たまに、能年玲奈のニュースを目に入れると、「この人は何になりたんだろう」と思うことがある。彼女が事務所と揉めて、干されたと話題になった時、ファンは女優業の継続を願っていた。その後、アニメ映画『この世界の片隅に』で声優を務め、口コミで映画がヒットした時は、皆がそれを喜んだ。能年の評価も高く、彼女のキャリアは、そのまま続いていくかに見えた。
ところが、彼女は「創作あーちすと」と名乗り、美術活動を始める。そして、美術手帖の表紙(2017年2月号)を飾ると、その二か月後には美術活動の成果をまとめた本を出版した。この動きに対しては、批判もあった。特に「創作あーちすと」という変な肩書に向けて。
そのうちに今度は音楽活動を始めた。LINEのCMでキリンジの「エイリアンズ」を歌うと、レコード・レーベルを立ち上げ、9月にサディスティック・ミカ・バンドとRCサクセションのカバーを収録したシングルをリリースするらしい。
何が言いたいのかというと、「創作あーちすと」とか歌手活動といった一連の芸術行為が、僕の目には、テレビ業界と対立した能年が、別の業界の人間によって「文化系の女神」として担ぎ出されているというようにしか見えないということだ。
そもそも、美術活動にしても、音楽活動にしても、「あさ~く片足を突っ込んでいる」だけにしか思えないのだが。「創作あーちすと」という肩書が非難を呼んだのは、彼女が本気でそれに取り組んでいる──真正面から評価を問われる覚悟がある──ように見えなかったからだろう。「自分が芸術家じゃないのわかってますから。あんまり真面目に捉えないでね」みたいな言い訳が、そこには厳然としてあった。それなのに、実力よりも知名度先行で美術手帖の表紙を飾ってしまい、本まで出る。反発が起こるのは当然だろう。
音楽活動で気になるのは、カバーの選曲だろうか。キリンジ、サディスティック・ミカ・バンド、RCサクセション……。なんというか、サブカル業界人のカラオケの持ち歌みたいな選曲なのだが……。能年って、この辺の曲に思い入れあるの? 業界人がしたり顔で、「能年にキリンジ歌わせたら面白いと思うんだよなぁ」みたいな光景が僕には浮かぶ。
結局、能年は業界の人間の「入れ物」みたいになってるんじゃないだろうか。「あれやらせてみよう」「これやらせてみよう」みたいな感じでブレーンが提案し、能年はそれに乗っかているだけという構図。そこで思い出されるのが、小泉今日子。彼女もまた、業界人の手によって作られた文化系のアイドルだった。そのことは、宮崎哲弥が「『小泉今日子の時代』の終焉」(『正義の見方』所収)で詳しく分析している。恐らく、能年を持ち上げている業界人たちは、彼女を第二の小泉に仕立て上げたいのだろう。
もしくは、能年に携わっている人たちは、「俺が能年を助けなきゃ」みたいな義務感にかられているのかもしれない。それはある意味で、能年が自立していないことを意味する。「助けたい」と思うのは、彼女がまだ未熟だからだ。そこに、例の騒動も加わって、能年に関しては「批判禁止」的な空気が漂っている。そのことがかえって、彼女を「虚像」化させているようにも思える。まあ、業界人からしたら、「虚像」でいてくれたほうがいいのかもしれないが。彼らは、中身じゃなくてイメージを売っているだけだから。
ジョン・ライドンがマルコム・マクラーレンから独立したように、彼女も独り立ちする時がくるのだろうか。そもそも、彼女って何になりたいんだろう?
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