ラブホテルのスーパーヒロイン⑦

 当初の過度に集中していた状態からややだれてきた時、扉がゆっくりと開いた。そこには、バットウーマンの衣装を着た彼女がいた。変身前の彼女とはまったく別人だった。天使であり悪魔である女。俺が求めていたのはこれだ! 俺は咄嗟に光線銃を撃った。ちゅるるぎゅうううんちゅるるぎゅうううん、という間抜けな音が盛大に鳴り響く中、自分がセリフを忘れていたことに気がついた。「しまった!」とテンパりかけたが、
「あら、私にそんなもの効くと思ったのかしら?」と彼女が何事もなかったかのように進行してくれたので助かった。
 少しずつ、バットウーマンが俺に近付いてくる。そして、光線銃を奪い取ると、
「撃たれたくなかったら、そのまま服を脱いでベッドに行きなさい」
 俺はバスローブを脱ぎ捨て、銃で脅されながら、全裸でベッドに横たわった。その瞬間、緊張からか栓が抜けたように口の中の水分が一気に引いていった。乾燥で、舌が動かしにくい。いったん、水を飲んでやり直したかったが、雰囲気が壊れそうなので我慢した。
「眼鏡はとらなくていいの?」
 随分と親切な悪女だ。俺は眼鏡を電マの横に置いた。
「さあて、どうしようかなあ」と、俺の両腕を万歳状態にしてから手錠を嵌めた。手にはいつのまにか、ハタキのように先っぽが分れたムチを持っていて、それで俺の乳首をくすぐったり叩いたりした。
「放してくれ」と懇願してみたものの、直立と表現していいほどペニスが立っているので、まるで説得力がない。
「ダメよ」
 ムチで撫でられながら焦らされているうちに我慢できなくなり、
「キスしてくれ」と言うと、
「『キスしてください』でしょ」
「キスしてください」
「もっと、はっきり言わないと」
「キスしてください。お願いします」
「しょうがないわねぇ」
 バットウーマンは俺の上にまたがり、熱烈なキスをプレゼントしてくれた。こんがらがった配線の如く舌をしっかり絡ませ合ってから、
「腋をなめさせてください」
「腋? ちょっと汗かいてるけどいい?」
「はい」
 むしろ、汗はかいてくれていた方が、こっちにとっては都合が良い。汗は腋フェチにとっての黄金である。彼女が左腋をこちらに寄せてきたので、それに合わせて顔を近づけ、蛙のように舌を伸ばした。うーん、味がしない。匂いもない。粘ついてもいない。一般的な観点から言えば、それは理想的な腋なのだろうが、俺みたいな腋好きからすれば、物足りない事この上ないのである。出汁をとるのに使った昆布を噛んでいるような…… まあ、それは、しょうがないので気持ちを切り替えて次のプレイに移ることに。
「もう一回、キスさせてください」
「わかったわ。ちょっと手錠が邪魔ね。とるわよ」
 手錠が外され、自由の身に。彼女をきつく抱き寄せ、キスをしようとすると、
「ちょっとがっつきすぎよ」と叱られた。「髪は濡らさないでね」
「あの…… まんこなめたいんですけど」
「いいわよぉ」
 彼女が股間を俺の顔にたっぷりと押し付けられるよう、身体を少し下にずらしスペースを作った。彼女はハイレグの股の部分に指を入れ、女性器を露出させた。生まれて初めて生で見る女性器だが、眼が悪いので天然のモザイクがかかってしまっている。俺は池にエサを投げ込まれた鯉のように口を開けて待った。股間がゆっくりとこちらに近づいてくる。さぁ、こい…… しっかり、嗅いで、舐めてやる……
「エンッ!」
 強烈な刺激臭が鼻を突き刺した。一瞬、叫びかけたがすんでのところで留まった。これが悪名高いマン臭なのかと思案したが、他のまんこを嗅いだことないので判断に困った。もしかしたら、布の方からしているような気もしたからだ。生乾きのひどいやつと臭いが似ていた。酸味も少々あった。
しかし、こちらから舐めさせてくれと言ったのに何もしないのは不自然だから、マナーとして数回舐めた。
