板東英二 『プロ野球 知らなきゃ損する』
野球選手も人間である。人間であるからには、金・女・嫉妬といった俗世間のしがらみから簡単に逃れることはできない。いや、むしろ彼らはそういったものに、人一倍敏感にならざるをえない環境に身を置いているとも言える。オフシーズンになれば年俸が話題になるし、ドラフトでは自分のポジションを奪うかもしれないライバルが入ってくるし、なまじ体力があるから女との付き合いも派手だったりする。しかし、そういったことは、中々選手本人の口から語られることはない。
板東英二の『プロ野球 知らなきゃ損する』は、野球界を「欲望」の観点から眺めた著書である。この本が出たのは1984年だが、この時板東は売れっ子のタレントで、コーチや監督といった球界のインサイダーとなる道を完全に断っていたから、こういう本が書けたのだろう。逆にいえば、将来監督やコーチになろうと考えているなら、思い切ったことを言うのは難しくなる。
文章は板東の関西弁をもとにしているので、読みやすく、ポップである。また、常に身も蓋もなく、球界の建前をぶった切る姿勢はある種痛快で、常識が次々とひっくり返っていく。
俺が、「へえ」と思ったのは、例えば元巨人の中畑清が、「こんなに神経質で、デリケートな男はおりまへんで」という件。確かに、ただの剽軽者だったら、日本プロ野球選手会の初代選手会長に選ばれることはないだろう。あの派手なパフォーマンスは、気配りが行き過ぎたうえでの行為らしく、根っこのところは暗いとか。
さらに、選手がデッドボールを食らった時の監督の本音。
主力選手がデッドボールをくらう。ベンチからバッターボックスへ、ひた走る間に監督はこう考えます。
〈あのバカたれが、あんなタマもようよけんと、当たってしまいよった。あの様子じゃ、一週間くらいはあかんやろ。ここであいつを使えんのは痛いなあ。負けがこんだらどないすんねん。ホンマにドアホ! けど、オーナーにあいつがいてへんから負けました。私のサイ配のせいやおまへん。私のサイ配は完璧です、わかっておくんなはれ、とも言えんし……〉
まあ、こんなとこやと思いますわ。けど、倒れてる選手のそばにいったら、胸のうちを正直にいうことはありません。
「大丈夫か? 痛いことないか?(ホンマによけられんかったんかいな)」
「無理せんと、休んどいたらええ(無理しでも出えよ)㊟()は本音です。
プロ野球は監督も選手も個人事業主です。そやから、かわいいのは自分ひとり。当たった選手の心配を誰がしますかいな。監督の頭の中は、その選手がおらんようになったときの戦力のことだけですわ。そのために負けがこんだときの、自分のクビだけが唯一最大の関心事なんですわ。
今年で引退した巨人の杉内が引退会見で「心から後輩を応援するようになった。勝負師として、違うかなと感じました」と言った。板東の本にも同じようなことがもっとどぎつく書いてあって、ベテランはライバルとなる若手を潰すために、あえておだてて、彼らが無理をするようにしむけるとか。だから、「他人の意見をきかん、好意(?)を無にする、生意気……。これでないと一流にはなれへん」という。それでも若手に抜き去られたベテランは、「監督にベタッとくっつく」き、将来の安定を確保しようとするとか。とにかく、野球選手からすると後輩というのは、ライバル以外の何物でもないのだ。
他に、選手にバカにされる監督の条件とか、金田批判とか色々面白かった。生身の野球選手を知りたい人にはオススメの一冊である。
いいね!5未満の男によるペアーズ印象記
吉原真理の『ドット・コム・ラヴァーズ』を読んだ。だいぶ前からいつか読もうと思ってタイミングを逃し続けてきたのだが、数か月前から自分がペアーズをやるようになったので、ちょうど良い機会だと思い、手を伸ばした。
『ドット・コム・ラヴァーズ』は、アメリカ文化やジェンダーについての研究者である吉原真理が、2003年にアメリカのオンライン・デーティング・サイト、マッチドットコムを利用した時の体験記だ。吉原によれば、アメリカでは2000年を過ぎた頃から、ネットを通して恋人を探す人々が増え始め、この本が出た2008年にはもう「年齢・職業・人種・地域を越えて、アメリカ主流文化の普通の一部となって」いたという。
ネットを通じた出会いが胡散臭く見られていたのは、アメリカも日本も変わらないが、市民権を得たのはアメリカの方が圧倒的に早かった。日本だと、オンライン・デーティングが、交際相手を探す際の手段として認められ始めたのは、スマートフォンが普及してからだろう。それまでは、ネットのデート・サイトというのは、「出会い系」と総称されてて、かなり怪しまれていた。だから、俺の登録しているペアーズなんかも、「マッチング・アプリ」と称し、アングラ臭をどうにか消そうとしているのだ。
しかし、吉原の体験から15年近く経っているわけだが、全然今と変わらないなあ、というのが本を読んだ時の俺の感想。国も違うのに、「ネット」「出会い」「恋愛」が揃うと、人間の考えや行動がだいたい同じものになるようだ。その行動・思考について、自分の経験も踏まえつつ、思いついた順につらつらと書いてみたい。
そもそもプロフィールを書くのは難しい
俺のような売りが全然ないオタク顔・低年収マンが、魅力的なプロフィールを作るのは、ラクダが針の穴を通るよりも難しい。ちなみに、ペアーズの年収欄は、選択できる項目が、200~400という(多分、わざと)アバウトな作りになっているので、多少の誤魔化しがきくようにはなっている(こんなこと書いたら、俺がどこの層に属しているかばれるけど)。一度、男のプロフィールを見たことがあるが、600~800がずらりと並んでいて、思わず目をつぶった。
また、性格・タイプとか社交性、酒を飲む頻度などを選択肢から色々選べるようになっているのだが、性格を「インドア」、社交性を「一人が好き」、酒を「飲まない」にしたら、完全な引きこもり人間が出来上がってしまい、これじゃいかんと思って、慌てて、社交性を「少人数が好き」に直したが(一瞬、飲酒についても「時々飲む」にしてみたが、止めた)、性格に関しては自分で「思いやりがある」とか「謙虚」とか「誠実」とか言うのが恥ずかしくて、結局「穏やか」しか追加していない。だけど、確実に言えることは、自分から「謙虚」なんて選んでる奴は、謙虚じゃないということだ。
性格では他に、「奥手」とか「マイペース」とかあるのだけど、「奥手」な男なんて犬も食わないので当てはまっていても選択しなかった。「マイペース」は、「わがまま」の言い換えのような感じがしてこれも選ばず。もしかしたら、俺が気にしすぎなのかもしれないが、減点対象になるようなことはなるべく避けたいのだ。ただ、男の場合は減点でも、女の場合はそうでもない、というケースもあるだろう。
プロフィールをきちんと読まない男が多い
吉原はサイトに登録した際、相手に求める条件の一つとして「トニ・モリソンを知っていること」と書いたのだが、全然それを読まないでメッセージを送ってくる男がめちゃくちゃ一杯いたらしい。
これはペアーズでも同じで、とにかく手当たり次第に「いいね」を押す男が存在する。俺の友達も、そんな「数撃ちゃ当たる」戦法でやっていたが、相性とかよりも、とにかく「出会うこと」の方が先行していて、それで実際出会えたとしても共通項が少ないならば、よほど女慣れしている男じゃないと上手くいかないんじゃないかとも思う。ただ、マッチング・アプリというのは基本的に男が積極的に動かなければどうにもならないし、複数の人間とやり取りすることが(男女問わず)結構当たり前らしいので、「数撃ちゃ当たる」戦法は理にかなっているのかもしれない。一人に絞ると、駄目だった時のダメージは必然的にでかくなる。
俺は逆に、女のプロフィールや入っているコミュニティを熟読玩味しすぎて、他の男たちのように気軽に「いいね」が押せない。「あー、このコミュに入ってるのかぁ。う~ん」みたいな。あと、複数の女に同時に「いいね」することもできない。万が一両方とマッチングしてしまった場合、二人同時に相手にするのは、体力とか罪悪感などの面から厳しいからだ。だから、俺は山のように「イイネ」が余っていて、やろうと思えば現時点で200人以上の女に「イイネ」が押せる。にっちもさっちもいかなくなったら、全ての「イイネ」をばらまいて爆裂四散しようかと考えている。
しかし、女のプロフィールを眺めるのは単純に面白い。「〇〇が好きな女って、こんな感じなんだ」というのがよくわかるから。ペアーズは異性の情報しか見られないから推測なのだけれど、例えばマイナーな芸術系のコミュニティの場合、男はヘビーなオタクで、女はライトなファンといった感じに分断されていると思う。女は風変わりなマイナー・コミュニティに入っていても、プロフィールを見る限り社会性が高そうだが、男は社会不適合者が多いんじゃないか(自分含め)。だから、俺は中々マッチングしないのか?
