文學界 1967年8月号 作家が選んだ戦後文芸評論ベスト20

文學界』1967年8月号では、「作家が選んだ戦後文芸評論ベスト20」という特集を組んでいる。初めに、磯田光一司会で、野間宏中村真一郎小島信夫大江健三郎らによる座談会(「作家にとって批評とは何か」)があり、その結びとして、読者に勧める文芸評論を選んでいるという形だ。選考の仕方が面白かったので、その様子を引用しよう。

 

「人から入った方が選考しやすいのではないか」(中村氏)ということで、まず名前がリスト・アップされる。

 荒正人平野謙花田清輝本多秋五埴谷雄高佐々木基一小田切秀雄寺田透山室静

 中村光夫伊藤整福田恆存、高橋義考、山本健吉亀井勝一郎吉田健一唐木順三

 加藤周一堀田善衛福永武彦中村真一郎

 渡辺一夫桑原武夫林達夫竹内好武田泰淳瀬沼茂樹河盛好蔵

 服部達、遠藤周作村松剛佐伯彰一篠田一士、進藤純考、日沼倫太郎、江藤淳奥野健男吉本隆明橋川文三

 小林秀雄河上徹太郎

 学者及び小説家は省いたらどうかという声が出る。一同賛成だが、伊藤整を落とすわけにはいかない。

 それとは別に「橋川さんは確かに学者だが、その関心がいかにも文学者的ですから是非入れておきたいですね」(大江氏)という発言もあって橋川文三は残る。

 小林秀雄河上徹太郎両氏は別格として敬遠。磯田光一も含めて、森川達也、秋山駿、松原新一などといった若手評論家たちや新日本文学系の批評家たちは今後の仕事にまち、他日また論じていただくとして一応除外する。

 この種の話合いがあって、ひとまず選び出されたのは、荒、平野、花田、本多、佐々木、小田切、寺田、中村(光)、伊藤、福田、山本、亀井、吉田、唐木、加藤、服部、江藤、橋川、吉本、奥野、篠田、佐伯の諸氏。計二十二名となる。

「そんなら篠田君と佐伯君を落としたらどうですか。そうすればちょうど二十になるんでしょう」(中村氏)。「奥野さんや江藤さんが同時代の仕事をすべて代表するわけですか」(大江氏)。「いやそういうことではなくて、未来に期待するという意味で。それに他の人たちはいくつも作品があって、ベスト20ということになれば、なにを選ぶか考えなければいけないが、篠田君は『伝統と文学』、佐伯君は『日本を考える』と一つしか候補作がないということですよ」(中村氏)

 服部達も「われらにとって美は存在するか」一本しかないが、「あの中には、いまの若い人がやっていることのヒントのようなものがずいぶんあるような感じがします。服部が生きていたらというようなことを言う人がずいぶん多いし……」(小島氏)、という次第で服部達は生きて二十の顔ぶれがきまった。

 平野謙は「芸術と実生活」及び「島崎藤村」。幅の広さということから「芸術と実生活」に決定。花田清輝は「復興期の精神」及び「アヴァンギャルド芸術」のうち「アヴァンギャルド芸術」。ほとんどがスムーズに選び出された中で、多少手間取ったのが本多秋五中村光夫福田恆存吉本隆明

 本多秋五は「戦争と平和論」、「『白樺』派の文学」、「物語戦後文学史」等が候補に上がったが、けっきょく「物語戦後文学史」に落ち着く。

 中村光夫は「風俗小説論」という意見もあったが、大江氏が積極的に「二葉亭四迷伝」を推したということもあって「風俗小説論」の方は参考作品になる。

 どれにするかでいちばんもめたのが福田恆存。「初期の作品をあげたいと思いますが」(野間氏)。「『芥川龍之介論』、『近代の宿命』……」(中村氏)。「しかし、再読してみてぼくはつまらなかった。とくに『西欧作家論』は今日の若い外国文学者の実力とくらべれば復刊する値打ちはないでしょう」(大江氏)。「福田さんは最初一緒に運動やって、いまはぼくの論争相手ですよ。『平衡感覚』を入れたい」(野間氏)、といったような発言があり、けっきょく「人間・この劇的なるもの」が選ばれる。

