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村上春樹とブライアン・ウィルソン──「サーフィンUSA」が見せた夢

 村上春樹ビーチ・ボーイズについて書いた文章はいくつかあるが、ここでは以下の二つを中心に取り上げたい。一つ目は、『季刊アート・エクスプレス』1994年夏号に掲載された「神話力、1963、1983、そして」(以下「神話力」)。そして、二つ目は、『Stereo Sound』2003年夏号に掲載された「ブライアン・ウィルソン――南カリフォルニア神話の喪失と再生」(以下「喪失と再生」。引用は『意味が無ければスイングはない』から)。ちなみに、これ以外の物としては、ジム・フジーリ『ペット・サウンズ』のあとがきと『村上ソングズ』の「神のみぞ知る」、『カリフォルニア・フィーリン』のライナーなどがある。

「神話力」は、「喪失と再生」の原型ともなった文章である。両方とも、ブライアン・ウィルソンの現在について触れているが、その書き方にまず違いがある。

「神話力」では、ブライアン・ウィルソンについて、「ビデオで見るかぎり(中略)まともに歌を歌えない状態にある」と村上は言い、さらには「彼らが現在の状態で新しいアルバムを吹き込むのは難しそうだが、しかしいったい今さら誰が熱烈にビーチ・ボーイズの新譜を待ち望んでいるのか」とまで言い切っている。「彼(ブライアン)が僕らに向かって語りかけるのは夢の記憶ではなく、夢の不在だ」という言葉も印象深い。

 それから9年後に書かれた「喪失と再生」の方でも、ブライアンのライブについて「その声には、若いころのスイートな張りはない」と書いてはいるが、「聴くものの心を打つ」とブライアンを擁護するような言葉が挿入されている。

 簡単に結論を出してしまえば、「神話力」のほうは「喪失」だけがテーマとなっている。「しかし、どのような響きも二度と空気を震わせはしない」という文章で村上はこのエッセイを終わらせている。

 一方「喪失と再生」の方はそこに文字通り「再生」というテーマが加わる。94年の時点では、ブライアンを過去に生きる人として捉えているわけだが、2003年の文章ではスコット・フィッツジェラルドの言葉を引き合いに出し、一旦は破滅したブライアンの人生に「第二章」があったのだと結論づけている。94年といえば、ブライアンのソロ・アルバム『駄目な僕』が出る前だから、村上がブライアンのキャリアを終わったものだと考えていたとしても不思議ではないだろう。前作が出たのは約7年前だし、ライブ・パフォーマンスも目に見えて衰えていた。多分、ブライアンのソロ発売後、村上は「神話力」を書き直したいと常々思っていたのではないだろうか。今に至るまで、この文章が単行本に収録されていないのは、そういうところに理由があるのだろう。

「神話力」ではビーチ・ボーイズの魅力について「サーフィンUSA」を中心にして語っている。「サーフィンUSA」は村上が初めて聞いたビーチ・ボーイズの曲であり、このことに関しては「喪失と再生」でも「神さまだけが知っていること」でも触れており、彼にとって重要な体験だったのだろう。「神話力」では、「その”SURFIN”という言葉のひびきは、十四歳の僕にとってものすごく異国的で魅惑的だった」と書いている。ある種の現実逃避だ。

 そして、村上と同じように、ブライアンもまた「サーフィン」や「カリフォルニア」を現実とは違う「寓話」として捉えていた。

 

 結局のところ、今にして思えば、ブライアン・ウィルソンの音楽が僕の心を打ったのは、彼が「手の届かない遠い場所」にあるものごとについて真摯に懸命に歌っていたからではないだろうか。燦々と太陽の光の降りそそぐマリブ・ビーチ、ビキニを着た金髪の少女たち、ハンバーガー・スタンドの駐車場にとまったぴかぴかのサンダーバード、サーフ・ボードを積んだ木貼りのステーション・ワゴン、遊園地のようなハイスクール、そして何よりも永遠につづくイノセンス。それは十代の少年にとっては(あるいはまた少女にとっても)まさに夢の世界だった。僕らはちょうどブライアンと同じようにそれらの夢を見て、ブライアンと同じようにその寓話を信じていた。(「神話力、1963、1983、そして」『季刊アート・エクスプレス』1994年夏号、pp.25-26)

 

 村上はこのエッセイの中でブライアンの「イノセンス」を高く評価し、「「ペット・サウンズ」以降の成熟した新しいビーチボーイズはそれ以前と同じように魅力的なバンドだった。でもそこにはもうあの「サーフィンUSA」が与えてくれた留保のない手放しのマジックはなかった」ということまで書いている。ジム・フジーリ『ペット・サウンズ』の訳者あとがきで、「世の中には二種類の人間がいる。『ペット・サウンズ』を好きな人と、好きじゃない人だ」と書き記したのが信じられないくらい、この頃の村上は「サーフィンUSA」の方に評価の軸を傾けていた。

「再生と喪失」では、村上はほとんど「サーフィンUSA」には触れず、『サンフラワー』と『サーフズ・アップ』をメインに語った。「再生」をテーマとしたからには、「イノセンス」について触れるのは難しかったのかもしれない。「再生」という言葉には、「成長」という意味が含まれている。成長するということは「イノセンス」から解き放たれることだ。かつてブライアンに「イノセンス」という点から共感した村上は、今度は「再生」という点からブライアンに共感した。「再生と喪失」の最後に村上はこう書いた。「少なくとも我々は生き延びているし、鎮魂すべきものをいくつか、自分たちのなかに抱えているのだ」と。

「寓話」としてのカリフォルニアを、二人は見送っている最中だ。あたかも「青春」を埋葬するかのように。

 

 

サーフィンUSA

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季刊アート・エクスプレス (No.3)

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意味がなければスイングはない (文春文庫)

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