建前といいね数
やっぱり、人間というのは「プライド」があるので、自発的にマッチング・アプリをインストールしたとしても、そのことは隠しておきたいものである。そのため、プロフィール欄には、「職場では出会いがない」とか「友達にすすめられた」とか「フェイスブックの広告で知った」といったような受け身の文言が踊ることになる。これは20代に多いが、「ゆるくやっている」と書き、余裕を見せようとする人もいる。また、多くの人が、始めたばかりであることを強調し、「初心者です」とプロフィールに書く。とにかく、自分は「モテないわけではない」し「出会いに飢えているわけでもない」ということを、ところどころに滲ませる女が多い。多分、男もそんな感じなんだろう。
しかし、実際は期待が大きすぎて長期会員になってしまう人間も少なくない(ちなみに、俺が長期会員になっているのは単純にモテないからである)。何しろ、常に新規会員が現れるわけだから、そっちの方も気になってしまう。新規登録した女に対する、男の群がり方は尋常ではない。普通程度の容姿でも、すぐに三ケタ「いいね」がついたりする。
女の被・「いいね」数は、人並みの容姿で、だいたい50~80ぐらいだと思う。あまり容姿に優れていなくても、最低20前後は「いいね」がつく。逆に、男はその5分の1ぐらいか。中にはなんでこんなに「いいね」がついているんだろうと思う女もいるが、謎である。ただ、500以上の「いいね」を貰っていて、特に容姿も良くない場合、それは足跡を付けまくって稼いでいる可能性が高い。俺のところにも全然接点がないのに、何度も足跡をつけてくる女がいて、そういうのはプロフィールを見るとだいたい被・いいねが500を超えているから、「あ、いいね稼ぎか」と思って非表示にしている。こんなところで人気者になってもしょうがないと思うのだが。
短期間しか関係が続かない
まあ、やっぱり「リアル」の関係じゃないから、切るのも切られるのもあっという間ということが多い(ようだ)。吉原の本にも、デートはしたけどすぐにフェイドアウトしたこととか、そもそも待ち合わせ場所に相手が来なかったことなどが書いてある。俺は初めてマッチングした女の子に、どんなメッセージを送って仲を深めればいいんだろうと考えているうちに、一ヶ月以上経ってしまったことがあった。当然、それで終りである。
一度、女の子の方から俺に「いいね」を押してきたことがあった。ペアーズを始めてから三ヶ月目ぐらいの時で、それが俺にとって初めての初・被「いいね」だったから、天にも昇る気持ちで即「イイネ」を返し、メッセージを送ったら、まったく音沙汰がない。彼女のアカウントを見ると、俺に「いいね」をした日から、一度もログインしないまま今日に至っている。多分、俺に「いいね」をした日に、死んだんだろう。
男が入りにくいコミュニティ
マッチング・アプリというのは、前述したように、男が能動的に動く必要がある。なぜなら、女の数が男よりも圧倒的に少ないからだ。それで、一人の女に何人もの男が群がるものだから、必然的に女も待ちの姿勢になるというか、「選ぶ」側として振る舞うことになる。そういう状況下で、女はともかく、男がネガティブなコミュニティに入るのは悪手だと思うのだが、意外に「恋愛経験が少ない」というコミュニティに入っている男が多いにはびっくりした。20代前半、もしくはよほどのイケメンじゃない限り、男がこんなコミュニティに入っていても意味がないんじゃないか? このコミュニティは、「私は軽い人間ではありません」という主張をするためのものなんだから、そこらへんの男が入っていても、「そりゃそうだろ」という感想しか抱かれない気がするのだが。
あと、俺が入りにくいと思うのは、「実はオタク」というコミュニティ。俺自身、どこからどう見ても、オタクにしか見えないから。
コミュニティについて言及したついでに書いておくと、既に「レディオヘッド」のコミュニティがあるのに「Radiohead」というまったく同じコミュニティを作る人は何を考えているんですかね? 一番おかしいのは菊地成孔のコミュニティが「菊地成孔」と「菊池成孔」に分かれていることで、「池」の方に入っている人は注意力が足らないと思う。確かツイッターのネタだったと思うが、菊地成孔という字は全部アナルを連想させる、という覚え方をすると今後間違うことはないだろう。
モテないという負のスパイラル
あらゆる人間にモテたいとは全然思わないけれど、まったく「いいね」がつかないと、必然的にヤバい人にしか見えなくなる。今のところ自分は三ヶ月以上「いいね!5未満」という表示が出続けているのだけれど、常識的に考えてそんな会員と付き合おうと思う女がいるのだろうか? 「こいつ誰もいいね!してないから、近づかんとこ」。そう考えるのが人間というものじゃないのか? 逆に、「いいね!」が多い人は、雪だるま式に増えていくはずだ。こうして恋愛格差は今日も広がっていくのである。
ドット・コム・ラヴァーズ―ネットで出会うアメリカの女と男 (中公新書)
- 作者: 吉原真里
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
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みにくいアヒルの子症候群
本屋にいくのがつらい。本屋に行くと、自分と同世代、もしくは年下のライターとか作家とかミュージシャンとかが華々しく活躍しているのが嫌でも目に入るからだ。そして、いつまでもくすぶっている自分が悲しくなってくる。誰かの書評とか読んで、「俺の方がもっと上手く書けるんじゃないか」なんて思ったりすると、余計に惨めさは加速する。理想としている自分と、現実の自分に大きな齟齬があるから、こういった負の感情が生まれてくるのだ。
アンデルセンに「みにくいアヒルの子」という童話がある。誰もが知っている有名な話だが、「物事の表面しか見れない人々への批判」というのが、一般的な感想じゃないだろうか。つまり、読者の焦点としては、アヒルそのものよりは、アヒルを取り巻く環境に向けられている。特に教育の現場では、「変わった子をいじめるのは止めよう」という教訓を読み取ることが、主眼とされているだろう。そこでは、「アヒル」が「白鳥」になることの必然性について疑われることはない。なぜなら、これは「童話」だからだ。
しかし、ここであえて「アヒル」に、また「アヒル」を「白鳥」にしたアンデルセン本人について注目すると、また別の物が見えてくる。
「自閉症」・「アスペルガー症候群」という観点から小説家たちを分析した、ジュリー・ブラウンの『作家たちの秘密』という本に、アンデルセンが取り上げられているのだが、ブラウンは、アンデルセン本人が「みにくいアヒルの子」は自伝的だと言ったことに注目し、「運命をまっとうして美しい白鳥となったアヒルの勝利が、アンデルセンが作家として成功し、ほかのライバルたちに打ち勝ったことの対比になっていることは明白に見てとれます」と書いている。つまり、「みにくいアヒルの子」とは、かつて自分のことを見下していた人々や社会への、ささやかな復讐だったというのだ。だが、アンデルセンはその復讐心を巧みに隠したから、「みにくいアヒルの子」は世界的に受け入れられた。