 吉本隆明の場合、「高村光太郎」、「言語にとって美とはなにか」、「マチウ書試論」が候補として出されたが、「言語……」は難解だし、、異論(野間氏など)もかなりあるため落され、「マチウ書試論」が入っている「芸術的抵抗と挫折」に決定。「マタイ伝の生成を文学論的に批評したもので、暗い力のある、いいものですが、マタイ伝の成立の論考がどこまで吉本隆明の発見なのか、タネ本である外国人の専門家の発明にどの程度依拠しているのかをはっきりさせていないところが難でしょう」(大江氏)。

 結論的感想。「しかし、ずいぶん妥当なものができ上ったもんだね(中村氏)。「小説家はいかに公正無私か、あるいはいかに温和な種族かということですか。しかしこんなものにあげられない方がいいのだよ」(野間氏)。

 

戦後評論ベスト2

荒正人 『第二の青春』

平野謙 『芸術と実生活』 参考『島崎藤村』

花田清輝 『アヴァンギャルド芸術』 参考『復興期の精神』

本多秋五 『物語戦後文学史』 参考『「戦争と平和」論』

佐々木基一 『リアリズムの探求』 参考 最近のリアリズム関係諸論文

小田切秀雄 『文学論』

寺田透 『表現の思想』

中村光夫 『二葉亭四迷伝』 参考『風俗小説論』

伊藤整 『小説の認識』

福田恆存 『人間・この劇的なるもの』 参考『平衡感覚』

吉田健一 『文学の楽しみ』

唐木順三 『無常』 参考『現代史への試み』

加藤周一 『文学と現実』

亀井勝一郎 『日本人の精神史研究』

山本健吉 『古典と現代文学』

服部達 『われらにとって美は存在するか』

奥野健男 『太宰治論』

橋川文三 『歴史と体験』

吉本隆明 『芸術的抵抗と挫折』 参考『高村光太郎』

江藤淳 『夏目漱石』

群像 1974年1月号 批評家33氏による戦後文学10選

『群像』1974年1月号では、「戦後文学」に関する特集が組まれており、「批評家33氏による戦後文学10選」というアンケートと、秋山駿・磯田光一柄谷行人・川村二郎・上田三四二らによる座談会「戦後文学を再検討する」という企画が組まれている。ここにはアンケートの結果の一部を掲載しよう。ちなみに、「対象範囲は戦後登場した作家と作品に限りました」という断り書きがついているので、谷崎や川端は対象外になっている。

 

饗庭孝男

椎名鱗三『深夜の酒宴』

大岡昇平『野火』

三島由紀夫金閣寺

大江健三郎『飼育』

島尾敏雄『死の棘』

安部公房砂の女

小島信夫抱擁家族

野間宏『青年の環』

辻邦生『背教者ユリアヌス』

小川国夫『或る聖書』

 

足立康

大岡昇平『武蔵野夫人』

安岡章太郎『ガラスの靴』

曾野綾子『海の御墓』

三島由紀夫金閣寺

遠藤周作『海と毒薬』

武田泰淳森と湖のまつり

安部公房『第四氷河期』

石原慎太郎『ファンキー・ジャンプ』

福永武彦『飛ぶ男』

井上靖しろばんば

 

入江隆則

大岡昇平『野火』

阿川弘之『雲の墓標』

石原慎太郎『完全な遊戯』

吉行淳之介砂の上の植物群

大江健三郎『個人的な体験』

小島信夫抱擁家族

遠藤周作『沈黙』

古山高麗雄『プレオー8の夜明け』

阿部昭『司令の休暇』

三島由紀夫奔馬

 

大橋健三郎

大岡昇平『野火』

武田泰淳森と湖のまつり

安岡章太郎『海辺の光景』

安部公房砂の女

小島信夫抱擁家族

大江健三郎万延元年のフットボール

藤枝静男『空気頭』

大庭みな子『三匹の蟹』

椎名麟三『懲役人の告発』

古井由吉妻隠

 

