マッチングアプリの時代の愛③
Oさんとマッチングしてからちょうど一カ月経過した。夏が終わり、過ごしやすい季節となっていたが、その間、誰からもグッドは来ず、俺が送ったグッドも返ってこなかった。最優先にグッドを送ろうと思っていた人たちには、全て振られていた。それでも保有しているグッドは五十以上余っていたが。
そこで、もう一度体勢を立て直すべく、お気に入りを研究者のような執念で巡回した。気になる人が一人いた。いや、以前から注意はしていたのだが、いくつか不安要素があって今の今まで保留していたのだ。
彼女の登録名は、A・U。年齢は俺と同じ二十八歳。居住地は練馬区で一人暮らし。職業欄には、団体職員(医療系)と書いてあるが、年収欄は無記入。趣味はクラシック鑑賞、ピアノ、読書。ちなみに、俺と共通するコミュニティは、椎名林檎・太宰治・夏目漱石・近代文学だった。
俺は自分自身が低収入なために、給料や待遇が「ある程度」安定している女を求めているところがあった。つまり、仕事を続ける意思の固い人。俺の給料ではとうてい女を養うことができないので、寿退社を考えているような人だと困ってしまう。また、ヒモになるつもりはなかったが、自分に万が一のことがあった時に、その懐を頼れるのではないかという計算もあった。団体職員という文字列を見た時、まともに就活をしたことがなく、社会性の低い自分は、「多分安定してるんだろうな」というアホみたいな感想を持ち、評価が上がった。
だが、それよりも注目したのが、学歴のところに大卒(六大学)と書いてあったこと。俺は六大学の一つ、豊島大学の出身で、練馬から一番近いのが豊島だから、もしかしたら同級生かもしれないと思ったのだ(もし、彼女が学生時代から練馬住んでいると仮定しての話だが)。また、東大・早稲田・慶應出身者は、「東大OB・OG」とか「早稲田出身」みたいなコミュニティに入っていることが多いけれども、彼女は大学に関しては何のコミュニティにも入っていなかったので、残りの三つのうちのどれかだと睨んでいた。もし同じ大学なら口下手な自分としては話題が一つ増えるので、もろ手を挙げて歓迎すべきことだった。
逆に、グッドを送るのに躊躇していた理由としては、二つほどあった。まず、メイン写真が証明写真だったこと。これまで多くの女をダブルスで見てきたが、証明写真を使用している人は、彼女含めて数人しかおらず、まあ、変わっている人がほとんどだった。彼女が、性格・タイプの欄で、「マイペース」を選択しているのも、すぐに納得できた。
他の写真を見ても、公衆トイレの鏡を使った自撮りが一枚と、風景の写真が数枚で、反射的に「友人がいないのかな?」と思ってしまった。友人が少ないのは俺もそうだから別に構わないが、一人もいないとなると、協調性がまったくないとか、そういうネガティブなことを想像してしまう。ただ、証明写真に関しては、本人もアレだったと思ったのか、それとも顔を不特定多数に晒すのが恥ずかしくなったのか、いつの間にか取り下げていて、スマホで顔の隠れた自撮りがメイン写真になっていた。
証明写真から判断する限り、彼女の容姿はそんなに悪くなかった。しかし、証明写真の性質上、ひどく垢ぬけない感じに写っていた。分厚い黄色いセーター、風に流されて出来上がったかのような七三分け、色の薄い唇、化粧っけのない顔から、実際の年齢より老けて見えた。子持ちの主婦のような、「女」でいることに無頓着になった人に見えた。ただ、俺は自分にあまり自信がないから、派手な人よりかは地味な人の方が気を楽にもてたので、それ自体はむしろプラス要素だった。といっても、自撮りの方では、薄い赤と白がウェーブ状に入り交ざった金魚のような柄の和服を着ていて、実際は結構お洒落好きなのかもしれなかったが。
もう一つ気になったのが、自己紹介文が四十行近くもあったこと。恋愛対象となる年齢から(二十七歳から三十二歳まで)、ラインの頻度(なるべく一日、二日で返しますが、プライベートの都合で遅れるかも)、好きな物の羅列(自然や歴史的建造物、遊郭にも興味があります)、自分の性格(内向的なので一人の時間も大切にしたい)、相手に求めること(専門知識を持っている、向上心がある、リードして欲しい)まで詳述していた。また、出会い方に関しても、「まずはメッセージのやり取りをして、お互いに興味を持ったら、お茶をしましょう」と最初から具体的に指定していた。ついでに、「徐々に信頼関係を作れる気の長い方と仲良くしたいです」とも書いてあった。
コミュニティも、「女子高育ち」とか「恋愛経験が少ない」とか、「初めて会う時に緊張する」というものに入っていて、男に対する警戒心が強く、メイウェザーのように隙が無いという印象を持った。俺もセックスには大いなる関心を抱いていたが、恋人になるかもしれない相手と出会った初日にそういうことを求めるような、軽い付き合いは望んでいなかったので、気の長い誠実なやりとりをするのはよいとしても、恋愛経験のない自分がそんな防御力の高い相手を攻略できるのかと疑問に思った。それに、趣味についても合わないところがいくつかあった。何しろ、彼女は百五十ぐらいコミュニティに入っていて、趣味の狭い自分からすると、広すぎるようにも感じたのだった。つまり、減点法でいくと、グッドをためらいなく送るには、点数が足りなかった。
そういうことから、彼女のことは気になりつつも放置していたわけだが、仕事をしていても、読書をしていても、ネットサーフィンをしていても、なぜか彼女のことが無性に頭を離れず、そこまで気にしているなら、もうグッドを送って決着をつけたほうがよいと思うようになった。それに、自分のコピーを探しているわけじゃないのだから、多少の趣味の違いは無視するのが大人の態度だろうとも考えるようになっていた。
女にグッドをつけるときは、いつでも緊張する。マッチングへの期待と無視されることへの不安が、分かち難く同居しているからだ。今回も、少しばかり躊躇しながら、最後には「オラッ!」と叫ぶぐらいの勢いでUさんのアカウントにグッドを送ると、「これでもう取り返しがつかないぞ!」というパニックと興奮に襲われたので、感情をリセットするため、アプリを即座に閉じた。ちなみに、その時彼女についていたグッドは六十前後だった。
すると、当日中にグッド!が返ってきて、早くもマッチングが成立した。Oさん以来、二回目のマッチングだった。その日が休日だったこともあり、今すぐ返事を出してもおかしくはないだろうと判断し、すぐにメッセージを送信した。前回、Oさんに送ったものをちょっと手直ししただけなので、文面に悩むことはなかった。
「Uさんはじめまして。氷川といいます。文学関係のコミュニティで見て、グッドしました! よろしくお願いします」
以降、彼女からどんな返事が来るのか、希望半分、不安半分で待った。Oさんの時のような失敗は二度と繰り返さないぞと固く決意しつつ、単純労働と要領の悪さに起因するうだつの上がらない日々に耐え忍んでいたが、待てど暮らせど彼女からの返信は返って来なかった。
俺がUさんにメッセージを送ってから一週間目ほど過ぎたある日、会社帰りの電車の中で、暇つぶしにツイッターを眺めていたら、「Hさんが参加している『三島由紀夫』がきっかけで、カヤさんから『グッド!』が届きました」という通知が来た。アプリに課金して二ヶ月目で、ついに女の方からグッドをもらった! 電車の中で小踊りしたくなるほど、黄金の歓喜に包まれた。同じ電車に乗っている人間全員に自慢したくなった。今すぐにでも、どんな相手からグッドが来たのか確認したかったが、俺が即ログインしたことを向こうに気づかれたら恥ずかしいので、帰宅するまで我慢した。
が、それにしても、三島由紀夫のコミュニティにいたカヤさんって誰だ? 三島のコミュニティに所属している女は全員チェックしたはずだが、全然記憶にない。
帰宅してダブルスを開き、通知欄を確認すると、自宅と思われる場所で体育座りをしながらピースをしている女の子が飛び込んできた。かわいい。メイン写真の斜め右上に「NEW」の表示があったので、今日登録したばかりの女の子のようだ。写真の笑顔がぎこちなかったのと、撮影場所が家の中というのもあって、マッチングアプリのためにわざわざ写真を撮ったのかなと思った。そして、明るい女が苦手な俺にとって、その固い笑顔は、ものすごく魅力的に映った。
プロフィールを見てみると、未記入の所が多く、職業が保険業、埼玉在住、二十六歳ということ以外ほとんど何もわからない。自己紹介文も記入していなかった。入っているコミュニティもカルチャー系のものが十個程度とかなり少なかったが、三島由紀夫の他に、川端康成や谷崎潤一郎のものにも入っていたので好感度が暴騰した。しかも、「一人暮らし」である。あー、絶対に家に行きたい。家に行って色んなことをしたい。片腕を借りるとか、足の拓本をとるとか、全裸で朝食をとるとか……。というのは冗談で、本当にやりたいのは、ツタヤで借りてきたDVDを一緒に観るとか、一緒にゲームをするとか、メロウな音楽をかけながらセックスをするとか、そういう日常的なことなのだ。
Uさんについては、一週間経っても未だ連絡が来ないのだから、間違ってグッドを返してしまったんだろうと判断した。実はそういうことは珍しくないようで、特にスマホでマッチングアプリをやっている人は、指が滑って意図しない相手にグッドを送ってしまうことが、よくあるらしい。そして、「間違えました」とわざわざ告げるのも面倒だから、マッチングしてしまっても無視するかブロックする。
だから、カヤさんに乗り換えること自体に罪悪感はなかった。正直、相手のことを知るための情報が少なすぎる気はしたが、女の方からグッドをくれることなんてもう一生ないかもしれないので、そこは迷うことなくグッドを返した。そして、マッチング成立即メッセージ送信。ラモーンズの演奏より速い。
「グッドありがとうございます。氷川といいます。文学関係のコミュニティから見てくれたんですかね? よろしくお願いします!」
OさんやUさんの時と違い、今回のグッドは向こうからだったので、大分気が楽だった。そのうちに、これは明らかに好意を持たれているんじゃないか、という希望が膨れ上がってきた。女の方からグッドを送ってくるなんてよほどのことだぞ。つまり、交際まであと一歩ということ。やっと俺にも春が来た。これで付き合えたら、今までモテなかったことは全てチャラだ。あれは厳しい修行の時期だったと考えればいい。さようなら、わたしの非モテよ! という風に、感情が一日のうちにポジティブな方向へ急上昇していった。
しかし、肝心の返事がまたもや来ない。彼女のアカウントは毎日確認していたが、俺がメッセージを送信した翌日から、「最終ログイン二十四時間以内」という表示が一度も出なくなった。つまりあれからログイン自体していないということだ。
結局、彼女はそれ以降一度もログインしないまま現在に至っている。業者なのかとも考えたが、業者ならもっと不特定多数に届くようなプロフィールにするはずだし、どこかに誘導するようなメッセージも送ってくるだろう。怖くなって止めたのならアカウントを消せばいいのに、放置したまま消息を絶つというのはどういうことなのか。メッセージに本名を記載したせいで、相手に感じる不気味さに拍車がかかり、今でも俺の中で平成の未解決事件としてモヤモヤしたままだ。
Uさんの方もあれからずっと監視し続けていたが、こちらはログインしている形跡はあるものの、俺に対する反応が一向にない。やっぱり、間違えてグッドを返してしまったとしか思えなかった。
Uさんにメッセージを送ってから十日、カヤさんにメッセージを送ってから三日経った。得体の知れない誰かに騙されているかのような不透明な状態に、気分が鬱々とし始めていた時、突如、Uさんから返信があった。
「こんばんは。眼の疲れがひどくて、しばらくスマホから離れていました。マッチングありがとうございます。A・Uといいます。よろしくお願いします。日本の小説はわたしも好きです。最近は忙しくて、なかなか読めていませんが……。よかったら色々お話ししましょう」
十日ぶりの返信だったので、嬉しいというよりもびっくりしてしまった。それに、二点ほど気になるところもあった。一つは、「スマホから離れていた」という説明。俺はこの十日の内に彼女が何回かログインしていたのを目撃しているのだ。しかし、いきなりそんなことを詰問できるわけもないので、何か事情があったんだろうと無理に納得した。
あと、本名を隠したままというのも、やや引っかかった。俺もプロフィールの名前は頭文字からとって、R・Hという風にしていたが、マッチングした際は、苗字を明かすようにしていた。じゃないと、呼びにくいし、信頼もされない。だけど、彼女は、そのままA・Uと名乗っていて、これだと今後俺は彼女のことをカフカの小説に出てくる記号化された登場人物みたいにUさんと呼び続けなければいけなくなる。多分、これも彼女の強い警戒心の現れなのだろう。
そういう細かいことはさておき、まずはこれに返事をしなければならなかった。だが、事務的なこと以外、異性を相手にメールやラインをほとんど交わしたことがない自分にとって、異性の気を惹く魅力的な文面を創出することは、一度も触れたことのない大型機械を説明書なしで設定をするぐらい無茶なことだった。なので、プライドをかなぐり捨て、ネットのマッチングアプリ攻略サイトに頼った。そこで一番参考になったのは、メッセージのラリーが続くように、相手に質問をしろということだった。俺は彼女の入っている百五十以上のコミュニティを丸暗記するぐらい何度も確認し、自分との共通点や話しやすい事柄を徹底的に洗い出した。入試の時でもこんなに熱心に何かを覚えようとしたことはなかった。
そして、翌日の夜、メッセージを返した。
「返信ありがとうございます! 眼精疲労はつらいですね。僕も目が悪いのでわかります。温めたりすると効果があるみたいですが。色々写真をあげてますけど、Uさんは旅行とかよくするんですか?」
その三日後に、
「こんばんは。旅行は行きたいのですが、なかなか時間がとれなくて。写真は都内のものばかりですよ。Hさんは旅行によく行かれるんですか?」
俺が最初のメッセージでわざわざ苗字を名乗ったのにも関わらず、彼女は俺のプロフィールに記載されているイニシャルの方を採用していた。そのおかげで、お互いにイニシャルで呼び合うという珍妙な状況が起こり、人間性がはく奪された世界が生まれた。このままだとカフカを通り越し、ベケットにまで行き着くかもしれない。
「僕も、旅行はそこまで行かないですね。夏に、友達がいるんで大阪にいったぐらいで。普段写真撮らないから、そこで撮ってもらったものを今、ダブルスで使ってます(笑)。Uさんは、どこか気になっている場所とかあるんですか?」
「こんばんは。私も普段あまり写真は撮りません。撮ってみたい風景とかはあるのですが、やりたいことややらなければいけない事がたくさんあって優先順位が下がっていますね。大阪はまだ行ったことはありませんが、食べ物がすごく美味しいと聞いたので、いつか機会を作って行ってみたいです」
「紹介文のところにも遊郭跡に興味があるって書いてありますもんね。最近は、吉原に専門の本屋ができたりして、盛り上がっているみたいですが。僕は、祖父の祖父がイギリス人で、その人の住んでいた家が神戸に保存されていて一般公開されているので、それを一度見てみたいですね」
さて、人間誰しも「俗物」的な趣味や感情を持っていると思うが、自分の場合、江藤淳と同じで、「家系」を密かな誇りとしていた。高校生の時、何かのきっかけで友人に自分の先祖について話した際、それが印象的かつ自慢げに響いたらしく、茶化されてしまったので、以後なるべく口にしないようにはしていたが、今回に限っては、彼女が「レトロな建築・洋館が好き」というコミュニティに入っていたので、ついつい伝家の宝刀よろしく持ち出してしまったのだ。
と、ここまで言い訳したので、あとは心置きなく書かせてもらうと、俺の母方の高祖父は、エドワード・ハズレット・ハンターというアイルランド系イギリス人で、江戸時代に貿易目的で来日し、明治に入ってから日本人と結婚、その後神戸で「E・H・ハンター商会」という貿易会社を設立した男で、彼の経営していた大阪鉄工所が、現在の日立造船や範多機械に発展した(ただし、直接的な関係はない)。そして、その彼が住んでいた洋館が、「旧ハンター邸」という名称で神戸市灘区の王子動物園内に保存され、一般公開されているのだ。
福田和美の『日光鱒釣紳士物語』(山と渓谷社)によると、エドワード・ハンターの長男は、母親の姓をとって、平野龍太郎(英国名:リチャード・ハンター)と名づけられたが、明治二十六年に廃絶状態だった範多家の戸籍を引き継ぎ、以後、彼の兄弟たちも範多姓を名乗るようになったという。
エドワードの次男、範多範三郎(英国名:ハンス・ハンター)も父や兄と同じく実業家で、中禅寺湖周辺のリゾート開発を進めた人物として知られている。『日光鱒釣紳士物語』は、そのハンスについて多くの記述が割かれている。
エドワード・ハズレット・ハンターの三男、範多英徳(英国名:エドワード・ハンター)が、俺の曾祖父に当たるが、英徳にはエリザベスという妻に二人の子供までいて、祖父の母、氷川愛(一九〇二年生まれ)は、英徳の愛人という立場だった。だから、祖父は私生児として生まれた。
祖父が二〇一二年に死んだ際、諸々の手続きのために戸籍を取り寄せたことで、様々なことが判明した。祖父は一九二三年生まれだが、実際に戸籍の届出がされたのは一九二七年六月になってから。祖父には弟と妹がおり、弟は養子に出されたが、妹が生まれたのは一九二七年一月で、どうやらそれが戸籍を作るきっかけとなったようだ。つまり、祖父は四年間も無戸籍状態だったことになる。
無論、英徳とは結婚できないので、愛は阿部という人物と一九二七年六月に偽装結婚し、祖父と大叔母、二人の戸籍を作った。戸籍を見ると、祖父は長男のはずなのに、戸籍上は阿部家の次男になっていた。この阿部という人は、愛と結婚する前にも、二度ほど結婚し、それぞれ子供がいることになっていたので、もしかしたら偽装結婚を生業にしていたのかもしれない。
そして、一か月後に協議離婚が成立。阿部との結婚で、愛の実家は廃家となっていたため(つまり、結婚当時愛は戸主だったのだろうか)、新たに氷川という家を創立し、祖父と大叔母を自分の養子にした。氷川という名字は、氷川愛一郎という、有名な実業家で後に政治家に転身した人物からとったと聞いた。ちなみに、俺が氷川という名字なのは、両親が三歳の時に離婚し、母親に引き取られたからだ。
英徳に関しては兄二人に比べてほとんど情報がない。もちろん、愛人がいたことなど誰も書いていない。俺が調査した限りでは、やや長いものになると、二つぐらいしか見つけられなかった。一つは、モグラ通信というサイトの「在りし日の範多農園を訪ねて」というページ内にある、「英徳は英国留学から帰国後、 原宿の表参道に広い屋敷を設け、虎ノ門で『英徳商会』を営み蒸気自動車や電気自動車木炭自動車を販売していた」という記述。
もう一つは、『大阪春秋』五十三号の、「開化大阪と外国人」という特集に寄せられた、井上琢智「大阪鉄工所とハンター家」という論文にあったもので、
「三男範多英徳(Edward Hunter)は、兄竜太郎と同様、一九〇六年以降一二年までグラスゴウ大学に在学し、機械工学、造船学などを専攻し、造船学で一九一三年に科学士号をとった。彼は、一九一四年十月、イシャーウッド式船体構造の特許購入のため渡英し、その獲得に尽力した。大阪鉄工所はその独占的製造販売権の獲得により造船界で有利な立場に立つことができた。一九三六年に、彼は四十九歳でなくなった。その墓は横浜外国人墓地にある」
ただし、『市民グラフ ヨコハマ』三十三号に載った記事では、一九三七年死亡となっているとか。
気になるのは英徳がどのようにして二重生活を送っていたかということだが、大叔母によると一緒に暮らしていたようで、英徳が死んだ後も、彼の屋敷に残っていたとか。『日光鱒釣物語』では、日本が米英との戦争に入ったため、英徳の実子は英国に帰国し、屋敷は日本政府に没収されたというが、空襲で家が焼けるまで祖父や大叔母が住居に困ったという話は聞いていない。ちなみに、英徳はあちこちに家を買い、それを売却した金でより大きな家を建てていたらしい。