さて、アンデルセンは、「みにくいアヒルの子」の最後の方で、「自分が白鳥の卵からかえったのであるならば、農家の庭の隅っこのアヒルの巣で生まれようが生まれまいが、ものの数ではなかった」(荒俣宏訳)と書いている。これは驚くべきことだろう。なぜなら、アヒルという生き物・生き方を全否定しているからだ。「育ち」ではなく「血筋」を絶対視しているこの文は、「アヒルの子」に同情してきた読者の梯子を外すものでしかない。しかし、実際は、読者の多くがこの点については見過ごして来たのではないだろうか。俺も、大人になって再読するまで気付かなかった。それは、アンデルセンが、最後まで、「アヒルの子」という三人称を捨てずに使っているからでもある。
「はだかの王様」を書いているから、アンデルセンは貴族という存在に対し反発しているのだろうと思うかもしれないが、ジャッキー・ヴォルシュレガーの『アンデルセン ある語り手の生涯』を読むと、真逆の人間だったことがわかる。貧しい家庭に生まれたアンデルセンは、王族や貴族、上流階級に憧れ続け、彼らと交際できることを何よりも喜んだ。その様子があまりにもピエロ的だったので、詩人のハイネは、「外見には、王侯に気にいられる卑屈な自信のなさがただよっていた。王侯が考える詩人像そのものだ」と皮肉った。
つまるところ、「白鳥」とは「貴族」のことであって、「大きな白鳥たちは、この新しい仲間のまわりをぐるりと泳ぎ、くちばしで首をなで、歓迎してくれた」とは、貴族に受け入れられたアンデルセンそのものである。しかし、「アヒルの子」として育った「白鳥」は、「これまで自分がいかにみにくさのために迫害され、軽蔑されてきたか」ということを忘れることができない。他人の眼には「白鳥」に映っても、「アヒルの子」としてのアイデンティティを完全に捨て去ることができない彼は、子どもたちから「新しい白鳥、どれよりも美しいぞ!」と褒められても、「こんなときにどうふるまったらよいか、わからない」のだ。
ここまで、アンデルセンとアヒルの子の類似性を指摘してきたが、違うところが一点ある。それは、アンデルセンが、アヒルの子と違い、最初から自分が白鳥であると信じていたことだ。アヒルの子が、自分は実は白鳥なのだと気付くのは、たまたま水面に映った自分の姿を見た時だが、アンデルセンは幼少期から野心家で、積極的に自分を売り込んでいた。しかし、生来の卑屈な性格から、生まれも育ちも白鳥の貴族たちに、終生負い目を感じ続けたようだ。結局、彼は、芸術家としては高いプライドを持ちながらも、社交においては、白鳥の仮面をつけたアヒルの子として、見世物になる道を選んだ。
「みにくいアヒルの子」には、自分のことを白鳥だと信じながらも、周囲から馬鹿にされ、アヒルの子として鬱屈しながら生きなければならなかった、下積み時代のアンデルセンの変身願望が反映されている。俺も含め、何者かになりたいと考える若者の多くが、このような「みにくいアヒルの子症候群」にかかっているのではないだろうか。
谷崎潤一郎の「異端者の悲しみ」は、「みにくいアヒルの子」をリアリズムで書いたような趣がある(谷崎とアンデルセンの性格は真逆だが)。大学に通いつつも進路の決まらない主人公、章三郎が「白鳥」の幻を見るところから始まるこの自伝的中編は、大きな野心とそれに見合わない悲惨な境遇を描いているのだが、「みにくいアヒルの子症候群」にかかっている人間が読むと、まるで自分の内面を見透かされているかのように思ってしまうだろう。例えば、次のような個所……。
同じ人間でありながら、自分はなぜこんな貧民に生まれて此世間のどん底を出発点としなければならなかったのか、自分はどうして運命の神からハンディキャップを附けられて居るのか、思えば思うほど章三郎は業が煮えてたまらなかった。それも自分が陋巷に生まれて陋巷に死するにふさわしい、頭脳の低い、趣味の乏しい無価値な人間ならば知らぬこと、かりにも最高の学府に教育を受けて、将に文学士の称号を得んとしつゝある有為の青年である。自分は蠢々として虫けらの如く生きて行く貧民の間に伍して、何等の自覚もなく其の日其の日を過していられる人間とは訳が違う。自分には偉大なる天才があり、非凡なる素質がある。たま/\その天才と素質とが、物質的の成功致富の道に拙くて、藝術的の方面にのみ秀でゝ居る為めに、いつまでも斯うやって逆境を抜け出る事が出来ないのである。(引用は、千葉俊二編『潤一郎ラビリンスⅢ 自画像』より)
俺は大学を卒業して、ぶらぶらしている時期があったので次のような場面を読むと、当時を思い出して胸が苦しくなる。
「二十五六にもなって、毎日学校を怠けてばかり居やあがって、一体手前はどうする気なんだ。……どうする気なんだってばよ!」
折々彼は、否応なしに父親の傍へ呼び付けられて、ねちねちと詰問されて、意見を聴かされる時がある。そんな場合に章三郎は、面と向かって据わったまゝ、いつ迄立っても返辞をしなかった。
「手前だってまさか子供じゃあねえんだから、ちッたあ考えがあるんだろう。え、おい、全体どう云う了見で、毎日ぶらぶら遊んで居るんだ。考えがあるなら其れを云って見ろ。」
こう云う調子で、親父はじりじりと膝を詰め寄せるが、二時間でも三時間でも章三郎は黙って控えて居る。
「考えがある事はあるけれど、説明したって分りゃしませんよ」
と彼は腹の中で呟くばかりで、決して口へ出そうとしない。そうかと云って、一時の気休めに出鱈目な文句を列べ、父親を安心させようと云う気も起らない。そんな気を起こす餘裕がない程、彼の心は惨憺たる感情に充たされるのである。
「自分の体なんぞどうにでもなるがいゝ。己には親も友達もないんだ。」
そう思っては見るものゝ、彼にはやっぱり自分を生んだ親の家が、よしやどれ程むさくろしくとも、どれ程不愉快に充ち充ちて居ても、最後の落ち着き場所であった。自分の生まれた土を慕い、自分の育った家を恋うる盲目的な本能が、常に心の何処か知らに潜んで居て、漂泊の門出に勇む血気を怯ませた。
「異端者の悲しみ」が、谷崎の作品の中であまり人気がないのは、あまりにもリアルすぎるからだろう。しかし、ラストで、主人公の章三郎は、作品が認められ文壇への第一歩を踏み出す。彼もまた、アヒルの子から白鳥へと変身を遂げるのだ。
アンデルセンにせよ、谷崎せよ、こういった作品を書いたのは、作家として十分に社会的地位を築いてからだった。成功したからこそ、当時の自分を客観視することができ、かつポジティブな方向へ作品を向かわせることができた。逆に言えば、誰からも認められないうちは、「みにくいアヒルの子症候群」から抜け出すのは不可能ということなのかもしれない。
ヘンリー・ミラーは30歳を超えても芽が出ずくすぶっていたが、そんな時、自分よりも若いドス・パソスとかがもてはやされるのを見て、ひどい劣等感に苛まれたそうだ。ミラーがそんな感情から逃れることができたのは、パリに移住してからで、比較する相手が身近から消えたことによるものだろう。その時、ミラーは40近かったが。
野坂昭如の『マスコミ漂流記』には、誰が何歳でデビューしたとか代表作を書いたとか、そういことを気にする場面があって、これも痛いほどよくわかった。俺も最初は比較対象が、大江・石原・村上龍だったのに、どんどん目標値の修正をせまられ、「ヘンリー・ミラーは43歳で『北回帰線』を出した」とか、そういうことに慰められるはめになっている。
