ウィルソン夏子 『エドマンド・ウィルソン 愛の変奏曲』

 エドマンド・ウィルソンについてもっと知りたいと思うようになったのは、彼の著作ではなく、彼にまつわるゴシップを読んでからだった。

 一番初めに読んだウィルソンの本は、ご多分に漏れず『アクセルの城』だった。力作であることは認めるけれど、詩に対してほとんど無感動な俺には、特段面白いものではなかった。最近読んだ『フィンランド駅へ』も、ほぼ同じような印象で、こちらは割合ゴシップ的要素を盛り込んでいるのだが、調べたことを調理せずに差し出しているかのような薄味さだった(唯一バクーニンのエピソードは面白かった)。

 集英社がかつて出した『世界の文学』という文学全集に「現代評論集」なる巻があって、ウィルソンも収録されているのだが、なぜか真面目な評論ではなく、「ウィルソン架空会見記」、「ウィルソン夢想対話録」という戯文で、編者は『アクセルの城』(ちくま学芸文庫)の解説を書いた篠田一士だから、恐らくある意図を持ってわざわざこれを選んだのだろう。こちらは軽い調子で書かれていてまあまあ面白かったが、それ以上深く彼の評論を読もうとは思わなかった。また、ウィルソンが小説にも手をつけていることは知っていたが、評論ほどの評価を得ているように見えなかったので、食指が伸びなかった。

 文学者の伝記や自伝を読むのが趣味の下世話な俺だけど、ウィルソンについては、文章の内容や厳粛な顔貌、批評家という地味な職業から、「書斎の人」という印象を受け、長くその人となりにまで興味を持たなかった。友人であるスコット・フィッツジェラルドが陽だとしたら、彼は明らかに陰だった(その性格の違いから後に仲違いするわけだが)。どうせ地味な生涯を送ったのだろうとたかをくくっていたのだ。

 だが、アメリカ文学史にまつわる本を読んでいくうち、徐々にウィルソンに対する見方が変わってきた。例えば、アルフレッド・ケイジンは『書くことがすべてだった』(法政大学出版局)で次のように語っている。

 ウィルソンは外見と同じように落ち着き払っていて傲慢であり(かつてわたしに自慢して、たった今まで読んでいた本を、よく睡眠中に書きなおすことがあるんだ、と語ったことがある)、また、ひどく変人で頑固だったので、その奇行だけでも伝説的人物になれるほどだった。晩年になって自分のパスポートの写真が気に入らないからといって、ほおひげを書き加えたこともあったくらいだ(石塚浩司訳)。

 保守派の英国人ポール・ジョンソンが、左派知識人を批判した『インテレクチュアルズ』という本があり、ウィルソンも取り上げられている(ただし、他の面子よりは好意的に書かれている)。ジョンソンは批判の一部としてウィルソンの性生活に触れているのだが(ウィルソンの死後刊行された日記には、セックスについて「ポルノまがい」とジョンソンが言うほど詳細に書かれていた)、むしろ俺としてはウィルソンをもっと知りたくなった。何しろ初めてコンドームを買った時のことまで日記に書いている男である(そのエピソードがまた面白い)。

 というわけで、ウィルソンの伝記が読みたかったのだが、篠田が『現代評論集』(集英社)の解説で「この批評家だけは、不思議と、日本では知名度が低い」と書いているように、日本でウィルソンにまつわる本が出るのは絶望的な状況だと考えていた。ウィルソンは篠田やジョンソンが指摘するように、観念的なことを書かないので、小林秀雄とかポストモダニズム系の哲学者に人気が集まりやすい出版状況において、どうしても「商品」になりにくかった(それでも翻訳状況的に恵まれている方ではあるが)。

 だから、今年の4月、ウィルソン夏子による『エドマンド・ウィルソン 愛の変奏曲』が出版されて非常に驚いた。ウィルソン夏子は、エドマンド・ウィルソンメアリー・マッカーシーの息子であるルール・ウィルソンと結婚したピアニストであり、『メアリー・マッカーシー──わが義母の思い出──』という本も出している。そこで、ウィルソンについても1章を割いて書いていたが、まさか本格的に書いてくれるとは思っていなかった。