彼女に家系自慢した翌日、メッセージが返ってきた。
「こんばんは。吉原に専門の本屋ですか……。すごく気になりますね(笑)。遊郭とか女性の文化に魅かれるんですよね。彼女たちの衣装や小物、装飾品の鮮やかさって独特で、興味深いと思います。神戸に保存されているということは、歴史的価値があるお家なんですかね? 昔の建築物を見るのも好きなので、興味あります」
彼女からの返信を見て、現在の俺の家が金持ちだと誤解されたらまずいなと思った。そもそも、範多家とは血でしか繋がっていないのに、その過去を得意げに話すこと自体滑稽なのだが、自分のしょぼい経歴を補うために、今度は旧ハンター邸の写真が載ったURLまで送って、範多家のことを説明してしまった。
「エドワード・ハンターといって、江戸時代に来日し、神戸で貿易会社を作った人の家なんです。先祖なんで、一度見ておきたいんですよね。まあ、僕の家と範多家は、もう全然交流はないですが……」
「こんばんは。素敵な家ですね。Hさんが行ってみたいというのもわかります。先祖のことを知るのって、面白いですよね」
彼女とメッセージを交わし始めてから、二週間ほど経っていた。そろそろ、デートに誘ってもよい頃合いなんじゃないかと判断し、
「家族のルーツとかを聞くのは、意外なことが知れたりして面白いですね。よかったら、今度お茶でもしませんか? 会って色々とお話してみたいです」
と返信した。
「こんばんは。お茶はいいですね~。人見知りなので、二人きりになるとしばらく緊張してると思いますが、それででもよければぜひ。お住まいはどちらですか?」
よしっ! ついにここまで来たぞ! ダブルスに登録して二ヶ月を少し過ぎ、ようやく出会えるところまでたどり着いた。長かった。俺が登録したのは三ヶ月プランだから、それが無駄にならずに済んだ。一時はどうなることかと思い、夜中ベッドの中でマッチングアプリのことを考えすぎて、不眠状態に陥ったりもしたが。嬉しくてちょっと泣きそうになった。
とにかく、ここまで来たなら、あとのメールは事務的なものに近くなるから、精神的に相当楽だ。どういう文章を書いたら相手の気を惹けるかとか、そういうことを考えずに済むから。
「僕は、W市に住んでますけど最寄りは板橋区にあるM線のN駅とY線のN駅ですね。普段は新宿まで通勤してます。Uさんは、どこにお住まいですか?」
「私もY線沿いに住んでいます。板橋区ではなく練馬区ですが。最寄りはD駅で、買い物なんかはO駅とかでよくします。わりと近いですね」
「それでしたら、O駅でお茶しますか? 都合の良い日があったら教えてください!」
「こんばんは。お気遣いありがとうございます。お言葉に甘えて、もし宜しければ二十六日か二十七日の十九時から一時間位、駅前のD珈琲でお茶はいかがですか?」
お茶だから、昼間の時間を指定されるかと思っていたら、十九時と遅かったのでちょっと面食らった。これなら夕飯の時間だ。あと、「一時間」っていうのも結構短いが、期待外れだった時のための保険か? まあ、盛り上がりさえすれば、時間なんて関係なくなるだろう。
「それなら、二十七日の十九時からがいいですね。D珈琲の前で待ち合わせって感じで大丈夫ですかね?」
「こんばんは。恐らく私が先に着くと思いますので、とりあえず、わかりやすい位置に席を取っておきますね。お話できるの楽しみにしてます。おやすみなさい」
女から「会うのを楽しみにしている」なんてことを言われたのは初めてだった。社交辞令だとしても、歓喜、感激のロケットが急上昇していくのを止めることはできない。異性から求められているという快感。これが俺の生活に一番欠けていたものだ。
二十八年間生きてきて、女と一対一で食事をしたのは、多分三回か四回ぐらいで、しかも全部二回目がなかった。「今度いつ会える?」と聞くと、例外なく相手がアメリカの大統領ぐらい忙しくなってしまうのだ。たった一回の食事で簡単に切り捨てられるほど、俺は魅力に乏しくつまらない存在らしい。
だから、浮かれてばかりいないで、「勝って兜の緒を締めよ」じゃないが、ここで一度気を引き締める必要があった(そもそもまだ勝利にはほど遠いのだけれど、あまりにもモテないので、これしきのことでも天狗になってしまう)。
「二人きりになるとしばらく緊張している」と彼女は書いていたが、俺も緊張することにかけては人後に落ちない(もちろん、「僕も緊張しいなんですよ」とは男として口が裂けても言えなかったが)。ひどいあがり症で、仕事とかでも、相手に何かを説明する時はいつも心臓が破れそうになり、結句、途中で頭が混乱し、向こうの理解力に全てを委ねることとなる。
そのため、何の準備もせず会いに行ったら間違いなく討ち死にすると思ったので、会話用の話題をいくつか事前に準備しておくことにした。「初めて会う時に緊張する」なんてコミュニティに入っているぐらいだから、こちらから積極的に話しかけないと、気まずい沈黙に場が支配されることは容易に想像できた。そんなことになったら、絶対に二度目はない。
会社にいる時も仕事そっちのけで当日に使う話題を考え続け、思いついたものはこっそりメモ帳に記録。帰宅後、いつでも確認できるように簡単に箇条書きにしてスマホのメモ帳に清書。
・マッチングアプリの感想
・太宰治、夏目漱石とか文学の話
・大阪旅行について
・遊郭とか
・彼女がアップしていた写真について
・大学について
・彼女の趣味について
そして、これらのテーマをもとにした会話のシミュレーションを脳内で実施(俺としては、自分の不利になるようなことを、初対面の段階ではあまり言いたくなかったので、会話の主導権を握れるように、こうしたシミュレーションは必須だった)。頭の中で話す内容の順番を組み立て、流暢に披露できるよう訓練。また、準備した話題に関係する本を拾い読みし、知識を脳に定着。無論、彼女のプロフィールや加入しているコミュニティの再確認も怠らない。最初は彼女の詳細すぎるそれにやや当惑したわけだが、今となっては話のネタ探しに重宝した。
あと、当日風邪でもひいたら洒落にならないので、手洗いだけでなく、イソジンを使ったうがいも、日々のルーティンに加えることにした。そんなに風邪をひくことはないのだが、油断は禁物である。
着ていく洋服も、前日に母親にコーディネートしてもらった。恥ずかしい話だが、そういうのは得意な人間にやってもらった方が、間違いがなくていい。大江健三郎だって、「私は自分の服装、髪型そのほかに一切関心がありません」と言って、妻ゆかりに見立ててもらっているのだから(『大江健三郎 作家自身を語る』)。
そうして完全武装して迎えた当日の午後三時ごろに届いたメッセージが、
「Hさんこんにちは。すみません、前日にご連絡できれば良かったのですが、実は昨日から風邪気味で寝込んでしまっておりまして、大変申し訳ないのですが、日程を伸ばしていただけるとありがたいのですが……。行くのは行けそうなんですが、やっぱり元気な時にお話できた方が良いなと思いまして。申し訳ありません。次回の日程はHさんに合わせます」
家族に今日はデートだと散々言いふらし、浮かれ騒いでいた後だったので、事実を受け入れるのに一時間ぐらいかかった。相手の言葉が『アンチ・オイディプス』くらい頭に入ってこなかった。しばらくすると、今度は彼女の病気が、デートを断るための方便なんじゃないかと思えてきた。しかし、返事をしないわけにはいかないので、
「了解です。お大事にしてください。また、都合がついたら会いましょう」
とだけ震えながら返信。家族にデートがなくなったことを伝えるのは、受験に落ちたことを報告するぐらい苦痛だった。それで何度か深呼吸し気分を落ち着かせてから、
「今日のデートなしになったわ」
となるべく感情を込めずに、リビングでテレビを見ていた祖母と母に伝えた。自分の今のくさくさした気持ちを読み取られたくなかったので。
「ええ?」
「なんか風邪ひいたらしい」
「じゃあ、今日はうちで食べるんだ」
「それって、面倒くさくなったんじゃないの? あたしも、断る時は風邪ひいたって言うし」
と母。
「でも、次の予定は俺が決めてくれってわざわざ書いてあったから本当だと思うよ」
さっきまで彼女を疑っていたのに、身内からそれを指摘されると、瞬間的に反発する気持ちが生じ、無意識のうちに早口で反論していた。段々興奮してきて、意味のなく居間をうろうろした。郊外の夕陽がベランダを突き抜けて室内に差し込み始めていた。
「それならまだいいじゃないね」
と祖母。
「もう返信したの?」
「ん、日程についてはまだだけど。ただ、『お大事に』って返しただけ」
「なら、相手の気が変わらないうちに、早めにしておいた方がいいよ」
俺はパソコン部屋に戻り、
「もしよかったら、来週の土曜日に今日の予定をスライドしても大丈夫ですか?」
と打った。それから夜になって、
「こんばんは。本日はご迷惑おかけして本当に申し訳ありませんでした……。あれからずっと横になってたらだいぶ良くなりました。どうもありがとうございます。では、来週十一月三日の十九時ということで、よろしくお願いいたします」
と丁寧な返信が返ってきたので安堵した。フラれたわけではなかったのだ。
「回復したみたいでよかったです! 無理はしないでくださいね。三日、心待ちにしてます」
それから三日になるまで、小学生の模範となるほどに、うがい手洗いを徹底したのはもちろんのこと、彼女の体調についてもひたすら祈り続けた。まだ一度も会っていない段階で再度ドタキャンなぞされたら、やり取りを続ける意欲が激減してしまうかもしれなかったが、他に当てがあるわけでもないので、相手への気持ちが冷めるようなことがこれ以上起こらないよう、ひたすら願うしかなかった。彼女にとって俺は六十人の中の一人でしかないが、俺には彼女しかいないのだ。
十一月三日土曜日、昼前、怠惰という名の蒲団をゆっくりとはがし、二度寝から目覚めると、スマホにダブルスからの通知が届いていたことに気がついた。急いで寝室を脱出し、寝ぼけまなこを擦りながらパソコンを立ち上げ、ダブルスに届いていたメッセージを開封すると、
「おはようございます。今日はご予定大丈夫ですか? もし大丈夫でしたら、十九時にO駅のD珈琲で待ち合わせしましょう。宣しくお願いします!」
メッセージが届いた時間を見ると、七時四十五分だった。慌てて返事を出す。
「おはようございます! 予定は大丈夫ですよ。黒のジャケットとベージュのチノパン身に着けてると思います(一週間前に用意した組み合わせ)。よろしくお願いします!」
とりあえず、大丈夫そうなのでホッとした。振り返ると、相手から初めてメッセージが返ってきたのが、九月二十七日だったから、出会うまでに一月以上費やしたことになる。今の二十代に比べると、結構なスローペースではないか? ここだけ『失われた時を求めて』みたいな、ゆったりとした時間が流れているのか?
十八時頃、リュックサックに財布とスマホを入れて、十年近く使っている電動自転車でY線のN駅まで向かった。街灯の少ない車道に、濃い暗闇がカーテンのように下り、道の両端には居酒屋の油ぎった灯りがこぼれている。やや肌寒いが、まだマフラーや厚いコートは不必要な程度。ペダルを漕いでいるうちに徐々に体温も上がっていく。緊張なのか疲労なのか、心臓がブランコの如く揺れる。陳腐な青春映画みたいに叫びだしたい気分だ。自転車を駐輪場に預け、リュックサックを颯爽とカゴから取り出した時に、
「ぬわっ!」という奇怪な声がすかしっ屁の如く自分の口から漏れ出た。自転車を漕いでいる間は周囲が暗かったためわからなかったが、カゴの底に干からびてボロボロになった糞が苔のようにびっしりとこびりついていたのだ。一瞬、「人糞か?」と最悪の想像も浮上したが、冷静になって灰色の脳細胞をフル稼働させた結果、すぐに謎は解けた。俺の自転車は電動だから、母親もよく借りていくのだが、数日前スッペを動物病院に連れて行った時に、あいつがカゴの中で盛大に漏らしてしまったのだ! しかし、なぜ母親がそのことに気づかなかったのかはわからない。スッペはウンコをする時、必ずその場でコマの如くぐるぐると回り始めるから、すぐに気づくはずだが……。
今更戻ることもできないので、リュックの底を近くの壁に優しく擦りつけ、付着した乾燥糞をこそぎ落とし、リュックは背負わないで手で持っていくことにした。顕微鏡レベルの精度で目視した限りでは、もう何もついていなかったが、泉鏡花の半分ぐらい潔癖症なところがあるので、リュックが身体に触れないよう、提灯を持つような奇妙な手つきでそれを運ぶはめになった。
Y線に乗り、O駅へ。腕時計を確認すると、まだ約束の時間まで二十分以上余っていた。D珈琲の場所はすぐにわかったので、暇つぶしに駅の周辺を歩いてみたが、何も面白いところがないのですぐに飽きてしまった。結局、D珈琲を見下ろすことのできる、巨大な歩道橋の上で、ツイッターやネットニュースを見たりして、時間を潰した。駅前だが、歩道橋は人通りが少なく、これから人と会うのに、ひどく寂しくなった。おまけに空気は固く、頭上の青い月は冷たく俺を見下ろしていて、寂寥感に拍車がかかった。
一九時五分前。再びD珈琲の近くまで来た時に、ポケットに入れていたスマホが振動した。彼女からのメッセージだったので、ダブルスをひらいてみると、「こんばんは。早く着いたので」以降の文字がなぜか表示されなかった。いくら更新してみても、メッセージのほとんどが切れたままで、解読できない。しかも、こちらがメッセージを送ろうとしても、なぜか反応しないという不具合。いつもパソコンからメッセージのやり取りをしていたので、俺のスマホでこんな不具合が起こるとは知らなかった。
仕方がないので、店に入って直接彼女らしき人を探すしかない。ゆっくりとドアを押し、薄暗い店内に入ると、右側の窓に沿って設置された長テーブルがまず目に入った。そこに何人かポツポツと座っている。若い女も一人いて、パソコンで作業をしていた。「あれは違うな」と即座に判断し、左に眼を向けると、四角いテーブルが等間隔で設置され、向かい合うように椅子が置かれている。ペアで座っているのがほとんどだったが、一人やや俯きながら椅子にちょこんと座っている女の子がいた。
「あれか?」
と思ったが、証明写真で見た彼女とはかなり風貌が違っていた。しかし、該当しそうな人が彼女ぐらいしか見当たらなかったので、忍者のようにそろそろと近づいていき、「あの、氷川と言いますけど、もしかしてUさんですか? あの、マッチングアプリの……」
と恐る恐る声をかけた。彼女はおもむろに上目遣いになって、
「あ、どうも、こんばんは。えーと……」
「あ、氷川と言います。あの、お名前は?」
「莵原です」
「あ、莵原さんですか。氷川です」
「こんばんは」
「こんばんは」
俺は直立不動のまま固まった。
「あ、どうぞ座ってください」
「はい」
緊張で一昔前のロボットのようなぎくしゃくとした動きになり、椅子を引く時「ズズズッ」という耳障りな音が出た。
「何か飲みますか?」
「莵原さんは何を飲んでるんですか?」
「普通のコーヒーです」
「じゃあ、俺もそれをもらおうかな。ここって、レジに行くんですか?」
「いや、そこにボタンがありますよ」
「あ、これですか」
「それです」
「コーヒー結構、減ってますけど、一緒に何か頼みますか? 食べ物でもいいですけど」
「あ、大丈夫です。ちょっと喉が渇いてたんで、一気に飲んじゃって。あんまり飲むと、眠れなくなるんで」
「そうなんですね。僕は気にせずガンガン飲みますけど」
「どれくらい飲むんですか?」
「休みの日だと、一日十杯とか……」
「すごいですね。何かこだわりがあるとか?」
「いや、たんに飲めればいいんで、何でもいいんですよ。飲む量が多いんで、かなり薄めてますけどね。本当に、色のついたお湯みたいな。だから、喫茶店とかで飲むと、その濃さにちょっとびっくりしますね」
ボタンで店員を呼び出し、コーヒーを注文。改めて彼女の顔を観察する。芥川龍之介のような真っ赤な唇に自然と視線が向かう。彼女を見つけた際、まず目に飛び込んできたのがそれというぐらい目立つ口紅だったが、自然な情熱というよりかは、情熱への憧れを感じさせるもので、内気な人間が「情熱」のコスプレをしているような感じだった。
唇以外は、髪型も含め、『ドカベン』のサチ子に似ていた。つまり、童顔で、眼が大きく、こぢんまりとしていて、全体的に輪郭の丸いところが、一昔前の漫画に出てくる女の子を連想させた。服装は、黒のタートルネックの上に、キャメルの薄いセーターを羽織るというもので、地味だがある種の美意識を感じさせた。
しかし、ダブルスに載せていた証明写真とは雰囲気がまるで違っていたから、ちょっとびっくりしたが、俺とマッチングした時にはその写真を消していたので、驚きを直接伝えることはできなかった。マッチングアプリには加工した写真や写りの良いものを載せることができるから、「実物に会ったら幻滅した」ということがよくあるらしいが、俺の場合その反対だった。
「ここってよく来るんですか?」
「ここらでよく買い物したりするんで、たまに」
「そうなんですか。僕はOに来るのが初めてなんで」
「へえ」
「莵原さんは、ダブルスに結構写真あげてましたけど、いろんなところによく行くんですか?」
「あれは、みんな都内ですね。なかなか、旅行とかできなくて」
「ああ、ゴールデン街の写真もありましたね」
「はい。一度だけ入ったことがあって。行ったことありますか?」
「どんなところなんだろうって、外から眺めたことはありますね。中に入ったことはないです。ちょっと離れたところに風花って文壇バーもあるんですよね。又吉とか来てるらしいですよ」
「行ったことあるんですか?」
「いや、知り合いがいないと入りにくいところみたいなんで」
「そういえば、大阪に旅行したって言ってましたけど、どうして行ったんですか?」
「大阪に転勤になった友達がいるんで、会いに行ったんですよ。ついでに川端康成文学館も観に行きました。ノーベル文学賞作家なのに、建物が結構小さくてびっくりしましたね。あとは、飛田新地を見てきました。昔、遊郭だったところで、まあ今もやってますけど、料亭のようなつくりの小さな家が通りにずらっと並んでいて、入口のところに女の人とやり手ババァって呼び込みがいて、歩いてると『お兄さんこっち見てっ!』って呼ばれるんですよね。それが結構恥ずかしくて」
と事前にシミュレーションした通りに喋った。
「へえ、すごいですね。ちょっと、どんなところか調べていいですか?」
と彼女は言うと、スマホで検索し始めた。そして、スマホをこちらに向けて、
「こんな感じのところなんですか?」
「そうですね。こんな感じですね」
「入ったんですか?」
「いやいやいや、観光しただけです」
と慌てて否定したが、その後に風俗の予定を入れていたことには当然言及しなかった。「僕が行ったのは昼間だったんで、全然客はいませんでしたね」
「そうなんですか。面白いですね。私、大学生の時に『さくらん』って映画観て、それで遊郭とかに興味持ったんですよ」
「ああ、蜷川実花の」
「そうです」
「……」
会話がネタ切れという名のギロチンで切断される。頭の中は漂白されたかのように真っ白だ。その場しのぎに炭の如く真っ黒なコーヒーを一口啜り、記憶の底から必死に会話の種を探していると、風俗との連想で出てきたのか、
「昔、僕の大叔母が甲斐美春って芸名で、額縁ショーってのに出たことがあるんですよ。ストリップの元祖と言われている見世物で、裸で舞台に出るんですけど、でかい額縁の中で西洋の名画と同じポーズをとって、『これはエロではなく芸術だ』って主張して、無理やり決行したという」
と見切り発車で話し始めていた。
「初めて知りました。そんなのがあったんですね」
「ちょっと前の朝ドラでも取り上げられてたんじゃないかな。芸術って言っても、実際は、みんなエロ目的で見に来てたんですけどね。吉行淳之介も観たらしいですよ」
「すごいですね」
「だから、記録に残っている限りじゃ、うちの大叔母が、日本で一番最初に公の場で裸になった人なんですよ。ハハハ」
