J・D・サリンジャー 『ハプワース16、1924年』
サリンジャーが雑誌などに発表した短編小説の中には、本人が後に単行本化するのを拒否したため、封印状態になったものがいくつかある。例えば、『ライ麦畑でつかまえて』の原型となった、「マディソン・アヴェニューのはずれでのささいな抵抗」や「ぼくはちょっとおかしい」などがそうだ。そして、封印されたもののなかでも、一番物議をかもしたのが、1965年、ニューヨーカーに掲載された中編小説「ハプワース16、1924年」だろう。
「ハプワース」はサリンジャーにとって6年ぶりの新作で、掲載紙であるニューヨーカーも、サリンジャーの小説と広告以外は何も載せないという特別扱いをし、その重要性を強調した。しかし、その評判はどうかというと、酷評か黙殺だった。以後サリンジャーは、2010年に死亡するまで、二度と小説を発表しなかった。
ただし、一度だけ、幻の作品となっていた「ハプワース」が単行本化されそうになったことがある。地方でオーキシズ・プレスという小さな出版社を経営していた、ロジャー・ラスベリーという大学教授が、1988年、サリンジャーに「ハプワース」を書籍化させてくれないかと直接手紙で頼んだのだ。サリンジャーはその手紙に対し「考えておくよ」と返事を出し、それから8年も経ってから、承諾した。ラスベリーはサリンジャーと何度も打ち合わせをしたが、結局、計画は頓挫した。この原因については、色々言われているが、デイヴィッド・シールズは『サリンジャー』(角川書店、2015年)の中で、次のようにまとめている。
ラスベリーによれば、彼が意図せず信頼を裏切ってしまったためにサリンジャーとの連絡を絶たれたというが(筆者注:ラスベリーが「ハプワース」の出版計画をある小さな雑誌に漏らしてしまったこと)、それはサリンジャーがカクタニの批評に傷つけられた感情をごまかすための建前にすぎないと考えるのが妥当なのではないだろうか? もしかすると、サリンジャーはこの先あり得るグラス家の物語群の出版に向けて様子見をしていたのであり、「記録としての新聞(Newspaper of record)」が「反対」の立場に大きく傾いていたために撤退したのかもしれない。
カクタニによる批評とは、「ハプワース」出版の噂が流れた1997年に、ニューヨーク・タイムズに載ったもので、カクタニは当時のニューヨーカーに掲載されたテクストを読んだのだが、その評価は酷評だった。もっともカクタニは辛口の批評家として有名であり、サリンジャーだけが特別批判されていたわけではないのだが、本人からしてみれば決定的なものだったのかもしれない。何しろ、30年以上の時を経てからの再批判であり、ニューヨーク・タイムズという影響力のある新聞に掲載されたのだから。
さて、アメリカ本国では、複雑な経緯を辿った「ハプワース」だが、日本では1977年に、荒地出版社からサリンジャー選集の別巻として出版され、その後も、東京白川書院が翻訳を出した。また、「ハプワース」以外にも、単行本化されていない短編が、その二つの出版社からほとんど翻訳されており、一時期は日本人の方がサリンジャーの幻の著作を簡単に読めたのではないか。
俺がサリンジャーに触れたのは、中学三年生の時で、読んだのは村上春樹訳の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』だった。母に勧められたからというのが、そのきっかけだったが、この小説の入門の仕方としてはあまりにダサすぎると自分でも思う。それはともかく、実際に読んでみると、そこで使われていた文体の新鮮さと、主人公の反抗的な態度に、学校や周囲の状況に不満を持っていた当時の俺は、簡単にはまってしまい、英語で自分の好きなものを発表するという授業で、野崎訳の『ライ麦畑でつかまえて』を紹介したりもした(野崎訳の方が、言葉遣いが古い分、逆に渋いと思っていた)。それから、『ナイン・ストーリーズ』と『フラニーとズーイ』を読んだが、こちらはあまりよくわからず、『大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章』や「ハプワース」には手をつけないままサリンジャー熱は自然に収まった。しかし、サリンジャーがきっかけで、アメリカ文学に興味を持ち、大学に進学した際も、英米文学科を選択したのだから、人生の進路に大きな影響を与えられたわけだ。
ただ、大学に進学して以降、サリンジャー的な思想とはどんどん遠ざかることになった。それまでの俺は、中高一貫の男子校という、教師から「ビニールハウス」と揶揄されるぐらい、温い環境で6年間過ごしてきたので、他人からの評価というものを避け続けることができたが、大学に入って「異性の目」に晒された時、自分がいかに女にもてない、魅力のない人間であるかということを骨の髄まで実感させられ、それが現在に至るまでの長い悩みになっている。むろん、サリンジャーの小説において、こんな形而下的な苦悩は描かれるはずもない。つまり、サリンジャーの世界に共感できるような立場ではなくなってしまったのだ。
それでも、腐れ縁のような感じで、主要な作品には目を通しておこうと、未読だった『大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章』(新潮文庫)を数年前に読んでみたが、やはりサリンジャーと自分の間にある深い溝ばかりが意識させられただけだった。
そして、去年、新潮社から「ハプワース」の新訳が出た。以前、荒地出版社版『ハプワース』を読もうとしたこともあったのだが、出だしから「四時間前」を「四年前」に誤訳(誤植?)していて、それ以上読み進める気にならず、今度の新訳は再チャレンジへのちょうど良い機会だと考え手に取った。
「ハプワース」は、サリンジャーのライフワークとなるはずだった、「グラス・サーガ」の一部で、主人公はグラス家の長男シーモアである。そのシーモアが7歳の時に、キャンプ場から送ってきた手紙が、「ハプワース」の中身なのだが、実際にそれを読んでみて、どうしてこの作品が様々な批判に晒されたのかよくわかった。
身も蓋もないことを言えば、その手紙の内容がまったく7歳のそれに見えない。言葉の調子だけは、子供らしさを装っているが、中身は完全に大人である(特に、手紙の後半で、ジェイン・オースティンやディケンズ、ヒンドゥー教の指導者について語るところなど)。これを発表した時のサリンジャーは46歳になっていたが、中年の男が7歳児の仮面を被って、自分の思想を照れることなく開陳したのかと思うと、うすら寒くなる。
また、この小説にはほとんど筋がない。サリンジャー本人が自分は短編作家だと自覚していたように、彼はそもそも複雑なプロットを組み立てるのが苦手である。『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読めば、それがいくつかの短編小説の繋がりのように出来ていることがわかるはずだ。そして、彼の小説は段々と「物語」的なものから離れていった。無論、それが必ずしも悪いというわけではないが、サリンジャーの場合、素材をそのまま放り出しているという感じで、読ませるための加工・工夫がまったくなされていないのだ。その傾向は、「シーモア-序章」で著しくなり、「ハプワース」で頂点を極めた。「ハプワース」では、語り手であるシーモアが、ホールデンに負けず劣らず喋りまくる。それがあまりにも辛辣かつ一本調子なので、読者としては辟易せざるをえない。特にひどいのが、脚をけがしたシーモアが、ミス・カルゲリーという看護婦に治療をしてもらう場面。