俺は、あと何年「みにくいアヒルの子」として生き続けなければならないのだろうか。
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三島由紀夫が旅行記に書かなかったこと
先月、「右翼」の三島由紀夫が初の岩波文庫入りということで、話題になった(まあ、海外の著者なら、既にエドマンド・バークとかも入っているが)。中身が旅行記だったので、特に興味もなかったが、水声社のヘンリー・ミラー・コレクション『対話・インタヴュー集成』に収められた、米谷ふみ子の「ミラー、メイラー会談傍聴記」(初出は『文學界』1985年10月号)を読んで、考えが変わった。
1976年、ノーマン・メイラーは『天才と肉欲』という本を出した。中身は、ヘンリー・ミラーの小説・エッセイの長い抜粋と、メイラー自身による解説を付けたもので、「会談」はその本の出版を記念して、NBCテレビ「トゥデイ・ショウ」が企画したものだった*1。米谷は、夫が「トゥデイ・ショウ」のインタビュアーと知り合いで、ミラー・メイラー対談の企画のアドバイスをしたことから、当日のそれに参加する機会を得たのだった。
対談では、ミラーがメイラーの本をきちんと読んだことがないと告白していて面白い。ミラーはメイラーの文章が難しすぎると言っているのだが、確か『回想するヘンリー・ミラー』の中でも、同じようなことを言っていた。ミラーの言を受けて、後輩モードだったメイラーも「ヘンリーのも単純な文章で書いたのは好きですが、ややこしくなると嫌になります。『マルーシの巨像』は性描写の所は好きだが他は好きじゃありません」と反撃している。実際、『天才と肉欲』の中でも、『マルーシの巨像』については批判的で、文壇受けを狙ってわざと上品に書いたのだろうと、難しいレトリックを使いながら回りくどく叙述している。
対談の録画が終り雑談に入った時、谷崎の話題になって、日本人繋がりで三島にも話が及ぶのだが、ミラーはドイツで三島と会ったことがあるらしい。また、メイラーも三島と会ったことがあるらしく、「三島がうちにやって来たのは、ちょうど僕達の結婚がうまく行っていなかった時なんだ。どう彼を扱っていいのか判らなかったね。彼はただゲラゲラ笑っていたのでね」と語っている。
そこで、三島の旅行記にミラーやメイラーと会った時のことが書いてないか確かめようと思い(特にメイラーについて)、とりあえず例の岩波から出た『三島由紀夫紀行文集』とちくま文庫の『外遊日記』などを読んでみたが、残念ながらミラーやメイラーのことに触れている文章はなかった。余談だが、『源泉の感情』に収録されている安部公房との対談で三島は、メイラーやミラーの饒舌さについて苦言を呈している。
松本徹編『年表作家読本 三島由紀夫』を見ると、三島がアメリカを訪問したのは、1952年、1957年、1960年、1961年、1964年、1965年の計5回。メイラーの「僕達の結婚」という発言が、63年に結婚、80年に離婚したビバリー・ベントリーとのことを指しているなら、64年か65年が対面の時期ではないか。三島が65年に訪米した理由は、『午後の曳航』のプロモ活動のためで、この時ニューヨークで大江健三郎とも会っている(ジョン・ネイスン『三島由紀夫 ある評伝』)。
旅行記を諦め、メイラーについて語っている文章の中に、出会いのことが書いてないかと思って探したら、『ぼく自身のための広告』の書評の中に簡単に見つかった。
余談ながら、わたしはニューヨークでメイラーに会ったことがあり、その機関銃のようなしゃべり方を、自ら「甲高くて、鋭くて、非常に早口で(中略)まるでヒットラーみたい」と評している(下巻一四一ページ)のには、微笑を禁じえなかった。
その後かれは、わたしの戯曲集に対する完膚なきまでの悪評をのせた「ヴィレッジ・ヴォイス」の切抜きを、ご親切にも、わざわざ送ってくれたりした。(引用は、虫明亜呂無編『三島由紀夫文学論集Ⅲ』より)
互いに、コミュニケーションをとれなかったのは相手のせいだとしているところが、自己中心的な二人の性格をよく表しているようで苦笑を禁じえない。しかし、この書評は、1963年に書かれたもので、俺の推測はどうやら間違っていたようだ。とすると、出会ったのはそれ以前となるが、61年はサンフランシスコのみの滞在なので除外するとして、多分、57年かもしれない(ということは、メイラーの言う「僕達の結婚」とは、54年に結婚し、62年に離婚したアデル・モラレスとのことか。メイラーはモラレスのことを60年にペンナイフで刺して、スキャンダルになっている)。三島の「わたしの戯曲集」とは、57年にクノップ社からドナルド・キーン訳で出版された『近代能楽集』のことだろう。ただ、「ヴィレッジ・ヴォイス」に掲載されたという書評は見つけられなかった。米谷のエッセイによると、メイラーは三島の本を読んだことがないということなので、執筆したのは別の人間と思われる。ちなみに、『近代能楽集』に収録された、「班女」、「葵上」は、60年にニューヨークで上演され、三島はそれを観ている。
三島とメイラーの交流は、初対面→『近代能楽集』の書評が「ヴィレッジ・ヴォイス」に掲載される→「ヴィレッジ・ヴォイス」が三島の元に送られる、という流れなので、出会いも書評も57年に起きた出来事だと考えるのが一番すっきりしているのではないか。57年のアメリカ滞在については『外遊日記』に収録されている「旅の絵本」において、その多くを語っているが、メイラーのことについて書いていないのは、あまり良い思い出ではなかったからか。
メイラーはミラーの『マルーシの巨像』について「あまりにもきれいごとすぎる」と書いたが、三島の旅行記についても同じような印象を持った。それは、表面を撫でて通り過ぎていくような感じで、高級な旅行パンフレットのようなのだ。『マルーシの巨像』はミラーが「性交の国」と手を切って書いたものだとメイラーは評したが、三島の旅行記も性的なことがまったく書かれていない。実際、三島はそういうことがあったのに、あえて書かなかったのだ。それを暴露したのが、ジェラルド・クラークの『カポーティ』である。
(前略)事実、三島とトルーマンには多くの共通点があった。二人ともほぼ同じ年頃で、ホモセクシュアルであり、早くに名声を得た。五七年の一月六日に、三島は彼とセシル(注:セシル・ビートン)を歌舞伎見物に連れて行き、それから楽屋で、主演の役者に引き合わせた。翌日の晩には料亭で二人をもてなし、紅灯の港を案内した。
ごく自然な友情のように見えた二人の関係だが、それ以上はあまり発展しなかった。三島がその年の夏にアメリカを訪問したが、そのあとで、トルーマンは日本で歓待した自分の恩義にむくいなかったとぼやいた。トルーマンはその非難は当たらないと言った。「ぼくは彼に親切にしてやった」と主張する。「彼は白人のでかいコックをしゃぶりたいと言ったんだ。(どうしてぼくにそういう斡旋ができるとみんなが考えるかわからない。なにも売春の取りもちの仕事をしているわけじゃないんだから──もっともそういう知り合いがたくさんいることは認めるけどね。)僕は一人の友人に電話をし、彼が三島と一緒に出かけたのは確かだ。ところが三島はお礼の電話もよこさなかったし、その男に代金も払わなかった」(中野圭二訳)
