肉体的体力と精神的体力

 一般的に「体力がある」といえば、肉体的な体力のことを指すだろう。しかし、僕は、「肉体的体力」の他に「精神的体力」というのもあると思う。

 例えば、大勢の人の前で1時間発表しなければならないとする。たった1時間のことで、運動のように肉体を酷使しているわけではないのに、終わった後は普通の仕事より疲労感を感じるだろう。これが「精神的体力」を消耗しているということになる。

ワーカホリック」という言葉がある。売れっ子の小説家が月に500枚以上原稿を書いたり、音楽プロデューサーが毎日のようにスタジオにつめたりする。そういう人たちは、一見「肉体的体力」において優れているように見えないことが多いが、なぜか仕事はこなせてしまう。それは「精神的体力」が十分にあるからだ。

 社会に出て仕事するうえで本当に重要なのは、「肉体的体力」ではなくて「精神的体力」だと思う。しかし、肉体は鍛えられるが、精神はなかなかそうもいかない。精神的体力が削られるのは、主に「緊張」しているからで、仕事に慣れたり人間関係が円滑に進んでいたりすれば、「緊張」は減っていくが、そう簡単にいくものでもない。常に疲れていると感じるのは、肉体的体力というよりかは、精神的体力が減っているからだろう。

「精神的体力」は万能ではない。ある仕事ではバリバリにやっていた人が、他の仕事では上手くいかず、「精神的体力」をすり減らし、うつ病になるということはあり得ることだ。結局、自分がストレスを感じない仕事につけるか、ということが生きていくうえで重要なのかもしれない。