***
額縁ショーについては風俗史の観点から興味を持っている人が今もいて、最近でも小泉信一の『裏昭和史探検』という本に取り上げられていた。そこから引用すると、
東京・新宿。いまは新宿マルイ本館が立つ一角にあったのが「帝都座ビル」である。1947(昭和22)年1月、「帝都座五階劇場」(定員450人)がビル五階にオープンする。「ヴィナスの誕生」と題した公演。歌や踊りで構成されたショーだったが、その中の一景に観客は目を見張った。カーテンが開くと舞台に大きな額縁。下着をつけて両腕で胸を隠した女性が静止ポーズを取っていた。10秒、20秒、30秒……。カーテンが静かに閉まる。客席から漏れる、ほおーっというため息。
翌月は「ル・パンテオン」と題した公演。今度は19歳の新人ダンサー甲斐美春が額縁の中で胸を堂々と露出し、西洋画のようなポーズをとった。腰は薄い衣をまとっているだけ。「本物の裸だよ」と評判が評判を呼び、連日大入り満員。やがて「額縁ショー」と呼ばれるようになった
「ヴィナスの誕生」で、ボッティチェリの同名絵画を演じたのは、日劇ダンシングチーム一期生の中村笑子。絵画と違い下着をつけていたため、ヌード第一号にはならなかった。甲斐美春が出演し、裸となったのは、翌月の「ル・パンテオン」という公演だが、この時はルーベンスの『アンドロメダ』をもとにしたポーズをとっている(ちなみに、この出演を機に、芸名を美和から美春に変えた)。裸といっても、小泉が書いているように、全裸ではなく、股間が見えないよう下半身には布が巻かれていた。三月にも、「ルンバ・リズム」という公演で、両手に持ったソンブレロで股間を隠しつつ、舞台上で裸を見せた。この時の様子を、吉行淳之介は「踊り子」という随筆の中で、「舞台に設えた大きな額縁の中に、泰西名画よろしく裸の女が大きな麦藁帽子を腹のところに当てて、拗ねたような表情をしてじっと動かずにいるだけのものだった」と描写している。
甲斐の功績について、橋本与志夫は、「甲斐は額縁ガールとしては中村笑子につぐ第二号だが、はじめて乳房を舞台で露出した女性であり、日本のストリップの誕生をここに見ることができる」と『ヌードさん──ストリップ黄金時代』で書いている。とはいっても、これは記録(写真)に残っている限りでの起源で、橋本も、それ以前に舞台上で裸になった女がいるという証言に触れている。そもそも、裸の女を見世物にするというアイデア自体誰でも思いつくものだ。額縁ショーが他のヌードショーと違ったのは、「名画アルバム」と題し、ヌードに「芸術」という建前を与え、文化とエロを巧みに融合させたこと。だからこそ、検閲をすり抜け、宣伝もでき、一般客を呼べ、記録にも残り、ストリップにおける正史となり得た。
額縁ショーを企画したのはレマルクの翻訳者としても知られる秦豊吉である。彼の経歴を、『ヌードさん』からひくと、
日本のショービジネスの父」ともいわれる秦豊吉は、一八九二年東京生まれ、七世松本幸四郎の甥にあたる。一高、東大法学部から三菱に入社、一九三三年、東京宝塚劇場に転じて、支配人から四〇年には社長になっている。宝塚生みの親である小林一三に師事し、ショービジネスでの後継者となった。この間に世界一周なども経験して、世界のレビュー、ショービジネスを見ることができた。東宝名人会をはじめたり、アメリカのラジオシティミュージックホールのラインダンサー、ロケットガールズに刺激されて、NDT(日劇ダンシングチーム)を創ったのも秦である。
終戦後、(筆者注:公職追放によって)東宝(映画と劇場が合併)の役員を追われた秦は、吹けば飛ぶような小劇場である帝都座五階劇場を手掛けるが、第一次大戦後のドイツを見た経験から舞台に裸体を登場させたら観客に受けるだろうと確信していた。
秦が額縁ショーの元ネタにしていたのは、西洋のタブロー・ヴィヴァンという見世物で、日本では「活人画」と訳されている。秦本人も、著書の中で、この活人画という言葉を使っている。京谷啓徳は「秦豊吉と額縁ショウ」(中野正昭編『ステージ・ショウの時代』所収)で、タブロー・ヴィヴァンの歴史について次のように述べている。
人が静止した状態で絵画を演じるタブロー・ヴィヴァン(活人画)は、初期近世の君主の入市式における同様の趣向を前史としつつ、十八世紀後半に正式に歴史の舞台に登場する。当時流行の古代熱を背景とし、聖書や神話の物語場面を描いた著名な絵画を古代風の衣装で演ずることの多かったタブロー・ヴィヴァンは、まさに新古典主義の申し子であったといえる。そして、それがウィーン会議の際に重宝された余興であったことからも推測されるように、当初は、古代趣味と芸術教養を共有する上流階級の高尚な娯楽であった。
ところが、時代が下るにつれ、タブロー・ヴィヴァンは舞台上の女性そのものを鑑賞する場、果ては裸体見物の場に変貌する。公衆の面前で裸体をさらすことがタブーとされた時代、そのタブーをかいくぐるための口実として、タブロー・ヴィヴァンが用いられたのだ。
タブロー・ヴィヴァンは上流階級の余興から、大衆相手のレヴュー・ショーに導入され、第一次大戦後、三菱の社員としてベルリンで勤務した秦も、それを大いに鑑賞し、日本にも導入しようと夢見ていた。
それを実現させたのが、額縁ショーというわけだが、前例が皆無なため、出演者選び及び説得に難航し、初回に出演した中村笑子は、ブラジャーにズロースという格好で、ボッティチェリの絵画を演じたため、秦の理想とはかけ離れたものになった。この時の公演が、好評だったか不評だったかというのは、人によって書いていることが違うのだが、秦が納得していなかったことだけは間違いない。そのため、次に白羽の矢を立てたのが、甲斐美和だった。その時のことを、『劇場二十年』の中でこう書いている。
「つまり上半身に何もつけないで、じっと動かずにいるだけで、無論それは名画の中の人物としてね、やってみる勇気がある?」
「ええ、やりますわ」
と即座に無邪気な返事をしてくれたのが、ダンシング・ガールとして入座していた、甲斐美和という、十九歳の元気な娘さんだった。
この少女は、小麦色の肌で、身長もあり、健康な処女らしい肉体であったが、肌の色は雪のように白くとはいかないが、証明で工夫したから、実に美しく、金と黒との額縁の中で、花籠を抱いた姿で、最初の記念すべきカーテンを開いて、ほんの四五秒、この「名画アルバム」を見せ、あっという間もなく再びカーテンを閉じた時は、場内はシンとした。私達もほっとした。
しかし、これとはまったく違う場景を、ロック座の支配人だった仲沢清太郎が『踊り子風流話』の中で書いている。文中で、「秦天皇」と呼称されているように、実際の秦豊吉は独裁者的人物として恐れられていたようだ(「帝国劇場の社長時代は法皇になった」とも)。
(筆者注:『ヴィナスの誕生』の後)秦天皇は、誰を額縁の中へ入れようかと、踊り子たちを物色した。
──と、目についたのは、小麦色の肌をした、堂々たる体躯をしている甲斐美和である。彼女は日劇系統の踊り子ではない。振付師の矢田茂(ダン・ヤダ)の弟子で、矢田茂が伴れて来た踊り子だった。
秦天皇はこっそり甲斐美和を呼んで口説いた。勿論、ハダカになって、額縁の中に這入らないかと云ってである。「娘、十九は、まだ純情よ」と、歌謡曲の歌詞にもあるが、まだ、純情、十九歳の彼女は、唯ただ、「厭です。厭です!」の一点張りで、恥しそうに断った。が、秦天皇はおだてたり、すかしたり、ねちねちと口説き続けた。
「お母さんさえ、いいと云ったら、私、額縁の中へ這入ります。」
と、ついに、彼女がこう云うところまで漕ぎつけてしまった。
そして、母親が呼ばれると、秦は外国のヌード・ダンサーの写真を見せ、いかに西洋では舞台での裸が珍しくないかということを説き、「あなたの娘さんは、帝都座ショウの踊り子さんの中でも、一番、美しい肉体をしていらっしゃる」とおだて、結果、日本におけるヌード第一号が誕生したという。
常識的に考えれば、仲沢の記述の方が真実に近いだろう。秦の文章は、自分に都合よく書かれているところがある。あと、秦のものだけ読むと、なぜ父親が出てこないのかわからない。仲沢は甲斐の父が死んでいることに触れているが、それが戸籍上の父ではないということまでは知らなかったようだ。
さて、二人が触れていないことが一つあって、それは「金」だ。恐らく、これが一番大きい。何しろ、生活の面倒を見ていた実父英徳が、第二次世界大戦中に死に、以後、自活を余儀なくされただろうから(英徳が英国籍に帰化していいたため、彼の資産は政府に没収された)。甲斐がダンサーという職業を選んだのも、そのためだろう。水上勉の私小説『フライパンの歌』は、昭和二十年から二十三年までの時代を扱っているが、貧困を抜け出すために、主人公の妻がダンサーになるという場面があって、そういう発想自体珍しくなかった。ちなみに、吉行淳之介が昭和二十一年に、月給四百円で女学校の時間講師をしていた時、「日劇(NDTが活躍していたほうの、つまり大きなスペースの方である)の案内ガールが、浅草の芝居に出てくるヌードモデル役として一日八百円でスカウトされた」らしいという噂を先の「踊り子」の中で書いている。
もしかしたら、秦は甲斐が母子家庭であることを知っていて、誘ったのかも。また、甲斐の母、氷川愛は、あえて実業家との愛人生活を選んだぐらい、貧乏暮らしを嫌っていた人である(甲斐もその性質を受け継いでいる)。英徳との出会いも、恐らく遊郭か待合のようなところで、かつて、俺の祖母に「連れ込み宿を経営したい」と言ったぐらい、性と金を繋ぎ合わせることに躊躇がない人だった。そういう倫理観を持っている母がいたからこそ、甲斐美春のヌードは生まれたのだと思う。
だが、甲斐の額縁ショーへの出演は長くは続かなかった。再び、『踊り子風流話』からひくと、
ある日のことだった。甲斐美春が恐るおそる秦天皇に云った。
「先生、お願いです。額縁ガールをやめさしてください。」
途端に、秦天皇の顔色がサッと変わった。
(略)
甲斐美春は帝都座ショウの呼物である額縁ヌードとして、他に掛替えのない踊り子である。その彼女が、突如、額縁ガールをやめさせてくれと云ったのだから、ワン・マン、秦天皇がサッと顔色を変えたのも無理からぬことだった。
「一体、どうしたと云うんだね?そりゃア、理由と事情によっちゃア、やめさせてくれと云うのなら、やめさせてあげないこともないが……。」
彼女は、明朗な、舞台熱心な、踊り子だ。ちょっとやそっと、人気が出たからと云って、すぐ、居直ったり、他の劇場へ抜かれていくような踊り子ではなかった。
「私が額縁ガールをやってることが、……伯父さんに知られちゃって、……伯父さんは、もう長いこと病気で臥てるんだから判りやアしないだろうと思ってたんですけど、それが、すっかり、伯父さんに判っちゃって、私も母も、ひどく叱られて……。」
彼女の亡き父に代って、親権者の立場にある病臥中の伯父が、強硬に反対していると云うのだから、秦天皇と雖も、彼女をハダカにして、額縁の中に立たす訳にはいかなくなった。
「病気の伯父さんが反対してるんなら仕方がない。早速、君の後継者を捜すことにしょう。」
意外にも、秦天皇は彼女の申し出を、あっさりと承認した。
ここに出てくる伯父さんが、範多範三郎である(もう一人の伯父である、範多龍太郎は、1936年に死亡)。第二次世界大戦前までは、会社経営も順調で、地元の名士としても活躍していたが、戦争の影響で事業の継続が困難となり、不本意ながら事業家を引退。その後、アルコールに溺れ、脳軟化症を患い、疎開先の中禅寺湖畔で敗戦を迎えた。敗戦後は療養のため、昭和二十一年に中禅寺湖から東京の南霊坂町に引っ越したが、病気の影響でほとんど会話もできなくなっていたらしい。だから、甲斐もその母も、ヌードになっても範三郎にはわからないと思ったのだろうが、誰かが密告したのか、親バレならぬ伯父バレということになったようだ。しかし、『日光鱒釣紳士物語』では、南霊坂町に引っ越した頃には「もうなにもわからないほど病状が進んでいた」というのだから、実際は別の誰かが範三郎の意思を忖度するという形で忠告したのか。
範三郎は、甲斐が「ル・パンテオン」で裸になってから、七か月後に死亡した。
甲斐は、「帝都座ショウのコーラスの一踊り子に戻った」が、西条昇のツイートによれば、昭和二十三年五月に、甲斐一と改名し、浅草ロック座でヌード・ダンサーとして再デビューしたようだ*1。しかし、仲沢によると、「もう、その頃は、猫も杓子も、ストリップ・ガールに転向していた時分だったので、全然、彼女は問題にされなかった。数ヶ月後病気を理由に、彼女はロック座の舞台から寂しく去って行った」。そして、現在(一九五八年)、「鎌倉にいるそうだ」としている。
その後の甲斐の足取りは誰もつかめず、朝日新聞が一九八六年二月八日夕刊の記事で、額縁ショーを取り上げた際も、消息不明となっている。俺の家ではちょうど朝日新聞をとっていたが、祖父は自分の妹が額縁ショーに出ていたことをよく思っていなかったので、この記事を見た時、不機嫌になったとか。俺も大叔母の人生についてはほとんど知らないが、どこかの実業家が彼女のペルセウスとなって、事実婚状態を続けていたらしい。また、その人に出資してもらい、銀座で母親と一緒にバーを出したこともあるそうだが、それは一年程度で失敗したという。
***
「いつから一人暮らししてるんですか?」
「大学卒業してからですね」
「じゃあ、それまでは、実家から大学に行ってたんですか?」
「はい。Y線のZというとこに住んでいて、一本だったんで。今もY線沿いに住んでますけど」
「え、大学はどこだったんですか?」
「あ、豊島大学です」
彼女のプロフィールから豊島大学じゃないかと冗談半分に推測していたが、まさか本当に当たってしまうとは!
「本当ですか! 僕もそうなんですよ。学部はどこですか?」
「文学部の日本文学科でした」
「えー! 僕もそうですよ。あれ? 一九九〇年生まれですよね?」
「ええ」
「じゃあ、同級生だったわけですね」
「あ、そうなんですね。ごめんなさい、覚えてなくて……」
「いや、僕も名前とかを見た記憶がなくて。僕は吉井先生とか、村川先生のゼミにいたんですが、多分違いますよね」
「そうですね、違うゼミでした」
「まあ、日文だけで二百人ぐらいいましたから、覚えてなくても不思議じゃないですよね」
まさか、こんな形で大学の同級生に出会うとは! 俺は普段オカルトの類を軽蔑しているが、自分にとって都合の良い偶然は大切にしていたので、これは運命なんじゃないかと思うことにした。
しかし、同じ大学までは良かったが、同じ学部・学科となると個人的に問題があった。当時の俺は恋人どころか友人もほとんどおらず、しかも四年の時には頭がおかしくなってゼミを無断欠席し留年までしていたので、そういう黒歴史を知っている共通の知人がいたら、それだけで全てが水の泡となってしまう。が、そうはいっても当時の話を避け続けるのも不自然だ。
「ゼミで思い出したんですけど、四年の時、オリエンテーションで中里学って人のゼミが開かれるって先生が言って、その時紹介した本が『中里学が天才になるまで』っていう本で、みんなが爆笑するということがあったんですけど、覚えてますか?」
「えー、いや、ちょっと覚えてないですね。そのゼミにいたんですか?」
「僕は行かなかったですけど、知り合いが入りましたね。普段は女の子ばかりの日文なのに、そのゼミは男しかいなかったって。日文って全体の四分の一しか男がいないから、すごいことですよ。あ、莵原さん、サークルとかには入ってたんですか?」
「文芸部に一年いましたけど、部員の人とあわなくて辞めちゃいましたね」
「そうなんですか。僕も、軽音サークルに一年いましたけど、辞めましたね。もう一つぐらい別のサークルに入ってればよかったなって、後から後悔しましたけど」
「二年生からだと入りにくいですからね、サークルって。いくつか掛け持ちしとけば、あとから選べたのかもしれないですけど」
「本当そうですね。じゃあ、バイトとかは?」
「近所のスーパーでしてました」
「変な人とか来ないんですか?」
「そんなにはなかったですね」
「僕は、サンシャインの方にあるツタヤで働いてたんですけど、結構、客層が悪かったんですよ。ヤクザが孫のカードでAV借りようとしたりとか。やっぱり、誰でも入れる店ってのは、どうしてもおかしなのが来ちゃうんですよね。一番、最悪だったのは、ツタヤなのに『ゲオどこにあんだよ』って聞いてきたチンピラですけど。僕が夜中にレジに立ってたら、外にあるクレーンゲームを『全然とれねえじゃねえかよ!』って叫びながら揺らしてる奴がいたんですよ。『やばい奴来ちゃったよ』と思ってちょっと奥の方に逃げたんですけど、たまたまその時俺しかいなくて、店に入ってくるなり『ゲオどこにあんだよ!』って言ってきて。それで『この辺にはないですね』って言ったら、『じゃあ、ここで借りるわ』って言うけど会員証持ってなかったんで、カード発行の手続きをとろうとしたら、そいつが保険証しか持ってなくて、『後日、住所確認が必要になります』って言ったら、『てめぇ、さっきと言ってることがちげーじゃねえかよ!』ってなぜかめちゃくちゃにキレ始めて。カウンターとかバンバン蹴って。俺は固まって。それで他の店員が副店長呼んで対応変わってもらったんですけど、俺はやることなくなって、溜まってたDVDを売り場に戻してたら、他のアルバイトが急いで俺のとこにやって来て、『氷川君、ここにいたのか。さっきの人が〈あの眼鏡どこにいった!〉って探してるから隠れたほうがいいよ』って言ってきて、男に見つからないように、棚に隠れつつ移動して。それで、終業時間までバックヤードに隠れてましたね。帰る時も待ち伏せされてんじゃねえかって、すごい怖かったですけど」
「結構変な人が来るんですね」
「アルバイトの店員も変な人いましたね。クレーム入れてきたおばさんに、カウンター越しに殴りかかったおっさんとか。その人、普段は気味が悪いほど丁寧な口調なんですけど、キレると手が出る癖があって、他のバイトとも仕事で揉めて深夜に殴り合いになって、レジが空っぽになって客がDVDを借りれなかったなんてこともあったりして。
まあ、その時は、おばさんの言ってることが明らかにおかしかったんですけど、「あんたじゃ、話にならんから店長呼んで」ってそのおばさんが言った瞬間、おっさんが「てめぇ、ふざけんなよ!」って、カウンター越しに飛びかかって。その場にいたみんなで、アメフトみたいに、おっさんをどうにか抑え込んだんですけど。当然、警察沙汰になって、後日警官立ち合いのもと謝罪して、おっさんはクビになったんですけど、その謝罪のときにおっさんがすごい不服気な顔をしてたらしいんですね。それで、おばさんが『この人、全然謝る気がないじゃいの』って言ったら、またおっさんが殴りかかろうとして、店長と副店長が慌てて止めるっていう。そのおっさんは洋画コーナーを担当してたんですけど、次の日、副店長が、その人が販促のために作ったポップとかを全部片づけてる時に、ふと気配を感じて横を見たら、クビになったはずのおっさんがすごい悲しそうな顔をして立っていて、副店長は『殺される』と思ったていう」
ということを、身振りを混ぜながら選挙演説の如く熱狂的に喋り続けていたら、急に悪寒が走った。そして、全身がぷるぷると震え始めた。昔、ジョーバという乗馬をモデルにした奇怪なダイエット器具が流行ったが、あれに乗っているような感覚。彼女にそれを悟られないよう、腕を組み両手で脇腹をぎゅっと掴み、人間バイブと化した身体をどうにか抑えようとしたが、焼け石に水で震えは止まる気配がない。おまけに、声までも震えてきた。時計を見ると、いつまのか二時間近く経っていた。
「そろそろ行きましょう」
と彼女がきっぱりとした口調で言った。まったく躊躇のない言い方だったので、嫌われたのかと思うぐらい。
「そうですね」
「その前にライン交換しますか?」
「あ、いいんですか?」
まさか、彼女の方からラインの交換を提案してくるとは夢にも思わなかった。ということは、二度目もあるということか? 俺は希望を持っていいのか? 生まれて初めて二度目のデートがあるのか? ようやく読み切りではなく、連載が持てるのか?