エドマンド・ウィルソン 愛の変奏曲』は、ウィルソンの女性遍歴に焦点を絞った伝記だ。前述したようにウィルソンが残した日記は彼の死後出版され、そこには数多くの情事が書かれていた(メアリー・マッカーシーの箇所については、マッカーシーが公開を阻止したため一部削られている)。ウィルソン夏子は日記や書籍、時には親族の強みを生かして、ウィルソンの生涯をたどっていく。

 ウィルソン夏子が、「有名、無名の女性たちと生涯恋愛遍歴を続けた」、「彼が恋愛関係となった女性の数は10本の指ではとうてい足りない」と書くように、本書には次々とウィルソンと関係した女たちが出てくる。有名な方でいえば、メアリー・マッカーシーを始め、エドナ・セント・ヴィンセント・ミレイ、レオニー・アダムス、アナイス・ニン、ペネロープ・ギリアットなど。断られたものの、アーサー・ケストラーの妻マイメン・パジェットにも言い寄っている。ウィルソンが童貞を捨てたのは25歳の時で(相手はミレイ)、特に早くはないのだが、そこからエンジン全開になってしまったようだで、娼婦とも多数関係を持った。

 ウィルソンが女の文学作品を書評する際、下心も幾分そこに込められていたようで、ミレイやニンとの出会いは、書評で褒めたことがきっかけになっている。恥ずかしながら私も一度だけ同じようなことをした経験があり(ウィルソンと違って成功はしていない)、同じ男として激しく共感した部分である。ウィルソンの下心書評にはオチがついていて、アナイス・ニンの『この飢え』という本を、面白くないのに褒めざるを得なくなってしまい、意味不明な文章を書いてしまった。

 本書を読んで最も収穫だったのは、ウィルソンが私小説を書いているのを知ったこと。それが、ミレイとの出会いを描いた『デイジーを想う』と、労働者階級の女との恋愛を描いた「金髪のプリンセス」だ。後者は、1946年に刊行された『ヘカテ郡の思い出』という短編集に収められ(タイトルはギリシャ神話のヘカテからとられている)、ベストセラーとなった。が、「性描写が猥褻である、とカトリック教会からの抗議」があり、ニューヨーク州マサチューセッツ州で発禁となって、1959年に改訂版が出版された。

『ヘカテ郡の思い出』に収録された6本の短編のうち3本を訳出したのが、『金髪のプリンセス』(六興出版部)で、改訂版を底本にしている。『エドマンド・ウィルソン 愛の変奏曲』を読了した後、さっそく読んでみたが、これがかなりの傑作だった。「金髪のプリンセス」という短編に関しては(長さ的には中編)、アメリカ文学史に残る一編といっても過言ではない。だが、批評家としてのウィルソンに注目する人はいても、この小説に触れている人はまだ見たことがない。批評家が書いた小説ということで、どうせ余技的なものだろうと、先入観を持たれ無視されているのではないか? 実際、ウィルソン夏子の本を読むまでの私もそうだった。

「金髪のプリンセス」は3人の登場人物を中心に回っている。ウィルソンをモデルにした「私」は、大学時代に社会主義の影響を受け(実際のウィルソンは1935年にソ連を方訪問して以降、マルクス主義に懐疑的になった)、選考していた既存の経済学に飽き足りなくなり、母の姉の遺産が入ったのをきっかけにPh.D.取得を諦め、今は在野で美術の研究をし本を書こうとしている。物語は、1929年の夏、これまで意識していなかったイモージェンという女の美しさにはじめて気がつくところから始まる。つやのある豊かな金髪を持つ彼女はまるで「お伽噺のプリンセス」のように見え、相手が既婚者であることも構わず、アプローチする。ウィルソン夏子によれば、イモージェンのモデルは「ウィルソンのケープコッドでの友人で既婚者で詩人のエリザベス・ウォー」。もうひとりの重要人物は、ダンスホールで出会ったアンナ。彼女も既婚者だが、夫は車泥棒で刑務所に出入りを繰り返す犯罪者で、「私」と出会ったときは別居状態だった。モデルは、フランシス・ミニハンという「ウクライナ系移民の家庭で育った」女で、ウィルソンの日記では「アンナ」と書かれている。小説のアンナのプロフィールはフランシスのそれをそのまま流用しているようだ。ウィルソンがそこまであけすけに書けたのも、「彼女は本を読む人ではなかった」からだろう。ウィルソンは自伝を残さなかったから、この小説がウィルソンを知るうえで重要な資料にもなっている。

