マッチングアプリで絶対にもてるプロフィールはこれだ!

 こんにちは。マッチングアプリのことならなんでも知っている清水国明です。この前、スタンフォード大学で、マッチングアプリPh.D.を取得しました。日本に帰国してからは、東大でスタンフォードマッチングアプリの使い方について講義しています。

 今日は、「マッチングアプリに勇気を出して登録してはみたものの、まったくマッチングしねーよ! 金返せ!」と魂の雄叫びをあげている臭くてもてない君たちへ、AK-47に匹敵するとても強力な武器を配りたいと思います。

 マッチングアプリで重要なのは、一にプロフィール、ニにプロフィール、三、四がなくて五にプロフィールです。プロフィールが全てと言っても過言ではありません。プロフィールが糞だと、あなたは好かれるどころか嫌われます。唾をかけられます。足蹴にされます。通報されます。それを避けるためには、魅力的なプロフィールを書く能力が必要不可欠なのですが、もてないあなたたちにそれを望むのは酷でしょう。

 なので、今回わたくしがいくつかのパターンを用意しました。パターンといっても、全てわたくしが実戦で使用し、効果を確かめたものとなっています。これを自分用にアレンジすれば、あなたは確実にもてます。身長も伸びます。頭も良くなります。それぐらい効果があります。もし、だめだったらそれはあなたのせいなので、わたしを恨まないでください。

 

パターンA(求人型)

 

【急募!】年間休日300日以上(2019年実績)☆プライベートとの両立も可能です♪

私と恋人になるだけの簡単なお仕事です!

雇用形態  正社員
応募条件  未経験優遇(経験者でも可)
応募資格       40歳以下の方(長期キャリア形成を図るため)
勤務時間  シフト制
      月4回程度の勤務となります(要相談)
      ▼勤務時間例
      19:00-21:00(平日)
      17:00-24:00(土曜日)
給与    なし
待遇・手当 賞与あり(誕生日・クリスマス年2回)
      交通費支給なし
求人内容       恋人業務全般

 

パターンB(王者型)

 

Hello、子猫(プッシーキャット)ちゃん。
ようこそ、俺の城(プロフィール)へ。
この瞬間からすでに運命(ディスティニー)が動いていることに気づいているかい?

みんなは「マッチングアプリを始めた」というけれど、俺の場合は逆。
マッチングアプリが俺を求めていた。
「しゃーねーな」なんつって、渋々引き受けたけど、今じゃそれなりに楽しんでる。
結局、人生楽しんだもん勝ちだろ? なぁ、兄弟(ブラザー)?

俺ぐらいマッチングアプリを極めると、逆にマッチングとかどうでもよくなる。
マッチングアプリだからマッチングしなきゃいけない、
そういう常識をぶっ壊したいんだよね。
だけど、Ladyたちからのいいね!はいつでも歓迎。
キリスト教ばりの人類愛ですべてを受け入れるよ。

俺にとってマッチングアプリとは「自己表現」の一つ。
最終的には「宇宙」とマッチングするつもり。
そしたら、地球にいるみんなに、太陽よりも熱い愛をプレゼントするぜ。

 

パターンC(中二病型)

 

初閲覧…ども…

俺みたいなアラサーで1年以上マッチングアプリしてる腐れ野郎、他に、いますかっていねーか、はは

今日の会社の会話
進捗どうなった とか 書類出せ とか
ま、それが普通ですわな

かたや俺は電子の砂漠で女のプロフィールを見て、呟くんすわ
it’a true wolrd.狂ってる?それ、誉め言葉ね。

好きな音楽 バッハ
尊敬する人間 三島由紀夫切腹行為はNO)

なんつってる間に4時っすよ(笑) あ~あ、社会人の辛いとこね、これ

 

パターンD(逆説型)

 

こんにちは(おはようございます or こんばんは)
新宿にある会社で、事務員として働いています。

最近読んだ本は武者小路実篤さんの『お目出たき人』という小説で、「自分は女に飢えてゐる」という文章にとても共感しました!

知り合いからはよく「モテなさそう」と言われますが、実際モテません(笑)。
他に、「暗い」、「オタクっぽい」、「何を考えているかわからない」などと言われたこともあります!