「おいしい」
「おしいなら、もっと舐めなさい」
 もう一、二回命がけで舐めたが、これ以上はヤバいと思い、そっと顔を離した。バットウーマンは立ち上がると、さっきから邪魔になっていたマントを外した。それから、「ちょっと暑いわね」と言って、エアコンの温度を下げた。コスプレしたままリモコンをいじる様子はやけにシュールだった。
「もう悪いことができないようにお仕置きしてあげないとね」
 それを聞いて、彼女は自分が「善」側で、俺が「悪」側だと思ってプレイしているんじゃないかと気がついた。店から電話で言われた通り、事前に打ち合わせしておけばよかったと少し後悔した。
「ほら、足をあげなさい」
 足を天井に向かって上げると、自然に背中が丸まって、海老のような恰好になった。
「自分でそれを持つのよ」
 膝の裏をそれぞれの手で持つと、いわゆる「ちんぐり返し」という体勢に。その瞬間、右ふくらはぎに嫌な違和感が走った。俺は体全体が尋常じゃないくらい固く、体育で柔軟のテストをした際などは、いつも最下位かそれに近かった。また、二、三ヶ月に一回、夜中にこむら返りが起こることもあった。恐らく、急に無理な運動をしたことで、筋肉がおかしくなっているのだ。夜中にふくらはぎをつる時には必ず前兆として筋肉がぎゅっと収縮してしまったような感覚があって、それで目が覚めるのだが、今起きているのはまさにそれだった。ここから少しでも足を動かしてしまうと、ドミノ倒しのようにがらがらと筋肉が崩壊し、激痛に苛まれる。
「今からすごい恥ずかしいことしてあげる」
 俺は自分の足を抱えながら、怯えた仔犬のように震えていた。身体が固すぎてこの体勢を維持するだけでもかなりつらい。普段から柔軟体操をしておくべきだった。しかし、高い金を出して築き上げた性の世界をこんなことで壊すのはもったいなさすぎる。
すると、彼女がいきなり俺の肛門に指を入れた。
「ヌアッ」
 変な刺激が加わったせいで、本当に右のふくらはぎが逝ってしまった。
「ほら恥ずかしいでしょ。アナルをいじられて」
 俺としてはこんなプレイがあるとは完全に想定外だった(逆調教コースでは普通なのかもしれないが)。それなら、もっとちゃんと尻を洗っておくんだった。しかし、よく切れ痔になっている俺としては、アナルをいじられることに対して、不安しかない。彼女が指をどんどん奥に突っ込んでいくにつれ、かつてあじわったことのない深甚な恐怖感にとらわれた。気持ち良いというよりかは、異物が侵入しているという違和感の方が大きく、まるで直腸検査を受けているかのような気分。そして、一番心配だったのは、うんこがもれてしまうんじゃないかということ。
「どう? 気持ち良い?」
「気持ち良い……」
 あらゆる困難が一斉に圧しかかってきているこの状態を打破するには、もう開き直るしかないと考えた。そのうちに、自分の知らなかった快楽の道が開けるかもしれないというわずかな希望にかけて。
「いや、女の子になっちゃう!」
 俺は「女」としてセックスをしたいという願望を叶えるために、自己暗示をかけることにした。
「ほーら、女の子になっちゃうよぉ」と、彼女は俺の尻の穴にローションを塗り込み、指で直腸を軽く押していく。多分、直腸越しに前立腺を刺激しようとしているのかもしれない。プロだから大丈夫と自分に言い聞かせるも、不安感はぬぐえない。だが、我慢しているうちに、性の宇宙へとぶっ飛んでいくかもしれないのだ。そうじゃなきゃ、肛門性交をする奴なんか誰もいなくなる。
「女の子になっちゃうよぉ」と喚きつつ、脂汗を垂らしながら、俺はふくらはぎの強烈な痛みに耐えていた。快楽ではなく苦痛で顔が歪む。
「もう女の子になってるよ。アナルも電マが入るぐらい広がって」
 マジで? 大丈夫か、俺の肛門。うんこ垂れ流しになっちゃうんじゃないか?