岡庭昇

椎名麟三『深尾正治の手記』

谷川竜生『パウロウの鶴』

井上光晴ガダルカナル戦詩集』

小林勝『目なし頭』

金石範『鴉の死』

谷川雁谷川雁詩集』

福田善之『袴垂れはどこだ』

高橋和巳邪宗門

大江健三郎万延元年のフットボール

野間宏『青年の環』

 

奥野健男

島尾敏雄『夢の中での日常』

埴谷雄高『死霊』

三島由紀夫仮面の告白

武田泰淳ひかりごけ

北杜夫『幽霊』

安部公房砂の女

大江健三郎万延元年のフットボール

倉橋由美子『反悲劇』

大岡昇平『レイテ戦記』

吉行淳之介『暗室』

 

桶谷秀昭

野間宏『暗い絵』

椎名麟三『重き流れのなかに』

武田泰淳蝮のすえ

田宮虎彦『霧の中』

埴谷雄高『死霊』

吉本隆明『転位のための十篇』

鮎川信夫鮎川信夫詩集』

藤枝静男『空気頭』

三島由紀夫『春の雪』

吉行淳之介『暗室』 

 

田切

埴谷雄高『死霊』

野間宏『真空地帯』

武田泰淳『風媒花』

大岡昇平『俘虜記』

三島由紀夫金閣寺

遠藤周作『海と毒薬』

大江健三郎『芽むしり仔撃ち』

安部公房砂の女

井上靖楼蘭

高橋和巳『悲の器』

 

亀井秀雄

三島由紀夫仮面の告白

大西巨人神聖喜劇

堀田善衛『海鳴りの底から』

北杜夫『楡家の人びと』

高橋和巳邪宗門

大江健三郎万延元年のフットボール

木下順二『神と人の間』

大岡昇平『レイテ戦記』

野間宏『青年の環』

武田泰淳『富士』 

 

川嶋至

大岡昇平『野火』

田宮虎彦『絵本』

深沢七郎楢山節考

結城信一『鶴の書』

吉行淳之介『娼婦の部屋』

安岡章太郎『海辺の光景』

井上光晴『地の群れ』

小島信夫抱擁家族

古山高麗雄『プレオー8の夜明け』

阿部昭『司令の休暇』

 

清水徹

武田泰淳ひかりごけ

深沢七郎笛吹川

梅崎春生『幻化』

丸谷才一『笹まくら』

福永武彦『幼年』

大江健三郎万延元年のフットボール

辻邦生『夏の砦』

大岡昇平『レイテ戦記』

野間宏『青年の環』

入沢康夫『わが出雲・わが鎮魂』

 

白川正芳

野間宏『暗い絵』

中村真一郎『死の影の下で』

埴谷雄高『死霊』

大岡昇平『野火』

椎名麟三『自由の彼方で』

武田泰淳ひかりごけ

三島由紀夫金閣寺

花田清輝『鳥獣戯話』

梅崎春生『幻化』

吉本隆明吉本隆明詩集』 

 

高橋英夫

大岡昇平『野火』

三島由紀夫金閣寺

庄野潤三静物

安部公房砂の女

小島信夫抱擁家族

大江健三郎万延元年のフットボール

花田清輝『小説平家』

吉田健一絵空事

福永武彦『死の島』

清岡卓行アカシヤの大連・五部作』

 

武田友寿

埴谷雄高『死霊』

大岡昇平『野火』

椎名麟三『自由の彼方で』

武田泰淳ひかりごけ

島尾敏雄『死の棘』

堀田善衛『海鳴りの底から』

野間宏『わが塔はそこに立つ』

遠藤周作『沈黙』

大江健三郎万延元年のフットボール

 

田中美代子

三島由紀夫『愛の渇き』

三島由紀夫『禁色』

安部公房『第四氷河期』

森茉莉恋人たちの森

三島由紀夫『美しい星』

野坂昭如エロ事師たち

島尾敏雄『日を繋けて』

沼正三家畜人ヤプー

吉行淳之介『暗室』

塚本邦雄藤原定家 火宅玲瓏』 

 

中野考次

大岡昇平『俘虜記』

武田泰淳蝮のすえ

安東次男『CALENDRIER』

野間宏『真空地帯』

大江健三郎『芽むしり仔撃ち』

安部公房砂の女

島尾敏雄『出発は遂に訪れず』

藤枝静男欣求浄土

石牟礼道子苦海浄土

大岡昇平『レイテ戦記』

 