笑っちゃいそうなほど粗末だけど、清潔といえなくもない診療所で、ミス・カルゲリーが傷を消毒して包帯を巻いてくれた。ミス・カルゲリーは資格を持った若い看護師で、年齢はわからないけれど、魅力的でもないいし、かわいくもない。ただ、こざっぱりして、スタイルがいい。キャンプの指導員全員、あと上級クラスの何人かが、大学にもどるまえに肉体関係を持とうと頑張っている。よくある話だ。彼女はとても口数が少なく、健全な判断を自分で考えつく資質も能力もない。そしていろんな表情を浮かべてみせるけど、このキャンプ場では自分以外に男性の相手ができそうな美人はいないと勘違いをして興奮している。ミセス・ハッピーは数に入らないからね。診療所では落ち着いていて、控えめで、受け答えはてきぱきしているので、面倒な状況でもあわてないようにみえる。だけど、それは悲しいほどうわべだけで、実際にしゃべる内容は最低。たぶん、頭を置き忘れて生まれてきたんだと思う(金原瑞人訳)。
サリンジャーは、シーモアを魅力的で天才的な思考を持つ人間に仕立て上げようとしているようなのだが、怪我の治療をしてくれた人に対し、必要以上に残酷な評価を下す7歳児に、我々はどんな反応をすればいいのだろうか? また、「バナナフィッシュにうってつけの日」では、シーモアの内面を謎に包むことでその作品の魅力を作り上げていたのに、それをこんな風に露出してしまうのは、蛇足でしかないだろう。
つまるところ、「ハプワース」は、サリンジャーという作家の欠点が、もろに現れてしまっている作品なのだが、そのことが逆に、自分がなぜサリンジャーから離れて行ったのかということもよくわかった。
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』にせよ、「ハプワース」にせよ、そこにはある種の選民思想がある。ホールデンやシーモアは、他人を徹底的に批評はするが、他人から彼らの実存を脅かすような批判を受けることはなく、申し訳程度の自虐があるだけ。しかも、彼らには、自分の存在を、無条件で受け入れてくれる「身内」が存在している。この他者性の不在が、サリンジャーの小説に、選民思想を浮かび上がらせてしまうのだ。
中高時代の俺がなぜサリンジャーの小説に共感できたのかといえば、根拠のない自信と現実感のなさに由来する、「俺はあいつらと違うんだ」という選民思想を強く持っていたからだ。しかし、年をとってくるにつれ、自分の能力にもある程度見極めがつき、また、就活や仕事などで他人からの評価も避けられないとあれば、その種の選民思想は自然と消えていくというか、落ち着いていく。
選民思想の裏には「エゴ」の問題がある。「俺はあいつらと違う」と感じるのは、「あいつら」のエゴを感じ取っているからであり、そのことによって、自分自身の「エゴ」にも敏感になっている。だから、フラニーやホールデンは作中で苦しんでいるのだし、シーモアが「バナナフィッシュにうってつけの日」で突然の自殺をしたのも、「エゴ」が原因だと考えられる。小谷野敦は、「サリンジャーを正しく葬り去ること」(『聖母のいない国』所収)の中で、それらのことについて指摘しており、サリンジャーが結局は「エゴ」についての考察が不十分なまま沈黙してしまったと書いている。
小説家サリンジャーにとって、隠遁生活は本当に正しかったのだろうか? むしろ、それは問題の本質から目をそらす結果になったのではないか? あまりにも自分の世界にこもりすぎたため、小説をコントロールする術を失ったように俺には見える。
サリンジャーの伝記などを読んでいて悲しくなるのは、彼がいつまでも10代や20代前半の女の子にしか興味を持てなかった点だ。ピーターパン症候群じゃないけれど、本当に成長を止めてしまったかのような感覚を覚えてしまう。サリンジャーの娘、マーガレット・A・サリンジャーの『我が父サリンジャー』には、49歳のサリンジャーが、当時文通していた10代のイギリス人少女に会いに、わざわざイギリスまで旅行した時のことが書かれているが、自身のこうした執着に向き合うことができていれば、「エゴ」に関しても、別の考察が出来たように思えるのだが、そうした「恥」を晒すような真似は決してできなかったのだろう。
- 作者: デイヴィッド・シールズ,シェーン・サレルノ,坪野圭介,樋口武志
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川書店
- 発売日: 2015/06/09
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キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)
- 作者: J.D.サリンジャー,J.D. Salinger,村上春樹
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このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる/ハプワース16、1924年 (新潮モダン・クラシックス)
- 作者: J・D・サリンジャー,金原瑞人
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聖母のいない国―The North American Novel (河出文庫)
- 作者: 小谷野敦
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- 作者: マーガレット・A.サリンジャー,Margaret A. Salinger,亀井よし子
- 出版社/メーカー: 新潮社
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板東英二 『プロ野球 知らなきゃ損する』
野球選手も人間である。人間であるからには、金・女・嫉妬といった俗世間のしがらみから簡単に逃れることはできない。いや、むしろ彼らはそういったものに、人一倍敏感にならざるをえない環境に身を置いているとも言える。オフシーズンになれば年俸が話題になるし、ドラフトでは自分のポジションを奪うかもしれないライバルが入ってくるし、なまじ体力があるから女との付き合いも派手だったりする。しかし、そういったことは、中々選手本人の口から語られることはない。
板東英二の『プロ野球 知らなきゃ損する』は、野球界を「欲望」の観点から眺めた著書である。この本が出たのは1984年だが、この時板東は売れっ子のタレントで、コーチや監督といった球界のインサイダーとなる道を完全に断っていたから、こういう本が書けたのだろう。逆にいえば、将来監督やコーチになろうと考えているなら、思い切ったことを言うのは難しくなる。
文章は板東の関西弁をもとにしているので、読みやすく、ポップである。また、常に身も蓋もなく、球界の建前をぶった切る姿勢はある種痛快で、常識が次々とひっくり返っていく。
俺が、「へえ」と思ったのは、例えば元巨人の中畑清が、「こんなに神経質で、デリケートな男はおりまへんで」という件。確かに、ただの剽軽者だったら、日本プロ野球選手会の初代選手会長に選ばれることはないだろう。あの派手なパフォーマンスは、気配りが行き過ぎたうえでの行為らしく、根っこのところは暗いとか。