 これ以上足を上げているのは限界だと感じ、ゆっくりもとの体勢に戻った。足を下ろし、こっそりふくらはぎを揉んでいるうちに、若干の違和感は残りつつも、痛みは消失した。
 AVのように、世界観を壊さずスムーズにセックスするのは普通の人間には無理だ。あれは、本当にファンタジーなのだ。いや、AVだけじゃなく、雑誌・映画・小説でも、やたら滑らかにセックスしている。そんなことが本当にあり得るのだろうか?
 バットウーマンの方を見ると、ビニール手袋を外しているところだった。俺の拭きが甘いせいでうんこがついているんじゃないかとびくびくしたが、視力が悪いのでよくわからなかった。
 そして、彼女は持っていたローションを今度は俺のペニスに垂らした。冷たい。思わず身体が陸に上げられた魚のように跳ねる。ドロドロとしたローションは、透明な蜂蜜みたいだ。
「まだ出しちゃダメ。我慢しないと」
 しかし、ペニスの勢いは、最初の頃に比べ、三分の二ぐらいに落ちていた。疲れ始めたのか飽きてきたのか、エロへの執着心が薄れてきている。おまけに、ローションによる手コキが気持ち良くない。ローションのつるつるとした感覚が、俺に合わないらしい。ただ手が滑っているだけにしか感じられないのだ。そして、みるみるうちにペニスは萎み、親指大ぐらいのサイズに戻ってしまった。
「我慢しすぎちゃったのかなぁ」
 彼女の方も少し焦ってきたらしく、手コキのスピードが速くなる。それでも一度萎えたペニスはなかなか元に戻らない。ぺちょぺちょぺちょぺちょという間抜けな摩擦音が、ホテル内に空しく響く。自分でも擦ってみたが、ぬるぬるするばかりで、握っている感覚がない。
「乳首を舐めながらやってくれないかな?」
 前回の風俗の経験から、乳首が一番の性感帯だとわかったので、そう頼んだ。それで、乳首を舐めてもらいながら、ペニスを擦られると、若干回復の兆しを見せた。しかし、射精しなきゃと焦っているから、性欲がまるで安定しない。結局、一歩進んで二歩下がるという状態に。
 彼女はコンドームを取り出し、俺のペニスに被せた。けれども、俺のそれが縮みすぎていたために、被せたというよりかは帽子のように乗せたという方が正しかった。そして、コンドームの上からフェラチオを試みたが、やはりうまくいかない。
 フェラを諦めた彼女は電マを手に取ると、最終兵器と言わんばかりに、厳かに亀頭に当てた。最初は何も感じなかったが、一分以上そのまま当てられ続けていると、急に体が痙攣した。
「メスイキしてるんじゃないのぉ?」
 それは、おしっこが出そうになるのを無理やり我慢しているような感覚。確かに、身体の反応は大きかったが、このまま射精できるのかといえば、かなり難しそうだった。一体、俺の四日分の精子はどこにいったんだ? 完全に消えてしまったとしか思えない。ペニスからあふれ出るんじゃないかと心配したぐらい溜まっていたのに。
 タイマーが鳴った。どうやら終了時間が迫ってきているらしい。もう射精しなくてもいいかと思い始めてきた。俺には無理だ。諦めて試合終了にしたい。
 それでも、彼女が頑張ってくれるので、俺ももう一度射精にチャレンジすることにした。
「もう一回、乳首なめて。ちんちん擦るのは俺がやるから」
 彼女には乳首なめに専念してもらい、擦るのは自分でやることにした。幸い、ローションが渇いてきていて、普段オナニーしている時のグリップ感に戻っていた。何度かしごいているうちに、ペニスが如意棒よろしく伸びてきた。
「がんばれ。がんばれ」
