日本文学は海外からどう見られているか!?

 日本人は、海外(西洋人)からどう見られているか、ということをよく気にしている。テレビではかつての『ここがヘンだよ日本人』のような過激な物から、『YOUは何しに日本へ?』のような温和な物まで、外国人の視点を意識した番組が作られ、出版界隈では、『逝きし世の面影』や外国人が日本について書いたエッセイ等がよく売れている。

 僕自身は外国人(西洋人)が日本をどう見ているかということについてほとんど気にしたことはないのだが、自分の興味の対象である「文学」に関しては、それなりに気になっている。どう気になっているのかと言えば、今でも外国では「オリエンタリズム」と「異国趣味」が生きているのではないかということだ。三島由紀夫はそれがわかっていたから、自作自演の映画『憂国』を、まず海外の映画祭に出品した。

 それを確かめるべく、僕はピーター・ボクスオール編集『世界の小説大百科 死ぬまでに読むべき1001冊の小説』(原著は2012年出版)という辞典のような本を図書館から借りてきた。ちなみにこの「1001シリーズ」はキャセルという出版社から出ていて、日本でもいくつか翻訳されている。僕は高校生の頃に『死ぬまでに聴きたいアルバム1001枚』というのを買って読んでいたのだが、リラックスした筆致と豆知識の挿入の仕方が上手く、ディスクガイドとして非常に優れていると思った。

 それで、この『小説大百科』だが、ピーター・ボクスオールによる「第2版のためのはしがき」を読むと、初版と第2版(国際版)では、収録作品にいくつか変化があるらしい。どうも国際版を編集するにあたって、より非英語圏の作品を収録したとのこと。その変わり、初版に収録されていたバニヤンの『天路歴程』やクッツェの『エリザベス・コステロ』が削除されたとか。邦訳されたのはもちろん、国際版の方である。

 まず、ざっとした感想を言うと、収録作品がかなり現代の物に偏っているということか。22ページから232ページまでが19世紀までの作品で、それ以降236ページから949ページまでが20世紀から2011年までの作品となっている。ボクスオールが「はしがき」でも言っているように、こういうリストは色々と異議が出るものだが、日本文学以外に関しては、バルザックの『従妹ベット』やヘンリー・ジェイムズの『黄金の杯』、マーク・トウェインの『王子と乞食』ぐらいは古典として入れても良かったのではないかと思う。あと、20世紀の作品になるが、メアリー・マッカーシーの『グループ』とか。まあ、キリがないのでここらへんで止めておこう。

 さて、肝心の日本文学だが、ざっとリストを下に掲げよう。順番はあいうえお順。英訳本が本書の選択の基準になっているから、見慣れないタイトルになっている物もある。

芥川龍之介羅生門と他の物語』

有吉和佐子『恍惚の人

遠藤周作『沈黙』『深い河』

大江健三郎『芽むしり仔撃ち』

川端康成千羽鶴

谷崎潤一郎『蓼食う虫』

夏目漱石『こころ』

三島由紀夫潮騒』『豊饒の海

宮部みゆきクロスファイア

村上春樹ねじまき鳥クロニクル』『1Q84』

村上龍限りなく透明に近いブルー

紫式部源氏物語

吉本ばなな『キッチン』

作者不詳『竹取物語

 

 全部で17作品。まあ、突っ込みどころは色々ある。『竹取物語』と『源氏物語』が選ばれているのは良いが、20世紀以降の作品となると選定の基準にかなり凸凹がある。

 まず、谷崎だが、『蓼食う虫』を彼の最高傑作と見なす人は、日本の評論家・作家の中では、ほぼいないだろう。『細雪』が『Makioka Sisters』の題で英訳されているのだから、それを選ぶべきだった。評者の言葉を読む限り、「文楽」や「芸者」が、評価の一端を担ったのではないかとも思えるのだが、まずは置いておこう。

 大江もなぜ『芽むしり仔撃ち』なのだろう? 彼がノーベル文学賞を受賞した際、対象となったのは、『個人的な体験』と『万延元年のフットボール』で、単純にそれらの作品を選定すべきだったと思う。あと、選ばれているのが一作だけというのも寂しい。