これも時期的には、「旅の絵本」と重なるのだが、そこにはカポーティの「カ」の字もない。三島は死ぬまで、自分がホモセクシュアルであることを公にはしなかったので、中には三島のゲイ的な要素はポーズだと考えていた人もいたようだ。
三島の旅行記は、このように書かれていないことがいくつかある。むしろ、書かれなかったことの方に本質があるような気がしてならない。
- 作者: ヘンリーミラー,Henry Miller,金沢智
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- 作者: ジェラルドクラーク,Gerald Clarke,中野圭二
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- 発売日: 1999/04
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作家の性癖
人が自分の性癖を意識するのは何歳ぐらいからだろうか*1。個人的な経験から言わせてもらえば、小学校にあがる前、大体五歳ぐらいの時には、変態的な「エロ」を認識していた(詳しくは「童貞と男の娘」を読んで欲しい)。頭で自分の性癖を理解していたというよりかは、本能的に「そこ」に向かっていたという感じ。それが、他人と異なる嗜好であることは何となくわかっていたが、変態的であるということまではわかっていなかったような気がする。きちんとそれを理解したのは、中学に入ってからだと思う。
男の作家の伝記を読んでいると、「性の目覚め」についてのエピソードが書いてあることが多い。それは作家自身が自ら語っているからだ。
まず、有名なのは三島由紀夫だろう。なにしろ、自伝的小説『仮面の告白』は、「性欲」が重要なテーマとなっているのだから。
坂を下りて来たのは一人の若者だった。肥桶を前後に荷い、汚れた手拭で鉢巻きをし、血色のよい美しい頬と輝く目をもち、足で重みを踏みわけながら坂を下りて来た。それは汚穢屋──糞尿汲取人──であった。彼は地下足袋を穿き、紺の股引を穿いていた。五歳の私は異常な注視でこの姿を見た。まだその意味とては定かではないが、或る力の最初の啓示、或る暗いふしぎな呼び声が私に呼びかけたのであった。(文中の傍点省略)
意味を理解していたわけではないけれど、五歳の頃には、はっきり「性の目覚め」を経験している。しかも、変態的な「それ」である。この後、六歳の時には、「白馬にまたがって剣をかざしているジャンヌ・ダルク」の絵、それから「兵隊たちの汗の匂い」や松旭斎天勝の舞台、「殺される王子」に、罪の意識を感じつつも、倒錯的な興奮を覚えていく。『仮面の告白』は小説だから、ジョン・ネイスンのように、「三島が自己自身のものとしている空想が、ほんとうに五歳だった当人の頭脳にあったかどうかはわからない」(『新版・三島由紀夫──ある評伝──』新潮社)ともとれるが、私自身の経験から言わせてもらえば、あり得ることだと思う。
他の作家を見てみると、谷崎潤一郎の場合、六歳の時、歌舞伎座で「東鏡拝賀巻」の「実朝の首が公暁に切り落とされるのを見て、エロティックな興奮を覚えたという」(小谷野敦『谷崎潤一郎伝 堂々たる人生』中央公論新社)。『武州公秘話』では、幼き日の武州公が、敵の首を洗い清める美女を見て、「恍惚郷に惹き入れられて、暫く我を忘れ」るシーンが描かれているが、「それがどう云う感情の発作であったかは、後になって理解したことで、当時の少年の頭では何も自覚していなかった」と書かれていて、やはり少年時代の「性」は後から言語化されるものらしい。
谷崎の変態性は有名すぎるほど有名で、女装を扱った「秘密」、女の鼻水がついたハンカチを舐める「悪魔」*2、それからマゾヒズムを描いた多くの小説がある。また、大宅壮一が「日本エロチック作家論」で指摘しているように脚フェチでもある。
彼は、全体としての女よりはその肉体の一部、特に足に対して非常な興味を感じる。彼と一緒に遊んだことのある私の友人も言つてゐたが、彼は女が来るとまづ第一に足を見て、気に入らなかつたら、早速帰つてしまふさうだ。彼が如何にそのエロチシズムの重心を足に置いてゐるかは、「富美子の足」といふ小説を見ればよくわかる。
谷崎の「足」賛歌は、 『瘋癲老人日記』まで続いていく。
江藤淳は『なつかしい本の話』で、七歳の頃、紀伊国屋文左衛門の歌を歌っていたら、それを聞いた女中が続きを歌い、その事になぜか「燃えるような羞恥の感情」を覚え、とっさに近くにあった火箸を彼女の手に押し付けた、というエピソードを書いている。その後、谷崎潤一郎の小説を読み、女の「弾ち切れんばかりに踝へ喰ひ込んだ白足袋」の興奮するようになって、家の女中の白足袋を盗むようになったという。小谷野はこれらの出来事を「小児性欲の変態的な現れ」と評している(『江藤淳と大江健三郎』)。江藤は小説家ではないが(小説を書いたことはある)、幼年時代に現れた変態的な性欲を忘れることはなかった。
フランスの文豪・ユゴーは若かりし頃、結婚に煮え切らない態度示す恋人アデールに対し、手紙で童貞であることを伝え、自分の一途さ、純粋さを熱烈にアピールしたことがあった。しかし、アデールとの結婚後、ロマン派の代表者として有名になるにつれて、女性関係もすこぶる派手になり、自分の絶倫っぷりを誇るようにもなった。ポール・ジョンソンのコラム「長寿明暗」(『ピカソなんかぶっとばせ』所収)にこんなエピソードが載っていた。
私(注:ポール・ジョンソン)が一九五〇年代初めにパリに住んでいたころ、ある老人がこんな話をしてくれた。四、五歳のころ、当時八十歳を超えていたヴィクトール・ユゴーに会ったそうだ。時は、真夏の朝六時前、場所は、とある古城。最上階の板張り廊下で、子供たちやメイドが眠っていた。少年は退屈してベッドを抜け出し、城を探検しようとして、ユゴーに出くわしたのだった。ユゴーは寝巻に裸足といったいでたちで、前の晩ディナーで目を付けた美人メイドの寝ているあたりを探してそろりそろりと歩き回っていた。カーテンのない蜘蛛の巣が張った窓に、日の光がさんさんと差し込んでいた。この髭面の老人は、まるで旧約聖書の預言者に見えたという。老人は少年の手をつかんで、自分の勃起したところにあてて、こう言った。
ほら、坊や。わしの年にしちゃこれは珍しいことなんだよ。詩人ヴ
ィクトール・ユゴーの体をつかんだんだ。そうきみの息子たちに自
慢していいよ。(鈴木淑美訳)
そんなユゴーだが、彼の性癖は、谷崎と同じく脚だった。その「目覚め」は五歳になる前のこと。当時ユゴーはモン・ブラン街の、ある学校に通っていた。朝、彼は学校の先生の娘であるローズ嬢の部屋に連れていかれ、朝寝坊だった彼女が身づくろいするのをよく目撃した。その時、彼女が「靴下をはくその姿をじっと見つめていた」という(『その生活に立ちあった人の物語ったヴィクトール・ユゴーの姿』。引用はアンドレ・モロワの『ヴィクトール・ユゴーの生涯』より)。