さらに、選手がデッドボールを食らった時の監督の本音。
主力選手がデッドボールをくらう。ベンチからバッターボックスへ、ひた走る間に監督はこう考えます。
〈あのバカたれが、あんなタマもようよけんと、当たってしまいよった。あの様子じゃ、一週間くらいはあかんやろ。ここであいつを使えんのは痛いなあ。負けがこんだらどないすんねん。ホンマにドアホ! けど、オーナーにあいつがいてへんから負けました。私のサイ配のせいやおまへん。私のサイ配は完璧です、わかっておくんなはれ、とも言えんし……〉
まあ、こんなとこやと思いますわ。けど、倒れてる選手のそばにいったら、胸のうちを正直にいうことはありません。
「大丈夫か? 痛いことないか?(ホンマによけられんかったんかいな)」
「無理せんと、休んどいたらええ(無理しでも出えよ)㊟()は本音です。
プロ野球は監督も選手も個人事業主です。そやから、かわいいのは自分ひとり。当たった選手の心配を誰がしますかいな。監督の頭の中は、その選手がおらんようになったときの戦力のことだけですわ。そのために負けがこんだときの、自分のクビだけが唯一最大の関心事なんですわ。
今年で引退した巨人の杉内が引退会見で「心から後輩を応援するようになった。勝負師として、違うかなと感じました」と言った。板東の本にも同じようなことがもっとどぎつく書いてあって、ベテランはライバルとなる若手を潰すために、あえておだてて、彼らが無理をするようにしむけるとか。だから、「他人の意見をきかん、好意(?)を無にする、生意気……。これでないと一流にはなれへん」という。それでも若手に抜き去られたベテランは、「監督にベタッとくっつく」き、将来の安定を確保しようとするとか。とにかく、野球選手からすると後輩というのは、ライバル以外の何物でもないのだ。
他に、選手にバカにされる監督の条件とか、金田批判とか色々面白かった。生身の野球選手を知りたい人にはオススメの一冊である。
いいね!5未満の男によるペアーズ印象記
吉原真理の『ドット・コム・ラヴァーズ』を読んだ。だいぶ前からいつか読もうと思ってタイミングを逃し続けてきたのだが、数か月前から自分がペアーズをやるようになったので、ちょうど良い機会だと思い、手を伸ばした。
『ドット・コム・ラヴァーズ』は、アメリカ文化やジェンダーについての研究者である吉原真理が、2003年にアメリカのオンライン・デーティング・サイト、マッチドットコムを利用した時の体験記だ。吉原によれば、アメリカでは2000年を過ぎた頃から、ネットを通して恋人を探す人々が増え始め、この本が出た2008年にはもう「年齢・職業・人種・地域を越えて、アメリカ主流文化の普通の一部となって」いたという。
ネットを通じた出会いが胡散臭く見られていたのは、アメリカも日本も変わらないが、市民権を得たのはアメリカの方が圧倒的に早かった。日本だと、オンライン・デーティングが、交際相手を探す際の手段として認められ始めたのは、スマートフォンが普及してからだろう。それまでは、ネットのデート・サイトというのは、「出会い系」と総称されてて、かなり怪しまれていた。だから、俺の登録しているペアーズなんかも、「マッチング・アプリ」と称し、アングラ臭をどうにか消そうとしているのだ。
しかし、吉原の体験から15年近く経っているわけだが、全然今と変わらないなあ、というのが本を読んだ時の俺の感想。国も違うのに、「ネット」「出会い」「恋愛」が揃うと、人間の考えや行動がだいたい同じものになるようだ。その行動・思考について、自分の経験も踏まえつつ、思いついた順につらつらと書いてみたい。
そもそもプロフィールを書くのは難しい
俺のような売りが全然ないオタク顔・低年収マンが、魅力的なプロフィールを作るのは、ラクダが針の穴を通るよりも難しい。ちなみに、ペアーズの年収欄は、選択できる項目が、200~400という(多分、わざと)アバウトな作りになっているので、多少の誤魔化しがきくようにはなっている(こんなこと書いたら、俺がどこの層に属しているかばれるけど)。一度、男のプロフィールを見たことがあるが、600~800がずらりと並んでいて、思わず目をつぶった。
また、性格・タイプとか社交性、酒を飲む頻度などを選択肢から色々選べるようになっているのだが、性格を「インドア」、社交性を「一人が好き」、酒を「飲まない」にしたら、完全な引きこもり人間が出来上がってしまい、これじゃいかんと思って、慌てて、社交性を「少人数が好き」に直したが(一瞬、飲酒についても「時々飲む」にしてみたが、止めた)、性格に関しては自分で「思いやりがある」とか「謙虚」とか「誠実」とか言うのが恥ずかしくて、結局「穏やか」しか追加していない。だけど、確実に言えることは、自分から「謙虚」なんて選んでる奴は、謙虚じゃないということだ。
性格では他に、「奥手」とか「マイペース」とかあるのだけど、「奥手」な男なんて犬も食わないので当てはまっていても選択しなかった。「マイペース」は、「わがまま」の言い換えのような感じがしてこれも選ばず。もしかしたら、俺が気にしすぎなのかもしれないが、減点対象になるようなことはなるべく避けたいのだ。ただ、男の場合は減点でも、女の場合はそうでもない、というケースもあるだろう。
プロフィールをきちんと読まない男が多い
吉原はサイトに登録した際、相手に求める条件の一つとして「トニ・モリソンを知っていること」と書いたのだが、全然それを読まないでメッセージを送ってくる男がめちゃくちゃ一杯いたらしい。
これはペアーズでも同じで、とにかく手当たり次第に「いいね」を押す男が存在する。俺の友達も、そんな「数撃ちゃ当たる」戦法でやっていたが、相性とかよりも、とにかく「出会うこと」の方が先行していて、それで実際出会えたとしても共通項が少ないならば、よほど女慣れしている男じゃないと上手くいかないんじゃないかとも思う。ただ、マッチング・アプリというのは基本的に男が積極的に動かなければどうにもならないし、複数の人間とやり取りすることが(男女問わず)結構当たり前らしいので、「数撃ちゃ当たる」戦法は理にかなっているのかもしれない。一人に絞ると、駄目だった時のダメージは必然的にでかくなる。
俺は逆に、女のプロフィールや入っているコミュニティを熟読玩味しすぎて、他の男たちのように気軽に「いいね」が押せない。「あー、このコミュに入ってるのかぁ。う~ん」みたいな。あと、複数の女に同時に「いいね」することもできない。万が一両方とマッチングしてしまった場合、二人同時に相手にするのは、体力とか罪悪感などの面から厳しいからだ。だから、俺は山のように「イイネ」が余っていて、やろうと思えば現時点で200人以上の女に「イイネ」が押せる。にっちもさっちもいかなくなったら、全ての「イイネ」をばらまいて爆裂四散しようかと考えている。
しかし、女のプロフィールを眺めるのは単純に面白い。「〇〇が好きな女って、こんな感じなんだ」というのがよくわかるから。ペアーズは異性の情報しか見られないから推測なのだけれど、例えばマイナーな芸術系のコミュニティの場合、男はヘビーなオタクで、女はライトなファンといった感じに分断されていると思う。女は風変わりなマイナー・コミュニティに入っていても、プロフィールを見る限り社会性が高そうだが、男は社会不適合者が多いんじゃないか(自分含め)。だから、俺は中々マッチングしないのか?