職場には異性も多く出会いがないわけではありませんが、モテないので一切関係ありません。
そのため、ペアーズは、友達や同僚が勧めてくる前に、自ら主体的・能動的・積極的に始めました。
巷では不倫の話題で持ち切りですが、自分はモテないのでそういう心配が一切ありません。

良かったら、ボランティアだと思ってお話しませんか?
大学生なら、就活の時のアピール材料になると思います!
社会人なら、徳を積んだことになります。

まずは恋人から始められると嬉しいです。それから徐々に友達、他人になっていければいいなと思ってます!

最後に一つだけお願いがあります。
私のプロフィールの真ん中あたりに(スマホなら画面の下)「いいね!」と書かれたボタンがあるので、それを押してみてください。
もう必死です。崖っぷちです。
俺にはペアーズしかないんですよ。

 

パターンE(説教型)

 

みなさん、
本気でペアーズやってますか?
本気でペアーズと向き合ってますか?
本気でペアーズにぶつかってますか?
本気でペアーズと格闘してますか?
ゆる~くやってます、なんてつぶやいてませんか?
友だちに誘われて、なんて受け身になってませんか?
初心者です、なんてカマトトぶってませんか?


マッチングアプリ、なめないでください
登録したからにはガチでいきましょう、ガチで
だらだらやって後悔するのはあなたです
ペアーズに命燃やしましょう 燃え尽きましょう 真っ白になりましょう 灰になりましょう
そしたら、いつもとちがう景色見えますから
一緒に行きましょうよ、マッチングアプリの向こう側に

 

 

 どうでしょうか? 自分にあったプロフィールは見つかりましたか? みなさんのマッチングアプリライフが充実したものになることを祈っています。コンドームは忘れずに。チャオ! 

 

 

図書館に本を寄贈してみた

 6月25日にボーナスが入った。その少し前から使いみちを考えていたのだが、コロナの影響もあり、生まれて初めて、「社会に役立つことがしたいなぁ」と思い、いくらか寄付することに決めた。そして、ボーナスの額をきちんと確認してから、寄付に使う金額をきっちり決め、ネットで色々検索してみた。その間、「あぁ、俺は今社会に役立とうとしている!」とドーパミンが奔流のごとくドバドバと放出され、普段から寄付とかボランティアをしている人間の気持ちが分かった。

 さて、寄付をするといっても、面倒くさいことが大嫌いな自分は、何かしらの手続きが間に入ってこないようなものを探した。すると、今はAmazonの欲しいものリストを使って、寄付を募っているところがあったりして、や、これは便利だと思ったが、「ここだ!」というところがなかなか見つからなかった。

 そのうち、「そういえば、図書館って本の寄贈を受け付けていたよな」ということを思い出した。もちろん、どんな本でも受け入れているはずがなく、以前練馬区の図書館を訪れた際、リサイクルコーナーに寄贈されたらしき自費出版本や古い文庫本が山積みになっているのを目撃したことがある。自分が唯一発見した寄贈本は、同じ練馬区の図書館にあった『昭和文学作家史 二葉亭四迷から五木寛之まで (別冊一億人の昭和史)』で、結構ボロボロだったのだが、新刊本として出たときに寄贈されたのだろうか。

 とにかく、普段から図書館を利用しまくっている自分としては、そこに貢献できると想像するだけでも、非常に気分が良かった。「文化事業」に自分が参入しているような気持ちになれた。一人メセナだ。

 寄贈先の候補となる図書館は三つほどあった。まず、俺の地元である埼玉県和光市図書館。和光市図書館の蔵書は貧弱で、俺の家からも遠いことから、全然利用していなかったのだが、和光市からある支援を受けたことがあったので、それに対する恩返しのつもりで、第一候補にしたのだった。

 和光市図書館のホームページに飛び、寄贈について書かれたページを見ると、「現在ベストセラーなど、図書館で予約の多い本」、「新刊図書(最近1年以内に出版されたもの)」などのルールが決められていた。次に、板橋区図書館を見ると、「比較的最近に出版されたもので、汚破損、書き込みのない図書資料」と、和光市に比べやや条件が緩和されている。最後に練馬区図書館を確認すると、「比較的最近に出版されたもので、図書館資料として一定の利用が予測されるもの」、「類書が無く図書館資料として貴重なもの」などと書いてあった。ルールを比較した結果、板橋区図書館を寄贈先に選んだ。