情欲の最初の衝動はあとあとまでも深い痕跡を残すものであり、人間は生涯を通じて、こうした感動をもう一度味わってみたいと思いつづけるものなのである。ヴィクトール・ユゴーが生涯女の脚だとか、女の白や黒の靴下だとか、女の裸の足だとか、こういった「素足の恋歌」につきまとわれることになるのもこのためであった。(『ヴィクトール・ユゴーの生涯』)
その後も、寄宿学校に入った頃、「ロザリー嬢のあとから階段を登りながら、この裁縫婦の脚をじっと眺めていた」など、脚の観察はずっと続いた。老人になっても女癖の悪かったユゴーだが、結婚するまでは、もっぱら「のぞき」専門だったようだ。そんなユゴーだが、モロワの言う通り、詩や小説の中でも、「脚」の描写にこだわっている。あの『レ・ミゼラブル』から、ちょっと長いが引用してみよう。マリユスがリュクサンブールの園で見かけたコゼットに片思いしてから、何度目かの出会いのシーン。
(前略)晩春の強い風が吹いて篠懸の木の梢を揺すっていた。父と娘とは互いに腕を組み合して、マリユスのベンチの前を通り過ぎた。マリユスはそのあとに立ち上がり、その後ろ姿を見送った。彼の心は狂わんばかりで、自然にそういう態度をしたらしかった。
何物よりも快活で、おそらく春の悪戯を役目としているらしい一陣の風が、突然吹いてきて、苗木栽培地から巻き上がり、道の上に吹き下ろして、ヴィリギリウスの歌う泉の神やテオクリトスの歌う野の神にもふさわしいみごとな渦巻きの中に娘を包み込み、イシスの神の長衣よりいっそう神聖な彼女の長衣を巻き上げ、ほとんど靴下留めの所までまくってしまった。何とも言えない美妙なかっこうの片脛が見えた。マリユスもそれを見た。彼は憤慨し立腹した。
娘はひどく当惑した様子で急いで長衣を引き下げた。それでも彼の憤りは止まなかった。──その道には彼のほか誰もいなかったのは事実である。しかしいつでもいないとは限らない。もしだれかいたら! あんなことが考えられようか。彼女が今したようなことは思ってもいやなことである。──ああしかし、それも彼女の知ったことではない。罪あるのはただ一つ、風ばかりだ。けれども、シュリバンの中にあるバルトロ的気質がぼんやり動きかけていたマリユスは、どうしても不満ならざるを得ないで、彼女の影に対してまで嫉妬を起こしていた。肉体に関する激しい異様な嫉妬の念が人の心のうちに目ざめ、不法にもひどく働きかけてくるのは、皆そういうふうにして初まるのである。その上、この嫉妬の念を外にしても、そのかわいらしい脛を見ることは、彼にとって少しも快いことではなかった。偶然出会う何でもない婦人の白い靴下を見せられる方が、彼にとってはまだしもいやでなかったろう。(豊島与志雄訳)
十九世紀のフランスで、長衣に隠れていた脛が見えるというのは、今でいうパンチラに近いものなのかもしれないが、ユゴーが「脚フェチ」であるということを考慮すると、この描写は味わい深く見えてくる。面白いのは、嫉妬の念にかられると、ラッキーなエロも、嬉しくなくなるということだ。その女を独占したいという強烈なエゴから、苦しみが生まれるのだろうし、周りが全てライバル(影までも!)に見えてくるから、気の休まる時がない。マリユスはユゴーがモデルのキャラクターだが、ユゴー本人もひどく嫉妬深い人間で、態度のはっきりしない許嫁のアデールに「どうぞぼくのみじめな嫉妬心を不憫に思って、ぼくをお避けになるのと同様に、ほかの男たちをも、ひとり残らずお避けになってください」という手紙を送っている(モロワ『ヴィクトール・ユゴーの生涯』)。
これらの作家のエピソードからわかるのは、変態というのは幼いころから変態ということだ。しかも、まだ十分に言葉や文化を知らない段階で、「文脈」付きのエロにまで反応するのだから、「性欲」というのは本当に根が深い。
引用・参考文献
- 作者: ジョンネイスン,John Nathan,野口武彦
- 出版社/メーカー: 新潮社
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- 作者: ヴィクトルユーゴー,豊島与志雄
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パリス・ヒルトンをディスった時のバンクシーはダサかった
バンクシーが自分の作品をオークション会場でシュレッダーにかけた事件は、わりと賛否両論だった。ハフィントン・ポストの記事にもあるように、このアクションによって、バンクシーの作品の価値は、シュレッダー以前よりも高まることになった。つまり、バンクシーはアート・ゲームのルールを充分に理解したうえで、そういった行動に及んだ可能性が高いわけで、その小賢しさが鼻につく、というのが否定派の大きな理由だろう。
バンクシーの名前を久々に目にした時、俺は彼がパリス・ヒルトンをディスった時のことを思い出した。
パリス・ヒルトンは2006年に『パリス』というタイトルのアルバムを出した。ヒルトン一族の一員として、生まれた時からいわゆる「セレブ」として注目浴びていた彼女は、モデル活動やリアリティー・ショーの出演などで絶大な人気を獲得しつつも、セックスビデオの流出やアホな言動によって、悪名も同時に高め、常にゴシップ誌の標的となっていた。アルバムは、そんな状況下で発表され、そこに噛みついたのがバンクシーだった。
具体的にバンクシーが何をしたのかというと、まず「パリスのアルバムの偽物を五百枚製作し、ひそかに国内(注:イギリス)のレコード店に配置した」。曲はデンジャー・マウスがリミックスしたもので、「どうしてわたしは有名なの?」、「わたしはいったい何をしたの?」、「わたしはなんのためにいるの?」というタイトルがつけられていた。そして、ブックレットには、「トップレスのパリスや頭部が犬になったパリスがコラージュされていた」(引用は全てチャス・N・バーデンの『パリス・ヒルトン』による)。
バーデンは、『パリス・ヒルトン』の中で、バンクシーの行為を激しく批判しており、バンクシーについて、「反資本主義を表明しながら大手企業と仕事をしたり、大手オークション会社サザビーズを通して作品を高額で売ったりしていることから、偽善的との批判を受けている」とも書いている。
バンクシーがダサかったのは、パリス・ヒルトンという叩きやすい人物をターゲットに選んだことだ。別にバンクシーが批判しなくても、ヒルトンのことを悪く言う人間は大勢いるのであって、勝てる試合に乗っかったというイメージが強い。
また、批判の内容も、「どうしてわたしは有名なの?」といった、彼女のセレブリティぶりを浅く揶揄するだけのものであって、そのセンスはワイドナショーのコメンテーターとどっこいどっこいである。多分、バンクシーが姿を隠して活動しているのは、表に出るとバカがばれるからだろう。『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』というドキュメンタリー映画では、自分よりもバカな奴を出演させて、手玉にとっていたが。
では、実際『パリス』の出来はどうかというと、少なくともバックトラックに関しては、悪くない。なぜなら、スコット・ストーチ、ドクター・ルーク、J.R.ロテムといった売れっ子プロデューサーたちを惜しみなく起用しているからだ。ちなみに、シングル・カットされた「ターン・イット・アップ」では、リミックスにポール・オーケンフィールドが参加している。