かなり久しぶりのライン交換だったので、手順を思い出すのにやや時間がかかった。それに、俺のアカウントには友達が七人しかおらず(家族をのぞくと五人)、それもどうにか見られないようにしなければならなかった。無事交換し終え、彼女のアカウントを確認すると、柴犬をアイコンに使い、「アリサ」という名前で登録していた。
「犬好きなんですか?」
「あ、好きなんですよ。いつか飼いたいと思って、アイコンに使ってるんですけど、一人暮らしだとなかなか難しくて」
「僕、犬飼ってるんですよ。シーズーとトイプードルの雑種で、名前は……」
「そろそろいいですか」
「はい」
会計のためレジに向かうと、彼女が財布を取り出そうとしていたので、
「僕が呼んだんだから、僕が払っておきますよ」
「いいんですか?」
「大した金額じゃないですから」
と大学生の時に購入して以来十年近く使い続けている、表面が爪でボロボロになったポール・スミスの財布から千円札を恭しく取り出し、百三十六円のお釣りをこぼさないように慎重に財布に入れ店を出た。
同じ電車で方向も同じだったが、彼女の方が近かったので、そこまで一緒に帰った。最寄りのN駅で降り、適当に選んだラーメン屋に入って注文した油そばを犬のように貪り食うと、ようやく震えが止まった。どうやら単純にエネルギーが切れていただけらしい。実感としては、将棋のプロ棋士ぐらい頭を使ったような気がする。ここまで考えながら喋ったのは、就活以来だが、それよりも時間は長い。おまけに、食事もしていなかったから、途中でガス欠を起こしたわけだ。
「やっぱり実際に会わないと本当に好きになるのは無理だな」
と油そばを飲み込みながら思った。プロフィールの表面的な情報だけだと、どうしても悪いことばかり想像してしまう。刺青の入った人間と遭遇した際、一般人なのか反社会的勢力なのか区別がつかないから、とりあえず避けるのと一緒だ。
確かに、マッチングした時やデートに誘えた時は、大きな喜びがあったが、それは達成感によるもので、恋によって引き起こされたものではなかった。顔写真やプロフィールから相手のことを気に入ってはいるのだが、現実に会うまでは未知の相手であり、それによって自然と防衛反応が出て、恋愛感情を生じにくくさせる。だが、実際に本人と会えれば、自分の生活領域に相手がいるという実感が、相思相愛への期待を異常に高め、その期待こそが恋へと繋がっていくのだ。
また、マッチングアプリの問題として、候補が多すぎることで、好意、関心が分散されるということがある。比較する相手が大勢いるから、変に目が肥えてしまい、結局誰のことも好きになれなかったりする。それに、「来週になればもっといい人が登録するかもしれない」という期待感も、一人の人間に集中することを妨げる。つまり、マッチングアプリというのは相手のことを好きになるのが大変なのだ(好きになれたとしても、グッドが返ってくるとは限らないという問題もある)。
しかし、俺は脈がないとわかるまで、アリサだけにアプローチし続ける所存である。その間、絶対に他の誰かにグッドを送ったりはしない。なぜなら、この恋愛を純粋なものにしたいから。
油そばを食べ終える頃、彼女からラインが来た。
「今日はどうもありがとうございました。色々お話伺えて楽しかったです」
「こちらこそ、今日はありがとうございました! お話できてよかったです。また、会いましょう」
すると、向こうから「OK」のスタンプが届いた。
帰宅すると、母から「どうだったの?」と聞かれたが、
「いやいや、それより、自転車のカゴにウンコついてたんだけど!」
と質問には答えず、代りに怒りの火山を噴火させた。自転車で家に向かっている間、彼女のことよりウンコの方が大事になっていたから。
「は? ウンコ?」
「スッペのウンコでしょ! この前病院連れてったんじゃないの?」
「あー、そうだったかも」
「ていうか、何でウンコしたこと気づかないんだよ。回るじゃん、スッペはウンコする時!」
「それで、ウンコはとってきたの?」
「ちょっと、待って。いやいやいやいや、それって俺がやるの?」
「気づいた人がやるのが当然でしょうが!」
「いや、原因は俺じゃないじゃん! 気づかなかったお母さんが取るべきじゃん!」
三十分後、ビニール袋とウェットティッシュを持って、俺は深夜の自転車置き場に向かっていた。ウンコは完全に乾燥していて、爪を使わなければ、そぎ落とすことができなかった。
『サン写真新聞』に掲載された、額縁ショーの出演中の甲斐美和。ポーズは、ルーベンスの『アンドロメダ』から。
マッチングアプリの時代の愛②
童貞は、大阪に旅行した際、梅田の女装・ニューハーフ風俗で捨てた。詳しいことは「童貞と男の娘」に書いたので繰り返さないが、今後のためにセックスに慣れておきたかったのと、初めての相手はやっぱり恋人がいい、という矛盾をアウフヘーベンさせた結果、女装した男と性交することを選んだ。元々、ボーイッシュな女が好みだったのもあり、あまり抵抗はなかった。
八月十一日に風俗に行き、風俗が終わった後西川と合流して一緒に食事をした。翌日、西川の他に、親の都合で大阪に引っ越した岸部という高校時代の友人も呼んで、三人で大阪観光をした。前日に、風俗に行ったことはもちろん黙っていた。西川も岸部も、中学時代からの付き合いだから、知り合ってもう十五年ぐらい経つけれど、三人共まったくモテないので、セックスとか恋愛関係の話をしたことがこれまでほとんどなかった。話すとしても愚痴か、彼女のできた同級生への羨望か、そんなことばかりだった。
行き先は、大阪に詳しくなっていた西川に全て任せた。彼の推薦する洋食店で昼食をとり、道頓堀にある、あのグリコの看板をバックに写真を撮ってもらった。それから通天閣に行き、そこでも写真を撮った。俺のしょぼいスマートフォンだとぼやけた写真になってしまうので、彼のiPhoneを借りた。出来上がった写真を見ると、これまでで一番マシに撮れていたので、ホッとした。
夏真っ盛りの時期だったので、少し歩いただけでも、シャワーみたいに全身から汗が流れ出た。皮脂で束ねられた前髪の先端から、汗がぽたぽたと落ちた。テレビや新聞でも、連日熱中症について注意が促されていたぐらいで、三人共、これ以上猛暑の中を移動するのは危険だと判断し、観光は午後三時ぐらいに切り上げて、大阪駅まで戻り、俺の新幹線の時間が来るまで、喫茶店でぐだぐだと暇を潰すことになった。
考えることは皆一緒なのか、ただの喫茶店でさえ、ちょっとした観光地並みに人が並んでいた。席についた瞬間、それまでの我慢が一気に崩壊し、身体がスライムのように溶けてしまった。西川は長身をくの字に曲げて、机に突っ伏し、岸部は口から魂を吐き出した。メニューを見るのさえおっくうだった。少し休んでから、ソーダを注文した。五分後、干上がった喉に冷え切ったソーダを一気に流し込むと、炭酸が全身に沁みわたり、活力がいくらか復活し、額に蛙の卵よろしくびっしりとついていた汗の玉も消えた。
「結婚してぇなぁ」
西川は近くにいた若い女連中を見ながら濃い灰色のため息を吐いた。
「この年まで独身だと、男も女もヤバい人しか残ってないじゃん」
「まあ、結婚してるってだけで、本当は異常な奴でも、なんとなく常識人に見えるところがあるからな」
と岸部。
「そうなんだよ。人間としての信用がさ、独身だとない感じがするじゃん。それに、いつまでもフラフラしてるってのも、不安で。俺いつまでこんな生活してんのみたいな」
「俺らどう見ても、結婚していないんじゃなくて、結婚できない人にしか見えないからな」
となるべく冗談のような口調で言ったが、まるで冗談にはなっていなかった。
「でも、相手がいないどころか、デートすら難しいからなぁ」
「ああ」
喉元までせり上がってきた陰鬱を強引に押し流すため、半分ほど残っていたソーダをさらにその半分まで飲んだ。そして、
「俺、今日写真撮ってもらうまでずっと自撮りでダブルスやってたけど、一か月でグッド0だったよ。死にたくなったね。というか、死んでたね。社会的に」
「それはまずいな」
「男って、どれぐらいグッドつくもんなの?」
「俺でも一番活動してた時で三十ぐらいかなぁ」
「すごいじゃん」
「デートはできるんだけどさぁ、その先がね。失敗するたんびに、自分がどこかおかしいんじゃないかって思えてくるよ」
「まあ、デートできるだけいいよ」
「婚活パーティーも行ってみたんだけど、女じゃなくて男と仲良くなって終わった」
「ああ」
「でも、遊んでみたいってのもあるよな。遊んだことないまま結婚するってのも、なんか味気ないよ」
「人生を無駄にしたような」
と岸部。
「お前、ダブルスでコミュニティ何入ってんの?」
俺が西川に質問すると、
「星野源とか」
「お前が本当に好きなのは、サザンだっただろ!」
「いや、サザンだとおっさん臭いじゃん」
「そういう基準なんだ」
「うん」
と不景気で湿気た生産性のないぐずぐずとした会話が延々と続いた。彼らとだらだら過ごしながら、いつまで自分はこういう生活を続けるんだろうと不安になった。しかも、年々それは強くなっていた。そういう感情は、他の二人も共有しているようだった。みんな焦っていた。この状況で誰かに恋人ができたら、抜け駆けのような感じになってしまうだろうと推測できた。しかし、自分はその抜け駆けを強く望んでいた。
旅行から戻った次の日、突如高熱に襲われ、「性病かもしれない」とパニックになった顛末は『童貞と男の娘』に書いた。幸い熱はその翌日にだいぶ治まったので、西川から送ってもらった写真を二枚ほどダブルス投稿し、自撮りを削除。それ以外に、話題作りのためペットの犬と、お洒落な雰囲気を出すために近所の工場の夜景も、サブとして追加。メイン写真の下にある「一言コメント」という欄に、「大阪旅行に行ってきました」と記入。最後に、五九八〇円支払い、三ヶ月プランに加入。その瞬間、運営からグッド!が三十ほど配布され、やっと俺のマッチングアプリ・ライフが始まるぜ、と鼻息荒く意気込む。
さて、最初のグッド!は誰に送ろうか、とお気に入りに入れていた女たちを、時間をかけて真剣に再調査する。一か月経っただけでも、何十人もの女がダブルスを退会している。退会したアカウントは、お気に入りから完全に削除されるわけではなくて、ニックネーム・身長・出身地・職種といった項目だけが残り、写真やプロフィールは見られなくなる。なので、「この人誰だっけ」ということが頻繁に起こり、お気に入りを何周かして、ようやく「あの人か」と気づく始末。そして、優先順位を高めに設定していた人がいつの間にかいなくなっていたり、最終ログインが一カ月前とかになっていたりと、ぼやぼやしていた自分を責めることに。
それでもまだ百人以上の女がお気に入りに残っていたので、やる気そのものを喪失することはなかったが、真面目に考えれば考えるほど「これだ!」という決め手がなく、もどかしいばかりでなかなか進捗しない。
そこで、学歴が「大卒」、年収が「二百万以上~六百万未満」、居住地が「埼玉南部・東京北部」、社交性が「少人数が好き」、休日が「土日」、お酒が「ときどき飲む or 飲まない」、同居人が「一人暮らし」という風に色々条件をつけ、絞り込んでいくことにした。もちろん、これら全てを満たしている人などほぼ存在しないので、あくまで目安だ。なるべく自分のライフスタイルに近い人から選ぼうと思ったが、「一人暮らし」を条件に入れたのは、「女の部屋」というものにものすごい憧れがあったから。二十八歳になっても童貞だった俺にとって、女の家はラスコー洞窟と同じくらい入るのが難しい場所だった。だから、死ぬまでに何とかして女の生活をのぞいてみたかったのだ。
逆に、これは外そうと思ったのが、年収が「六百万以上」、社交性が「大人数が好き」、結婚に対する意思が「今すぐ結婚したい」、お酒が「飲む」になっている人。年収に関しては、俺が低すぎるので、高い相手とは金銭感覚が合わないだろうと判断したから。酒についても、飲む人間と一切飲まない人間では、人種や性別以上の隔たりがあると考えたので。社交性や結婚観に関しても同様。
条件をつけて相手を選ぶことは、多くの人間から反発されそうだが、俺としては恋愛に真剣に取り組んでいるからこそ、条件をつけるのだと反論したかった。もし、条件をつけずに相手を選んだのなら、「誰でもいい」ということになり、それこそ不誠実だと思った。それに、大勢の中からたった一人を選んでいる時点で、条件をつけていない人間など一人もいないという考えもあった。本当に無条件で相手を選び出すなら、くじ引きでもするしかない。
お気に入りの中には、映画や音楽のコミュニティから探し出した人もいたが、グッドを送る相手は、文学好きであることを最低条件にしようと考えていた。なぜなら、話題に困った時、文学なら咄嗟に何か言えそうだったが、他のことになると面白い話ができそうになかったから。それに、数ある芸術の中で自分が一番入れ込んでいたのが「文学」だったというのもかなり大きい。
そして、夏休み最後の日に、とうとうグッド!を送る相手を決めた。その人との共通点は、三島由紀夫のコミュニティだった。おまけに居住地が豊島区と近く、「実家暮らし」という点以外は、前述の条件をほとんど満たしている。年齢は彼女が二個下だ。容姿も、アンニュイな雰囲気をまとった黒髪美少女といった風でまったく申し分ない。それなのになぜここまで迷っていたかというと、趣味が耽美系に寄っていて、そこがリアリズム好きの俺と違うなと思ったから。それに、レベルが高すぎて、俺なんか相手にされないんじゃないか、という卑屈な空想も頭をよぎった。その時、彼女についていたグッドの数は八十ほどだった。
まあ、ダメもとで送っとくか、と覚悟を決めてグッド!を送信。翌日、会社での昼休み中、スマホをいじっていたら、「マッチングが成立しました」という我が目を疑うような通知が飛び込んで来た。あまりにも上手くいきすぎてスマホを持つ手がアル中みたいにぶるぶると震えた。おいおい、マッチングアプリ楽勝か? 俺って実はモテるのか? マッチングアプリ万歳!
その日はいつも以上に定時即帰宅を実行し、凄まじい勢いで自転車を漕ぎ、夕飯を五分で流し込み、パソコンでダブルスのサイトを開いた。確かにマッチングしている。夢じゃなかった。しかし、恋愛経験のない自分は、ここからどう動けばいいのかわからない。ウディ・アレンの『ボギー! 俺も男だ』という戯曲では、冴えない主人公のために、空想のハンフリー・ボガートが恋のアドバイスをしてくれるという設定なのだが、俺にもボガートがいてくれれば、と思わずにいられなかった。とにかく、小一時間ほどメッセージを考えに考え、誤字が無いようメモ帳に下書きし、送ったのが、
「Oさん、はじまして。マッチングありがとうございます。氷川といいます。文学好きなところに共通点があると思い、グッドしました。よろしくお願いします!」
送信したものを見返したら、「はじめまして」が「はじまして」になっていた。せっかく下書きして推敲までしたのに、こんな凡ミスをするとは。プロフィールに、出版に関わっていたとか書いているのに恥ずかしい。あー、終わった、終わった。絶対馬鹿だと思われる。女はこういう小さいところから男を嫌いになるからな。あー、終りだよ、馬鹿野郎。
そうやって深く落胆していたら、二日後になってメッセージが返ってきた。
「こんばんは。グッドありがとうございます。文学は私も好きです。ですが、そこまで詳しくはないです。それでも良かったら、よろしくお願いします」
このメッセージを読んだ時、「そこまで詳しくはない」というところにまず視線がいった。いやいや、ダヌンツィオのコミュニティに入っていて詳しくないというのはないでしょうと心の中で突っ込んだ。その謙遜の仕方に若干引っ掛かりを覚えてしまった。もう少し自信を持てばいいのにと思った。もしかしたら、以前文学オタクに、「あれ読みましたか? これ読みましたか?」みたいな質問攻めにあって、それがトラウマになっているのかもしれないと想像した。
とにかくマッチングしたのだから、この縁を何が何でも大切にしなければいけない。現時点ではOさんが一番自分の理想に近いのだし、今後他の誰かとマッチングできる保証はないのだから。
しかし、ここからどうやってデートに誘えばいいんだ? つまらない誘い方をして断られたら一巻の終わりである。だが、デートに行きたくなるような文章や場所ってなんだ? 俺は彼女のプロフィールを暗記できるくらい読み込んでみた。若いけれどもはしゃいでいるところが一切なく、知的な人間を求めていることだけがわかった。知的な人間はどうやって女をデートに誘っているんだ? サルトルとかラッセルみたいなモテるインテリを参考にすればいいのか? 仕事中もずっとメッセージの文面を考えていたら、いつの間にか二週間以上経過していた。あまりにも時間が経ちすぎて、今更どんなメッセージを送ればいいのかさらにわからなくなった。
もうこれ以上悩むより、一度リセットして、別の人を探した方がいいんじゃないか? そんな考えが幾度となく去来し、「これだけ簡単にマッチングしたんだから、次も上手くいくさ」という楽観的観測を、俺の中の恋愛評論家が呟くようになった。
それで、Oさんと同じぐらい気になっていた二、三ほどのアカウントにグッドを送ってみた。並行するのが嫌なので、一度グッドを送ったら、最低三日は待った。きれいに一つも返ってこなかった。Oさんへのメッセージを考え続けた二週間、一度も女の方からグッドが来なかったのだから、当然と言えば当然の結果だった。Oさんとマッチングしたのは、完全にビギナーズラックだったのだ。今になって、恐ろしくもったいないことをしたと後悔した。
一番情けなかったのが、ヘミングウェイの『河を渡って木立の中へ』を読んでいますとプロフィールに書いていた大学生に送って無視された時。大学とかバイト先なんかでいくらでも恋愛できる時期にわざわざマッチングアプリをやっているということは、よっぽど「大人の男」を求めているんだなというのはわかっていて、俺ほど「大人の男」とかけ離れた人間もいないのだが、それでも「もしかしたら」という誘惑に負け、グッドを送り、案の定スルーされた。何が情けないって、大人の女を避けて、知識や人生経験でマウンティングのとりやすそうな学生に走ってしまったこと。しかも、無視されているのだから、二重に情けない。今後大学生には絶対にグッドを送らないと、その時決意した(院生は別)。
そして、アプリに課金してから一カ月経過したが、未だOさん以外誰ともマッチングしていないという状況になった。そのため、一カ月間、俺は「5グッド!未満」という極めてネガティブな表示を背負い続けるはめになった。その表示が余計に非モテを加速させているような気がしてならなかった。アマゾンや楽天で、評価の低い商品が買われにくいのと同じだ。
他のユーザーがどんな気持ちでダブルスをやっているのか知りたくなり、5chのダブルス・スレッドをのぞいてみた。マウスのホイールでスクロールしながらざっと百件以上の書き込みを読んでみたが、あまりの男の怨念の強さに気分が悪くなった。書き込みのほとんどが、女に対する罵倒だった。しかも、それがPart100以上にわたって延々と続いているのだから恐ろしい。
マッチングアプリは、実生活とリンクしていない分、気楽に始められるというメリットがあるが、その反面、ドタキャンなどの出来事も起こりやすかった。しかも、マッチングアプリは基本的に女優位の世界で、多くの男は自分からグッドを送り、「選ばれ待ち」という状況に置かれるから、そもそも自尊心が傷つきやすい状況が整っているのだ。マッチングアプリはよく就職活動に例えられたりするが、この場合、女が企業側で、男は就活生側。男はプロフィールという名のエントリーシートを女側に提出し、書類選考が無事通れば、マッチングということになる。そして、マッチングが成立しても、一次試験、二次試験と、恋人になるための審査は続く。そこで、明確な落ち度がない(と自分では思っている)のに、ドタキャンされたり、急に連絡がとれなくなったりすると、怨恨が醸成される。原因を知ろうにも、ラインがブロックされていたり、度胸がなくて聞けなかったりする。就活でも、原因不明のまま落とされると、かなりむかつくものだ。
マックス・シェーラーは、『ルサンティマン 愛憎の現象学と文化病理学』(北望社)の中で、「ルサンティマンを引き起こす最も重要な源泉は〈復讐〉衝動である」と言っている。そして、復讐には、「二つの特徴的な要素」が「本質的に備わっていなければならない」と言い、次のように述べる。
「まず第一に、即座に生ずる反撃衝動が──したがってまた、それに伴う怒りや憤怒の感情が──少なくとも一時的にか、あるいは一定の時間、〈抑制され〉内奥に押し込められて、そのために、〈ちょっと待て、いまにみていろ〉といった具合に、この反撃作用が別の機会や適当なチャンスが到来されるまで延期されるということがなければならない。第二に、この抑制は、即座に反撃に出ればきっと敗けるであろうという反省や、この反省に付きものの〈無力感〉〈無気力感〉という顕著な感情によって引き起こされるということである。こうしてみると、復讐はそれ自体、無気力感に基づく体験であり、それは常に第一義的になんらかの点で〈弱者〉に関わる事柄である。かくして復讐の本質には、それがいつも〈仕返し〉の意識を含んでおり、したがってそれは単に感情的な反撃ではないということが属していうるのである」(引用するにあたって、傍点と併記されたドイツ語を省略した)
5chの書き込みも、反撃が延期されたことによって発生した復讐心によるものだろう。だから、これらの感情は、相手に直接的な攻撃を加えていないという点で、ミソジニーよりもルサンティマンといった方が近いと思う。極端な例だが、その場で女をぶん殴るDV男は、女に対しルサンティマンを抱えていない。なぜ、DV男に恋人や配偶者がいて、ネットに悪口を書き込む男にいないのかと言えば、そういうことなのだ。罪の度合いで言えば、直接的な暴力の方が大きいが、陰湿さで言えば、ネットでの陰口の方が大きく、オスとしての魅力に劣る。そうした消極的・小心者的態度は、恐らく普段の生活態度からも滲み出ているのだろう。なので、余計悪循環に陥る。また、一度ルサンティマンに囚われると、女の行動全てが悪意そのものに見えてくる。だから、きっかけは一人の女の行動だったにもかかわらず、最終的には女そのものが憎悪の対象となる。日本には、そういう心境を描いた有名な小説がある。夏目漱石の『こころ』だ。
掲示板でもSNSでも、ネットというのは似たような感情、感覚を持った人間が見つかりやすいので、集団化して、より過激になったりする。中には対立をあえて煽っていくような言動をする奴がいるから、尚更たちが悪い。だから、精神が弱っている時こそ、そういう場から離れるべきなのだ。
俺はキャッチーな言葉によるアジテーションや、集団で同じ感情を増幅させていくようなことが嫌いだったから、5chのダブルス・スレに入り浸って、愚痴を書き込むようなことはないとほぼ確信できたが、万が一ダブルスで嫌な目にあっても、必要以上に深刻に捉えることだけは止めようと決めた。
マッチングアプリの時代の愛①
恋と天才──これこそ僕が心に直感し、かすかに垣間見た蒼穹だった。僕はこの輝く空の光に打たれ、狂おしいばかりの魅力をたたえた幻影をとらえたのだったが、その空も今は永久に閉ざされてしまった。僕のことなど構ってくれるひとはいないのだ。そうでなかったら、もうそのひとは現れていていいはずではないか──こんなにも僕は恋人を、天使を焦がれ求めているのだから。
フローベール「思い出・覚書・瞑想」(山田𣝣訳)
興奮よりも憂鬱が勝った状態で、体臭のこもった穴倉に潜む野犬のように、俺はじっと女を待っていた。風俗店側から指定された、歌舞伎町の狭く黴臭いラブホテルの一室。苦痛に満ちた緊張で汗が滲み、性欲は一向に沸き上がらず、鈍い倦怠感だけが胃の中にたまっていく。無心になりたくてテレビをつけると、平成最後の日ということで、どのチャンネルでもその話題で持ちきりだった。どこかの局のアナウンサーが、街に出て通行人に感想を聞いている。まったく別世界の出来事にしか思えなかった。うんざりして、リモコンのチャンネルボタンを適当に押すと、NHKからプレイボーイ・チャンネルに切り替わった。無音の世界で裸の白人が海草の如くくねくねと揺れている。音量を上げても、何も聞こえてこない。もう一つ隣のチャンネルに回すと、海辺の岩陰で水色の水着を着たAV女優が、ぬちゃぬちゃという、わざと下品な音をたてながら、男に延々とフェラチオをしていた。何を見ても興奮するどころか、ひどい自己嫌悪に襲われたので、テレビを消した。一人でいるのに、なぜか気まずかった。飲みたくもないお茶を無理やり喉に流し込んだ。それからトイレに入り、ロールパンみたいにスカスカなペニスから小便をひねり出した。また何もすることがなくなった。