野口武彦

埴谷雄高『死霊』

三島由紀夫仮面の告白

島尾敏雄『死の棘』

福永武彦『忘却の河』

いいだ・ももアメリカの英雄』

梅崎春生『幻化』

大江健三郎万延元年のフットボール

椎名麟三『懲役人の告発』

野間宏『青年の環』

武田泰淳『富士』 

 

平岡篤頼

三島由紀夫金閣寺

武田泰淳森と湖のまつり

安部公房砂の女

吉行淳之介砂の上の植物群

大江健三郎『個人的な体験』

小島信夫抱擁家族

遠藤周作『沈黙』

福永武彦『死の島』

大岡昇平『レイテ戦記』

埴谷雄高『闇の中の黒い馬』

 

古屋健三

武田泰淳蝮のすえ

三島由紀夫仮面の告白

大岡昇平『花影』

安岡章太郎『海辺の光景』

吉行淳之介『闇のなかの祝祭』

島尾敏雄『出発は遂に訪れず』

大江健三郎『個人的な体験』

遠藤周作『留学』

古井由吉『杳子』

阿部昭『父と子の夜』

 

松原新一

椎名麟三『深夜の酒宴』

武田泰淳蝮のすえ

野間宏『崩壊感覚』

大岡昇平『野火』

大江健三郎『芽むしり仔撃ち』

島尾敏雄『死の棘』

堀田善衛『海鳴りの底から』

井上光晴『地の群れ』

小島信夫抱擁家族

小田実『ガ島』

 

利沢行夫

埴谷雄高『死霊』

大岡昇平『俘虜記』

島尾敏雄『死の棘』

大江健三郎『個人的な体験』

小島信夫抱擁家族

武田泰淳『富士』

辻邦生『背教者ユリアヌス』

小川国夫『試みの岸』

遠藤周作死海のほとり』

 

渡辺広士

埴谷雄高『死霊』

大岡昇平『野火』

安部公房砂の女

吉行淳之介砂の上の植物群

小島信夫抱擁家族

田村隆一田村隆一詩集』

野間宏『青年の環』

三島由紀夫『豊穣の海』

武田泰淳『快楽』

大江健三郎『洪水はわが魂に及び』

 

 どの批評家も基本的には、大江健三郎安部公房三島由紀夫埴谷雄高大岡昇平小島信夫武田泰淳野間宏などの、手堅いところを選んでいるという印象。田中美代子だけが、趣味に忠実だ。

 野間宏の『青年の環』を選んでいるのが結構いるが、よくあれを読み通したなという感じ。それとも、読み通したからには選ばないともったいない、と思っていたりして。

 意外なところでは、武田泰淳の『森と湖のまつり』を選んでいる人が多い。この頃は、武田の代表作で、映画化までされたようだが、今ではあまり読まれていない。  

 

青年の環 1 (岩波文庫 緑 91-3)

青年の環 1 (岩波文庫 緑 91-3)

 

  

森と湖のまつり (講談社文芸文庫)

森と湖のまつり (講談社文芸文庫)

 

 

肉体的体力と精神的体力

 一般的に「体力がある」といえば、肉体的な体力のことを指すだろう。しかし、僕は、「肉体的体力」の他に「精神的体力」というのもあると思う。

 例えば、大勢の人の前で1時間発表しなければならないとする。たった1時間のことで、運動のように肉体を酷使しているわけではないのに、終わった後は普通の仕事より疲労感を感じるだろう。これが「精神的体力」を消耗しているということになる。

ワーカホリック」という言葉がある。売れっ子の小説家が月に500枚以上原稿を書いたり、音楽プロデューサーが毎日のようにスタジオにつめたりする。そういう人たちは、一見「肉体的体力」において優れているように見えないことが多いが、なぜか仕事はこなせてしまう。それは「精神的体力」が十分にあるからだ。