肝心の歌にしても、特別下手というわけではないし、官能的ですらある。だから、アルバムがリリースされた時、酷評してやろうと手ぐすねを引いて待っていた批評家たちも、多くは「意外と悪くないじゃん」といったところに落ち着いたようだ。
確かに、悪くはないが、驚異的なまでに「安っぽい」アルバムではある。先に「官能的」と書いたが、喘ぎ声ばかりが大きい雑なAV、といった方が正確かもしれない。中でも、ロッド・スチュワートの「アイム・セクシー」のカバーは、「安い」を通り越し、「虚無的」ですらある。
この「虚無」は、レディオヘッドの『KID A』に匹敵するだろう。レディオヘッドが人工的な虚無だとしたら、こちらは天然の虚無である。そして、その虚無ほど、21世紀のセレブリティ文化を体現しているものはない。バンクシーがわざわざ騒がなくても、全てはここに揃っているのである。ピッチフォークやローリング・ストーンは選ばないだろうが、『パリス』というアルバムは間違いなく21世紀を代表するものだ。
パリス・ヒルトン 小悪魔セレブの優雅な生活 (P‐Vine BOOKs)
- 作者: チャス・N・バーデン,今泉敦子
- 出版社/メーカー: スペースシャワーネットワーク
- 発売日: 2008/07/04
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- アーティスト: Paris Hilton
- 出版社/メーカー: Warner Bros / Wea
- 発売日: 2006/08/22
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バンクシー(のスタッフ?)が『パリス』の偽物を配布している様子と、デンジャー・マウスによるリミックス。
「ザッツ・ホット」というのは、パリスの口癖で、リアリティー番組『シンプル・ライフ』を通して流行語になったもの。後に、商標登録された。
童貞と男の娘③
大阪を離れてから二日後の月曜日、俺は歯医者に行く予定があった。右下の奥歯の真下に、良性の腫瘍があって、それが大きくなっていないか確認するため中学生の頃から毎年レントゲンを撮りに行っているのだが、その日の朝起きると、かなり具合が悪かった。前日の夜から体の不調を感じていたのだが、市販の風邪薬を飲めば大丈夫だろうと高を括っていたら、全然治っておらずむしろ悪化していた。間違いなく熱があるような気がしたが、一番気になったのは喉の痛みだった。すぐさま俺は「性病じゃないか?」と疑った。
急いでネットで検索すると、咽頭クラミジア・咽頭淋病というのが引っかかった。これらの病気はオーラルセックスで感染するらしい。しかも、そこに書かれている症状が、今の状況とほぼ一致している。どうやら、普通の風邪と見分けがつかないとか。俺はすぐに病院に行かなくてはと思った。それで近所の性病科のある病院をいくつか調べてみたら、運が悪いことに、個人病院だからか、全部お盆休みに入っていた。お盆でもやっている大学病院には性病科がなく、途方に暮れていたところ、yahoo知恵袋で「泌尿器科でも咽頭クラミジアの検査はできる」と書いている人がいて、藁にも縋る気持ちでそれを信じ、最寄り駅から二駅先にあるT大学病院に自転車で向かった。高熱で煮えたぎった脳の中では、ヘンリー・ミラーの『南回帰線』のある部分がぐるぐると旋回していた。
ズボンをぬいでいたとき、ぼくはふとクロンスキーの奴に言われたことを思い出した。さっそく一物を取り出ししげしげと眺めてみたが、いつもと同じ無邪気な表情だった。「梅毒にかかったなんて言わんでくれよ」と言い聞かせながら、ぼくはそいつを手に取り、膿でも出ないかためそうとするように、ちょっとばかり絞ってみた。いや、梅毒にかかるなんていうことは考えられなかった。ぼくはそんな星の下には生まれていないはずだった。淋病──と、こいつのほうは十分可能性があった。淋病なら、だれでもいつかはご厄介になる。だが、梅毒だけはいただけなかった!(河野一郎訳)
俺のペニスもまだ「無邪気な表情」をしていた。だが、今後どうなるかわからない。それにしても、たった一回の風俗で性病にかかるなんて、なんて不運な男なんだろう、俺は……。今となっては手遅れだが、たとえフェラでも、コンドームをつけてするべきだった。
例の悪夢のこともあって、ミラーとは逆に、段々それが必然というか、そういう星の下に生まれてしまったというか、何かの罰のようにも思えてきた。人類の歴史では、梅毒とかエイズといった強力な性病が流行るたびに、宗教勢力がそれを「天罰」と見做してきたが、セックスというのは罪悪感と結びつきやすいから、そういう発想に至るのだろうけど、性病にかかった側(まだ決まったわけではないけど)としても、「天罰」と考えるほうが納得いくような気がした。それは性病というのが交通事故の如く不意に訪れるからで(初めから性病を覚悟してセックスする奴はほとんどいないだろう)、これを「偶然」と割り切るには、パニックに陥らない強い精神力が必要だった。
不安が極限に達した頃、病院に着いた。そして、受付嬢を視界に入れた時、彼女に性病について告白しなければいけないのだと想像すると、自然に足が止まった。それで、受付の周辺を不審者よろしく無暗にうろつき、五分ほど悩んでから、清水の舞台から飛び降りるつもりで泌尿器科への案内を頼んだ。特に症状については聞かれなかったのでほっとした。俺は診察券を泌尿器科の受付に出し、待合室のソファに座った。性病とは無縁そうな老人しかその場にいなかった。そのうちに、診察室から古強者といった感じのおばさん看護婦が出て来て、「氷川さん」と俺の名前を呼んだ。
「はい」と言って、俺は立ち上がった。
「今日、どうしました?」
俺は言葉に詰まった。周囲に人がいるからかなり話しにくい。
「ちょっと、喉が……」
「喉?」
「いや、性病というか、風俗で病気をもらったかもしれなくて……。喉のクラミジアじゃないかと……」
俺は相手に聞こえてるか不安になるぐらい小声で喋った。
「遊んじゃった?」
「ええ、まあ」
「遊んじゃったか。それだったら、ここじゃ検査できないねえ」
「あ、そうなんですか」
「保健所で検査できるから、まずはそこに行って、そこで結果が出てからだねぇ」
「わかりました」
「今日のところはカードを返しておくね」
カードを受け取り、俺は逃げるように病院を脱出した。保健所で性病の検査が行われていることは知っていたが、保健所の指定する日じゃないと検査ができないからこうして病院に来たのに、泌尿器科じゃそれが出来ないって何なんだよ、と羞恥心に由来する激しい怒りが沸き上がった。
俺は電車に乗って新宿に向かった。新宿には、お盆でも休みじゃない、性病科のある病院があって、最初からそこに行けば良かったと今更ながら後悔した。しかし、俺は母親、祖母と同居しているから、遠出するとなると説明しなきゃいけないので、できれば近場で済ませたかったのだ。もちろん、今日も歯医者に行くことは言っているが、性病のことについては一言も告げていないし、熱があることも教えていなかった。すべて内々に終わらせたかったのだ。
歯医者の予約は十六時だったから、昼頃に新宿につけばそれに間に合うと考えた。電車のなかでは、ずっとスマホで淋病、梅毒、エイズについて調べていたが、混乱してあまり頭に入ってこなかった。