本当なら、今日はマッチングアプリで会った女と新宿で買い物する予定だった。それが当日ドタキャンされた。ぽっかりと空いた予定と心を埋めるため、衝動的に風俗の予約をした。あと数分もすれば女が到着するはずだった。しかし、気分は晴れるどころか、どんどん鬱屈とするばかり。無音の室内に、心臓のざわつきが響く。乾いた空気が、喉をちくちくと刺激する。俺は固いソファーに座りながら、暇つぶしにツイッターのタイムラインを眺めた。
マッチングアプリに興味を持ったのはそのツイッターがきっかけだった。俺がフォローしている人は、類は友を呼ぶというか、モテない人が多く、三十歳間近で童貞という人もいた。その童貞の人が、マッチングアプリで会った女にひどい目にあわされた、みたいなことを半分ネタ的にツイートしていたのだが、むしろ俺は、アプリを使えば童貞でも女とデートすることができる、という点に強い衝撃と勇気をもらったのだ。これまでの人生、モテない自分にとって、二人きりで「会う」ということすら、相当な困難かつ方法がなかったから、彼のツイートによって、霧の向こうに隠れた恋愛の入口がほのかに見えた気がした。とにかく何が何でも出会いたかった。それほど女に飢えていた。しかし、それまではマッチングアプリという存在が、自分の性格や生活とはまったく真逆のものと認識していたのだから、まさにコペルニクス的転回となる出来事だった。
が、今すぐにアプリを始められない事情があった。当時、二十七歳で童貞だった俺は、限りなく無職に近いフリーという立場で仕事をしていて(書籍の編集者から依頼された雑用をこなしていた)、デートやアプリに捻出できる金がまったくなかった。それに、定職に就いていないというのも、女からすればマイナスすぎる。だから、「就職して、金銭に余裕が生まれたら絶対にマッチングアプリをするぞ!」と泣く泣く見送るしかなかった。
アプリに手を出す前は、ツイッターで彼女を見つけようとしたこともあった。カルチャーに造詣が深いツイッタラーとして一部で人気者となり、カルチャー好きの女と交際しようなどと密かに目論んでいた。実際、そういう例がいくつもあった。実生活ではまったくうだつの上がらない俺も、それを隠せるツイッターなら、敗者復活戦よろしく、みんなから好かれるかもしれないと夢想した。結果的には、女が食いつくほどフォロワーが伸びず、ツイート内容もモテないことをネタにした自虐的なものばかりだったので、相互フォローが男ばかりになり、当初の目的とは大きく外れたアカウントとなってしまった。どうやら、ネットでも実生活でも、大勢の人間から好かれる能力、つまり愛嬌とか社交性のようなものが、俺には完全に欠如しているらしい。感情を表現するのが苦手で、喜怒哀楽に乏しいから、可愛げがなく見えるし、ガードが固いので人がまったく寄り付かない。盛り上がっているライブハウスの後ろで無表情のまま棒立ちしている人間がいたら、俺だと思ってくれていい。
それでも何人か相互フォローになった女はいたので、DMでこっそりデートに誘ったことが二回ほどあった。しかし、普段まったく絡んでいないのに、いきなりそんなことをしたものだから、あっさり断られて終わった。そもそも、フォローし合っているだけの関係から、恋愛にまで発展させる器用な真似ができるなら、二十八まで童貞ということにもならなかったはずだ。ツイッターに限らず、職場とか、学校の同級生でもいいが、ちょっとずつ距離を詰めていくのが本当に苦手で、世間話する間柄になるだけでも相当な時間がかかる(それは相手が同性でも変わらない)。それで、今までとは違う恋愛の仕方を暗中模索していた時に、マッチングアプリが救世主の如く現れたのだ。
大学生の頃、異性との出会いを仲介するサイトは、「出会い系」と総称され、反社会的勢力が絡む、危険なものとして捉えられていた。登録している男女の大半が売買春目的で、下手したら美人局にあうとも言われていた。だから身の回りでそういうサイトに登録している人間は全然いなかったし俺も興味すら抱かなかったが、何年か前から、「出会い系」がいつしか「マッチングアプリ」と名前を変え、サイト側も真面目な出会いを喧伝し、会員を着実に増やしてきていた。
やはり、「普通の女」が、ネットを経由した出会いを、受け入れ始めたのが大きいだろう。マッチングアプリにしても婚活サイトにしてもテニスサークルにしても乱交パーティーにしても、まず女がいないと男も集まらないから。女が一人いるだけで、何人もの男がそれにつられてやってくる。しかも、それが「サクラ」でもなく「プロ」でもないのだから、余計に貴重だ(もちろん、「サクラ」が完全にいないわけではないが、サクラに対する心配よりも、素人と会えることへの期待の方が大きいということ)。だから、マッチングアプリは基本女無料、男有料で、それでも採算が取れるほどに男女比が歪なのである。
結局、俺がマッチングアプリをダウンロードしたのは、あのツイートを読んでから約一年後の、二〇一八年五月後半。二十八歳の誕生日まであと二か月という頃。ようやく内定が出て、七月入社と決まったので、就職前にあらかじめマッチングアプリの研究をしておこうと、少し早めにダウンロードしてみたのだ。
登録したのは、幾多あるマッチングアプリの中でも最も会員数が多いという「ダブルス」というアプリ。「マッチングアプリ初心者はまずこれから」とネットで見たので、それに倣った。よくわからないものに対しては、常に一番人気のものを選んでおくという習性が俺にはある。
マッチングアプリの仕組みを簡単に説明する。ダブルスでは、男の場合、課金するとひと月に三十の「グッド!」をもらうことができる。このグッド!を、コミュニティや条件検索などで見つけた女に送り(ちなみに、プロフィールは異性のものしか見ることができない)、向こうからもグッド!が返ってくれば、マッチング成立となり、そこで初めてメッセージのやり取りをすることが可能となる。興味のない男をスルーでき、一方的にメッセージを送りつけられることのないこの仕組みが、女のマッチングアプリへの参加を促したともいえる。
七月になるまでは様子見のつもりだったので、登録だけして課金せず、プロフィールも書かなかったのだが、課金しないと使える機能にいくつか制限がかかった。例えば、相手が一か月でどれくらいグッド!をもらったのかわからない、つまり男からどれくらい人気があるのか知ることができなかったり、マッチングしても相手からのメッセージが読めなかったり、こちらからは最初の一通しか送ることができなかったりした。サイト側は、一通目にラインのアカウントやメールアドレス、URLを載せることを禁止していて、これを破ると強制退会となる。だから、出会うためのやり取りをするには、課金が絶対不可欠なのだ。
ちなみに、俺にとってダブスルの仕組みは精神的にめちゃくちゃ楽だった。これまで、恋愛において、自分が積極的になれない理由の一つとして、相手が自分のことをどう思っているかわからない、というのがあった。「もうデートに誘っていいぐらい仲良くなっただろうか?」とか、「俺のことなんて眼中に入ってないよな」とかそんなことを考えていると、下手に動いて関係性が壊れないか怖くなり、結局何もできなかった。あと、周囲の人間に、自分が誰に好意を抱いているかなんてことを知られたくない、というのもあった。その点マッチングアプリなら、興味がないなら無視されるだけで、実生活の人間関係には何の影響も及ぼさないし、マッチングしたなら、相手が俺に少しでも興味を持っているのだと自信を持つことができる。
さらに言えば、最初から一対一で会えるというのも魅力の一つ。会社でも学校でもオフ会でも、あるグループ内で恋愛するには、その中で形成されるヒエラルキーにおいてある程度上位に居座らなければいけないが、俺みたいに集団となるとまったく意見の言えなくなる男にとっては、無理難題だった。会社で目標設定面談の時期になるといつも「もっと自分の意見を言え」と上司に注意される始末なのだから。自分がこうでありたいという意見はあるが、集団そのものが発展しようが衰退しようが、どうでもいいとしか思えず、まったくそこにコミットできないので、結果、存在感がエベレスト山頂の空気より薄くなる。なので、そういう社会における無能さを露出せずに済むというのはありがたかった。
ダブルスに登録して最初に行ったのがコミュニティの検索・加入だった。ダブルスのコミュニティはミクシィーと違い、直接交流するためのものではなく、プロフィール上で自分の性格や趣味を表現するためにある。ダブルスは会員数が日本一ということもあって、かなりマイナーなコミュニティも結構あった(内田百閒とか、ドゥルーズとか)。俺はとりあえず、自分の一番好きな、大江健三郎、谷崎潤一郎、川端康成、アメリカ文学のコミュニティに加入した。
しかし、これらのコミュニティはあまりにも参加している女の数が少なかった。具体的には、大江健三郎が115人中5人、谷崎潤一郎が875人中125人、川端康成が215人中34人、アメリカ文学が98人中2人(ただし、しばらくして、仕組みが変わったのか、コミュニティの参加人数が大幅に減少するという事態が起き、この時と今では人数に大きな違いがある)。谷崎には『痴人の愛』、『春琴抄』といった女性崇拝的な作品があるせいか、この中では女人気が一番高い。逆に、大江は全体の人気がそもそも低いし、女受けとなると最低レベルで、「大江、もうちょっと頑張ってくれや」と叱咤したくなった。ちなみに、村上春樹は9203人中1061人。俺は、『懐かしい年への手紙』と『ノルウェイの森』が同時期に発売された時、書店で『懐かしい年への手紙』が『ノルウェイの森』に圧倒されていた、という物悲しいエピソードを思い出した。
意外だったのは川端で、文庫の読まれ具合からして、それなりに読者がいると思っていたのだが、谷崎の半分以下しかコミュニティに参加していない。ちなみに、他の純文学作家でいうと、夏目漱石が1019人中130人、芥川龍之介が496人中51人、太宰治が1414人中206人、三島由紀夫が1397人中165人だった。なぜ川端がこんなにも人気がないのかは謎である。
さて、本当に好きなものだけにコミュニティを限定すると、共通点を持った女があまりにも少なくなってしまうので、以降は会話に出せるぐらいのものも追加することにした。文学だけでなく、映画(デヴィッド・リンチ、ウディ・アレン、ルイス・ブニュエル)や音楽(銀杏BOYZ、リバティーンズ、フガジ、ニルヴァーナ)、アート関係(アンディ・ウォーホル)のコミュニティにも入った。自己満足として、誰も入る見込みのない、マイナーな作家のコミュニティも作った。結局、加入したコミュニティの数は六十にまでのぼった。これ以上入ると、人物像が散らかりすぎると考え、その辺で打ち止めにした。参加したコミュニティのほぼ全てが芸術にまつわるもので、客観的に見て変人臭がぷんぷんしたが、旅行にも温泉にもキャンプにも食べ物にも酒にも洋服にも興味がないから仕方ない。
それ以外に、自分の性格や経歴を示すようなコミュニティにも入らなかった。どちらもネガティブなものにしかならないからだ。もし俺が正直に、「初めて会うときに緊張する」なんてコミュニティに入ったりしたら、普通に敬遠されるだけだろう。一番不思議だったのは、「恋愛経験少ない」というコミュニティに男が二万人以上も入っていたこと(女は一万人)。女なら、「自分は軽い人間ではない」というアピールにもなるが、男の場合、大学生か相当な高スペックの持ち主じゃない限り、「経験少ない人にしか見えませんよ」ということになる。だから、自らマイナス・イメージになるようなコミュニティに入る男というのが、俺にはよく理解できなかった。ものすごく自分に自信があって、ちょっとした「ギャップ」を狙っているということなのだろうか?
コミュニティ探しがひと段落したので、課金した際、すぐにグッド!が送れるよう、自分の入っているコミュニティから気になる女をピックアップし、次から次へと「お気に入り」に突っ込んだ。その全員と付き合いたかったわけではなく、どのプロフィールを見ても、「帯に短し襷に長し」といった感じで、なかなかピンとくる人がいなかったので、後で慎重に吟味しようと、ひとまずお気に入りに入れておいたのだ。
この作業はかなり楽しかった。例えば、谷崎潤一郎のコミュニティに入っている女のプロフィールを見て、「こういう人が谷崎のファンなのか」というのがわかったりして、興味深かったから。また、同じコミュニティに入っている人でも、ふわっとした感覚で入っているのと、ガチで好きなんだろうなという人の二手に分かれていて、俺は後者の方に好感を持ったが、基本的にコアな感じの人は少数派だった。
当初、俺は文学の研究をしている大学院生とか研究者とかも探してみたのだけれど、これが全然いないのである。特に、同世代となると壊滅的で、まだマッチングアプリに抵抗があるのか、もっと若者向けのマッチングアプリに手を出しているのか、それとも現実世界で恋人を見つけているのか。余談だが、「文系大学院を卒業しました!」というコミュニティのアイコンには、『文系 大学院生サバイバル』のカバーが使われていて、コミュニティを作った奴の叫び声が聞こえてきそうである。
そうやって、女のポケモン図鑑を作っているうちに、一刻も早く課金して、女と会いたくなってきた。しかし、ネット上に無限に転がっているマッチングアプリ攻略サイトみたいなのを読むと、どのサイトでも、プロフィールの写真が「めちゃめちゃ大事」と書いてある。ダブルスでは、「メイン写真」と「サブ写真」の二か所に写真を投稿できて、メイン写真は一枚のみ、サブ写真は無制限に投稿できる。そして、サブ写真はそのアカウントのプロフィール・ページまで飛ばないと見ることができないが、メイン写真はアカウントのアイコンとなるから、当然一番良い写真を載せなければならない。攻略サイトによれば、メイン写真は、自撮りではなく、友人に撮ってもらったもの(同性が一緒に写っていればなお良し)が好ましいという。一番やってはいけないのは、自撮りしか載せないこと。確かに、自撮りしかあげていない人は、友達がいないのかなと勘ぐってしまうし、ナルシシストにも見える。特に男は女に比べて自撮りする習慣がないから、余計にまずい。
だが、写真嫌いで、人間関係に難がある俺は、手元に使える写真が一枚もなかった。いや、就活の時に使った証明写真の残りがあったが、そんなものをアイコンに使ったら、友人がいない人格破綻者であることを宣伝しているに等しい。しかし、家族に頼めば理由を聞かれ面倒臭いし、唯一頼めそうな友人も、転勤で去年から大阪に行ってしまっている。なので、試しに自撮りを載せてみて、その反応を見てから、色々考えることにした。
夏が濃厚になり始めた六月のある日、同居している家族(母と祖母)が出かけた隙に、女受けがよいという理由からスーツ(就活時に青山で購入)に着替え、さっそく格安スマホのしょぼいインカメラで自撮りしてみた。すると、無表情で、アンパンのように膨らんだ顔をした、不気味さばかりが際立つ通報必至の不審な男がそこにいた。不意に、小学校の頃、いじめっ子の女子から「氷川は将来人を殺すと思う」と予言されたことを思い出した。
とにかく、あまりの醜さに耐えられなくなり、数秒でそれを削除。腕を目一杯伸ばしたり、表情を頑張って作ってみたりと、俺なりに色々努力してみたが、全然上手くいかないので、ネットで自撮りのテクニックについて調べてみると、「鏡に映った姿を撮影すると、写りの良い写真が撮れる」と書いてあるのを発見。確かに、公衆トイレの鏡を利用した自撮りをツイッターとかで結構見たことがある。そこで、洗面所の前に行き、歯磨き粉の飛び散った三面鏡を丁寧に拭いてから、トイレのドアをバックに写真を撮った。が、あまりにも生活感が溢れすぎていて、恐ろしく貧乏臭かったので、没にせざるを得なかった。
次に、デジカメのタイマー機能を使って、あたかも他人に撮ってもらったかのような写真を捏造しようとした。三脚という文明の利器を持っていなかったので、椅子に大量の本を積んで、高さを調節し、何度も試し撮りをして、立ち位置を決めた。途中、本が崩れそうになって慌てた。撮影場所は、インテリに見えるように、本棚の前にした。そこは、パソコンが置いてある家族共用の部屋で、六畳程度の広さだったが、ほとんど俺しか使っておらず、半ば俺が占拠するような形となっていた。ちなみに、自分の部屋は荷物が多すぎて、十年以上寝ること以外使用していない。
その部屋は、マンションの構造のせいなのか、他の部屋に比べて異様に蒸し暑かった。にもかかわらずクーラーが設置されていないので、そこにいるだけで汗が泉の如く湧き出、額に玉を作った。我慢できなくなり、ジャケットを脱ぐ。タイマーをセットして、ラーメン屋の店長みたいに腕を組んでポーズをとっていると、飼い犬のスッペ(トイプードルとシーズーの雑種で牝。母親がラーメン屋からもらってきた)が退屈したのか部屋に闖入し、俺が自撮りしているところを観察し始めた。この犬は、俺がオナニーしている時もたまに入って来くる空気が読めない犬なのだ。邪魔なので、犬用のたまごボーロを口止め料代わりにやって部屋から追い出した。
出来上がった写真は、インテリどころか「表情筋が死んだのび太」という風で魅力的どころか怖かった。しかも、汗で髪はつぶれ、顔は光り輝き、眼鏡はずれている。そもそも冷静に考えれば、ワイシャツにスラックスという格好をした男が、自宅の小汚い本棚の前で誰かに写真を撮られているというシチュエーションが謎だ。だが、自撮りに疲れたのと、これ以上やっても良くなることはないと半ば諦めて、ここらで打ち切ることにした。それに、さっさと次の段階に進みたかった。俺は出来上がった写真を若干補正してから、ダブルスに投稿した。写真には審査があり、運営が判断するまで五分ぐらい時間がかかる。規約では、はっきり本人だとわからないものはダメらしく、例えば女装写真もアウトという(女として登録しているならOK。実際、トランスジェンダーを数人見た)。
五分後、審査に通ったという通知が来た。なので、今度はプロフィールをどんどん埋めていくことにした。自己紹介文は時間がかかりそうなので、簡単に埋められる身長とか血液型から手をつけた。ダブルスは身体的特徴だけでなく、恋愛観・結婚観から、性格・趣味まで情報を入れられるようになっている。婚活目的でやっている人もいるから、それだけの細かさが求められているのだろう。
プロフィール入力で、最初に悩んだのが、居住地だった。住所的には埼玉だが、実際には板橋区まで徒歩五分という境目に住んでいて、最寄り駅も板橋区なので、むしろ埼玉の方が遠いぐらいなのだ。だから、東京にしたかったのだが、そこは自己紹介文で説明することにして、正直に埼玉と書いた。
次に困ったのが年収。手取りだと二百万を切るので、額面で考えることにしたが、それでも二百五十にすらいかない。泣く泣く真実を入力しようとしたら、ダブルス側の用意した選択肢というのが、「二百万未満」、「二百万以上~四百万未満」、「四百万以上~六百万未満」と、低収入者に優しいつくりになっていて、四百万未満の方に誤解してくれることを願って、「二百万以上~四百万未満」を選んだ。実際、二十八歳・大卒・会社員というプロフィールを見たら、そいつの年収が二百万程度しかないとはあまり思わないだろう。多分、ダブルス側もそういうことまで念頭に置き、この選択肢を作成したと思われる。
やや風変わりな項目としては、「初回デート費用」というものがあった。「男性が全て払う」という選択肢はあるのに、「女性が全て払う」はなかった。どうも、女の方でも同じ選択肢が出ているらしく、「男性が全て払う」を選んでいる人はいたが、「女性が全て払う」はまだ見たことがない。しかし、「男性が全て払う」を選んでいる女の自信と正直さには、呆れると同時に感心した。仮に「女性が全て払う」という選択肢があって、俺がそれを選んでいたら、「お前のどこにそんな魅力あんねん」と似非関西弁でツッコミが入るだろうから。
映画のチケットや夕食程度なら奢ることに吝かではないが、最初から奢られることを目的として会いに来る奴には奢りたくない、と俺は思うのだが、そういう女でもグッド!がそれなりについているのを見ると、何が何でも奢りたい(そしてセックスしたい)という男は少なからずいるらしい。というか、「男性が全て払う」という選択肢は、まともな男を遠ざけ、そういうヤリモクを引き寄せてしまう効果がある気がするのだが……。俺自身は、実際にデートすることになったら自分が全て払うけれども、会う前から期待してほしくないということで、「相手と相談して決める」というのを選択した。
最後に、「性格・趣味・生活」欄に移る。性格・タイプという項目をクリックすると、「聞き上手」とか「天然」とか「熱血」などいった選択肢が五十個近く現れた。当然、ネガティブなものは最初から排除されているのだが、そのおかげで選べるものがほとんどなかった。そもそも、自分から「知的」とか「謙虚」なんてことを主張するのは、恥ずかしくできない(第一、自分で「謙虚」なんて言ってるやつは謙虚じゃないのでは)。それで、「インドア」にだけチェックを入れた。そして、性格・タイプの下にあった社交性を「ひとりが好き」、お酒を「飲まない」、趣味を「読書」にしたら、何のためにマッチングアプリをやっているのかわからない超陰気な人間が完成してしまった。しかし、嘘をついたところで器用じゃない自分はすぐに馬脚を露してしまうだろうから、結局、性格・タイプのところに、「穏やか」というのを追加し、社交性を「少人数が好き」とだけ変更し、それ以上はいじらなかった。
年収以外で、明らかにネックだなと思ったのが、同居人の項目で「実家住まい」を選んだこと。女からすれば二十八にもなって親元に寄生している男なんぞ、露出した地雷にしか見えないだろう。事実、甘えているのには違いないのだから弁解のしようもないのだが、引っ越す金もないので、それを気にしない女を探すしかなかった。
最終的に出来たプロフィールというのが、
身長:174㎝
体型:普通
血液型:AB型
居住地:埼玉
出身地:埼玉
職種:会社員
学歴:大学卒
年収:二百万以上~四百万未満
タバコ:吸わない
ニックネーム:R・H(本名の氷川陸人をアルファベットにしただけ)
年齢:27歳(一か月後には28に)
国籍:日本 結婚歴:独身(未婚)
子どもの有無:なし
結婚に対する意思:良い人がいればしたい
子どもが欲しいか:わからない
家事・育児:積極的に参加したい
出会うまでの希望:気が合えば会いたい
初回デート費用:相手と相談して決める
性格・タイプ:穏やか、インドア
同居人:実家暮らし
休日:土日
お酒:飲まない
好きなこと:読書、映画鑑賞、音楽
基本的なプロフィールが全て埋まったので、自己紹介文を書くことにした。しかし、これが結構難しい。今の時代、『シラノ・ド・ベルジュラック』みたいに、文章だけで女が惚れるということはないが、ある程度の社会性・人間性を示すツールにはなる。女のプロフィールを見ても、短すぎる人は知性ややる気を感じにくいし、長すぎる人はこだわりの強い神経質そうな人に見えてしまう。ダブルスでは、自己紹介用の例文を用意しているのだが、それを見ると、結構な数の女が例文をそのまま流用しているのがわかって、おかしかった。一応、俺は文章に関してはそれなりの矜持があるので、一から自分で書くことにしたが、自慢できるような経歴がなくて煩悶した。とにかく、経歴の上澄みだけを掬ってなんとか書き上げたのが、
埼玉と板橋の狭間に住み、普段は新宿で働いています。
以前、出版の仕事に携わっていましたが、今は就活関係の会社で事務員をしています。
アメリカや日本の小説、パンク、映画が好きです。芸術家の伝記もよく読みます。
あと、ブログを書いていて、文学についての本を出すのが目標。
趣味があったら、お話しましょう。
よろしくお願いします!