 社会に出て仕事するうえで本当に重要なのは、「肉体的体力」ではなくて「精神的体力」だと思う。しかし、肉体は鍛えられるが、精神はなかなかそうもいかない。精神的体力が削られるのは、主に「緊張」しているからで、仕事に慣れたり人間関係が円滑に進んでいたりすれば、「緊張」は減っていくが、そう簡単にいくものでもない。常に疲れていると感じるのは、肉体的体力というよりかは、精神的体力が減っているからだろう。

「精神的体力」は万能ではない。ある仕事ではバリバリにやっていた人が、他の仕事では上手くいかず、「精神的体力」をすり減らし、うつ病になるということはあり得ることだ。結局、自分がストレスを感じない仕事につけるか、ということが生きていくうえで重要なのかもしれない。

リバティーンズとキプリング

 リバティーンズの「ガンガ・ディン」という曲は、キプリングの同名の戦争詩からとられている。ガンガ・ディンはインド人の水運びで、普段はイギリス人の兵隊からこき使われているが、戦場で彼らの一人を助けた後、流れ弾に当たって死ぬ。それを見た兵隊が、"You're a better man than I am, Gunga Din"と言うところが最後のラインで、かつ一番有名な部分。リバティーンズの曲でも、サビでその部分が引用されている。

 ちなみに、キプリングノーベル文学賞受賞者だが、帝国主義的だ、ということでその後大分評価を落としたという経緯がある。その詩は、単純素朴なものが多く、『キップリング詩集』(岩波文庫)の序で、訳者の中村為治は「キップリングはあたりまへの人間らしさをあたりまへ以上にもつた男だ。男らしい、物の分つた、見る眼のある、健全な平凡さを非凡にもつた男だ」と彼のことを評している。

www.youtube.com

 

奴は擔架のあるとこに

俺を運んでくれたけど、

その時弾丸が飛んで来て奴の身體をぶちぬいた。

無事に擔架に入れてから、

息を引き取る直ぐ前に、

「水は美味かつたかいね」といつたは ガンガ ディン。

後程俺は彼奴の行つた

其處で彼奴に會うだろう──

其處ぢや始終二重の調練、其處にや酒保などありやしない。

奴は焔の上に座し

哀れな亡者に水くれる

俺にも地獄でぐいと一飲み飲ましてくんねえ ガンガ ディン!

うん、ディン! ディン! ディン!

此の鞣革乞食野郎 ガンガ ディン!

俺はお前を殴つたが、

お前を造つた生ける神宿し、

お前は俺よりいい奴と俺はいふんだ、ガンガ ディン

 

ラドヤード・キプリング「ガンガ・ディン」中村為治訳

 

 

リバティーンズ再臨

リバティーンズ再臨

 

 

キップリング詩集 (岩波文庫)

キップリング詩集 (岩波文庫)

 

 

群像 1996年10月号 私の選ぶ戦後文学ベスト3

『群像』1996年10月号は、「創刊五十周年記念号」ということで、大江健三郎×柄谷行人江藤淳×秋山駿の対談や、木下順二小田切秀雄のエッセイが載っているいる。

 アンケートでは、「私の選ぶ戦後文学ベスト3」というのが企画されていて、選者は批評家や外国文学研究者として活動している人が多い。何人か引用してみよう。コメントは割愛。

 

菅野昭正

大岡昇平『レイテ戦記』

丸谷才一『裏声で歌へ君が代

大江健三郎万延元年のフットボール

 

山城むつみ

椎名麟三『重き流れのなかに』

野間宏『暗い絵』

森有正『経験と思想』

 

井口時男

小林秀雄ゴッホの手紙」

秋山駿「内部の人間の犯罪」

柄谷行人寒山拾得考」

 

富岡幸一郎

三島由紀夫『英霊の声』

森敦『われ逝くもののごとく』

桶谷秀昭『昭和精神史』

 

渡辺廣士

大江健三郎『燃えあがる緑の木』

三島由紀夫『豊穣の海』

埴谷雄高『死霊』

 

大杉重男

埴谷雄高『死霊』

江藤淳夏目漱石

大江健三郎『政治少年死す』

 

川西政明

埴谷雄高『死霊』

武田泰淳ひかりごけ

大江健三郎『飼育/芽むしり仔撃ち』

 

宇野邦一

深沢七郎楢山節考

古井由吉『杳子』

吉本隆明『書物の解体学』

 