 実は、寄贈をすると決めた時、自分もその本を利用してやろうと考えていた。俺の部屋の本棚は少し前からキャパシティを完全にオーバーし、新たに買った本はすべて床に積まなければならない状態で、家族からは「床が抜けるからやめろ」と責められ続け、肩身の狭い思いをしていた。そこで、図書館を俺の本棚にしてしまおうと目論んだのだ。だから、寄贈する本は、「図書館が所有していないもの」と「自分が読みたいもの」という二つの条件を満たすものでなければならなかった。そのため、ベストセラー本は最初から論外だった。結局、自分が選んだのは、

 

田中雄二『AKB48とニッポンのロック ~秋元康アイドルビジネス論』2019年

サイモン・シネック『WHYから始めよ! インスパイア型リーダーはここが違う』2012年

 

 初めての寄贈なので、どのような本なら確実に架蔵されるのか確かめるつもりもあって、この二冊にした。田中の方は去年出版と「比較的最近に出版されたもの」という条件に当てはまり、「AKB48」というメジャーなテーマが、公立図書館好みと考えた。シネックのものは、出版時期はやや古いものの、TEDから生まれた人気のビジネス書(Amazonで星が95もついている)で、板橋区の図書館が架蔵していないのが不思議なくらいだった(練馬は1冊持っている)。そして、田中・シネック共に、別の著書は板橋区図書館に架蔵されているため、突飛な選択ではないと判断した。

 こうして、俺はその二冊を新品で書い、板橋区の某図書館に持ち込んだ。6月の末日だ。本を寄贈したいと伝えると、図書館員から「本の扱いはこちらで決めるが大丈夫か?」と確認された。OKすると、寄贈申込書を書かされ、それが済むと、寄贈について感謝の言葉が印刷された薄い小さな紙をもらった。俺は「いいことすると、気分がいいなぁ」と鼻歌を歌いつつスキップで図書館を出た。

 それから毎日板橋区図書館のOPACを検索して、寄贈した本が架蔵されていないかチェックした。架蔵された瞬間、まず自分が借りるつもりだった。俺の善行の証をこの目で見たかった。俺は待ちに待ち続けた……

 そして、1ヶ月経過した。ここまで来たら答えは一つしかなかった。あの二冊はあっさり処分されたのだと。せめてリサイクルコーナーに置かれて、興味を持った誰かに拾われてればいいな、と思った。さようなら、私の本よ! 俺は中古で寄贈したものと同じ本を買った。

 

秋草俊一郎 『「世界文学」はつくられる 1827-2020』

 ある小説が優れていることについて、「これは世界文学だ!」と表現する人がいて、自分はそれを見るたびに苛立っていた。まず、「世界文学」という言葉は昨今あまりにも乱用されており、それ自体既にクリシェと化しているのにも関わらず、そこに気づかない非文学的な鈍感さに対して。それから、「『世界文学』って言っておけば今どきかつ安全なんだろ?」という、空気を読むことだけに徹した軽薄さに対して。

 なぜこのような事態が起こっているかと言うと、それは「世界文学」という言葉がこれまで厳密に定義されたことがなく、みんなが好き勝手に使っているからだ。なにしろ、「世界文学」という言葉が広まるきっかけを作ったゲーテ自身、それをきちんと定義しなかったがために、その意味するところを解明しようと、研究者たちが膨大な量の論文を書いているという。それ以来、世界中で「わたしのかんがえるせかいぶんがく」が量産されていることになる。秋草俊一郎の『「世界文学」はつくられる 1827-2020』は、そのゲーテから始まり、世界文学全集や世界文学アンソロジーの成立過程や状況を分析することで、いかに「世界文学」という言葉・概念が、恣意的に使用されてきたかということを解き明かしている。

 これまで「世界文学全集」について焦点を当てた書物といえば、矢口進也の『世界文学全集』があった。日本における世界文学全集の始まりからその終焉までを描き(池澤夏樹のものは時期的に含まれず)、戦後の世界文学全集については掲載作品まで転記していることから、データ的にも役に立つのだが、分析よりかは紹介に重点が置かれていた。秋草著の場合、精密な分析はもとより、意識して日・米・ソという視点を導入しているので、矢口のものより遥かに広い視野で「世界文学」というものについて見通すことができるようになっている。