 最初小声で言われたから、聞き取れなかったが、どうやら応援してくれているらしい。励まされながらオナニーするなんて前代未聞だ。最早、性交というよりかは介護に近い気がしてきた。
「がんばれ。がんばれ」
 手の中で再びペニスが硬直を開始する。芯が入ったような触感。いける。これなら何とかなりそうだ。
「がんばれ。がんばれ」
 水泳の前畑がベルリン・オリンピックに出場した時の、アナウンサーの応援を思い出した。
「あ、出るかもしれない」
「本当! 頑張って!」
「ああ、出る!」
 ようやく射精できた。消えたと思っていた精液が一気に出た。図書館などの公共施設に、よくペダルで踏むタイプの水飲みが設置されているが、あれぐらいの勢いで出た。
「いっぱいでたね」と彼女はティッシュで俺の精子を拭き取りながら言った。
「うん」
「よかったぁ、射精できて」
「ありがとう」
「じゃあ、私店に電話してくるね。このままだと延長になっちゃうから」と彼女は急いで電話をかけにいった。
 俺は彼女の心遣いに感謝した。ベッドを見ると、コンドームやら電マやらローションやらが散らばっている。夢の残骸、というにはあまりに苦労が多すぎた。
「これで大丈夫。じゃあ、お風呂入ろっか」
 バスルームの前に行くと、「これちょっと脱がしてくれない」と背中のファスナーを指さした。よく見ると、背中に若干ほつれている部分がある。だいぶ酷使されているのかなと思いつつ、ファスナーを下ろした。ここで初めて彼女の裸を目にした。衣装を脱いだ彼女は心なしか縮んで見えた。しかし、身体の線はなめらかで、ある種のやさしさが窺われた。次に、ゴーグルも外すと、玄関で会った時以来の素顔が現れた。ショートカットが似合う、かわいらしい人だった。
 熱いシャワーで股間にへばりついたローションを丹念に洗い流してもらっていると、
「結構、筋肉あるね。学生時代、何かやってた?」
「い、いや、何も」
 中学は将棋同好会の幽霊部員、高校は帰宅部という経歴を説明するのが恥ずかしかったので、お世辞を言われて嬉しかったものの、そっけない返事をしてしまった。
「なんか生まれつきガタイは良かったから」
「あ、なめてて気づいたけど、乳首の毛、ちゃんと剃ってたよね」
「うん」
 そこに気づいてくれて、俺は嬉しかった。
 風呂から出て、着替えを済ます。ヒカリは性具を入れたアタッシュケースに、衣装を詰めた手提げと、荷物が多い。小柄な彼女にはきつそうだ。
「雨の日だと大変だね」
「そうなの。これに傘持たなきゃいけないから」
 二人で一階まで降り、フロントで清算すると、時間を十分程度オーバーしていたので、千円追加でとられた。
「ごめんね、遅くなっちゃって」
「いやいや、全然大丈夫ですよ」
 そして、外に出ると、
「今日はどっちから来たの?」と彼女が訊いた。
「A線のC駅から」
「じゃあ、あっちだね」
 俺は彼女に指示された方向へ歩き出した。尾行されるのを避けるため、向こうから別れを切り出す仕組みになっているのかもしれない。
既に陽は落ち、人工による光が街を彩り始め、仕事終わりのサラリーマンが飲み屋を探して徘徊していた。俺は後ろを振り向いて、
「それじゃあ、また」
「じゃあね」
 尻に違和感が残っていたせいで、歩くとどうしても両津勘吉のようなガニ股になった。おまけに、すれ違う人全てが、俺が風俗帰りだということに気づいているんじゃないかという妄想にも囚われた。俺をそんな目で見るんじゃねぇ。
 家に到着し、すぐにトイレで尻を拭くと、ローションがべっとりとついた。そこでようやく現実感覚を取り戻した。

 

最後のページ