建前といいね数
やっぱり、人間というのは「プライド」があるので、自発的にマッチング・アプリをインストールしたとしても、そのことは隠しておきたいものである。そのため、プロフィール欄には、「職場では出会いがない」とか「友達にすすめられた」とか「フェイスブックの広告で知った」といったような受け身の文言が踊ることになる。これは20代に多いが、「ゆるくやっている」と書き、余裕を見せようとする人もいる。また、多くの人が、始めたばかりであることを強調し、「初心者です」とプロフィールに書く。とにかく、自分は「モテないわけではない」し「出会いに飢えているわけでもない」ということを、ところどころに滲ませる女が多い。多分、男もそんな感じなんだろう。
しかし、実際は期待が大きすぎて長期会員になってしまう人間も少なくない(ちなみに、俺が長期会員になっているのは単純にモテないからである)。何しろ、常に新規会員が現れるわけだから、そっちの方も気になってしまう。新規登録した女に対する、男の群がり方は尋常ではない。普通程度の容姿でも、すぐに三ケタ「いいね」がついたりする。
女の被・「いいね」数は、人並みの容姿で、だいたい50~80ぐらいだと思う。あまり容姿に優れていなくても、最低20前後は「いいね」がつく。逆に、男はその5分の1ぐらいか。中にはなんでこんなに「いいね」がついているんだろうと思う女もいるが、謎である。ただ、500以上の「いいね」を貰っていて、特に容姿も良くない場合、それは足跡を付けまくって稼いでいる可能性が高い。俺のところにも全然接点がないのに、何度も足跡をつけてくる女がいて、そういうのはプロフィールを見るとだいたい被・いいねが500を超えているから、「あ、いいね稼ぎか」と思って非表示にしている。こんなところで人気者になってもしょうがないと思うのだが。
短期間しか関係が続かない
まあ、やっぱり「リアル」の関係じゃないから、切るのも切られるのもあっという間ということが多い(ようだ)。吉原の本にも、デートはしたけどすぐにフェイドアウトしたこととか、そもそも待ち合わせ場所に相手が来なかったことなどが書いてある。俺は初めてマッチングした女の子に、どんなメッセージを送って仲を深めればいいんだろうと考えているうちに、一ヶ月以上経ってしまったことがあった。当然、それで終りである。
一度、女の子の方から俺に「いいね」を押してきたことがあった。ペアーズを始めてから三ヶ月目ぐらいの時で、それが俺にとって初めての初・被「いいね」だったから、天にも昇る気持ちで即「イイネ」を返し、メッセージを送ったら、まったく音沙汰がない。彼女のアカウントを見ると、俺に「いいね」をした日から、一度もログインしないまま今日に至っている。多分、俺に「いいね」をした日に、死んだんだろう。
男が入りにくいコミュニティ
マッチング・アプリというのは、前述したように、男が能動的に動く必要がある。なぜなら、女の数が男よりも圧倒的に少ないからだ。それで、一人の女に何人もの男が群がるものだから、必然的に女も待ちの姿勢になるというか、「選ぶ」側として振る舞うことになる。そういう状況下で、女はともかく、男がネガティブなコミュニティに入るのは悪手だと思うのだが、意外に「恋愛経験が少ない」というコミュニティに入っている男が多いにはびっくりした。20代前半、もしくはよほどのイケメンじゃない限り、男がこんなコミュニティに入っていても意味がないんじゃないか? このコミュニティは、「私は軽い人間ではありません」という主張をするためのものなんだから、そこらへんの男が入っていても、「そりゃそうだろ」という感想しか抱かれない気がするのだが。
あと、俺が入りにくいと思うのは、「実はオタク」というコミュニティ。俺自身、どこからどう見ても、オタクにしか見えないから。
コミュニティについて言及したついでに書いておくと、既に「レディオヘッド」のコミュニティがあるのに「Radiohead」というまったく同じコミュニティを作る人は何を考えているんですかね? 一番おかしいのは菊地成孔のコミュニティが「菊地成孔」と「菊池成孔」に分かれていることで、「池」の方に入っている人は注意力が足らないと思う。確かツイッターのネタだったと思うが、菊地成孔という字は全部アナルを連想させる、という覚え方をすると今後間違うことはないだろう。
モテないという負のスパイラル
あらゆる人間にモテたいとは全然思わないけれど、まったく「いいね」がつかないと、必然的にヤバい人にしか見えなくなる。今のところ自分は三ヶ月以上「いいね!5未満」という表示が出続けているのだけれど、常識的に考えてそんな会員と付き合おうと思う女がいるのだろうか? 「こいつ誰もいいね!してないから、近づかんとこ」。そう考えるのが人間というものじゃないのか? 逆に、「いいね!」が多い人は、雪だるま式に増えていくはずだ。こうして恋愛格差は今日も広がっていくのである。
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みにくいアヒルの子症候群
本屋にいくのがつらい。本屋に行くと、自分と同世代、もしくは年下のライターとか作家とかミュージシャンとかが華々しく活躍しているのが嫌でも目に入るからだ。そして、いつまでもくすぶっている自分が悲しくなってくる。誰かの書評とか読んで、「俺の方がもっと上手く書けるんじゃないか」なんて思ったりすると、余計に惨めさは加速する。理想としている自分と、現実の自分に大きな齟齬があるから、こういった負の感情が生まれてくるのだ。
アンデルセンに「みにくいアヒルの子」という童話がある。誰もが知っている有名な話だが、「物事の表面しか見れない人々への批判」というのが、一般的な感想じゃないだろうか。つまり、読者の焦点としては、アヒルそのものよりは、アヒルを取り巻く環境に向けられている。特に教育の現場では、「変わった子をいじめるのは止めよう」という教訓を読み取ることが、主眼とされているだろう。そこでは、「アヒル」が「白鳥」になることの必然性について疑われることはない。なぜなら、これは「童話」だからだ。
しかし、ここであえて「アヒル」に、また「アヒル」を「白鳥」にしたアンデルセン本人について注目すると、また別の物が見えてくる。
「自閉症」・「アスペルガー症候群」という観点から小説家たちを分析した、ジュリー・ブラウンの『作家たちの秘密』という本に、アンデルセンが取り上げられているのだが、ブラウンは、アンデルセン本人が「みにくいアヒルの子」は自伝的だと言ったことに注目し、「運命をまっとうして美しい白鳥となったアヒルの勝利が、アンデルセンが作家として成功し、ほかのライバルたちに打ち勝ったことの対比になっていることは明白に見てとれます」と書いている。つまり、「みにくいアヒルの子」とは、かつて自分のことを見下していた人々や社会への、ささやかな復讐だったというのだ。だが、アンデルセンはその復讐心を巧みに隠したから、「みにくいアヒルの子」は世界的に受け入れられた。
さて、アンデルセンは、「みにくいアヒルの子」の最後の方で、「自分が白鳥の卵からかえったのであるならば、農家の庭の隅っこのアヒルの巣で生まれようが生まれまいが、ものの数ではなかった」(荒俣宏訳)と書いている。これは驚くべきことだろう。なぜなら、アヒルという生き物・生き方を全否定しているからだ。「育ち」ではなく「血筋」を絶対視しているこの文は、「アヒルの子」に同情してきた読者の梯子を外すものでしかない。しかし、実際は、読者の多くがこの点については見過ごして来たのではないだろうか。俺も、大人になって再読するまで気付かなかった。それは、アンデルセンが、最後まで、「アヒルの子」という三人称を捨てずに使っているからでもある。