本を出すのが目標とか書いたが、そんな予定や出版社とのコネもないどころか、まず本になるような原稿がなかった。けれど、ただの低年収事務員だと、まるで向上心のない薄っぺらで怠惰な男にしか見えないので、「自分、夢あります」という姿勢を少しでもアピールするしかなかった。やや心苦しかったが、背に腹は代えられない。
さて、一体これでどれくらいのグッド!がくるのか。一応、第一候補、第二候補と気になる女の子は何人か絞り込んでいたのだが、この変な写真のままこちらからグッド!を送って無視されたら悔やんでも悔やみきれないので、とりあえず今は女からどれくらい人気が出るのかだけ確認しようと、ログインだけして、しばらく放置した。
久しぶりの満員電車、初めての会社員。仕事そのものは難しくないし(つまり、誰にでもできる)、基本定時で上がれるが、精神の疲弊はどうしようもなかった。しかも、文筆で食えるようになったらすぐにでも辞めようと思っているから、余計に「無駄なことをしている感」が強まる。それにプラスして、「会社員をしている俺は俺じゃない」というつまらないプライドも、疲れを増加させるばかりだった。
就職してからの生活サイクルは、七時起床、十九時半に帰宅・夕食。二十時から二十一時まで仮眠をとってから、風呂に入り、二時半まで読書というものになった(最初の二週間は三時まで起きていたが、エスカレーターで眠って落ちかけたので止めた)。足りない睡眠時間は、電車の中と昼休みに寝ることで補った。ダブルスは、読書している合間にちらちらと確認した。俺はスマホのフリック入力が好きではないので、ネットもラインも基本的にPCでしかしない。ラインの場合、とりあえず文章は読むが、緊急性がない限り、家に帰ってPCから返信している。ダブルスも、スマホからだと操作を誤りそうなので、極力PCからログインするようにしていた。
ダブルスで同世代の女のプロフィールを見て回っていると、十人並みの容姿なら、だいたい五十ぐらいグッド!を貰っている人が多かった(便宜上、「十人並み」という表現を使ったが、俺からすれば十分かわいい)。また、百越えも全然珍しくなく、美人にもなるとあまりにもグッド!を貰いすぎて、「五百以上」という表記になり、具体的な数字が出なくなる。どうも、ある地点を超えると、行列がさらなる行列を作るように、加速度的にグッド!が増えていくようだ。大学生のように若い人が有利なのは当然だが、意外に四十代後半でも五十前後のグッド!を獲得している。ただ、長くやっていれば、自然にグッド!の数は下がるが、それでも、ログインさえし続けていれば、大幅に下がるということはあまりない(最初から大量のグッド!をもらっていた人は別だが)。
野球の野村監督が、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という格言をよく使うが、ダブルスでもそんなに美人ではないのにかなりの数のグッド!を貰っている人がいる。ダブルスには「足あと」という機能があり、これをONの状態にして相手のプロフィールにアクセスすると、自分のアカウントが向こうに表示されるのだが、恐らく、そういう人は足あとをつけまくっているのだろう。俺のところにも、共通点が全然ないのに、足あとをつけていく女が何人もいて、その人たちはおしなべてグッド!が「五百以上」だった。女のプロフィールを眺めるのが趣味の俺は、もちろん足あと機能をOFFにしていた。
それら女のもらっているグッド!の数から、俺も十ぐらいはグッド!をもらえるんじゃないの、と軽く見積もっていたら、一か月近く経っても一切グッド!が来なかった。ダブルスでは、「0グッド!」という表記はなく、「5グッド!未満」(直近三十日間)という表し方になるのだが、自分のプロフィールの左上にでかでかとそう表示されているのを見ると、悲しくなると同時に途方に暮れた。選ばれないことの絶望と不安。恋愛市場における自分の商品価値の無さを骨の髄まで思い知らされた。しかし、ここで諦めるのも絶望するのも早すぎる。まだこっちからグッド!を送ってはいないのだから……。受身のままでモテることはないとわかったが、自分から動けばまだチャンスはあるかもしれない……。と思いたい……。そんなことを四六時中自分に言い聞かせ、蛮勇を振るう気分を高めようとした。
まずは、写真を他人に撮ってもらったものに変えようと決意し、大阪に住んでいる高校時代の友人・西川にラインで依頼した。
「最近、マッチングアプリ始めたんだけど、使える写真がないから撮ってくれないか?」
「いいけど。どこで?」
「八月十一日から十五日まで会社が夏休みに入るから、そのどこかで大阪に旅行に行くわ」
「OK」のスタンプ。「氷川もマッチングアプリ始めたのか」
「まあな」
「俺もやってるよ! 車で山口まで会いにいった」
「大阪から?」
「うん」
「やべえな」
「かなり大変だったわ。もうやらないけど(笑)」
「会えるんだな、やっぱ」
「なかなかうまくいかない」
「そうなん? でも、西川の仕事ならモテるだろ」
西川は就活生に人気のある、有名な証券会社に勤めていたから、その経歴だけでモテてもおかしくなかった。
「いや、向こうからグッド!してくる人は、変なのが多い。すごいオバサンとか」
「そうなんだ。じゃあ、自分から?」
「スマホからログインすると『今日のおすすめ』ってのが出て、無料でグッド!押せるじゃん。あれで、手当たり次第にグッド!つけてる」
ダブルスはひと月に三十グッド!配布され、それを使い切ったらストアから新たに買うという仕組みだが、それとは別に、ログインした際、「今日のおすすめ」として、居住地の近い異性が四人程度ランダムで表示され、その人たちには所持しているグッド!を消費せずにグッド!を送ることができるのだ。趣味の合う女にしか興味のなかった俺は、誰がこの機能を使っているんだろうと思っていたのだが、身近にいた。
「じゃあ、数撃ちゃ当たる戦法なのか」
「やっぱりね、そうしないとなかなかマッチングしないよ」
「もし、複数の女とマッチングしたらどうすんの?」
「その時はその時かなあ」
マッチングアプリで、同時に何人もの相手とやり取りすることを単純に「並行」と呼ぶが、俺としてはそのやり方が好きではなかった。やり取りするなら、一人ずつがよかった。自閉的な性格のせいでコミュニケーション自体苦手というのもあるし、並行だと相手への想いが軽くなるような気がしたから。しかし、マッチングすること自体の難しさを考えると、西川のやり方が正しいのかもしれない。ダブルス側だって、ひと月に三十もグッド!を配るというのは、それだけマッチングしないということの証明ではないか? 三十人にグッド!をばらまいて、誰ともマッチングしなかったら、どうすればいい? その時はさすがに心が折れるかもしれない。
翻訳の世界 1992年10月号 若島正「改訳したい10大翻訳」
昔、フィリップ・ロスやナボコフの翻訳で知られる大津栄一郎のウィキペディアのページを見てみたら、「ナボコフの『賜物』の翻訳については若島正から『翻訳の世界』誌の「改訳したい小説ベスト10」で多数の誤訳を指摘されたため、「若島正氏に反論する」を同誌に寄稿し反駁した。 これに対する若島正の反論は『乱視読者の冒険―奇妙キテレツ現代文学ランドク講座』におさめられている」*1という文章が目に留まった。というか、著書や翻訳リストを除くと、それだけで全体の半分ほどが占められていて、ナボコフだけでなく、大津の翻訳そのものが酷いというような印象を与えている気がする。
若島正が改訳したい小説というのが気になって、とりあえず、『乱視読者の冒険』をめくったら、「ナボコフと翻訳」という章に、大津と論争に至った経緯は書いてあったが、「改訳したい小説ベスト10」が、『翻訳の世界』の何年何月号に掲載されたのかという情報は書いていなかった。もちろん、ウィキペディアにも書いていない。『乱視読者の冒険』が1993年の出版だからその辺りなんだろうという検討はつくが、「翻訳の世界」のバックナンバーが区立図書館には置いておらず、国会図書館に行く用事もないので放置していたら、いつしか相当な年月が経っていた。
そうしたら、今年になって、明治学院大学から出ている紀要『言語文化』に、秋草俊一郎氏による「日本人はナボコフをどう読んできたか―『ロリータ』を中心に―」という論文が出て、そこで若島-大津論争についても触れられており、例の「改訳したい小説ベスト10」が『翻訳の世界』1992年11月号に載っていると書いてあったので、他の調べ物と一緒にコピーしてきた(しかし、実物を見てみたら、11月号ではなく、10月号のほうだった)。
実物(のコピー)と若島の「ナボコフと翻訳」を同時に読んで、気付いたことがある。それは大津のウィキペディアに書き込んだ人物が、『翻訳の世界』の方を見ていないのではということ。なぜなら、『翻訳の世界』に掲載され論争の元となった文章のタイトルは「改訳したい10大翻訳」であり、これを若島は「ナボコフと翻訳」の中で「改訳したい小説ベスト10」という形に変えていて、ウィキペディアンも後者の表記をそのまま流用しているからだ(もちろん、秋草氏の論文には、「改訳したい10大翻訳」と書いてある)。だから、ウィキペディアには、号数についてなにも書かれていなかった(というか書けなかった)わけだ。
「ナボコフと翻訳」には、『翻訳の世界』から原稿依頼が来た時、「何人かに頼んだのだが断られて、その結果わたしにお鉢がまわってきたらしい」と書いてある。誤訳指摘はブーメランにもなりかねないし、人間関係もあるので、誰もやりたがらないのだろうが、『翻訳の世界』には別宮貞徳による「欠陥翻訳時評」という連載もあって、編集部には良・悪並置しようとする強い姿勢があったのかもしれない(ちなみに、同じ号には井上健による後世に残したい翻訳をテーマにした文章も載っている)。
それでは、実際にどういった小説があげられ、その後改訳されたのか見ていきたい。
わたし自身はけっしてグリーンの最高傑作が『第三の男』だなんて思っているわけではありませんが、普通の読者はやはりグリーンと言えばまずこの小説を手に取るわけで、それがこの程度の翻訳では拙いんじゃありませんか。原文は難しくないのに、単純な誤訳が多く、ことに恋愛的要素がからむ場面になるとますます怪しくなる。とてもシェイクスピア学の権威であった小津氏の訳だとは思えません(もしかして、これは小津氏ご本人が訳していないのでは)。(後略)
現在流通しているハヤカワepi文庫版『第三の男』は、その小津次郎訳である。巻末には、「本書は、一九七九年九月に早川書房より刊行された『グレアム・グリーン全集』第十一巻所収の『第三の男』を文庫化したものです」と書かれている。 それで、全集版も一応見てみたら、なんと文庫版と全集版は完全に同じものではないということが判明した。
まずグリーンによる序文が、文庫版だと大分長くなっていて(つまり全集版の序文は抄訳だったのか?)、訳文も小津のそれを微妙に修正してあるし、漢字の使い方やカタカナの表記も少し違う。文庫版は2001年が初版で、小津は1988年に死んでいるから、別の人間が手を入れたとしか思えないが、それについては触れられていない。といっても、基本は小津の訳文がそのまま使われているので、改訳というほどではない。
アントニイ・バージェス『時計じかけのオレンジ』乾信一郎訳(早川文庫)
これ、話そのものはたいしたことはなくて、例の「ナドサット語」という造語が小説全体を支えているわけです。だからそこのところの翻訳をどう処理するかが勝負だろうと思うんですが、それをあっさり訳者は回避しちゃった。なるほど逃げるのは楽ですが、やはり逃げたんじゃおもしろくない。『フィネガンズ・ウェイク』も翻訳できるんですから、ジョイスの末裔であるバージェスなんかそれに比べりゃ簡単じゃないの、と無責任な読者のわたしは思ったりするんですが。
『時計じかけのオレンジ』といえば、翻訳だけでなく、無削除版か削除版かという問題もあった。アメリカで出版された『時計じかけのオレンジ』は、出版社側の要請で最終章を削ったものとなっており、キューブリックの映画もそれに則っているが、日本では、削除版を底本にした単行本・文庫と、無削除版を底本にした選集の両方が存在するという混乱状態にあった(どちらも早川書房)。だが、2008年になり、それまでの経緯を解説した柳下毅一郎の解説付きで、文庫も無削除版に置き換えられた。ただし、選集版を文庫化しただけなので、翻訳に変化はない。
なぜ、選集では無削除版が底本になったのかというと、1977年に文庫(削除版)を出した後、早川書房編集部が1974年のプレイボーイに掲載されたバージェスのインタビューを発見し、そこでキューブリック版『時計じかけのオレンジ』の結末を批判していたから。そのため、無削除版が作者の本意だと判断し、選集ではそちらが底本となったが、当時流通していたのは削除版だったために、訳者の乾信一も混乱している。
『時計じかけのオレンジ』に両方のバージョンがあることは、1971年に単行本で翻訳出版した時から、訳者の乾は知っていたが、「どういう事情からこの最後の章がはぶかれたのかは不明だが、その章があるのは初版だけであって、あとの版にはないとなると、当然作者側と出版社側との間に削除についての合意があったとしか考えられない」(訳者あとがき)ということで、選集版が出るまで、日本でも削除版が翻訳の底本となっていた。
実は、橋本治も、この翻訳に関しては文句を言っている。
『時計じかけのオレンジ』の最大のネックは、翻訳ね。アントニイ・バージェス氏の翻訳になってても、日本の暴走族の言葉にはなってないのね。日本の暴走族の子ってサァ、メチャクチャな言葉使うじゃん。アントニイ・バージェスは、それやりたかったのよねェ。英語をメチャクチャにする為にサ、ロシアに侵略されたイギリスという近未来状況を設定してきた訳でしょう──ア、これそういう話ね。ここまで徹底してSFやれる人っていないんだよねェ。訳が、“幼児語”にはなっていないけど、この一冊はお奨め。(「現代の青春小説」)
余談だが、1978年より刊行された「アントニイ・バージェス選集」、予告には『熊にハチミツ』(原題:Honey for Bears)という小説もその中に入っているのだが、なぜかこれは出なかった。早川書房は、「ノーマン・メイラー選集」を出した時も、『偶像と蛸』を予告に入れておきながら、結局出版しないということがあった。色々あるんだろうね。
ウィリアム・トレヴァー『リッツホテルの天使達』後惠子訳(ほおずき書籍)
こういう本が存在していることじたい、まったく信じられないほどおぞましい翻訳。当代きっての短編の名手による名品揃いを、よくぞここまでめちゃくちゃにしてくれたものだとつくづく感心します。(略)なにしろ、この翻訳の会話部分は、およそ人間が喋っている言葉とは思えませんから。
1975年に出版されたAngels at the Ritz and Other Storiesは、12本の短編を収録した小説集だが、日本版ではその一部がカットされ、7本のみとなっている。そのことについて、訳者は何も書いていない。というか、この本の訳者あとがきは、帯に使われるキャッチ・コピー程度に短く、トレヴァーの略歴がちょろっと書いてあるだけで、通常あるような作品の解説といったものが完全に省かれている。なので、そもそも訳者自身、この本に興味がないのでは、と思わせるぐらいだ。版元であるほおずき書籍は、長野にある出版社で、現在も存続しているが、どういう経緯でこの本を出そうと思ったのか。普通に自費出版なのだろうか。それにしては、訳者があとがきで何も書かなさすぎだが。
とにかく、若島が指摘している会話部分を、「イスファハンで」からあげてみると、
「ボンベイの方がずっといいようにと、願っています。あなたが少しも彼等に期待しない時には、そうなりますでしょうね」
「それは強壮剤の様です。あなたのおかげで、私はとても楽しかった」
「そんなことを言って下さるとは、御親切さま」
「私達の間に喋っていないものがたくさんあります。あなたは私を覚えていて下さいますか」
ちなみに、同じ個所を別の訳者(栩木伸明)が訳すと、
「ボンベイでいろんなことが好転するといいですね。ものごとは全然期待していないときにうまくいくことがあるから」
「元気が出る薬を飲んだみたい。あなたと会ってとても幸せな気持ちになれたわ」
「そう言ってもらえて光栄です」
「言い足りないことはまだたくさんあるけど、わたしのこと、忘れないでくださる?」
ウィリアム・トレヴァーは、21世紀に入ってから翻訳が続々と出るようになり、特に国書刊行会は、「ウィリアム・トレヴァー・コレクション」と称し、三冊も出している。Angels at the Ritz and Other Storiesそのものは改訳されていないが、その中に収録されている" In Isfahan"は『異国の出来事』(国書刊行会)で、"The Distant Past"は『いずれは死ぬ身』(河出書房新社)で読むことができる。
ヘンリー・ミラー『南回帰線』大久保康雄訳(新潮社)
これって実は削除訳なんですよね。どういう事情か知りませんが、勝手に自己検閲しちゃったんでしょうか。原文と照らし合わせてみると、削除箇所はどれもこれももう大笑いするしかないっていう凄い文章ばかり。つまりミラーのミラーたる部分が欠落していて、そこが笑う女陰みたいに黒々と空いた穴になっている感じで、これでは冗談にもなりません。ノーマン・メイラー編の『天才と肉欲』(野島秀勝訳、TBSブリタニカ)でその「陰部」を拝むことはできますが、この際ぜひ文庫版で改訳してほしいものです。
『天才と肉欲』の訳者あとがきには、「すでにわが国ではミラー「全集」は出ている、が、正確にいって、それは「全集」ではない、削除版にすぎない。むしろ、読者は、このメイラーの〈アンソロジー〉によって、ようやくミラーという現代の怪物、さらに現代そのものの迷宮に入り得るアリアドネーの糸を与えられたのだと、わたしは自信をもって言うことができる」と書いてある。この「全集」とはかつて新潮社から出ていたものだが、21世紀に入り、水声社より新訳ミラー・コレクションが出版され、「削除版」の問題は解決された(水声社のミラー・コレクションは、あと『冷暖房完備の悪夢』を残すのみだが、いつ頃出るのだろう)。
ただ、『南回帰線』は、大久保以外の人間も結構訳しており、清水康雄(角川文庫)、河野一郎(講談社文庫)、谷口陸男(中央公論社:世界の文学)、幾野宏(講談社:世界文学全集、集英社:集英社ギャラリー「世界の文学」)と、水声社版を入れればこれまで6人もの人間が翻訳してきたことになる。角川文庫版はわざわざタイトルに「完訳」といれてるぐらいだし、1971年の時点で無削除版は出ていたのではと想像したのだが、実物を見ていないので断定はできない。
ジョン・アップダイク『カップルズ』宮本陽吉訳(新潮社)
アップダイクは翻訳に恵まれているとは言えません。あえて「この一冊」を挙げるとすると、誤訳の宝庫として有名な『走れウサギ』になるでしょうが、ここでは同じ訳者の手になる『カップルズ』を選びます。姦通という主題を扱いながら、とにかく典雅としか言いようのない文章で綴られた傑作だけに、ぜひとも美しい日本語で読みたいものです。
ジョン・アップダイクのラビット・シリーズは、第一作の『走れウサギ』だけが宮本訳で白水社から出て、残り三作は井上謙治訳で新潮社から出版されていたのだが、1995年にラビット・シリーズを一巻本にまとめた『ラビット・アングストローム』がアメリカで出版され(1500ページもある辞書みたいな本)、日本でも1999年に、井上訳で新潮社より『ラビット・アングストローム』が翻訳出版された。ただし、原著と違い、二巻にわかれている。井上訳『走れウサギ』を読もうと思っても、分売されていないので、『ラビット~』そのものを買う必要があるが、新品で2万ちょっとする。図書館にも、ほぼ置いていないだろう。
