芥川賞をとれなくて発狂した人

 ってブログに小説をあげ、誰にも読まれていないにも関わらず、わざわざ自費出版までした私のことではないです。私はまだ発狂していません。自意識肥大、発狂寸前、入院秒読み、人生9回裏2アウト、といったところです。世界に忘れられたアラサーとして今日も一所懸命に生きております。私は正常です。信じてください!

 が、マジな話、世の中には作家を目指している途中で本当に狂ってしまう人もいるんだよな。

 橋爪健の『文壇残酷物語』は、菊池寛岡本かの子有島武郎といった有名作家の裏側を、本人が直接見知ったことや、本、伝聞などをもとにして、いくぶん小説風に書き上げたもの。大正・昭和初期の作家を扱っているのだが、この辺は様々な人の手によって掘りつくされているので、ある程度文学史に詳しい人には、橋爪の本に新鮮味を感じることはないだろう。

 また、「文壇残酷物語」というタイトルだが、取り扱われている作家が大物かつ作品も評価されている人ばかりで、読んでいて文壇の残酷さを感じるということがさほどなかった。その点、高見順の『昭和文学盛衰史』や、窪田精の『文学運動のなかで』なんかは消えた作家の名前が大量に出てくるので、文壇で長く生き延びることの大変さを感じさせられる。

 が、『文壇残酷物語』で、マジに「残酷や……」と絶句してしまうのが、「芥川賞」の章で紹介されている来井麟児(くるいりんじ)のケースである。

 来井は作家志望の男で、友人がいないため同人誌には参加せず、個人雑誌を作って作品を発表していたが、岩手の家を売る羽目になり、東京に出るも病気となりホームレス生活を始めた。持ち物は風呂敷包みに入った原稿と雑誌だけ。その頃、太宰治が第一回芥川賞に落選し、川端の選評に怒り狂っていたが、来井も太宰同様芥川賞を喉から手が出るほど欲しがっており、真夜中になると「芥川賞! 畜生、芥川賞!」と大声で寝言を言い、周りに迷惑がられていたという(ちなみに、芥川賞は第三回までは、一般からの原稿募集もしていた)。そのため彼は「芥川賞亡者」と呼ばれていた。橋爪は、雑誌の依頼で「ノアの方舟」という救世軍によって運営されていた浮浪者収容施設(文字通り船の中で寝泊まりする)を訪れた際、たまたま来井と知り合ったのだ。ちなみに、ペンネームの「麟児」は、二十七歳で狂死した作家、富ノ沢麟太郎にあやかったという。

 橋爪が、「君も芥川賞をねらって……?」と質問すると、

まあ、わっしが、世に出られる道は、それしかないんです。しかし、わっしみたいな友人も何もない孤独な人間は、同人雑誌にも入っていないし、発表機関も、ないからね。苦労して個人雑誌を出したのも、そのためさ。まあ、今に見ていて下さい。体さえ、よくなったら……

 泣けるなあ。自分も文学をやっている友人が一人もいないし、誘われたこともないので、同人活動というのを一度もしたことがない。文フリに客として行ったこともない。今はネットがあるから来井みたいに「発表機関がない」ということはないと思う人もいるかもしれないが、結局読まれない限り存在していないのと同じである。なので、自分もわざわざブログに書いたことを数万かけて何十冊か製本し、「どうですか!」と方々にアプローチをかけているのだが、結果については聞かないでください。

 余談だが、芥川賞には、石原慎太郎以前まったく注目されていなかったというような逆神話があり、それは石原より前に受賞した作家たちどころか創設者である菊池寛本人も「新聞がとりあげてくれない」と書いたぐらいなのだけれど、実際は賞の制定を発表した時から大新聞が取り上げ、来井のような文学志望者たちの目標となるぐらいには権威・知名度があった。

 戦後、来井は「精神分裂病」の疑いで松沢病院に入院し、他の患者と殴り合いの喧嘩をしている最中心臓マヒで死んだ。元々、そういう気があったようで、以前橋爪に見せた小説も、「全体として支離メツレツで、まるで狂人のうわ言みたいな作だった」らしく、また、戦時中は親戚の手で監禁されていたようだ。

 だが、その狂気の最終的な引き金となったのが、安部公房芥川賞受賞作『壁』である。敗戦後、靴磨きをしながら生計を立てていた来井は、同じ職業の文学好きと結婚し、子供まで作った。芥川賞に対しては軽蔑的なスタンスをとり、注目こそしていたが、かつてのような「芥川賞亡者」ではなくなっていた。そこに現れたのが『壁』である。橋爪は来井の妻から次のような手紙を受け取った。

──主人は安部さんの『壁』を読んでから、急に様子がおかしくなり、また芥川賞のことばかりいうようになりました。主人はあの作品がとても好きになって、ああいう作品が芥川賞に通るなら、おれも一つやってやるぞと、毎晩徹夜で原稿をかきだしたのです。それが少しもモノにならず、ときどき変なことを口走ったり、とつぜん狂暴になったりして様子がへんなので、医師に診察してもらいましたら、精神分裂病が相当すすんでいるというので、数日前、松沢病院に入院させてもらいました。(後略)

  安部はこのエピソードを知っていたのだろうか。『文壇残酷物語』は講談社から出ているぐらいなので、知っていてもおかしくない。もし知っていたのなら、かなり喜んだんじゃないか。それだけ自分の小説が他人の精神に影響を及ぼしたわけで、ある意味一番の愛読者だ。

  いまではすっかりセブンイレブンのテーマソングとなってしまったタイマーズの「デイ・ドリーム・ビリーバー」だが、あれの「ずっと夢を見て安心してた」という個所を聴くと、その通りだなあと強く頷いてしまう。「夢」を見ている時が一番可能性に溢れている。だから、気持ちが良い。しかし、それを実行に移そうとするとたちまちのうちに、実力、運、コネ、その他もろもろの現実にぶつかり、来井みたいに発狂したりする。けれども、動きさなければ何も起こらないわけで、いつまでも安心してるわけにはいかないのだけれど、物事はそう簡単にいきませんわな(by 現在進行形で拒絶されている男)。

 

文壇残酷物語 (1964年)

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あめんちあ

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壁 (新潮文庫)

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ザ・タイマーズ

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