 日本の世界文学全集が誰をターゲットにしていたのかという話や、ソ連で刊行された『世界文学叢書』に、『失われた時を求めて』、『ユリシーズ』、『変身』が政治的理由から収録されなかった話など、本書には「世界文学」にまつわる面白いエピソードが色々あるのだが、中でも興味深かったのが、アメリカの大学で教科書として使われている三種類の「世界文学アンソロジー」全てに樋口一葉が収録されている理由だ。

 

 「世界文学アンソロジー」に、一葉が繰り返し採択される理由はいくつか考えられる。第一に、一葉が女性作家であること。「世界文学アンソロジー」が、しだいに女性作家にも門戸を開くようになったことはすでに説明したが、一葉は近代日本(そしておそらく東アジアでも)における最初期の職業的女性作家であり、話題にとりあげやすい。第二に、作品がどれも短いこと。紙面がかぎられたアンソロジーに代表作を収録しやすいのは大きなメリットだろう。

 そして第三に、一葉が同時代人にくらべても西洋文学の影響をほとんど受けなかったこと(引用者注:「受けなかった」に傍点)。予想に反して、その地域主義ことが、一葉文学の強みになっている。『ベッドフォード版世界文学アンソロジー』は、「イチヨー・ヒグチ」を十九世紀末の最高のリアリストのひとりと位置づけているが、それはそのリアリズムが、西洋の「物まね」ではなく、日本(アジア)に由来するものだからだ。

 

 俺はこのくだりを読んで、ただちに村上隆を思い出した。現代アートの世界は、作品そのものより、それが成立するまでの「コンセプト」を重視するところだが、そこで「日本人」として成功した村上は、「欧米の芸術の世界は、確固たる不文律が存在しており、ガチガチに整備されております。そのルールに沿わない作品は『評価の対象外』となり、芸術とは受け止められません」と『芸術起業論』の中で書き、西洋が考える「日本像」を強く意識してアートを作った。

 それと同じことが文学の世界でも起きているわけで、例えば日本の文学史では伊藤整ジョイスモダニズムに影響されて小説を書いたということが特筆されたりするが、「世界文学アンソロジー」の編者からすれば、まったく興味の持てない事柄だろう。我々が西洋文学から影響を受けて創作しても、向こうからすれば、それはは単なる「猿真似」でしかない。明治から現在にいたるまで問われてきた、「日本文学は世界文学を規範としなけれなばらない」という問題意識が、国内限定でしか通用しないという皮肉な状況がここにはある。

 秋草はそこからさらに突っ込んで、次のようなことを書いている。

 

「世界文学アンソロジー」をながめていて気づかされるのは、アジアやアフリカはマイノリティや女性、植民地といった役割を押しつけられすぎているのではないかということだ。どんなに先鋭的な「世界文学アンソロジー」を編んだところで、シェイクスピアやダンテといった西洋文学のカノンの中核をになう男性作家を締めだすことはできない。全体の頁数を増やさずに、多様性や平等を実現しようとすれば、どこかで調整が必要になってくる(引用者注:「平等」に傍点)。そのためのしわ寄せが、北米の読者からはあまり知られていない地域にきてしまっているのではないか。エドガー・アラン・ポーハーマン・メルヴィルははずせなくても、極東の文豪をマイノリティ女性作家にいれかえることは心理的にたやすい。同種の現象がほかのよりマイナーな地域の文学でおこっていても不思議ではない。

 

「世界文学」を「世界中の文学」という意味で使う人間はいない。「世界文学」はある一定のルールに基づいて選別されている(ソ連の『世界文学叢書』からプルーストが排除されたように)。今度、そのルールが変更され、シェイクスピアや『ドン・キホーテ』がアンソロジーから取り除かれていくことだってありえない話ではない。むしろ、異なるルールで編まれたアンソロジーが複数存在しない限り、「多様性」を確保するのは難しいだろう。

 本書では、今後「世界文学」を研究するにあたって目指すべき方向性も書かれている。文学そのものだけでなく、文学の受容のされかたにも興味があるなら、必読だろう。

 

 

「世界文学」はつくられる: 1827-2020

「世界文学」はつくられる: 1827-2020

 

   

世界文学全集

世界文学全集

 

 

芸術起業論 (幻冬舎文庫)

芸術起業論 (幻冬舎文庫)

