クレイグ・ブロンバーグ 『セックス・ピストルズを操った男 マルコム・マクラーレンのねじけた人生』

 マルコム・マクラーレンといえば、セックス・ピストルズを作った男であり、パンクを金になるメイン・カルチャーにまで押し上げた男だ。しかし、これほど毀誉褒貶が激しい人間もそういない。彼と仕事をした人間は、例外なく彼を嫌う(ジョン・ライドンとは裁判で何年も戦った)。子供も大人も分け隔てなく騙した彼は、「詐欺師」とみなされるようになった。本書も、マクラーレンの裏側について細かく探っている。

 マクラーレンは元々アート・スクールに通う美大生だった。その頃から地道に絵を描くよりかは、イベントを企画したり、派手なパフォーマンスをしたりするほうを好んだ。時代は60年代後半。政治運動が学生の間で盛り上がり、過激な主張が受けた。流行に乗っかる才能を持つマクラーレンは、政治にさほどの興味はなかったが、デモには参加した。彼はデモのエネルギーや力のあるスローガンに惹かれた。「破壊」「混乱」は彼の生涯にわたるテーマになった。しかし、それは後にトラブルのもとにもなるのだった。

 マクラーレンは70年に入る頃、ヴィヴィアン・ウエストウッドと組んで、「レット・イット・ロック」(後「トゥー・ファースト・トゥ・リヴ、トゥー・ヤング・トゥ・ダイ」に改名)という名の洋服店を始めた。二人はテディー・ボーイズと呼ばれていた若者たちに向けて洋服を作り、徐々に知名度を高めていった。中産階級出身のマクラーレンは「ロックンロールの底辺にいる子供たちをできるだけ意識的にターゲットにした」。

 仕事でニューヨークを訪れたマクラーレンは、ニューヨーク・ドールズと出会った。ドールズはファッションから演奏まで、すべて「ガキ」向けのものだった。ロンドンに戻ったマクラーレンはロック・バンドのマネージャーになることを考え始める。もちろん、プロデュースするのは、「ガキ」のためのロック・バンドだ。

 ドールズと実際に仕事をしたマクラーレンは、自分のアイデアを実現すべく、「トゥー・ファースト・トゥ・リヴ、トゥー・ヤング・トゥ・ダイ」から「SEX」と改名した洋服店に集まってきた若者を、「反抗的なロック・グループ」の一員にしたてあげる。それがセックス・ピストルズとなった。

 マクラーレンは演奏の質には一切こだわらなかった。いや、むしろ下手であればあるほどよかった。バンドは練習やライブで腕を上げていったが、マクラーレンは「ピストルズがまともにプレイできるということを、知られたくなかった」。「マクラーレンにとって、セックス・ピストルズは混乱の象徴であり、それ以外には何の意味もなかった」。

 マクラーレンの主義・主張の全てが前述の引用に表れている。マクラーレンはとにかく、混乱を引き起こし、社会をかき乱せればそれでよかった。彼は社会を馬鹿にするアイデアをいくつもひねり出した。口の上手い彼は、初対面の相手でさえも巧みな話術で自分の陣営に引き込んだ。そうして集まった優秀な人間たちが、彼のアイデアを実行した。洋服店もヴィヴィアンがいなければ形にならかっただろうし、バンドもカリスマ性ンあるロットンや作曲のできるマトロックがいたからこそ成り立ったのだ。ソロ・アルバム『ダック・ロック』も、トレヴァー・ホーンという優秀なプロデューサーがいたからこそ(何しろ、マクラーレンはリズム感がゼロで、ホーンが彼の胸を叩いて合図を出さなければいけなかったほどだ)。マクラーレンが自分の「手」を使って何かを生み出したということは、学生を辞めて以降ただの一度もない。彼にできるのはアイデアを出すということだけだった。彼の武器は「口」だけだったのだ。

 マクラーレンのアイデアのいくつは間違いなく優れたものだった。特に彼はイメージや雰囲気を作り上げる能力に長けていた。ヴィヴィアンの洋服は、マクラーレンのアイデアがなければ生まれていなかっただろう。

 マクラーレンの最大の欠点は、プロジェクトを継続させることができないという点だ。ピストルズでもそうだったが、あるイメージが固まり始めると、彼はそれを壊さずにはいられなくなってしまうのだ。これはもう性癖といっていいかもしれない。「破壊」というコンセプトのもと始めた諸々のプロジェクトは、最終的にマクラーレン自身がプロジェクトの内部を「破壊」して終わることになった。だから、彼の立ち上げたプロジェクトは、成功・失敗に関わらず全て短命で終わっている。マクラーレンには、事務処理能力が著しく欠如していた。彼にとって人間とは、自分のために働く「駒」でしかなかった。そして、最後まで彼は、他人が自分に反抗するのかわからなかった。

 マクラーレンの「口」が一切通用しなかった世界が一つだけある。映画だ。マクラーレンは80年代の中頃、CBSに雇われて映画の製作に携わった。マクラーレンの「口」は最初様々な映画人を魅了したが、あまりにも行き当たりばったりすぎたので、計画はとん挫した。これが音楽ならば無理やり強行することもできたのかもしれないが、映画は関わる人の数と費やすお金が桁違いで、一人や二人説得したぐらいではどうにもならなかった。

 そして、マクラーレンが実は事務能力に欠けているということに気付いた映画人たちは、次々と彼のもとを去った。ほとんどが喧嘩別れだ。こうしてマクラーレンは再び音楽の世界に戻り、ロックとオペラを融合するといったコンセプトをでっち上げたりしたが、流行の最先端に戻ることは不可能だった。

 マクラーレンは行動の結果だけ見ると、「詐欺師」のように見える。しかし、彼は本物の「詐欺師」と違い、綿密な計算をしていたわけではない。すべては彼の幼稚な性格と金儲けに対する嗅覚が、くっついたことに起因している。彼は「詐欺師」としてはあまりにも子供すぎた。だから、信用を失うことと人を魅了することが、表裏一体となっていたのだ。

 マクラーレンが我々に言いたかったこと。それは「混乱はカネになる」ということだけだ。

 

セックス・ピストルズを操った男―マルコム・マクラーレンのねじけた人生

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