「はだかの王様」を書いているから、アンデルセンは貴族という存在に対し反発しているのだろうと思うかもしれないが、ジャッキー・ヴォルシュレガーの『アンデルセン ある語り手の生涯』を読むと、真逆の人間だったことがわかる。貧しい家庭に生まれたアンデルセンは、王族や貴族、上流階級に憧れ続け、彼らと交際できることを何よりも喜んだ。その様子があまりにもピエロ的だったので、詩人のハイネは、「外見には、王侯に気にいられる卑屈な自信のなさがただよっていた。王侯が考える詩人像そのものだ」と皮肉った。
つまるところ、「白鳥」とは「貴族」のことであって、「大きな白鳥たちは、この新しい仲間のまわりをぐるりと泳ぎ、くちばしで首をなで、歓迎してくれた」とは、貴族に受け入れられたアンデルセンそのものである。しかし、「アヒルの子」として育った「白鳥」は、「これまで自分がいかにみにくさのために迫害され、軽蔑されてきたか」ということを忘れることができない。他人の眼には「白鳥」に映っても、「アヒルの子」としてのアイデンティティを完全に捨て去ることができない彼は、子どもたちから「新しい白鳥、どれよりも美しいぞ!」と褒められても、「こんなときにどうふるまったらよいか、わからない」のだ。
ここまで、アンデルセンとアヒルの子の類似性を指摘してきたが、違うところが一点ある。それは、アンデルセンが、アヒルの子と違い、最初から自分が白鳥であると信じていたことだ。アヒルの子が、自分は実は白鳥なのだと気付くのは、たまたま水面に映った自分の姿を見た時だが、アンデルセンは幼少期から野心家で、積極的に自分を売り込んでいた。しかし、生来の卑屈な性格から、生まれも育ちも白鳥の貴族たちに、終生負い目を感じ続けたようだ。結局、彼は、芸術家としては高いプライドを持ちながらも、社交においては、白鳥の仮面をつけたアヒルの子として、見世物になる道を選んだ。
「みにくいアヒルの子」には、自分のことを白鳥だと信じながらも、周囲から馬鹿にされ、アヒルの子として鬱屈しながら生きなければならなかった、下積み時代のアンデルセンの変身願望が反映されている。俺も含め、何者かになりたいと考える若者の多くが、このような「みにくいアヒルの子症候群」にかかっているのではないだろうか。
谷崎潤一郎の「異端者の悲しみ」は、「みにくいアヒルの子」をリアリズムで書いたような趣がある(谷崎とアンデルセンの性格は真逆だが)。大学に通いつつも進路の決まらない主人公、章三郎が「白鳥」の幻を見るところから始まるこの自伝的中編は、大きな野心とそれに見合わない悲惨な境遇を描いているのだが、「みにくいアヒルの子症候群」にかかっている人間が読むと、まるで自分の内面を見透かされているかのように思ってしまうだろう。例えば、次のような個所……。
同じ人間でありながら、自分はなぜこんな貧民に生まれて此世間のどん底を出発点としなければならなかったのか、自分はどうして運命の神からハンディキャップを附けられて居るのか、思えば思うほど章三郎は業が煮えてたまらなかった。それも自分が陋巷に生まれて陋巷に死するにふさわしい、頭脳の低い、趣味の乏しい無価値な人間ならば知らぬこと、かりにも最高の学府に教育を受けて、将に文学士の称号を得んとしつゝある有為の青年である。自分は蠢々として虫けらの如く生きて行く貧民の間に伍して、何等の自覚もなく其の日其の日を過していられる人間とは訳が違う。自分には偉大なる天才があり、非凡なる素質がある。たま/\その天才と素質とが、物質的の成功致富の道に拙くて、藝術的の方面にのみ秀でゝ居る為めに、いつまでも斯うやって逆境を抜け出る事が出来ないのである。(引用は、千葉俊二編『潤一郎ラビリンスⅢ 自画像』より)
俺は大学を卒業して、ぶらぶらしている時期があったので次のような場面を読むと、当時を思い出して胸が苦しくなる。
「二十五六にもなって、毎日学校を怠けてばかり居やあがって、一体手前はどうする気なんだ。……どうする気なんだってばよ!」
折々彼は、否応なしに父親の傍へ呼び付けられて、ねちねちと詰問されて、意見を聴かされる時がある。そんな場合に章三郎は、面と向かって据わったまゝ、いつ迄立っても返辞をしなかった。
「手前だってまさか子供じゃあねえんだから、ちッたあ考えがあるんだろう。え、おい、全体どう云う了見で、毎日ぶらぶら遊んで居るんだ。考えがあるなら其れを云って見ろ。」
こう云う調子で、親父はじりじりと膝を詰め寄せるが、二時間でも三時間でも章三郎は黙って控えて居る。
「考えがある事はあるけれど、説明したって分りゃしませんよ」
と彼は腹の中で呟くばかりで、決して口へ出そうとしない。そうかと云って、一時の気休めに出鱈目な文句を列べ、父親を安心させようと云う気も起らない。そんな気を起こす餘裕がない程、彼の心は惨憺たる感情に充たされるのである。
「自分の体なんぞどうにでもなるがいゝ。己には親も友達もないんだ。」
そう思っては見るものゝ、彼にはやっぱり自分を生んだ親の家が、よしやどれ程むさくろしくとも、どれ程不愉快に充ち充ちて居ても、最後の落ち着き場所であった。自分の生まれた土を慕い、自分の育った家を恋うる盲目的な本能が、常に心の何処か知らに潜んで居て、漂泊の門出に勇む血気を怯ませた。
「異端者の悲しみ」が、谷崎の作品の中であまり人気がないのは、あまりにもリアルすぎるからだろう。しかし、ラストで、主人公の章三郎は、作品が認められ文壇への第一歩を踏み出す。彼もまた、アヒルの子から白鳥へと変身を遂げるのだ。
アンデルセンにせよ、谷崎せよ、こういった作品を書いたのは、作家として十分に社会的地位を築いてからだった。成功したからこそ、当時の自分を客観視することができ、かつポジティブな方向へ作品を向かわせることができた。逆に言えば、誰からも認められないうちは、「みにくいアヒルの子症候群」から抜け出すのは不可能ということなのかもしれない。
ヘンリー・ミラーは30歳を超えても芽が出ずくすぶっていたが、そんな時、自分よりも若いドス・パソスとかがもてはやされるのを見て、ひどい劣等感に苛まれたそうだ。ミラーがそんな感情から逃れることができたのは、パリに移住してからで、比較する相手が身近から消えたことによるものだろう。その時、ミラーは40近かったが。
野坂昭如の『マスコミ漂流記』には、誰が何歳でデビューしたとか代表作を書いたとか、そういことを気にする場面があって、これも痛いほどよくわかった。俺も最初は比較対象が、大江・石原・村上龍だったのに、どんどん目標値の修正をせまられ、「ヘンリー・ミラーは43歳で『北回帰線』を出した」とか、そういうことに慰められるはめになっている。
俺は、あと何年「みにくいアヒルの子」として生き続けなければならないのだろうか。
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三島由紀夫が旅行記に書かなかったこと
