいの時で、それが俺にとって初めての初・被「いいね」だったから、天にも昇る気持ちで即「イイネ」を返し、メッセージを送ったら、まったく音沙汰がない。彼女のアカウントを見ると、俺に「いいね」をした日から、一度もログインしないまま今日に至っている。多分、俺に「いいね」をした日に、死んだんだろう。

 

男が入りにくいコミュニティ

 

 マッチング・アプリというのは、前述したように、男が能動的に動く必要がある。なぜなら、女の数が男よりも圧倒的に少ないからだ。それで、一人の女に何人もの男が群がるものだから、必然的に女も待ちの姿勢になるというか、「選ぶ」側として振る舞うことになる。そういう状況下で、女はともかく、男がネガティブなコミュニティに入るのは悪手だと思うのだが、意外に「恋愛経験が少ない」というコミュニティに入っている男が多いにはびっくりした。20代前半、もしくはよほどのイケメンじゃない限り、男がこんなコミュニティに入っていても意味がないんじゃないか? このコミュニティは、「私は軽い人間ではありません」という主張をするためのものなんだから、そこらへんの男が入っていても、「そりゃそうだろ」という感想しか抱かれない気がするのだが。

 あと、俺が入りにくいと思うのは、「実はオタク」というコミュニティ。俺自身、どこからどう見ても、オタクにしか見えないから。

 コミュニティについて言及したついでに書いておくと、既に「レディオヘッド」のコミュニティがあるのに「Radiohead」というまったく同じコミュニティを作る人は何を考えているんですかね? 一番おかしいのは菊地成孔のコミュニティが「菊地成孔」と「菊池成孔」に分かれていることで、「池」の方に入っている人は注意力が足らないと思う。確かツイッターのネタだったと思うが、菊地成孔という字は全部アナルを連想させる、という覚え方をすると今後間違うことはないだろう。 

 

モテないという負のスパイラル

 

 あらゆる人間にモテたいとは全然思わないけれど、まったく「いいね」がつかないと、必然的にヤバい人にしか見えなくなる。今のところ自分は三ヶ月以上「いいね!5未満」という表示が出続けているのだけれど、常識的に考えてそんな会員と付き合おうと思う女がいるのだろうか? 「こいつ誰もいいね!してないから、近づかんとこ」。そう考えるのが人間というものじゃないのか? 逆に、「いいね!」が多い人は、雪だるま式に増えていくはずだ。こうして恋愛格差は今日も広がっていくのである。