亀井秀雄

A吉本隆明『言語にとって美とはなにか』

B大西巨人神聖喜劇

C司馬遼太郎坂の上の雲

 

松原新一

本多秋五『物語戦後文学史

広津和郎『松川裁判』

佐多稲子『時に佇つ』 

 

曽根博義

伊藤整日本文壇史

大江健三郎万延元年のフットボール

井上靖『本覚坊遺文』

 

川村湊

梅崎春生『幻化』

中井英夫『虚無への供物』

中上健次千年の愉楽』 

 

清水良典

島尾敏雄『夢の中での日常』

三島由紀夫『美しい星』

大江健三郎『われらの時代』

 

いいだもも

金達寿玄海灘』

李恢成『見果てぬ夢』

金石範『火山島』

 

高橋英夫

大岡昇平『野火』

河上徹太郎『私の詩と真実』

吉田健一『金沢』

 

渡部直己

大西巨人神聖喜劇

深沢七郎『風流夢譚』

中上健次枯木灘

 

勝又浩

島尾敏雄『夢の中での日常』

小島信夫抱擁家族

藤枝静男『空気頭』 

 

佐伯彰一

谷崎潤一郎『瘋癲老人日記』

川端康成眠れる美女

三島由紀夫『近代能楽集』

 

野口武彦

石川淳『至福千年』

大岡昇平『堺港攘夷始末』

武田泰淳『富士』

 

松本健一

梅崎春生桜島』もしくは『幻化』

谷川雁『大地の商人』

司馬遼太郎坂の上の雲』 

 

奥野健男

太宰治人間失格

三島由紀夫仮面の告白

島尾敏雄『夢の中での日常』

 

加藤典洋

村上春樹世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

大岡昇平『武蔵野夫人』

大江健三郎『空の怪物アグイー』

 

大橋健三郎

小島信夫抱擁家族

2大庭みな子『三匹の蟹』

中上健次枯木灘』 

 

千石英世

小島信夫抱擁家族

福田恆存『人間・この劇的なるもの』

谷川俊太郎『鳥羽』

 

饗庭考男

大岡昇平『武蔵野夫人』

井伏鱒二『黒い雨』

中上健次枯木灘』 

 

絓秀実

花田清輝『錯乱の論理』

大西巨人神聖喜劇

③中村福治『戦時下抵抗運動と「青年の環」』

 

島弘之

小林秀雄「『白痴』について」Ⅱ

西脇順三郎『失われた時』

三島由紀夫仮面の告白

 

 ぱっと見、大江健三郎大岡昇平大西巨人三島由紀夫中上健次が別格か。佐伯彰一が川端と谷崎を選んでいるけど、全体的に、「戦後に発表された文学」というよりかは、「戦後に活動を始めた文学者の作品」が選ばれている。

 個人的に驚いたのは、梅崎春生の評価が高いこと。逆に、村上春樹は加藤しか選んでいない。多分、世代的なものが大きく現れているのだろう。

 島尾敏雄は『死の棘』ではなく、『夢の中での日常』を選んでいるのが、3人もいる。どうやら批評家受けのする小説のようだ。

 

 

万延元年のフットボール (講談社文芸文庫)

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神聖喜劇〈第1巻〉 (光文社文庫)

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野火 (新潮文庫)

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その夏の今は・夢の中での日常 (講談社文芸文庫)

その夏の今は・夢の中での日常 (講談社文芸文庫)

 

 

ジョン・ネイスン 『ニッポン放浪記』

 ジョン・ネイスンは三島の『午後の曳航』や大江の『個人的な体験』の翻訳者であり、映画『サマー・ソルジャー』の脚本家であり、アーティスト小田まゆみの元夫でもある。

 しかし、僕にとってはやはり『三島由紀夫─ある評伝─』の作者だ。ネイスンの三島伝は、数ある三島の伝記の中で最も中立的であり、虚構や誇張に満ちた三島の生涯を知るうえで、必読である。

 そんなネイスンの書いた自伝が、岩波書店から『ニッポン放浪記』というタイトルで翻訳された。原著の存在を知ってから、翻訳されるのをずっと楽しみにしていたので、手に入れ次第さっそく読んでみた。