先月、「右翼」の三島由紀夫が初の岩波文庫入りということで、話題になった(まあ、海外の著者なら、既にエドマンド・バークとかも入っているが)。中身が旅行記だったので、特に興味もなかったが、水声社のヘンリー・ミラー・コレクション『対話・インタヴュー集成』に収められた、米谷ふみ子の「ミラー、メイラー会談傍聴記」(初出は『文學界』1985年10月号)を読んで、考えが変わった。
1976年、ノーマン・メイラーは『天才と肉欲』という本を出した。中身は、ヘンリー・ミラーの小説・エッセイの長い抜粋と、メイラー自身による解説を付けたもので、「会談」はその本の出版を記念して、NBCテレビ「トゥデイ・ショウ」が企画したものだった*1。米谷は、夫が「トゥデイ・ショウ」のインタビュアーと知り合いで、ミラー・メイラー対談の企画のアドバイスをしたことから、当日のそれに参加する機会を得たのだった。
対談では、ミラーがメイラーの本をきちんと読んだことがないと告白していて面白い。ミラーはメイラーの文章が難しすぎると言っているのだが、確か『回想するヘンリー・ミラー』の中でも、同じようなことを言っていた。ミラーの言を受けて、後輩モードだったメイラーも「ヘンリーのも単純な文章で書いたのは好きですが、ややこしくなると嫌になります。『マルーシの巨像』は性描写の所は好きだが他は好きじゃありません」と反撃している。実際、『天才と肉欲』の中でも、『マルーシの巨像』については批判的で、文壇受けを狙ってわざと上品に書いたのだろうと、難しいレトリックを使いながら回りくどく叙述している。
対談の録画が終り雑談に入った時、谷崎の話題になって、日本人繋がりで三島にも話が及ぶのだが、ミラーはドイツで三島と会ったことがあるらしい。また、メイラーも三島と会ったことがあるらしく、「三島がうちにやって来たのは、ちょうど僕達の結婚がうまく行っていなかった時なんだ。どう彼を扱っていいのか判らなかったね。彼はただゲラゲラ笑っていたのでね」と語っている。
そこで、三島の旅行記にミラーやメイラーと会った時のことが書いてないか確かめようと思い(特にメイラーについて)、とりあえず例の岩波から出た『三島由紀夫紀行文集』とちくま文庫の『外遊日記』などを読んでみたが、残念ながらミラーやメイラーのことに触れている文章はなかった。余談だが、『源泉の感情』に収録されている安部公房との対談で三島は、メイラーやミラーの饒舌さについて苦言を呈している。
松本徹編『年表作家読本 三島由紀夫』を見ると、三島がアメリカを訪問したのは、1952年、1957年、1960年、1961年、1964年、1965年の計5回。メイラーの「僕達の結婚」という発言が、63年に結婚、80年に離婚したビバリー・ベントリーとのことを指しているなら、64年か65年が対面の時期ではないか。三島が65年に訪米した理由は、『午後の曳航』のプロモ活動のためで、この時ニューヨークで大江健三郎とも会っている(ジョン・ネイスン『三島由紀夫 ある評伝』)。
旅行記を諦め、メイラーについて語っている文章の中に、出会いのことが書いてないかと思って探したら、『ぼく自身のための広告』の書評の中に簡単に見つかった。
余談ながら、わたしはニューヨークでメイラーに会ったことがあり、その機関銃のようなしゃべり方を、自ら「甲高くて、鋭くて、非常に早口で(中略)まるでヒットラーみたい」と評している(下巻一四一ページ)のには、微笑を禁じえなかった。
その後かれは、わたしの戯曲集に対する完膚なきまでの悪評をのせた「ヴィレッジ・ヴォイス」の切抜きを、ご親切にも、わざわざ送ってくれたりした。(引用は、虫明亜呂無編『三島由紀夫文学論集Ⅲ』より)
互いに、コミュニケーションをとれなかったのは相手のせいだとしているところが、自己中心的な二人の性格をよく表しているようで苦笑を禁じえない。しかし、この書評は、1963年に書かれたもので、俺の推測はどうやら間違っていたようだ。とすると、出会ったのはそれ以前となるが、61年はサンフランシスコのみの滞在なので除外するとして、多分、57年かもしれない(ということは、メイラーの言う「僕達の結婚」とは、54年に結婚し、62年に離婚したアデル・モラレスとのことか。メイラーはモラレスのことを60年にペンナイフで刺して、スキャンダルになっている)。三島の「わたしの戯曲集」とは、57年にクノップ社からドナルド・キーン訳で出版された『近代能楽集』のことだろう。ただ、「ヴィレッジ・ヴォイス」に掲載されたという書評は見つけられなかった。米谷のエッセイによると、メイラーは三島の本を読んだことがないということなので、執筆したのは別の人間と思われる。ちなみに、『近代能楽集』に収録された、「班女」、「葵上」は、60年にニューヨークで上演され、三島はそれを観ている。
三島とメイラーの交流は、初対面→『近代能楽集』の書評が「ヴィレッジ・ヴォイス」に掲載される→「ヴィレッジ・ヴォイス」が三島の元に送られる、という流れなので、出会いも書評も57年に起きた出来事だと考えるのが一番すっきりしているのではないか。57年のアメリカ滞在については『外遊日記』に収録されている「旅の絵本」において、その多くを語っているが、メイラーのことについて書いていないのは、あまり良い思い出ではなかったからか。
メイラーはミラーの『マルーシの巨像』について「あまりにもきれいごとすぎる」と書いたが、三島の旅行記についても同じような印象を持った。それは、表面を撫でて通り過ぎていくような感じで、高級な旅行パンフレットのようなのだ。『マルーシの巨像』はミラーが「性交の国」と手を切って書いたものだとメイラーは評したが、三島の旅行記も性的なことがまったく書かれていない。実際、三島はそういうことがあったのに、あえて書かなかったのだ。それを暴露したのが、ジェラルド・クラークの『カポーティ』である。
(前略)事実、三島とトルーマンには多くの共通点があった。二人ともほぼ同じ年頃で、ホモセクシュアルであり、早くに名声を得た。五七年の一月六日に、三島は彼とセシル(注:セシル・ビートン)を歌舞伎見物に連れて行き、それから楽屋で、主演の役者に引き合わせた。翌日の晩には料亭で二人をもてなし、紅灯の港を案内した。
ごく自然な友情のように見えた二人の関係だが、それ以上はあまり発展しなかった。三島がその年の夏にアメリカを訪問したが、そのあとで、トルーマンは日本で歓待した自分の恩義にむくいなかったとぼやいた。トルーマンはその非難は当たらないと言った。「ぼくは彼に親切にしてやった」と主張する。「彼は白人のでかいコックをしゃぶりたいと言ったんだ。(どうしてぼくにそういう斡旋ができるとみんなが考えるかわからない。なにも売春の取りもちの仕事をしているわけじゃないんだから──もっともそういう知り合いがたくさんいることは認めるけどね。)僕は一人の友人に電話をし、彼が三島と一緒に出かけたのは確かだ。ところが三島はお礼の電話もよこさなかったし、その男に代金も払わなかった」(中野圭二訳)
これも時期的には、「旅の絵本」と重なるのだが、そこにはカポーティの「カ」の字もない。三島は死ぬまで、自分がホモセクシュアルであることを公にはしなかったので、中には三島のゲイ的な要素はポーズだと考えていた人もいたようだ。
三島の旅行記は、このように書かれていないことがいくつかある。むしろ、書かれなかったことの方に本質があるような気がしてならない。
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作家の性癖
