家にパソコン(ウィンドウズ95)とインターネットが導入されたのは、俺が五年生の時で、祖母が仕事でeメールを使うためだった。当時のダイヤルアップ接続は、定額制ではなく、速度もカタツムリのように低速で(おまけに、不穏な電子音まで鳴り響く)、家族も仕事以外ではパソコンに触れなかったため、コンピューターに興味を持たないまま、中学に進学した。
中学受験をしたので、港区にある偏差値五十程度の中高一貫・男子校に進学したのだが、やたら「オタク」が多い学校で、ネットの世界に様々な情報やコンテンツがあることを教えられた(その大半がくだらないものだったが)。ちょうど、家でもパソコンを95からXPに乗り換えた時で、ネットへの接続方法もダイヤルアップからブロードバンドに切り替わり、定額制で速度も格段にスピードアップしたため、ネットサーフィンが日常茶飯となり、それによって知ったのが、ヒロインのピンチ(ネットでは「ヒロピン」や「リョナ」という名称でジャンル分けされることが多い。ただし、「リョナ」は二次元に限ることも)に欲情する人間は、俺一人ではなかったということ。
グーグルなどの検索エンジンを使うと、そこには好事家の手による小説やイラストなどの爛れた二次創作がいくつも転がっていた。だから、以前のように、わずかなピンチシーンを期待して戦隊ものを録画する必要がなくなり、戦隊もの自体見なくなった。元々、特撮そのものには一切興味がなく、ヒロインのピンチにだけ関心があったのだから当然だろう。
二次創作だが、活字好きの俺としては、よく小説の方を読んだ(イラストは猟奇的なテイストの強いものが多く、趣味に合わなかったというのもある)。そこで気づいたのは、自分は「臭い」に対しても、異様な興味を持っていることで、前述したハリケンブルーが納豆をモチーフにした怪人に悪臭で攻撃されるという二次創作にすごく興奮したことを覚えている。しかし、アマチュアによる二次創作以上に驚愕したのが、ヒロピンに特化したAVが制作されているのを知った時だろう。
レッド・ルーフというそのメーカーは、元々SMや熟女といったマニアックな分野においてそれなりに有名だった。しかし、二十一世紀に入る前ぐらいから競争が激しくなり、新たな客層の獲得を模索していた時、コミケでコスプレが流行っていることを知り、試しに人気ゲームのパロディAVを制作してみたところ、意外にヒットしたことから、得意としていたSMをあっさり捨て、今ではほぼ特撮系AV作りに特化した会社となっている。
レッド・ルーフのホームページを覗いてみて、まず目に飛び込んできたのが、一本一万弱というDVDの値段。一般的なAVの三倍~五倍近い価格だ。ニッチなジャンルだし、制作コストも普通のAVより高くつくのだろうから、単価が高くなるのは当然なのだが、その強気な値付けで、生き馬の目を抜くアダルト業界を現在に至るまで十年以上も生き延びているのは驚異としか言いようがない。だが、中学生の俺には当然一万円近くもするAVに手が出るはずもなく、一分程度の画質の荒いサンプルで満足しなければならなかった。だから、この時ほど早く大人になりたいと思ったことはないのである。
戦隊もののパロディAVは、レッド・ルーフ以外の会社もお情け程度に手掛けているが、全てがおふざけの域を出るものではなく、未だレッド・ルーフの一人勝ち状態。レッド・ルーフの何が画期的だったかといえば、衣装・演出・演技・脚本・セットのクオリティを、限りなく本家に近付けたこと。これは他の追随を許さないという状況になっている。もし他のメーカーが今からレッド・ルーフの域までたどり着こうと試みるならば、それなりの設備投資や詳細なノウハウが必要で、利益を出す前に潰れてしまうだろうから、レッド・ルーフの牙城はよほどのことがない限り今後も崩れないだろう。ちなみに、アメリカのどこかのメーカーが、やはりヒロインのピンチにテーマを絞ったAVを何十本も出していて、何本か見てみたが、その演出方法はレッド・ルーフに倣っているようだった。しかし、まだまだ演技は単調すぎるし、映像もただ映してみたという感じで、レッド・ルーフの出来には遠く及ばない。
むろん、レッド・ルーフのAVも最初から完成していたわけではなく、俺が見始めた頃は、まだまだ手探りの段階で、いかにもAVらしい安っぽさを漂わせていたが、試行錯誤していくうちに、段々と洗練され始めたのである。
予算の都合や撮影の大変さからか、人気女優がレッド・ルーフに出演することはあまりない。他のメーカーだったら「熟女」枠に入れられてしまうような人が多かったりする。だから、大学時代にレンタルビデオ店でバイトをしていた時、AVコーナーに作られた「人気女優ベスト10」という特集を見ても、取り上げられていた女優がほとんどわからなかった。
しかし、特撮系AVに必要なのはルックスよりも演技力なので、新人よりかはベテランの方が適していると言えるし、吹き出してしまうような恥ずかしいセリフを抵抗なく言うには、ある程度の経験、能力、気合が必要になる。これは後に、俺が否応なしに実感したことでもあるが……
ちなみに、自分がオナニーを覚えたのは中学二年の時分である。それまで言葉だけは知っていたが、なぜかそれ以上調べる気が起きず、興奮によって起立したペニスもそのまま放置していたし、夢精することもなかった。きっかけは、音楽の授業中に、クラスメイトから突然「氷川って、オナニーしたことある?」と尋ねられたこと。どうも、十四歳でオナニーをするのは普通かそうではないのかということを、二人のクラスメイトが議論していて、いかにも真面目そうな俺から回答を引き出すことで、その決着をつけようとしたらしい。そこで俺が咄嗟に「ある」と答えると、「ほらな、みんなあるんだよ。お前だけだよ、してねぇの」ともう一人が勝ち誇ったように言い、俺はそれを聴いて、早くオナニーをおぼえなければと内心焦ったのであった。
やり方は当然ネットで検索した。そこで初めて、手で陰茎を擦るということを知った。子供の頃に登り棒で偶然オナニーを知ったという男の話をよく聞くが、俺にはそういう経験がなかった。また、挿入を基調とした普通のセックスにあまり興味を持っていなかったことや、勃起自体、エロとは無関係な場合でも起こり得たので、ペニスをそういう性的な器官としてみなしていなかったことも、オナニーの習得に出遅れた要因だと思う。
とりあえず見られる心配のない風呂場で実践してみようと、生まれて初めて自分で自分の包皮を剥いてみたら、リング状になった恥垢が亀頭のくびれた部分に苔みたいにびっしりとへばりついていたのには絶句した。すぐにそれをシャワーで洗い落とし、おもむろに擦ってみるも、あまり気持ちよくなく、とりあえずそのままずっとやり続けているうちに、少しずつ興奮してきたが、さほど絶頂感のないまま薄い精液が弱々しく出た。それでも亀頭の洗浄も兼ねて、一週間に三~五回の割合でオナニーしていたら、ある日風呂場を掃除していた祖母から、「排水口に白っぽい物が詰まってるんだけど何かわかる?」と聞かれ、質問された瞬間は、何も考えずに「知らん」と返事できたのだが、すぐにそれが熱で固まった精液だと気づき、爾来風呂場でオナニーするのは止め、パソコンの置いてある部屋でティッシュに出すスタンダードなスタイルになった。