 ネイスンはニューヨークのローワー・イーストサイドで生まれ育ち、アリゾナ州の高校からハーバード大学に進学した。だが、ハーバードに蔓延する独特のスノッブ精神にうんざりしたネイスンは、その中心から外れるような道を歩き始める。彼が日本語に興味を持ったのは、日本人学生から「瘭疽」という漢字を教えてもらったことがきっかけだった。それから日本文学などの授業を取り、卒業後は来日して、津田塾大学などで英語を教えるようになった。それから、東大に入学し、『三島由紀夫─ある評伝─』の翻訳者である野口武彦と出会ったり、三島の小説を翻訳したりした。だが、三島との仲は、ネイスンが『絹と明察』の翻訳を断ったことから、断絶する。このことは『三島由紀夫─ある評伝─』にも書かれていたので、さほど新鮮味はなかった。

 三島以外の小説家では、大江健三郎と最も仲が深かった。元々ネイスンが『絹と明察』の翻訳を断ったのも、『個人的な体験』の方を評価し、翻訳しようと思ったからだ。『個人的な体験』はネイスン訳で当初クノッフ社から出る予定だったが、突然大江が翻意したことで、グローブ・プレスから出版された。アメリカでは、研究者以外で、日本文学に注意を払う評論家は皆無だったが、書評家たちを接待する席で、大江がアメリカ文学への深い造詣を披露したことにより、彼らの心を掴み、書評に取り上げてもらえた。大江の英米文学に関する知識量には、ネイスンも舌を巻いている。『個人的な体験』はその後ネイスン脚本、勅使河原宏監督で映画化する企画が持ち上がったが、スポンサーがつかなかったためにとん挫。二人はそのまま『サマー・ソルジャー』の企画へと移った。

 やがて、ネイスンと大江の交友に亀裂が入る出来事が起こる。小谷野敦の『江藤淳大江健三郎』によれば、77年にグローブ・プレスから出た『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』の序文の中で、ネイスンが嘘を書いたとして、絶縁したらしい。このことは『ニッポン放浪記』では触れられていないが、大江と十年近く疎遠になっていた時期もあったとし、再び交流するきっかけになったのは、大江がノーベル文学賞を取った時だと書いている。だが、2003年に『新しい人よ眼ざめよ』の英訳を出した後、再び大江から絶縁されたらしく、説明を求める手紙を書いても返事がなかったという。そこで「大江のことを昔から知っているある編集者」に相談すると、「よく起きることですよ。大江先生には絶交癖があるんです」と言われたとか。ちなみに、大江は安部公房とも絶交していて、それは安部が三島や石川淳川端康成らと「文化大革命」に対する抗議文を発表したことが原因だ、とネイスンは書いている。しかし、大江の本を出して居る岩波が、大江と絶交した人の本を出しているのは、可笑しい。

 ネイスンはキーンやサイデンステッカーのように文学研究・翻訳一筋の道をたどらなかった。裏方の人間でいることに飽き足らず、ドキュメンタリー監督として活動するようになり、あえて日本と距離を取るような時期もあった。しかし、興した会社は失敗し、最終的には日本文学の世界へと戻ってくることになる。波乱に富んだネイスンの人生は、「放浪」そのものだ。

 

ニッポン放浪記――ジョン・ネイスン回想録

ニッポン放浪記――ジョン・ネイスン回想録

 

  

三島由紀夫―ある評伝

三島由紀夫―ある評伝

 

  

ソニー―ドリーム・キッズの伝説 (文春文庫)

ソニー―ドリーム・キッズの伝説 (文春文庫)

 

 自伝には、ソニーの本を書いた時のトラブルも詳述されている。

 

  

勅使河原宏の世界 DVDコレクション

勅使河原宏の世界 DVDコレクション

 

  

A Personal Matter

A Personal Matter

 

  

ガイアの園―小田まゆみの世界

ガイアの園―小田まゆみの世界

 

 