都営新宿線の新宿駅で降り、そこから五、六分歩いたところにある雑居ビルの五階にその病院は入っていた。エレベーターに同乗した白人と風俗嬢っぽい女も、同じ階で降りたので、密かに苦笑してしまった。この病院は、内科もあるが、基本的には性病の検査・治療で有名らしく、恐らく患者の半分以上は、それ目的なのだろう。待合室は場所柄的に、二十代、三十代が多く、荒っぽい感じの人間も少なくなかった。さっきの大学病院と違って、「性病仲間」という意識が生まれるからか、受付で症状を説明してもあまり恥ずかしさを感じないのが良かった。体温計を受け取って、今日初めて熱を測ったら、三十八度を超えていた。そのわりには動けるなと思った。
問診表を記入してから、三十分近く待って、診察室に呼ばれた。眼鏡をかけた三十後半ぐらいの男の医者だった。
「今日はどうされましたか?」
「喉が痛くて、熱があるんです。風俗に行ったから、それが原因じゃないかと思って」
「風俗に行ったのはいつですか?」
「先週の金曜日です」
「じゃあ、まだ二日しか経ってないんですねえ。早すぎると、検出されないことがあるんですよ」
「そうなんですか」
「一応検査しますけど、一週間以上経ってもまだ具合が悪かったら、また再検査ということになりますね」
「あの、薬とかは出るんですか?」
「申し訳ないんですが、検査の結果が出ないと薬は出せないんですよ」
「え、そうなんですか」
俺はこの医者の首を締めたくなった。三十八度の熱を出しているのに、そのまま帰れっちゅうのか、こら。間違いなく悪化するやんけ。
「じゃあ、検査まで待合室で待機してください。あと、その間この紙も読んでおいてください」
と言って医者は検査について説明した紙を渡してきた。それによると検査結果は、病院のホームページにアクセスして確認するという方式らしい。喉の性病の場合、結果が出るのは、2~4日のようだ。
「津崎さんどうぞ」
検査室は小さな部屋で、看護婦が二人そこに待機していた。用意された椅子に座ろうとしたら、ベッドの横に置かれていた点滴に足を引っかけそうになった。誰か寝ているらしいが、カーテンで遮られ、確認することはできない。
「じゃあ、この薬で二十秒間うがいしてください。二十秒経ったら、このコップに薬を出してくださいね」
俺は言われたとおりうがいを始めたが、途中で苦しくなり、うがいが止まりかけ、液体を飲みそうになった。
「あと、五秒なので頑張ってください」
とタイマーを持った看護婦が冷酷に言った。
タイマーが鳴り、俺は薬をゆっくりコップに吐き出した。この茶色い液体の中に、菌が入っているのか。当然それは目視できないのだが、何となくそれっぽいものが浮かんでいるような気がした。
神保町に着いた時には、さらに身体がおかしくなっていた。食欲は全然なかったが、歯医者までの時間を潰すためにドトールに入ってコーヒーとパンだけを注文した。席に着く際、少しふらついてコーヒーをこぼした。幸い、誰にもひっかからなかった。
その後気合で病院に行き、検査を終わらせたが、会計を待っている時に、突然北極にいるかのような凄まじい冷えに襲われた。悪いことに、外では大雨が降っていた。雨宿りと体力の回復のため、しばらく椅子に座って待つことにした。三十分経過し、雨はやや収まったが、体調は全然よくならなかった。しかし、このままここにいてもしょうがないので、無理にでも帰宅することにした。
電車を降りた後、最寄り駅から自宅まで、雨に濡れながら自転車を漕いだ。家に戻ると、気力が切れたのか、ふらつきが激しくなった。急いで風呂に入り、母親と祖母に熱があることを伝え、そのままベッドに入った。ミイラになるぐらい、ものすごい量の汗が出た。母親に家の目の前にあるスーパーでポカリスエットを買ってきてもらい、それを飲んで命を繋ぎ止めたが、全身が倦怠感の繭に包まれているような感じで、何をしても苦しかった。
幸い次の日には平熱よりやや高いぐらいまでに症状は治まったが、喉は依然として痛かった。またぶり返しそうだったので、近所の総合病院(性病の検査を受けにいったところとは別)に行き、治療を受けた。その際、溶連菌に感染しているかもしれない、と言われ、綿棒で喉の細胞を採取したが、菌は検出されなかった。医者に、性病のことは話さなかったので、もらった薬がきちんと効くのか半信半疑にならざるを得なかった。
新宿の病院を訪れてから三日後、性病検査の結果が出た。クラミジアも梅毒も陰性だった。ほっとしたが、検査を受けるのが早すぎるとちゃんとした結果が出ないという医者の言葉もあって、全ての不安が取り除かれたわけではなかった。この「潜伏期間」というのが、性病の恐ろしさを倍加させている気がする。本当に悪魔のような病気だ。
薬を飲んだ後、体調は次第に元に戻り、夏休み明けの会社にも普通に出社できた。しかし、三週間ぐらいは、少し具合が悪くなるたびにナーバスになった。とにかく、身体の不調の全てが性病に起因しているような気がしてならなかったのだ。オナニー中包皮の一部分が固くなっていることに気付いた時は、「梅毒の初期症状か?」と思って、風呂で何度も確認したりした。
そして、一か月以上経過した今、喉の痛みも消え去り、特にこれといった症状は出ずに済んでいる。それで、また「男の娘」がいる風俗のページを見るようになった。喉元過ぎれば熱さを忘れるというわけだ。
今回、「性病」に振り回されたことで、ヘンリー・ミラーがより身近になったような気がした。娼婦が出てくる小説は色々あるが、性病にまできちんと言及しているものは、あまりない。性病はセックスを脱ロマン化するからだ。その点ミラーは、短編「マドモアゼル・クロード」で、娼婦クロードを「天使そのもの」と呼びながら、彼女から病気を移されたのではないかと怯える男を描いた。この生臭い生活感こそ、ミラーをミラーたらしめている要素でもある。逆に、「マドモアゼル・クロード」の翻訳者でもある吉行淳之介とか、村上春樹の描く娼婦が余計胡散臭く思えてきた。特に、村上の『ダンス・ダンス・ダンス』における、「僕」と高級コールガールとのやり取りなんか、滅茶苦茶鼻白む。娼婦と言わずに、「コールガール」、しかも「高級」というところが余計腹立たしい。俺は一万五千円出すのにも、相当ためらっているのに。
快楽主義者とみられた谷崎潤一郎や、自由恋愛を称賛していたアプトン・シンクレアなどは、実生活では結婚を重視していた。二人とも性病を恐れていたので、素性の知れない人間とセックスするのは、あまり気が進まなかったようだ。5回結婚したヘンリー・ミラーや、6回結婚したノーマン・メイラーも、そうだったのかもしれない。性病は、恋愛主義者に「結婚」という道をとらせる。逆に、結婚しない恋愛主義者は、病気があまり怖くないのだろうか。
引用・参考文献
遊郭経営10年、現在、スカウトマンの告白 飛田で生きる (徳間文庫カレッジ)
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聖母のいない国―The North American Novel (河出文庫)
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