『走れウサギ』は、1964年に出た単行本版と1984年に出たUブックス版で、多少訳文に差異があり、そこで誤訳もいくつか修正されたと思われる。何しろ、単行本では「その幻想がウサギをつまずかせる」となっていた文章が、Uブックス版では「その幻想がウサギを走らせる」と、正反対のものになっているから。
若島は「アップダイク礼賛」(『乱視読者の冒険』所収)の中で、「アップダイクの途方もない懐の深さを知るには、まず彼の雑文集を読むのがいちばんだ」と書いており、後にアップダイクの翻訳をした時も、『カップルズ』ではなく、エッセイ・書評の翻訳だった(『アップダイクと私 アップダイクエッセイ傑作選』)。そういえば、ニコルソン・ベイカーが、アップダイクについて書いた『U & I 』を、「2018年 この3冊」に選んでいたこともあった。
アップダイクは、それなりに翻訳が出ている作家で(著作自体が多いので未訳も多いが)、池澤夏樹の世界文学全集に『クーデタ』が入ったりもしたが、再評価の波は起こらず、今では顧みる人がほとんどいない。ちなみに、『走れウサギ』は、大江健三郎の『個人的な体験』に影響を与えたとも言われていて(大江は原文で読んだのだろうが)、60年代の前半ぐらいまで、大江は現代アメリカ文学をよく読んでいた。大江が『個人的な体験』の英訳者であるジョン・ネイスンと一緒にアメリカへ本の売り込みをしに行った時も、その豊かなアメリカ文学の知識で、書評者らの関心を引いたという(ジョン・ネイスン『ニッポン放浪記』)。
トルーマン・カポーティ『夜の樹』龍口直太郎訳(新潮社)
アップダイク同様、翻訳のせいか日本では評価されないカポーティ。この天才の文章を台無しにしてしまう翻訳は、やはり困りもの。たとえば短編集『夜の樹』は、うしろの解説を読めば、この訳者が小説とはまったく無縁の人だということがよくわかります。そういう人にカポーティはやってもらいたくないですね。(略)ここはぜひ、「無頭の鷹」を自発的に訳してみたことがあるという村上春樹氏の翻訳で読んでみたいところです。
龍口直太郎は『夜の樹』だけでなく、『冷血』、『ティファニーで朝食を』も手掛けていたが、『夜の樹』は1994年に川本三郎訳、『冷血』は2005年佐々田雅子訳、『ティファニーで朝食を』は2008年に村上春樹訳に置き換わった。龍口訳の評判の悪さは結構前から知られていたと思うのだが、なぜこんなに改訳が遅れたのだろう。
そういえば、なぜか野坂昭如が『カメレオンのための音楽』を訳したことがあり、当時時評とかで酷評されたらしいが、別宮貞徳は「不当に酷評された」(『特選 誤訳 迷訳 欠陥翻訳』)と擁護している。野坂は当時の自分の訳に納得できていなかったようで、『カメレオンのための音楽』がハヤカワepi文庫入りするにあたり改訳したとあとがきで書いている。
村上春樹訳による「無頭の鷹」は、『誕生日の子供たち』(文春文庫)で読める。
ウラジミール・ナボコフ『ロリータ』大久保康雄訳(新潮文庫)
かつて丸谷才一氏が具体的に誤訳を指摘して噛みついたといういわくつきの翻訳。巷ではこれは読んではいけない翻訳本として喧伝されているそうな。そういうはなはだ芳しからぬ世評にもかかわらず、わたしはこの翻訳を評価しています。問題になった初版は点検していませんが、意外にこの文庫版には明らかな誤訳はそう多くはありません。(後略)
『ロリータ』は若島の手によって、2005年に新潮社より新訳が出版され、2006年には新潮文庫に入った。丸谷と『ロリータ』の関係については、秋草俊一郎『アメリカのナボコフ』が詳しい。
ウラジミール・ナボコフ『アーダ』斎藤数衛訳(早川書房)
日本で『アーダ』について誰も語らないのは、やはり翻訳のどこかに原因があるとしか思えません。たとえば、ナボコフ自身がつけた注釈を、あたかも訳者による注釈であるかのように処理したりしているのは、どう考えてもおかしな話です。この絢爛たるナボコフ世界に注釈をつけるとすれば、大変な努力を要するのは目に見えているし、その労力を背負いこむだけのナボコフに対する愛が翻訳者には要求されるでしょう。(後略)
若島訳による『アーダ』は、出版自体は予告されながらも発売日がなかなか確定せず、蓮實重彦の「『ボヴァリー夫人』論」ぐらい長く待ち望まれてきたが、2017年にとうとう早川書房より出版された。
ウラジミール・ナボコフ『賜物』大津栄一郎訳(福武文庫)
ついでに、ナボコフをもう一冊。これは白水社から出ていたものを「徹底的に改訳した」新訳版だとのこと。しかし、原文と読み比べると、明らかな誤訳が数多くそのまま初版から生き残っていて、それが結構、ナボコフを読むおもしろさと直結する箇所だけに、残念。邪推するに、原文と照合する時間的な余裕がなく、初版の日本語の文章に手を入れられただけなのではないでしょうか。大津氏の文章はナボコフの感性としっくり合うような気がしますし、なんとかナボコフの亡命時代の最高傑作と評価の高いこの小説をさらに良いものにしていただきたく思います。
論争のきっかけとなった文章。詳細については、若島の「ナボコフと翻訳」、それから秋草俊一郎「日本人はナボコフをどう読んできたか―『ロリータ』を中心に―」をどうぞ。これも2010年に沼野充義による改訳が河出書房新社より刊行され、今年になって新潮社からもナボコフ・コレクションの一冊として同じ訳者で出版された。
この難物をとにかく翻訳しただけでも充分価値があるわけで、その意味では訳者グループの努力に敬意を表します。ただ、よく読みこんではあるものの、いかにも研究会の産物という感じで、ピンチョンのあの猥雑なエネルギーに欠けていて、別のヴァージョンを読んでみたい気になるのも事実。訳者候補としては、ノリの良さでは天下一品でおそらくピンチョン翻訳の最適任者である佐藤良明氏か、みごとな『V.』論を書いた池澤夏樹氏にお願いしたい。
佐藤は1979年から1980年にかけて、『ユリイカ』にピンチョン論を寄稿し、その後も様々な媒体でピンチョンについて書いていたので、選ばれたのだろうか。佐藤によるピンチョンの翻訳は、1998年の『ヴァインランド』より始まり(池澤夏樹編による世界文学全集にも収録された)、2011年に小山太一との共訳で『V.』を出した。その後も、『競売ナンバー49の叫び』や、『重力の虹』といったピンチョンの主要作品を手掛けている。
計算すると、10冊中6冊が他の訳者によって改訳されたことになる(『南回帰線』は既に大久保以外の訳があったが)。それは、翻訳者の代替わりでもあり、ナボコフ、ピンチョン、カポーティなんかは、上手く次世代に引き継げた例だろう。
そこで重要なのは、翻訳と宣伝、二つの能力を持った人間に恵まれるかどうか。良い翻訳が出来るかだけではなく、その作家が文学史において如何に重要であるか、ということまでプレゼンできないと出版には漕ぎつけられないから。だから、元々影の存在であるはずの翻訳家が、メディアにおいてブランド化・スター化し、市場において、作家本人よりも翻訳者の方が信頼されるという状況が一部では起きている。翻訳家がスター化する以前は、小説家がその役割を果たしていたが(実際の翻訳は別人が行い、作家はそれにちょろっと手を入れ名前を貸す)、村上春樹登場以降は、ほぼ無くなったと思われる。
グレアム・グリーンやヘンリー・ミラーのように、今でも作品そのものが読者に対し訴求力を持っている作家は必ずしもスター翻訳家を必要としないが、アップダイクとバージェスは、時の流れと共に存在感を失い、沈没してしまった。俺はノーマン・メイラーや、フィリップ・ロス、ソール・ベロー、バーナード・マラマッドといった、50年代前後にデビューしたアメリカの作家に興味があるのだが、彼らも80年代には影響力がなくなり、後期の作品の多くが未訳状態で、新訳も絶望的な状況だ。ロスもメイラーも、ライブラリー・オブ・アメリカ入りし、古典化しつつはあるのだが……。
乱視読者の冒険―奇妙キテレツ現代文学ランドク講座 (読書の冒険シリーズ)
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グレアム・グリーン全集〈11〉第三の男/落ちた偶像/負けた者がみな貰う
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小説家で打線を組んでみた
「〇〇で打線を組んでみた」という、5ch(特になんj)でよく使われているネタがある。野球を知らない人には、細かく説明しても無駄だろうから、本質的なことだけをかいつまんで言うと、野球のルールとセオリーを異分野に適用し、その中でどれだけ突っ込まれない程度に独自の発想を織り交ぜることができるか、というセンスが試される遊びなのだ。
ニコニコ大百科(仮)の記事を見ると、この遊びの起源が、『中井正広のブラックバラエティ』というテレビ番組になっていて、5chで流行ったきっかけはそれなのかもしれないが、野球の歴史から考えて、同じようなことを考えた人間がそれ以前にもいたであろうことは容易に推測できる。そして、実際、文学の分野で同じことをしているケースを2件見つけたので、紹介しよう。
十返肇「文壇最強チーム」
別册文藝春秋1963年第84号では、「文壇オールスター戦」という企画を組み、石原慎太郎、司馬遼太郎、 源氏鷄太、松本清張、柴田錬三郎ら流行作家の小説を、各100枚ずつ掲載しているのだが、その企画の一環として、寄稿した作家たちを、野球のチームになぞらえ、打順を組んでいるのだ。タイトルは「文壇最強チーム」。解説は軽評論家として知られた十返肇。十返はこの年に死んだ。
また、解説だけでなく、作家本人に「BUNSHUN」というロゴの入ったユニフォームまで着せ、屋外でグラビアまで撮るという力の入れよう。しかし、このユニフォームだと、文藝春秋新社のチームに見えてしまうが、第84号に書いた作家だけがこのゲームの対象だから仕方ない。
変幻自在、身も軽く、ココと思エバ、マタアチラというのが石原ショートの身上である。守備範囲の広さは文壇チーム随一といえよう。今に大きいトンネルでもやりそうに見えて、案外抜からず、得意の左打ちには棒ダマを強引に外野へ叩き出すリキがあって、油断のならぬ一発屋である。ただしホームランかと思えば大飛球に終る場合も多い。学生チームからスカウトされて今年でプロ入りすでに八年目。いつの間にやらシンタローも、すっかり貫禄がついちゃったねえ。
いま流行の忍者型打法を最初に身につけたのが、この司馬選手である。一見動きが少いようにみえながら、データを調べてみると意外に出塁率が高く、三振の少いことでも注目される。強打はしないと見せかけておいてピッチャーの裏をかく上方作戦は、近ごろ東京のファンにも歓ばれているようだ。鈍足ながら常に全力疾走をする真面目さが、ネット裏での評判をよくしていて、このところ成長株として買われている。燃えよ、バット!
以前はサラリーマン兼作家という二本足打法だったが、作家ひとすじの一本足打法に切りかえてから打撃に円熟味が加わってきた。デビュー当時のような、場外ホームランは見られなくなったが、依然として長打力をもち、必ず二塁には進むから、そのアベレージは驚異的なものがある。ファンの層は中年サラリーマンからBGに及び、東京丸ノ内での人気は圧倒的であり、球団では次期監督候補の有力者とみなしているそうである。
川口則弘『直木賞物語』には、源氏の作風が大衆文芸の王道を行くがゆえに、 直木賞を二度も落選した、ということが書いてあって興味深かった。
誰です? 文壇チームにも黒人選手がいるのかなんて失礼なことをいうのは! これぞここ数年来、打点王の座にある不動の四番打者、いうなれば文壇チームの長島君(ママ)である。松本選手ひとたびバッター・ボックスに立つや球場は強烈な黒のムードにつつまれ、大観衆はわけもなく熱狂する。平野謙解説者によれば、「マツモトの出現で野球は変質した」とさえいわれる。推理リーグでは三冠王を獲得したが、文壇リーグでは果たしていかに?
「マツモトの出現で野球は変質した」というのは、平野謙が「朝日新聞」(1961年9月13日)に寄せた「「群像」十五周年によせて」という文章に端を発した、「純文学論争」を意識したものだが、「マツモトの出現で野球は変質した」に近い言葉は、平野の文芸時評や論争になった文章の中には見つけることができなかった(俺の探し方が甘いだけかもしれいないが)。
一体ヤル気があるんだか、ないんだか判らぬような顔をしながら、いつの間にやら円月殺法で打率をかせぐ居眠り型選手である。得意はライト流し打ちで、盗塁もうまく、痩顔よく走り、実は、なかなか眠っても狂ってもいないのである。ながらく二軍できたえられただけあって、ド根性は逞しく、プロ意識に徹している。「いや、もう限界です。アキマヘン」などといって、時々報道関係者をだますクセがあるから用心をしなければならない。
大村彦次郎の『文壇栄華物語』には、「戦争末期、二度目の応召で南方ハルマヘラ島へ赴く途中、バシー海峡で敵潜水艦の魚雷に遭い、乗っていた輸送船が沈没、乗組員の九割以上が行方不明になるという悲劇に見舞われた。七時間余漂流したあと、柴田は奇跡的に駆逐艦に救助され、危篤のまま広島の宇品港へ送還された。このときの生死体験はその後の柴田の生き方に大きな影響与えた。柴田にはどこか虚無的で、シニカルな表情がこの頃から目立った」と書かれている。
終戦直後はセミ・プロ私小説球団にいたが、その後しばらくバットを持つ機会から遠ざかっていたのが、三年前にスカウトされるや、第一打席でお寺の屋根へ場外ホーマーをかっ飛ばし、いきなりスター選手になった。吉田健一解説者に「このホームランで水上クンは国際級の世界選手の仲間入りをした」と激賞された。最近、「五番町夕霧楼」で逆転満塁ホーマーを放ち、その健在を証明した。小軀ながら闘志満々、大洋の森徹といったところか。
「終戦直後はセミ・プロ私小説球団にいた」というのは、1948年に文潮社(一時期、水上はここで嘱託として働いていた)から出た私小説『フライパンの歌』のことを指している。この小説、宇野浩二の序文があり、売れ行きも良く、映画化の話まであったのに、なぜか水上はそれから少しして文壇を離れ、1959年に『霧と影』で推理作家として再デビューするまで、長い下積み生活を送ることとなった。
つねに全力投球をつづけながら、ねばり強く、延長戦に入れば、かならず勝つという静かなファイトの持ち主。カーブはめったに投げず、直球で勝負する。もっとも時々ナックルも投げてみせたりもする。審判員諸氏によれば、「有馬投手の球は、ボールとストライクの判定がむずかしく、それがトクになっている時と損になっている時がある」ということだ。データー魔といわれるほどデーターを詳細に調べて、つねに投球の参考としている。グランド・マナーのよさには定説ある紳士投手である。
有馬は野球好きとしても知られ、大村彦次郎の『文壇栄華物語』には、野球に熱中しすぎて成蹊高校を退学と書かれているほどで、『四万人の目撃者』という野球場を舞台にした推理小説もある。 何しろ、父親が(戦前の)東京セネタースのオーナーだったのだから、環境には恵まれていた。
しかし、戦後は、財産没収、父親が戦犯に指定されるなど、苦労の連続で、流行作家になってからも睡眠薬中毒に苦しみ、1972年に自殺未遂。以後、本格的な復帰を果たせないまま、1980年に死亡。
どちらかといえば南海の野村型でなく、巨人の森タイプに近い頭脳的なキャッチャーである。コイツは上ダマだと思うと、すかさずマスクをはねのける有様は、これ御覧の通りで、イヤその素早いこと。したがって、捕逸することはほとんどなく、牽制球にも威力がある。ひところ牽制しすぎて肩を痛めていたようだが、最近は好調をとり戻している。スイングの割には短打が多いが、出塁率は堅実なので一応安心して見ていられる。
校條剛の『作家という病』によれば、流行作家だった頃の黒岩は、年に6冊から10冊の単行本を出し、毎月の生産量は原稿用紙で四、五百枚だったとか。
昼頃に起きて、夕方までに一誌分を書き上げる。そのあと大阪・北新地の酒場に飲みに出て、何軒もハシゴし、酔いを深くして喋りまくる。(略)午前一時くらいに帰着するが、眠るわけにはいかない。週刊誌の原稿をもう一回分書かないとこの日を終えることができないのだ。黒岩は飲みながらも、そのことは決して忘れてはいない。そこで、たとえ真冬だろうが、冷水のシャワーを浴びて酔いを醒まそうとするのである。
しかし、今でも読まれているのは、この時期のものではなく、80年代以降に書かれた古代史ものか。
当今、二塁手が欠乏し、各球団ともこれには泣いているが、文壇チームは、あえてルーキー山口選手を起用、しかも打順は九番でのびのびと打たせようという狙いである。ロング・ヒッターではないが、調子づくとヘンなところへテキサスを打つから油断はならぬ。ただし当人もいうように“軽率”なところがあるので、アワテテ塁を飛び出し、三本間に仁王立ちなんてことにもなりかねない。このチームは代打者の層が厚い。童顔の好漢、酒食に溺れず、レギュラーの座を確保せよ。
ちなみに、この打順、雑誌の目次の並びと完全に同じで、作為を無くすことで格付けへの不満を少しでも減らそうとしているのだろうが、結局、目次以上に誰が編集部から重要視されているのか分かるようになってしまっている。特に、6番~8番に置かれた作家は、嫌な気分になっただろう(9番にもなると、逆の意味で華がある)。
有馬は一応投手という花形ポジションを与えられているが、黒岩なんかは、はっきり「地味」と言われている。直木賞をとってまだ三年ぐらいしか経っていないから、そういうことを言ってもいい雰囲気があったのか。
安岡章太郎の「三番センター庄野潤三君」(『良友・悪友』所収)によれば、「ずっと以前、まだ小説を書き出して間もないころ、その文学的評価を野球選手になぞらえて話し合った」ことがあるらしい。その相手とは、吉行淳之介と庄野潤三。そして、出来たリストを会合で発表したとか。
まことにワタケた遊びであるが、こういうことをやっていると、あとで頭がグラグラするほど疲弊した。それに、こんなかたちで仲間の者の力量を批評したとすれば、これは遊びとしても悪趣味なものだったにちがいない。しかし当時の私たちは、おたがいに自信家であり、また小説を書くことにまだそれほどの職業意識はなく、いくらか下町のシンキ臭い若い衆が寄り合って句会のマネ事でもやっているような気味であったから、こういうことも出来たのであろう。
上でも書いたけれど、上位の打順に組み込まれた作家はよいが、6番とか8番みたいな、中途半端なところに位置付けられた作家は、間違いなく気分はよくないだろう。だから、安岡本人も「悪趣味」と言っている。しかし、そこが面白い。
1番 遊撃 吉行淳之介
「オレはさしずめ南海の木塚みたいに、ショートで9番バッターといったところだ」
こういうことを言ったのは吉行淳之介で、自分の才能をマイナー・ポエットと規定し、馬力はそれほどないけれど、俊足、強肩、華麗な守備力をほこる作家でありたいと思ったわけであろう。
しかし、庄野が「キミがラスト・バッターというのは良くないな。ラストは三浦朱門で、キミはトップを打たにゃイカん」と言ったため、一番に抜擢された。
2番 二塁 安岡章太郎
私は別に誰という名宛の選手はいなかったが、やはり吉行と同じような動機から、自分の文学的資質を二番バッターの二塁手ぐらのところだろうと思っていた。
3番 中堅 庄野潤三
