みにくいアヒルの子症候群

 本屋にいくのがつらい。本屋に行くと、自分と同世代、もしくは年下のライターとか作家とかミュージシャンとかが華々しく活躍しているのが嫌でも目に入るからだ。そして、いつまでもくすぶっている自分が悲しくなってくる。誰かの書評とか読んで、「俺の方がもっと上手く書けるんじゃないか」なんて思ったりすると、余計に惨めさは加速する。理想としている自分と、現実の自分に大きな齟齬があるから、こういった負の感情が生まれてくるのだ。

 アンデルセンに「みにくいアヒルの子」という童話がある。誰もが知っている有名な話だが、「物事の表面しか見れない人々への批判」というのが、一般的な感想じゃないだろうか。つまり、読者の焦点としては、アヒルそのものよりは、アヒルを取り巻く環境に向けられている。特に教育の現場では、「変わった子をいじめるのは止めよう」という教訓を読み取ることが、主眼とされているだろう。そこでは、「アヒル」が「白鳥」になることの必然性について疑われることはない。なぜなら、これは「童話」だからだ。

 しかし、ここであえて「アヒル」に、また「アヒル」を「白鳥」にしたアンデルセン本人について注目すると、また別の物が見えてくる。

自閉症」・「アスペルガー症候群」という観点から小説家たちを分析した、ジュリー・ブラウンの『作家たちの秘密』という本に、アンデルセンが取り上げられているのだが、ブラウンは、アンデルセン本人が「みにくいアヒルの子」は自伝的だと言ったことに注目し、「運命をまっとうして美しい白鳥となったアヒルの勝利が、アンデルセンが作家として成功し、ほかのライバルたちに打ち勝ったことの対比になっていることは明白に見てとれます」と書いている。つまり、「みにくいアヒルの子」とは、かつて自分のことを見下していた人々や社会への、ささやかな復讐だったというのだ。だが、アンデルセンはその復讐心を巧みに隠したから、「みにくいアヒルの子」は世界的に受け入れられた。

 さて、アンデルセンは、「みにくいアヒルの子」の最後の方で、「自分が白鳥の卵からかえったのであるならば、農家の庭の隅っこのアヒルの巣で生まれようが生まれまいが、ものの数ではなかった」(荒俣宏訳)と書いている。これは驚くべきことだろう。なぜなら、アヒルという生き物・生き方を全否定しているからだ。「育ち」ではなく「血筋」を絶対視しているこの文は、「アヒルの子」に同情してきた読者の梯子を外すものでしかない。しかし、実際は、読者の多くがこの点については見過ごして来たのではないだろうか。俺も、大人になって再読するまで気付かなかった。それは、アンデルセンが、最後まで、「アヒルの子」という三人称を捨てずに使っているからでもある。

はだかの王様」を書いているから、アンデルセンは貴族という存在に対し反発しているのだろうと思うかもしれないが、ジャッキー・ヴォルシュレガーの『アンデルセン ある語り手の生涯』を読むと、真逆の人間だったことがわかる。貧しい家庭に生まれたアンデルセンは、王族や貴族、上流階級に憧れ続け、彼らと交際できることを何よりも喜んだ。その様子があまりにもピエロ的だったので、詩人のハイネは、「外見には、王侯に気にいられる卑屈な自信のなさがただよっていた。王侯が考える詩人像そのものだ」と皮肉った。

 つまるところ、「白鳥」とは「貴族」のことであって、「大きな白鳥たちは、この新しい仲間のまわりをぐるりと泳ぎ、くちばしで首をなで、歓迎してくれた」とは、貴族に受け入れられたアンデルセンそのものである。しかし、「アヒルの子」として育った「白鳥」は、「これまで自分がいかにみにくさのために迫害され、軽蔑されてきたか」ということを忘れることができない。他人の眼には「白鳥」に映っても、「アヒルの子」としてのアイデンティティを完全に捨て去ることができない彼は、子どもたちから「新しい白鳥、どれよりも美しいぞ!」と褒められても、「こんなときにどうふるまったらよいか、わからない」のだ。

 ここまで、アンデルセンとアヒルの子の類似性を指摘してきたが、違うところが一点ある。それは、アンデルセンが、アヒルの子と違い、最初から自分が白鳥であると信じていたことだ。アヒルの子が、自分は実は白鳥なのだと気付くのは、たまたま水面に映った自分の姿を見た時だが、アンデルセンは幼少期から野心家で、積極的に自分を売り込んでいた。しかし、生来の卑屈な性格から、生まれも育ちも白鳥の貴族たちに、終生負い目を感じ続けたようだ。結局、彼は、芸術家としては高いプライドを持ちながらも、社交においては、白鳥の仮面をつけたアヒルの子として、見世物になる道を選んだ。

みにくいアヒルの子」には、自分のことを白鳥だと信じながらも、周囲から馬鹿にされ、アヒルの子として鬱屈しながら生きなければならなかった、下積み時代のアンデルセンの変身願望が反映されている。俺も含め、何者かになりたいと考える若者の多くが、このような「みにくいアヒルの子症候群」にかかっているのではないだろうか。