 日本で本書と似たような企画を立てたら、夏目漱石はもっと入るだろう(序に、森鴎外泉鏡花尾崎紅葉田山花袋有島武郎樋口一葉太宰治安部公房も)。漱石の英訳されたものとしては、Amazonを見る限り、なぜか『こころ』が圧倒的な人気を誇っている(抑圧的なところと女性嫌悪的なところが、キリスト教に近いからか?)。『三四郎』と『坊ちゃん』は、ペンギン・クラシックス入りしているが、選ばれなかった。芥川も、ジェイ・ルービン訳の短編集が、ペンギン・クラシックスとして出版されている。ちなみに、『坑夫』は、村上春樹が『1Q84』の中で触れたことから、2016年に春樹の序文付きで再刊された。

 その春樹だが、『ねじまき鳥』はまあいいとして、『1Q84』が選ばれているのにはやや驚いたが、Amazonレヴューの数は、春樹の作品の中だと『1Q84』が一番多い。英訳が出版された2013年は、春樹人気のピークだったのだろうか。

 女性作家も貧弱だ。選ばれているのが、現代だと、有吉佐和子吉本ばなな宮部みゆきというのは……。個人的には、宮本百合子円地文子津島佑子富岡多恵子金井美恵子辺りが、もっと知られても良いと思う。

 色々ケチをつけてきたが、僕が最もここで注目したいのは、川端である。この『千羽鶴』というチョイスは、間違いなくオリエンタリズムによるものだろう。そもそも川端がノーベル文学賞を受賞したのも、オリエンタリズムが一役買っていて、受賞の対象となったのは、『雪国』、『千羽鶴』、『古都』という風に、芸者、茶の湯、京都を扱ったものだ。ジェイ・ルービンも『村上春樹と私』の中で、川端は「芸者と茶会」という「異国趣味」によって、海外で受け入れられたと書いている。『雪国』を評価する人は多いが、本書で選ばれた『千羽鶴』に関しては、川端の作品の中では失敗作に入るだろうし、甘く見ても、これを代表作と考える人はかなりの天邪鬼だ。ガルシア=マルケスが『眠れる美女』にインスパイアされて小説を書く時代に、『千羽鶴』を「情交が紡ぐ情念の機微を日本の伝統的な茶の湯というベールで覆って描いた」と評価するのはどうなんだろうか。いや、まあ、『眠れる美女』にも、「日本の女はエロい」という「異国趣味」はあるのだが、これについては、少し後で述べよう。

 さて、『千羽鶴』をチョイスしたのは、Haewon Hwangという人らしい。検索すると、ハーヴァードでBA、ロンドン大学キングスカレッジでPhDを取得したと、ある出版社のサイトに記載されていた。実はこの人、『蓼食う虫』の評者でもあって、どうやら彼女が本書に「オリエンタリズム」を持ち込んでいたようだ。日本文学に関心があるのは良いのだけど、もう少し見識を持ってほしい。あと、評者は彼女ではないけれど、アーサー・ゴールデンの『さゆり』が選ばれているのも、なんだかなあ、という気分にさせられた。 

 少し前のところで、ジェイ・ルービンの言葉を引用したが、ルービンは芥川、川端、三島が「異国趣味」で評価されたのに対し、村上春樹は「自然」な形で海外に受け入れられたと書いている。実際、春樹は「自然」に受け入れられていたのだろうか? 小谷野敦は『病む女はなぜ村上春樹を読むのか』の中でこう書いている。

 

世界中で村上春樹が読まれる時、おそらく人々は、「日本の女はエロティックだ」というイメージを引きずっている。川端や、ゲイシャ・ガールや、かつてのベストセラーでもあるジェイムズ・クラヴェルの『将軍』の、やたらとエロティックな女たちもそうだ。(中略)世界中で、日本の女はこんな風に積極的にセックスを迫るものなのだと思って読んでいる者は少なからずいる。日本人が気づいていないだけだ。(p7)

 

 春樹もまた、「異国趣味」から完全に逃れているわけではない。さすがに、ゲイシャ・ハラキリを真に受ける人はかつてより少なくなってきただろうが、「日本女=エロティック」というのは、「異国趣味」の最後の砦となっているようだ。ガルシア=マルケスが『眠れる美女』に惹かれたのも、そういう部分があるのだろう。大江は、ガルシア=マルケスが来日した時、『眠れる美女』のモデルに会わせてくれと頼まれたが、断った。

 ちなみに『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』の英訳では、エロティックなシーンが一部削除されているそうだ。 

 

世界の小説大百科 死ぬまでに読むべき1001冊の本

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千羽鶴 (新潮文庫)

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村上春樹と私

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London's Underground Spaces: Representing the Victorian City, 1840-1915

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