吉行と安岡が自身に控えめな評価を下していたのに対し庄野は、「オレは三番バッターだよ。『三番、センター庄野クン』、どうだぴったりくるだろう」と自ら三番を買って出た。安岡によると庄野は、「大家たらんと欲してやまぬ気概を持っていた」ようで、庄野の小説は「玄人好み」の渋いものが多いが、それらも「大家たらん」とする意識によって書かれたのだろうか。
4番 三塁 島尾敏雄
「四番は?」
「四番は、サード島尾だ」
吉行が即座に言った。島尾敏雄を仲間のなかの中心バッターにきめることについては、われわれ三人とも異存はなかった。
この中だと、島尾が一番早く文壇に認められ、単行本も出している。そのせいか、芥川賞の候補になった時期が、第22回(1949年下半期)と第35回(1956年上半期)という運営側の都合を感じさせるような妙なものとなっている。おかげで、島尾は、「第三の新人」の誰よりも早く芥川賞にノミネートされ、「第三の新人」が芥川賞を取り終える頃に再び落選するという形になった。
5番 捕手 小島信夫
「五番は?」
「五番キャッチャー小島」
と、また吉行がすかさず言った。たしかに、小島信夫は、その肩のもり上がった体格からして捕手型であるうえ、何を言っても「なるほど、なるほど。そうですか、そうですか」と、こちらの言うことを、心の底ではともかく、表面はひどく素直に受けとってくれるところが、いかにもキャッチャー的人物におもわれた。
6番 一塁 五味康祐
7番 右翼 近藤啓太郎
(前略)近藤は大いに不服で、「オレが七番、ライトとは、どういうことだ」と詰め寄った。
「それはだなア、おまえの将来性を買ったのだよ。実力があっても試合になると打てない、そういう選手を七番あたりにおくと、急にポンポン打ち出すものだ」
と、これも吉行がウマイこと言って説得した。
8番 投手 奥野健男
9番 左翼 三浦朱門
こうやって並べられると、結構妥当なようにも見える。ただ、五味の立ち位置に関してはよくわからない。この中で一番早く芥川賞を取ったのは五味だが(次回で安岡が受賞)、その後、剣豪小説の書き手となったので、「第三の新人」と言われると違和感があるし、どの程度の付き合いだったのかも俺は知らない。奥野健男も。あと、この頃まだ遠藤周作や阿川弘之がグループにいなかったのか、彼らの名前がない。
第三の新人は、戦後派らに比べると小粒だと言われるが、安岡や吉行のような、2番バッター、9番バッターを自称する韜晦癖がなおさらそう見せるのだろう。自ら3番バッターを名乗った庄野にしても、ホームランを積極的に狙いに行く感じがしない。結局、戦後派に入れられることもある島尾だけが、はっきりとホームラン狙いのスイングをしていたんじゃないか。
左から、吉行淳之介、遠藤周作、近藤啓太郎、庄野潤三、安岡章太郎、小島信夫
ラブホテルのスーパーヒロイン⑧
それから三日後の月曜日。朝、会社に行こうとマンションの外に出たら、喉がいがいがし始めた。軽傷だろうと高を括っていたら、仕事が終わる頃には身体がだるく感じるほどに悪化していた。それでも翌日は出社したが、水曜日になるとベッドから起き上がるのも一苦労なほどになっていた。熱を測ると、三十八度後半だったので、会社を休み、病院に行った。喉がものすごく痛んだことから、あの時のクンニが原因なんじゃないかと思った。これが芥川龍之介の『南京の基督』なら、俺が彼女の病気を引き受けたことになる。
病院に着くと、インフルエンザが猛威を振るっていた時期だから、症状を告げた瞬間、すぐにカーテンで仕切られた小部屋に隔離された。その部屋には既に先客がいて、むしろこいつからうつされるんじゃないかと不安になった。
涙を流しながら、鼻に長い綿棒を突っ込むあの検査を乗り切ると、結果は陰性だった。それで、薬を貰って帰ってきたが、性病の可能性もあるんじゃないかという疑いは晴れなかった。
幸い、喉の痛みは処方してもらったうがい薬をしばらく続けていたら完治した。熱は次の日にひき、金曜日に出社した。それ以来、特に異常ないまま生活を続けているので、性病は杞憂だったらしい。
風俗に行くたびに、三十八度越えの高熱が出るのは、なぜなんだろうか? 前回はそれでパニックに陥った。罪悪感のようなものが、病気となって体に現れるのだろうか。
とにかく、あのセックスがしばらくトラウマとなり、一週間以上性欲が湧かなかった。これはオナニー・ジャンキーの自分にとっては異常事態で、このままだと性欲が枯渇したままになるんじゃないかと怖くなり、十日目に、全然やりたくもないオナニーを無理やりした。それで、『時計じかけのオレンジ』のアレックスよろしく「治ったぜ」と宣言したかったが、また不能状態が続いた。ようやく自発的にオナニーできたのは、風俗に行ってから二週間以上経ってからだった。
トラウマがやっと払拭できたので、ヒカリのツイッターを覗いてみた。プレイがあった日には必ず投稿していたからだ。そして、いつ撮ったのか、ベッドの上にゴーグルとムチを並べた画像があげられていた。
(了)
ボードレール全詩集〈2〉小散文詩 パリの憂鬱・人工天国他 (ちくま文庫)
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ラブホテルのスーパーヒロイン⑦
当初の過度に集中していた状態からややだれてきた時、扉がゆっくりと開いた。そこには、バットウーマンの衣装を着た彼女がいた。変身前の彼女とはまったく別人だった。天使であり悪魔である女。俺が求めていたのはこれだ! 俺は咄嗟に光線銃を撃った。ちゅるるぎゅうううんちゅるるぎゅうううん、という間抜けな音が盛大に鳴り響く中、自分がセリフを忘れていたことに気がついた。「しまった!」とテンパりかけたが、
「あら、私にそんなもの効くと思ったのかしら?」と彼女が何事もなかったかのように進行してくれたので助かった。
少しずつ、バットウーマンが俺に近付いてくる。そして、光線銃を奪い取ると、
「撃たれたくなかったら、そのまま服を脱いでベッドに行きなさい」
俺はバスローブを脱ぎ捨て、銃で脅されながら、全裸でベッドに横たわった。その瞬間、緊張からか栓が抜けたように口の中の水分が一気に引いていった。乾燥で、舌が動かしにくい。いったん、水を飲んでやり直したかったが、雰囲気が壊れそうなので我慢した。
「眼鏡はとらなくていいの?」
随分と親切な悪女だ。俺は眼鏡を電マの横に置いた。
「さあて、どうしようかなあ」と、俺の両腕を万歳状態にしてから手錠を嵌めた。手にはいつのまにか、ハタキのように先っぽが分れたムチを持っていて、それで俺の乳首をくすぐったり叩いたりした。
「放してくれ」と懇願してみたものの、直立と表現していいほどペニスが立っているので、まるで説得力がない。
「ダメよ」
ムチで撫でられながら焦らされているうちに我慢できなくなり、
「キスしてくれ」と言うと、
「『キスしてください』でしょ」
「キスしてください」
「もっと、はっきり言わないと」
「キスしてください。お願いします」
「しょうがないわねぇ」
バットウーマンは俺の上にまたがり、熱烈なキスをプレゼントしてくれた。こんがらがった配線の如く舌をしっかり絡ませ合ってから、
「腋をなめさせてください」
「腋? ちょっと汗かいてるけどいい?」
「はい」
むしろ、汗はかいてくれていた方が、こっちにとっては都合が良い。汗は腋フェチにとっての黄金である。彼女が左腋をこちらに寄せてきたので、それに合わせて顔を近づけ、蛙のように舌を伸ばした。うーん、味がしない。匂いもない。粘ついてもいない。一般的な観点から言えば、それは理想的な腋なのだろうが、俺みたいな腋好きからすれば、物足りない事この上ないのである。出汁をとるのに使った昆布を噛んでいるような…… まあ、それは、しょうがないので気持ちを切り替えて次のプレイに移ることに。
「もう一回、キスさせてください」
「わかったわ。ちょっと手錠が邪魔ね。とるわよ」
手錠が外され、自由の身に。彼女をきつく抱き寄せ、キスをしようとすると、
「ちょっとがっつきすぎよ」と叱られた。「髪は濡らさないでね」
「あの…… まんこなめたいんですけど」
「いいわよぉ」
彼女が股間を俺の顔にたっぷりと押し付けられるよう、身体を少し下にずらしスペースを作った。彼女はハイレグの股の部分に指を入れ、女性器を露出させた。生まれて初めて生で見る女性器だが、眼が悪いので天然のモザイクがかかってしまっている。俺は池にエサを投げ込まれた鯉のように口を開けて待った。股間がゆっくりとこちらに近づいてくる。さぁ、こい…… しっかり、嗅いで、舐めてやる……
「エンッ!」
強烈な刺激臭が鼻を突き刺した。一瞬、叫びかけたがすんでのところで留まった。これが悪名高いマン臭なのかと思案したが、他のまんこを嗅いだことないので判断に困った。もしかしたら、布の方からしているような気もしたからだ。生乾きのひどいやつと臭いが似ていた。酸味も少々あった。
しかし、こちらから舐めさせてくれと言ったのに何もしないのは不自然だから、マナーとして数回舐めた。
「おいしい」
「おしいなら、もっと舐めなさい」
もう一、二回命がけで舐めたが、これ以上はヤバいと思い、そっと顔を離した。バットウーマンは立ち上がると、さっきから邪魔になっていたマントを外した。それから、「ちょっと暑いわね」と言って、エアコンの温度を下げた。コスプレしたままリモコンをいじる様子はやけにシュールだった。
「もう悪いことができないようにお仕置きしてあげないとね」
それを聞いて、彼女は自分が「善」側で、俺が「悪」側だと思ってプレイしているんじゃないかと気がついた。店から電話で言われた通り、事前に打ち合わせしておけばよかったと少し後悔した。
「ほら、足をあげなさい」
足を天井に向かって上げると、自然に背中が丸まって、海老のような恰好になった。
「自分でそれを持つのよ」
膝の裏をそれぞれの手で持つと、いわゆる「ちんぐり返し」という体勢に。その瞬間、右ふくらはぎに嫌な違和感が走った。俺は体全体が尋常じゃないくらい固く、体育で柔軟のテストをした際などは、いつも最下位かそれに近かった。また、二、三ヶ月に一回、夜中にこむら返りが起こることもあった。恐らく、急に無理な運動をしたことで、筋肉がおかしくなっているのだ。夜中にふくらはぎをつる時には必ず前兆として筋肉がぎゅっと収縮してしまったような感覚があって、それで目が覚めるのだが、今起きているのはまさにそれだった。ここから少しでも足を動かしてしまうと、ドミノ倒しのようにがらがらと筋肉が崩壊し、激痛に苛まれる。
「今からすごい恥ずかしいことしてあげる」
俺は自分の足を抱えながら、怯えた仔犬のように震えていた。身体が固すぎてこの体勢を維持するだけでもかなりつらい。普段から柔軟体操をしておくべきだった。しかし、高い金を出して築き上げた性の世界をこんなことで壊すのはもったいなさすぎる。
すると、彼女がいきなり俺の肛門に指を入れた。
「ヌアッ」
変な刺激が加わったせいで、本当に右のふくらはぎが逝ってしまった。
「ほら恥ずかしいでしょ。アナルをいじられて」
俺としてはこんなプレイがあるとは完全に想定外だった(逆調教コースでは普通なのかもしれないが)。それなら、もっとちゃんと尻を洗っておくんだった。しかし、よく切れ痔になっている俺としては、アナルをいじられることに対して、不安しかない。彼女が指をどんどん奥に突っ込んでいくにつれ、かつてあじわったことのない深甚な恐怖感にとらわれた。気持ち良いというよりかは、異物が侵入しているという違和感の方が大きく、まるで直腸検査を受けているかのような気分。そして、一番心配だったのは、うんこがもれてしまうんじゃないかということ。
「どう? 気持ち良い?」
「気持ち良い……」
あらゆる困難が一斉に圧しかかってきているこの状態を打破するには、もう開き直るしかないと考えた。そのうちに、自分の知らなかった快楽の道が開けるかもしれないというわずかな希望にかけて。
「いや、女の子になっちゃう!」
俺は「女」としてセックスをしたいという願望を叶えるために、自己暗示をかけることにした。
「ほーら、女の子になっちゃうよぉ」と、彼女は俺の尻の穴にローションを塗り込み、指で直腸を軽く押していく。多分、直腸越しに前立腺を刺激しようとしているのかもしれない。プロだから大丈夫と自分に言い聞かせるも、不安感はぬぐえない。だが、我慢しているうちに、性の宇宙へとぶっ飛んでいくかもしれないのだ。そうじゃなきゃ、肛門性交をする奴なんか誰もいなくなる。
「女の子になっちゃうよぉ」と喚きつつ、脂汗を垂らしながら、俺はふくらはぎの強烈な痛みに耐えていた。快楽ではなく苦痛で顔が歪む。
「もう女の子になってるよ。アナルも電マが入るぐらい広がって」
マジで? 大丈夫か、俺の肛門。うんこ垂れ流しになっちゃうんじゃないか?
これ以上足を上げているのは限界だと感じ、ゆっくりもとの体勢に戻った。足を下ろし、こっそりふくらはぎを揉んでいるうちに、若干の違和感は残りつつも、痛みは消失した。
AVのように、世界観を壊さずスムーズにセックスするのは普通の人間には無理だ。あれは、本当にファンタジーなのだ。いや、AVだけじゃなく、雑誌・映画・小説でも、やたら滑らかにセックスしている。そんなことが本当にあり得るのだろうか?
バットウーマンの方を見ると、ビニール手袋を外しているところだった。俺の拭きが甘いせいでうんこがついているんじゃないかとびくびくしたが、視力が悪いのでよくわからなかった。
そして、彼女は持っていたローションを今度は俺のペニスに垂らした。冷たい。思わず身体が陸に上げられた魚のように跳ねる。ドロドロとしたローションは、透明な蜂蜜みたいだ。
「まだ出しちゃダメ。我慢しないと」
しかし、ペニスの勢いは、最初の頃に比べ、三分の二ぐらいに落ちていた。疲れ始めたのか飽きてきたのか、エロへの執着心が薄れてきている。おまけに、ローションによる手コキが気持ち良くない。ローションのつるつるとした感覚が、俺に合わないらしい。ただ手が滑っているだけにしか感じられないのだ。そして、みるみるうちにペニスは萎み、親指大ぐらいのサイズに戻ってしまった。
「我慢しすぎちゃったのかなぁ」
彼女の方も少し焦ってきたらしく、手コキのスピードが速くなる。それでも一度萎えたペニスはなかなか元に戻らない。ぺちょぺちょぺちょぺちょという間抜けな摩擦音が、ホテル内に空しく響く。自分でも擦ってみたが、ぬるぬるするばかりで、握っている感覚がない。
「乳首を舐めながらやってくれないかな?」
前回の風俗の経験から、乳首が一番の性感帯だとわかったので、そう頼んだ。それで、乳首を舐めてもらいながら、ペニスを擦られると、若干回復の兆しを見せた。しかし、射精しなきゃと焦っているから、性欲がまるで安定しない。結局、一歩進んで二歩下がるという状態に。
彼女はコンドームを取り出し、俺のペニスに被せた。けれども、俺のそれが縮みすぎていたために、被せたというよりかは帽子のように乗せたという方が正しかった。そして、コンドームの上からフェラチオを試みたが、やはりうまくいかない。
フェラを諦めた彼女は電マを手に取ると、最終兵器と言わんばかりに、厳かに亀頭に当てた。最初は何も感じなかったが、一分以上そのまま当てられ続けていると、急に体が痙攣した。
「メスイキしてるんじゃないのぉ?」
それは、おしっこが出そうになるのを無理やり我慢しているような感覚。確かに、身体の反応は大きかったが、このまま射精できるのかといえば、かなり難しそうだった。一体、俺の四日分の精子はどこにいったんだ? 完全に消えてしまったとしか思えない。ペニスからあふれ出るんじゃないかと心配したぐらい溜まっていたのに。
タイマーが鳴った。どうやら終了時間が迫ってきているらしい。もう射精しなくてもいいかと思い始めてきた。俺には無理だ。諦めて試合終了にしたい。
それでも、彼女が頑張ってくれるので、俺ももう一度射精にチャレンジすることにした。
「もう一回、乳首なめて。ちんちん擦るのは俺がやるから」
彼女には乳首なめに専念してもらい、擦るのは自分でやることにした。幸い、ローションが渇いてきていて、普段オナニーしている時のグリップ感に戻っていた。何度かしごいているうちに、ペニスが如意棒よろしく伸びてきた。
「がんばれ。がんばれ」
最初小声で言われたから、聞き取れなかったが、どうやら応援してくれているらしい。励まされながらオナニーするなんて前代未聞だ。最早、性交というよりかは介護に近い気がしてきた。
「がんばれ。がんばれ」
手の中で再びペニスが硬直を開始する。芯が入ったような触感。いける。これなら何とかなりそうだ。
「がんばれ。がんばれ」
水泳の前畑がベルリン・オリンピックに出場した時の、アナウンサーの応援を思い出した。
「あ、出るかもしれない」
「本当! 頑張って!」
「ああ、出る!」
ようやく射精できた。消えたと思っていた精液が一気に出た。図書館などの公共施設に、よくペダルで踏むタイプの水飲みが設置されているが、あれぐらいの勢いで出た。
「いっぱいでたね」と彼女はティッシュで俺の精子を拭き取りながら言った。
「うん」
「よかったぁ、射精できて」
「ありがとう」
「じゃあ、私店に電話してくるね。このままだと延長になっちゃうから」と彼女は急いで電話をかけにいった。
俺は彼女の心遣いに感謝した。ベッドを見ると、コンドームやら電マやらローションやらが散らばっている。夢の残骸、というにはあまりに苦労が多すぎた。
「これで大丈夫。じゃあ、お風呂入ろっか」
バスルームの前に行くと、「これちょっと脱がしてくれない」と背中のファスナーを指さした。よく見ると、背中に若干ほつれている部分がある。だいぶ酷使されているのかなと思いつつ、ファスナーを下ろした。ここで初めて彼女の裸を目にした。衣装を脱いだ彼女は心なしか縮んで見えた。しかし、身体の線はなめらかで、ある種のやさしさが窺われた。次に、ゴーグルも外すと、玄関で会った時以来の素顔が現れた。ショートカットが似合う、かわいらしい人だった。
熱いシャワーで股間にへばりついたローションを丹念に洗い流してもらっていると、
「結構、筋肉あるね。学生時代、何かやってた?」
「い、いや、何も」
中学は将棋同好会の幽霊部員、高校は帰宅部という経歴を説明するのが恥ずかしかったので、お世辞を言われて嬉しかったものの、そっけない返事をしてしまった。
「なんか生まれつきガタイは良かったから」
「あ、なめてて気づいたけど、乳首の毛、ちゃんと剃ってたよね」
「うん」
そこに気づいてくれて、俺は嬉しかった。
風呂から出て、着替えを済ます。ヒカリは性具を入れたアタッシュケースに、衣装を詰めた手提げと、荷物が多い。小柄な彼女にはきつそうだ。
「雨の日だと大変だね」
「そうなの。これに傘持たなきゃいけないから」
二人で一階まで降り、フロントで清算すると、時間を十分程度オーバーしていたので、千円追加でとられた。
「ごめんね、遅くなっちゃって」
「いやいや、全然大丈夫ですよ」
そして、外に出ると、
「今日はどっちから来たの?」と彼女が訊いた。
「A線のC駅から」
「じゃあ、あっちだね」
俺は彼女に指示された方向へ歩き出した。尾行されるのを避けるため、向こうから別れを切り出す仕組みになっているのかもしれない。
既に陽は落ち、人工による光が街を彩り始め、仕事終わりのサラリーマンが飲み屋を探して徘徊していた。俺は後ろを振り向いて、
「それじゃあ、また」
「じゃあね」
尻に違和感が残っていたせいで、歩くとどうしても両津勘吉のようなガニ股になった。おまけに、すれ違う人全てが、俺が風俗帰りだということに気づいているんじゃないかという妄想にも囚われた。俺をそんな目で見るんじゃねぇ。
家に到着し、すぐにトイレで尻を拭くと、ローションがべっとりとついた。そこでようやく現実感覚を取り戻した。