人が自分の性癖を意識するのは何歳ぐらいからだろうか*1。個人的な経験から言わせてもらえば、小学校にあがる前、大体五歳ぐらいの時には、変態的な「エロ」を認識していた(詳しくは「童貞と男の娘」を読んで欲しい)。頭で自分の性癖を理解していたというよりかは、本能的に「そこ」に向かっていたという感じ。それが、他人と異なる嗜好であることは何となくわかっていたが、変態的であるということまではわかっていなかったような気がする。きちんとそれを理解したのは、中学に入ってからだと思う。
男の作家の伝記を読んでいると、「性の目覚め」についてのエピソードが書いてあることが多い。それは作家自身が自ら語っているからだ。
まず、有名なのは三島由紀夫だろう。なにしろ、自伝的小説『仮面の告白』は、「性欲」が重要なテーマとなっているのだから。
坂を下りて来たのは一人の若者だった。肥桶を前後に荷い、汚れた手拭で鉢巻きをし、血色のよい美しい頬と輝く目をもち、足で重みを踏みわけながら坂を下りて来た。それは汚穢屋──糞尿汲取人──であった。彼は地下足袋を穿き、紺の股引を穿いていた。五歳の私は異常な注視でこの姿を見た。まだその意味とては定かではないが、或る力の最初の啓示、或る暗いふしぎな呼び声が私に呼びかけたのであった。(文中の傍点省略)
意味を理解していたわけではないけれど、五歳の頃には、はっきり「性の目覚め」を経験している。しかも、変態的な「それ」である。この後、六歳の時には、「白馬にまたがって剣をかざしているジャンヌ・ダルク」の絵、それから「兵隊たちの汗の匂い」や松旭斎天勝の舞台、「殺される王子」に、罪の意識を感じつつも、倒錯的な興奮を覚えていく。『仮面の告白』は小説だから、ジョン・ネイスンのように、「三島が自己自身のものとしている空想が、ほんとうに五歳だった当人の頭脳にあったかどうかはわからない」(『新版・三島由紀夫──ある評伝──』新潮社)ともとれるが、私自身の経験から言わせてもらえば、あり得ることだと思う。
他の作家を見てみると、谷崎潤一郎の場合、六歳の時、歌舞伎座で「東鏡拝賀巻」の「実朝の首が公暁に切り落とされるのを見て、エロティックな興奮を覚えたという」(小谷野敦『谷崎潤一郎伝 堂々たる人生』中央公論新社)。『武州公秘話』では、幼き日の武州公が、敵の首を洗い清める美女を見て、「恍惚郷に惹き入れられて、暫く我を忘れ」るシーンが描かれているが、「それがどう云う感情の発作であったかは、後になって理解したことで、当時の少年の頭では何も自覚していなかった」と書かれていて、やはり少年時代の「性」は後から言語化されるものらしい。
谷崎の変態性は有名すぎるほど有名で、女装を扱った「秘密」、女の鼻水がついたハンカチを舐める「悪魔」*2、それからマゾヒズムを描いた多くの小説がある。また、大宅壮一が「日本エロチック作家論」で指摘しているように脚フェチでもある。
彼は、全体としての女よりはその肉体の一部、特に足に対して非常な興味を感じる。彼と一緒に遊んだことのある私の友人も言つてゐたが、彼は女が来るとまづ第一に足を見て、気に入らなかつたら、早速帰つてしまふさうだ。彼が如何にそのエロチシズムの重心を足に置いてゐるかは、「富美子の足」といふ小説を見ればよくわかる。
谷崎の「足」賛歌は、 『瘋癲老人日記』まで続いていく。
江藤淳は『なつかしい本の話』で、七歳の頃、紀伊国屋文左衛門の歌を歌っていたら、それを聞いた女中が続きを歌い、その事になぜか「燃えるような羞恥の感情」を覚え、とっさに近くにあった火箸を彼女の手に押し付けた、というエピソードを書いている。その後、谷崎潤一郎の小説を読み、女の「弾ち切れんばかりに踝へ喰ひ込んだ白足袋」の興奮するようになって、家の女中の白足袋を盗むようになったという。小谷野はこれらの出来事を「小児性欲の変態的な現れ」と評している(『江藤淳と大江健三郎』)。江藤は小説家ではないが(小説を書いたことはある)、幼年時代に現れた変態的な性欲を忘れることはなかった。
フランスの文豪・ユゴーは若かりし頃、結婚に煮え切らない態度示す恋人アデールに対し、手紙で童貞であることを伝え、自分の一途さ、純粋さを熱烈にアピールしたことがあった。しかし、アデールとの結婚後、ロマン派の代表者として有名になるにつれて、女性関係もすこぶる派手になり、自分の絶倫っぷりを誇るようにもなった。ポール・ジョンソンのコラム「長寿明暗」(『ピカソなんかぶっとばせ』所収)にこんなエピソードが載っていた。
私(注:ポール・ジョンソン)が一九五〇年代初めにパリに住んでいたころ、ある老人がこんな話をしてくれた。四、五歳のころ、当時八十歳を超えていたヴィクトール・ユゴーに会ったそうだ。時は、真夏の朝六時前、場所は、とある古城。最上階の板張り廊下で、子供たちやメイドが眠っていた。少年は退屈してベッドを抜け出し、城を探検しようとして、ユゴーに出くわしたのだった。ユゴーは寝巻に裸足といったいでたちで、前の晩ディナーで目を付けた美人メイドの寝ているあたりを探してそろりそろりと歩き回っていた。カーテンのない蜘蛛の巣が張った窓に、日の光がさんさんと差し込んでいた。この髭面の老人は、まるで旧約聖書の預言者に見えたという。老人は少年の手をつかんで、自分の勃起したところにあてて、こう言った。
ほら、坊や。わしの年にしちゃこれは珍しいことなんだよ。詩人ヴ
ィクトール・ユゴーの体をつかんだんだ。そうきみの息子たちに自
慢していいよ。(鈴木淑美訳)
そんなユゴーだが、彼の性癖は、谷崎と同じく脚だった。その「目覚め」は五歳になる前のこと。当時ユゴーはモン・ブラン街の、ある学校に通っていた。朝、彼は学校の先生の娘であるローズ嬢の部屋に連れていかれ、朝寝坊だった彼女が身づくろいするのをよく目撃した。その時、彼女が「靴下をはくその姿をじっと見つめていた」という(『その生活に立ちあった人の物語ったヴィクトール・ユゴーの姿』。引用はアンドレ・モロワの『ヴィクトール・ユゴーの生涯』より)。
情欲の最初の衝動はあとあとまでも深い痕跡を残すものであり、人間は生涯を通じて、こうした感動をもう一度味わってみたいと思いつづけるものなのである。ヴィクトール・ユゴーが生涯女の脚だとか、女の白や黒の靴下だとか、女の裸の足だとか、こういった「素足の恋歌」につきまとわれることになるのもこのためであった。(『ヴィクトール・ユゴーの生涯』)
その後も、寄宿学校に入った頃、「ロザリー嬢のあとから階段を登りながら、この裁縫婦の脚をじっと眺めていた」など、脚の観察はずっと続いた。老人になっても女癖の悪かったユゴーだが、結婚するまでは、もっぱら「のぞき」専門だったようだ。そんなユゴーだが、モロワの言う通り、詩や小説の中でも、「脚」の描写にこだわっている。あの『レ・ミゼラブル』から、ちょっと長いが引用してみよう。マリユスがリュクサンブールの園で見かけたコゼットに片思いしてから、何度目かの出会いのシーン。
(前略)晩春の強い風が吹いて篠懸の木の梢を揺すっていた。父と娘とは互いに腕を組み合して、マリユスのベンチの前を通り過ぎた。マリユスはそのあとに立ち上がり、その後ろ姿を見送った。彼の心は狂わんばかりで、自然にそういう態度をしたらしかった。