 谷崎潤一郎の「異端者の悲しみ」は、「みにくいアヒルの子」をリアリズムで書いたような趣がある(谷崎とアンデルセンの性格は真逆だが)。大学に通いつつも進路の決まらない主人公、章三郎が「白鳥」の幻を見るところから始まるこの自伝的中編は、大きな野心とそれに見合わない悲惨な境遇を描いているのだが、「みにくいアヒルの子症候群」にかかっている人間が読むと、まるで自分の内面を見透かされているかのように思ってしまうだろう。例えば、次のような個所……。

 

同じ人間でありながら、自分はなぜこんな貧民に生まれて此世間のどん底を出発点としなければならなかったのか、自分はどうして運命の神からハンディキャップを附けられて居るのか、思えば思うほど章三郎は業が煮えてたまらなかった。それも自分が陋巷に生まれて陋巷に死するにふさわしい、頭脳の低い、趣味の乏しい無価値な人間ならば知らぬこと、かりにも最高の学府に教育を受けて、将に文学士の称号を得んとしつゝある有為の青年である。自分は蠢々として虫けらの如く生きて行く貧民の間に伍して、何等の自覚もなく其の日其の日を過していられる人間とは訳が違う。自分には偉大なる天才があり、非凡なる素質がある。たま/\その天才と素質とが、物質的の成功致富の道に拙くて、藝術的の方面にのみ秀でゝ居る為めに、いつまでも斯うやって逆境を抜け出る事が出来ないのである。(引用は、千葉俊二編『潤一郎ラビリンスⅢ 自画像』より)

 

 俺は大学を卒業して、ぶらぶらしている時期があったので次のような場面を読むと、当時を思い出して胸が苦しくなる。

 

「二十五六にもなって、毎日学校を怠けてばかり居やあがって、一体手前はどうする気なんだ。……どうする気なんだってばよ!」

折々彼は、否応なしに父親の傍へ呼び付けられて、ねちねちと詰問されて、意見を聴かされる時がある。そんな場合に章三郎は、面と向かって据わったまゝ、いつ迄立っても返辞をしなかった。

「手前だってまさか子供じゃあねえんだから、ちッたあ考えがあるんだろう。え、おい、全体どう云う了見で、毎日ぶらぶら遊んで居るんだ。考えがあるなら其れを云って見ろ。」

こう云う調子で、親父はじりじりと膝を詰め寄せるが、二時間でも三時間でも章三郎は黙って控えて居る。

「考えがある事はあるけれど、説明したって分りゃしませんよ」

と彼は腹の中で呟くばかりで、決して口へ出そうとしない。そうかと云って、一時の気休めに出鱈目な文句を列べ、父親を安心させようと云う気も起らない。そんな気を起こす餘裕がない程、彼の心は惨憺たる感情に充たされるのである。

 

「自分の体なんぞどうにでもなるがいゝ。己には親も友達もないんだ。」

そう思っては見るものゝ、彼にはやっぱり自分を生んだ親の家が、よしやどれ程むさくろしくとも、どれ程不愉快に充ち充ちて居ても、最後の落ち着き場所であった。自分の生まれた土を慕い、自分の育った家を恋うる盲目的な本能が、常に心の何処か知らに潜んで居て、漂泊の門出に勇む血気を怯ませた。

 

「異端者の悲しみ」が、谷崎の作品の中であまり人気がないのは、あまりにもリアルすぎるからだろう。しかし、ラストで、主人公の章三郎は、作品が認められ文壇への第一歩を踏み出す。彼もまた、アヒルの子から白鳥へと変身を遂げるのだ。

 アンデルセンにせよ、谷崎せよ、こういった作品を書いたのは、作家として十分に社会的地位を築いてからだった。成功したからこそ、当時の自分を客観視することができ、かつポジティブな方向へ作品を向かわせることができた。逆に言えば、誰からも認められないうちは、「みにくいアヒルの子症候群」から抜け出すのは不可能ということなのかもしれない。

 ヘンリー・ミラーは30歳を超えても芽が出ずくすぶっていたが、そんな時、自分よりも若いドス・パソスとかがもてはやされるのを見て、ひどい劣等感に苛まれたそうだ。ミラーがそんな感情から逃れることができたのは、パリに移住してからで、比較する相手が身近から消えたことによるものだろう。その時、ミラーは40近かったが。

 野坂昭如の『マスコミ漂流記』には、誰が何歳でデビューしたとか代表作を書いたとか、そういことを気にする場面があって、これも痛いほどよくわかった。俺も最初は比較対象が、大江・石原・村上龍だったのに、どんどん目標値の修正をせまられ、「ヘンリー・ミラーは43歳で『北回帰線』を出した」とか、そういうことに慰められるはめになっている。

 俺は、あと何年「みにくいアヒルの子」として生き続けなければならないのだろうか。

 

アンデルセン童話集〈上〉 (文春文庫)

アンデルセン童話集〈上〉 (文春文庫)

 

  

作家たちの秘密: 自閉症スペクトラムが創作に与えた影響

作家たちの秘密: 自閉症スペクトラムが創作に与えた影響

 

 

アンデルセン―ある語り手の生涯

アンデルセン―ある語り手の生涯

 

  

潤一郎ラビリンス〈3〉自画像 (中公文庫)

潤一郎ラビリンス〈3〉自画像 (中公文庫)

 

  

マスコミ漂流記 (銀河叢書)

マスコミ漂流記 (銀河叢書)

 

 

谷崎潤一郎伝―堂々たる人生

谷崎潤一郎伝―堂々たる人生