映画『ジュリア』とリリアン・ヘルマンの嘘

 ジェーン・フォンダが主演し、ヴァネッサ・レッドグレイヴがアカデミー助演女優賞を受賞した映画『ジュリア』は、原作がリリアン・ヘルマンの「自伝」であるため、「実話」ということになっているが、これは正しくない。正確に言うならば、他人の身に起こった出来事を、ヘルマンが勝手に横取りし、あたかも自分と関りがあったかのようにでっち上げた、ということになる。まず、映画の簡単なあらすじから見てみよう。

 

女流劇作家リリアン・ヘルマンの回顧録の映画化で、二人の女性の生涯にわたる友情と、作家ダシール・ハメットとのプライベートな生活を描いたサスペンス・ドラマ。ジュリアとリリアンは幼なじみであったが、第二次大戦前夜、ジュリアは反ナチ運動に加わっていた。そんなある日、劇作家として成功したリリアンのもとへ、ジュリアが人を介して反ナチの運動資金を届けてくれと依頼してくる……。彼女がジュリアのため、反ナチ運動の資金を運ぶくだりが、まことにスリリング。*1

 

 確かに、「ジュリア」に相当する人物は存在する。彼女の名は、ミュリエル・ガーディナー。ミュリエルは第二次世界大戦前のウィーンで、反ナチの地下組織に加わり、「メアリ」という偽名を使って、手紙の運搬などをしていた。戦争が勃発した後は、アメリカに戻った。ヘルマンは知り合いからその話を聞くと、まずは『ラインの監視』という戯曲のネタにし、それから自伝『ペンティメント』(邦訳題『ジュリア』)を書いた。ミュリエルをジュリアにし、存在しなかったはずの自分を付け加えて。

 ヘルマンの自伝『ペンティメント』はベストセラーになった。その後に書いた『眠れない時代』も売れた。ヘルマンは反ナチの闘士、赤狩りの抵抗者として、文壇を飛び越え、社会的英雄にまで昇りつめた。パートナーがダシール・ハメットであることも、プラスに作用した。

『眠れない時代』を書いたあたりから、ヘルマンに対し、抗議の声が上がり始める。自伝の内容に間違いがある、とアルフレッド・ケイジンやアーヴィング・ハウといった有名批評家が、書評で批判したのだ。しかし、これらの批判は、読む人間が限られていたせいか、あまり注目されなかった。

 そんな中、作家のメアリー・マッカーシーが、人気トーク番組「ディック・キャヴェット・ショー」で、「彼女(リリアン・ヘルマン)の書いていることばはすべて、『そして』や『その』でさえも嘘だ」ということを言った。1980年1月24日のことだ。

 マッカーシーとヘルマンは1930年代からの知り合いだが、数十年にわたって、対立し続けていた。二人には、自伝/私小説を書くという共通点があるが、内容は真逆。ヘルマンが自分を英雄的に装飾するのに対し、マッカーシーは事実を徹底的にドライに書く。

 マッカーシーのテレビでの発言を聞いたヘルマンは、彼女を名誉棄損で訴えた。しかし、これは悪手だった。なぜなら、裁判沙汰になったことで、世間の関心が一気に集まり、マッカーシー以外にも、彼女の嘘を暴こうとする人間が多数現れたからだ。そして、ヘルマンが嘘をついていたという証拠が、あちこちで提示された。ジュリアのモデルである、ミュリエル・ガーディナーは、83年に『暗号名はメアリ』を出版し、ヘルマンと自分が関係ないことを示した。ヘルマンはジュリアが実在すると主張したが、証拠を出すことはできなかった。逆に、雑誌『コメンタリー』では、サミュエル・マクラッケンの手によって、『ペンティメント』が徹底検証され、自伝が作り話に満ちていることが証明された。マクラッケンの記事が出て一か月後、ヘルマンは死んだ。しかし、映画や自伝は依然として、真実だと信じられ、名作とあがめられている。ポール・ジョンソンが『インテレクチュアルズ』の中で言うように、「リリアン・ヘルマンの神話産業は素知らぬ顔で進みつづける」のだろう。

 

  

  

ジュリア (ハヤカワ文庫NF)

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暗号名はメアリ―ナチス時代のウィーン

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眠れない時代 (ちくま文庫)

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グループ (ハヤカワ文庫 NV 5)

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インテレクチュアルズ

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