何物よりも快活で、おそらく春の悪戯を役目としているらしい一陣の風が、突然吹いてきて、苗木栽培地から巻き上がり、道の上に吹き下ろして、ヴィリギリウスの歌う泉の神やテオクリトスの歌う野の神にもふさわしいみごとな渦巻きの中に娘を包み込み、イシスの神の長衣よりいっそう神聖な彼女の長衣を巻き上げ、ほとんど靴下留めの所までまくってしまった。何とも言えない美妙なかっこうの片脛が見えた。マリユスもそれを見た。彼は憤慨し立腹した。
娘はひどく当惑した様子で急いで長衣を引き下げた。それでも彼の憤りは止まなかった。──その道には彼のほか誰もいなかったのは事実である。しかしいつでもいないとは限らない。もしだれかいたら! あんなことが考えられようか。彼女が今したようなことは思ってもいやなことである。──ああしかし、それも彼女の知ったことではない。罪あるのはただ一つ、風ばかりだ。けれども、シュリバンの中にあるバルトロ的気質がぼんやり動きかけていたマリユスは、どうしても不満ならざるを得ないで、彼女の影に対してまで嫉妬を起こしていた。肉体に関する激しい異様な嫉妬の念が人の心のうちに目ざめ、不法にもひどく働きかけてくるのは、皆そういうふうにして初まるのである。その上、この嫉妬の念を外にしても、そのかわいらしい脛を見ることは、彼にとって少しも快いことではなかった。偶然出会う何でもない婦人の白い靴下を見せられる方が、彼にとってはまだしもいやでなかったろう。(豊島与志雄訳)
十九世紀のフランスで、長衣に隠れていた脛が見えるというのは、今でいうパンチラに近いものなのかもしれないが、ユゴーが「脚フェチ」であるということを考慮すると、この描写は味わい深く見えてくる。面白いのは、嫉妬の念にかられると、ラッキーなエロも、嬉しくなくなるということだ。その女を独占したいという強烈なエゴから、苦しみが生まれるのだろうし、周りが全てライバル(影までも!)に見えてくるから、気の休まる時がない。マリユスはユゴーがモデルのキャラクターだが、ユゴー本人もひどく嫉妬深い人間で、態度のはっきりしない許嫁のアデールに「どうぞぼくのみじめな嫉妬心を不憫に思って、ぼくをお避けになるのと同様に、ほかの男たちをも、ひとり残らずお避けになってください」という手紙を送っている(モロワ『ヴィクトール・ユゴーの生涯』)。
これらの作家のエピソードからわかるのは、変態というのは幼いころから変態ということだ。しかも、まだ十分に言葉や文化を知らない段階で、「文脈」付きのエロにまで反応するのだから、「性欲」というのは本当に根が深い。
引用・参考文献
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- 作者: ヴィクトルユーゴー,豊島与志雄
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パリス・ヒルトンをディスった時のバンクシーはダサかった
バンクシーが自分の作品をオークション会場でシュレッダーにかけた事件は、わりと賛否両論だった。ハフィントン・ポストの記事にもあるように、このアクションによって、バンクシーの作品の価値は、シュレッダー以前よりも高まることになった。つまり、バンクシーはアート・ゲームのルールを充分に理解したうえで、そういった行動に及んだ可能性が高いわけで、その小賢しさが鼻につく、というのが否定派の大きな理由だろう。
バンクシーの名前を久々に目にした時、俺は彼がパリス・ヒルトンをディスった時のことを思い出した。
パリス・ヒルトンは2006年に『パリス』というタイトルのアルバムを出した。ヒルトン一族の一員として、生まれた時からいわゆる「セレブ」として注目浴びていた彼女は、モデル活動やリアリティー・ショーの出演などで絶大な人気を獲得しつつも、セックスビデオの流出やアホな言動によって、悪名も同時に高め、常にゴシップ誌の標的となっていた。アルバムは、そんな状況下で発表され、そこに噛みついたのがバンクシーだった。
具体的にバンクシーが何をしたのかというと、まず「パリスのアルバムの偽物を五百枚製作し、ひそかに国内(注:イギリス)のレコード店に配置した」。曲はデンジャー・マウスがリミックスしたもので、「どうしてわたしは有名なの?」、「わたしはいったい何をしたの?」、「わたしはなんのためにいるの?」というタイトルがつけられていた。そして、ブックレットには、「トップレスのパリスや頭部が犬になったパリスがコラージュされていた」(引用は全てチャス・N・バーデンの『パリス・ヒルトン』による)。
バーデンは、『パリス・ヒルトン』の中で、バンクシーの行為を激しく批判しており、バンクシーについて、「反資本主義を表明しながら大手企業と仕事をしたり、大手オークション会社サザビーズを通して作品を高額で売ったりしていることから、偽善的との批判を受けている」とも書いている。
バンクシーがダサかったのは、パリス・ヒルトンという叩きやすい人物をターゲットに選んだことだ。別にバンクシーが批判しなくても、ヒルトンのことを悪く言う人間は大勢いるのであって、勝てる試合に乗っかったというイメージが強い。
また、批判の内容も、「どうしてわたしは有名なの?」といった、彼女のセレブリティぶりを浅く揶揄するだけのものであって、そのセンスはワイドナショーのコメンテーターとどっこいどっこいである。多分、バンクシーが姿を隠して活動しているのは、表に出るとバカがばれるからだろう。『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』というドキュメンタリー映画では、自分よりもバカな奴を出演させて、手玉にとっていたが。
では、実際『パリス』の出来はどうかというと、少なくともバックトラックに関しては、悪くない。なぜなら、スコット・ストーチ、ドクター・ルーク、J.R.ロテムといった売れっ子プロデューサーたちを惜しみなく起用しているからだ。ちなみに、シングル・カットされた「ターン・イット・アップ」では、リミックスにポール・オーケンフィールドが参加している。
肝心の歌にしても、特別下手というわけではないし、官能的ですらある。だから、アルバムがリリースされた時、酷評してやろうと手ぐすねを引いて待っていた批評家たちも、多くは「意外と悪くないじゃん」といったところに落ち着いたようだ。
確かに、悪くはないが、驚異的なまでに「安っぽい」アルバムではある。先に「官能的」と書いたが、喘ぎ声ばかりが大きい雑なAV、といった方が正確かもしれない。中でも、ロッド・スチュワートの「アイム・セクシー」のカバーは、「安い」を通り越し、「虚無的」ですらある。
この「虚無」は、レディオヘッドの『KID A』に匹敵するだろう。レディオヘッドが人工的な虚無だとしたら、こちらは天然の虚無である。そして、その虚無ほど、21世紀のセレブリティ文化を体現しているものはない。バンクシーがわざわざ騒がなくても、全てはここに揃っているのである。ピッチフォークやローリング・ストーンは選ばないだろうが、『パリス』というアルバムは間違いなく21世紀を代表するものだ。
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バンクシー(のスタッフ?)が『パリス』の偽物を配布している様子と、デンジャー・マウスによるリミックス。
「ザッツ・ホット」というのは、パリスの口癖で、リアリティー番組『シンプル・ライフ』を通して流行語になったもの。後に、商標登録された。