 ウィルソンはフランシスと交際していることを周囲にひた隠しにしていたらしい。そのため、フランシスの写真は未だに発見されていないようだ。8年間も断続的に付き合いを続けていながら、隠し続けていたのだから驚くしかない。

「金髪のプリンセス」が傑作たる所以は、ウィルソンがそこで「男」の性を余すことなく描いているからだ。「私」はイモージェンをどうにか口説き落とそうとするが、警戒心が強く、広告代理業を仕事にしている夫のもとで裕福な暮らしを営んでいる彼女をなかなかものにすることができない。一方、ウェイトレスなどの仕事でその日暮らしをしているアンナとの恋愛は、「時間のかからぬ、面倒のないもの」とされる。「私」はイモージェンによって焦らされ、昂進した性欲の出口を、アンナに求めるのだ。しかし、アンナとの恋愛も順調なわけではない。「私」はアンナから性病をうつされ、アンナが浮気しているのではと疑心暗鬼になる。他方、イモージェンに関しても、地位と金を持った男が彼女に近づくのを見るにつれ、彼らに嫉妬するのを止められない。しかも、なんとかイモージェンとの性交を果たすと、今度は「それが満たされてしまったことを、さびしく思」ってしまう。そして、最後には二人とも失うという苦い結末が待っている。

 事実をもとにしているから、セックスをめぐるブルジョワとプロレタリアの対比が、実感を持って描かれており、「私」の内面の動きも非常に納得がゆく。かくいう私も、キスまでしか許してくれないイモージェンのような女と交際したことがあり、我慢できなく風俗に駆け込んだことがあるので、人一倍この小説に共感しているのだろう。ただ、小説には、これまでの恋愛を反省するような言葉が載っているのだが、その後のウィルソンの行動を見ると、まったくそれは活かされなかったらしい。

 A・スコット・バーグ『名編集者パーキンズ』によれば、パーキンズはウィルソンの小説について次のように語っていたという。

「ウィルソンはアメリカの著述家の中でも最も知的な人物だが、小説をかかせると利口ぶったところが鼻もちならなく見えるんだ。誰にでもわかることを書こうとすると、きっと読者を見下したような感じになる」

エドマンド・ウィルソンは、小説家としてスコット・フィッツジェラルドの半分くらいの名声が得られるなら、どんな犠牲もいとうまい」(鈴木主税訳)

  アメリカにおいてもウィルソンの小説が過小評価されているのは残念だ(Amazonでさえも評価があまり高くない)。やはり批評家としての顔が、小説家としてのニュートラルな評価を阻んでいるのだと思う。俺からすると、『グレート・ギャツビー』の百倍「金髪のプリンセス」の方が重要な小説なのだが。今後日本でウィルソンの再評価があるとしたら、まず小説からすべきだ。特に、『デイジーを思う』と『ヘカテ郡の思い出』の完訳はマストである。

エドマンド・ウィルソン 愛の変奏曲』について、最後に一つ書いておくと、ウィルソンが日記上で露わにした性遍歴・性描写に対する抵抗感を表明する箇所が多く、評伝としてノイズになっているように思えた。まえがきやあとがきで一度書くのは構わないのだが、それが本文中で3回も4回も続くと、急ブレーキを何度もかけられているように感じ、乗り心地が悪かった。文学史における性的な日記というのは、古くはピープスから永井荷風まで色々あって、特に珍しいものでもないのだから、驚きすぎなような気もする。そのため、「著者がたしなみから引用しなかったところが、わたしにとってはおもしろい」と本書の解説で若島正が言うように、内容がセーブされてしまっているところがある。

 今後の俺の願望としては、エドマンド・ウィルソンの伝記と小説、メアリー・マッカーシーの自伝と伝記がセットで翻訳されることだが、期待して待ちたいと思う。また、マッカーシーには、ウィルソンに殴られた経験をもとにした『魅せられた生活』という小説があり、ウィルソンについて知るならこれも必読になるだろう。

 

 

 

  

  

 

  

  

 

 

  

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