  • 作者:村上 隆
  • 発売日: 2018/12/06
  • メディア: 文庫
 

 

作家の写真を読む③

 これまで、「作家の写真を読む」「作家の写真を読む②」と二回、主に文学者を被写体に選んだ写真集を紹介してきたのだが、ついにこの試みも三回目となる(だからといって、特別なにかあるわけじゃないけど)。ただ、前二回と違い、今回は作家の日常を写したような、面白い写真があまり見つからず、それが残念だった。

 

田村茂『素顔の文士たち』

 

 写真集の中でも「作家」をテーマにしたものは、恐らくかなりマイナーな分野だと思われるが、昨年河出書房新社から、『素顔の文士たち』というものが出版された。

 著者の田村茂は、広告写真、婦人雑誌のモード写真などからキャリアを始め、1967年には『北ベトナムの証言──みな殺し作戦の実態』で日本写真批評家協会賞特別賞を受賞している。

 1948年には、太宰治を被写体に27枚ほど写真を撮っていて、それが本書にも収録されている。文学好きなら、ニヒリスティックな感情に満ちた顔を左手で支えている太宰の写真を一度は見たことがあるだろう。安藤宏が巻末の解説で書いているとおり、田村の撮った物は、表情や振る舞いに演出が強く感じられ、あたかも太宰治が「太宰治」を演じているかのようである。これらの写真は八雲書店版『太宰治全集』(出版社が倒産したため中絶)のために撮られたもので、神話を作り上げようとする太宰の並々ならぬ努力がこちらに伝わってくる。

 

川端康成

f:id:hayasiya7:20200620192733j:plain

 

三島由紀夫

f:id:hayasiya7:20200620193039j:plain

 

高村光太郎

f:id:hayasiya7:20200620193133j:plain

 

坂口安吾

f:id:hayasiya7:20200620200055j:plain

 

水木しげる

f:id:hayasiya7:20200620193704j:plain

 

牧野富太郎

f:id:hayasiya7:20200620193912j:plain

 

丹羽文雄

f:id:hayasiya7:20200620194236j:plain

 

太宰治

f:id:hayasiya7:20200620194430j:plain

f:id:hayasiya7:20200620222617j:plain

 

榊原和夫『榊原和夫の現代作家写真館』

 

 榊原和夫は、本書に寄せられた川西政明の序文によると、元週刊読書人の編集者で、それからフリーのカメラマンに転身するという経歴を持つ人物らしい。1968年には『日本の作家たち』という写真集を出版している。

『現代作家写真館』は、「公募ガイド」の連載をまとめたもので、雑誌の性質ゆえか、撮影場所は仕事場で、作家志望者に向けたメッセージや、手書きの原稿用紙の写真まで掲載されている。

 

遠藤周作

f:id:hayasiya7:20200620200558j:plain

 

佐多稲子

f:id:hayasiya7:20200620200755j:plain

 

佐伯一麦

f:id:hayasiya7:20200620200917j:plain

 

島田雅彦

f:id:hayasiya7:20200620201059j:plain

 

筒井康隆

f:id:hayasiya7:20200620201207j:plain

 

立松和平 

f:id:hayasiya7:20200620201327j:plain

 

埴谷雄高

f:id:hayasiya7:20200620202038j:plain

 

古井由吉

f:id:hayasiya7:20200620205221j:plain

 

野上透『文士一瞬』

 

 野上透は本名根岸秀迪といい、1958年、日芸の写真科から講談社の写真部に就職し、キャリアをスタートさせた。それから六年後に講談社を退職、フリーとなり、1977年に『女人古寺巡礼』で講談社出版文化賞を受賞。
 作家の写真は、講談社時代、『群像』の編集長大久保房男からの依頼で撮るようにになり、講談社を退職後も、「われらの文学」、「現代の文学」といった講談社より出版された文学全集に収録する写真を手掛けた。本書は野上の死後出版されたものである。

 

江藤淳

f:id:hayasiya7:20200620205910j:plain

 

大江健三郎

f:id:hayasiya7:20200620205941j:plain

 

遠藤周作

f:id:hayasiya7:20200620210253j:plain

 

開高健

f:id:hayasiya7:20200620210428j:plain

 

島田雅彦

f:id:hayasiya7:20200620211011j:plain

 

野坂昭如

f:id:hayasiya7:20200620211107j:plain

 

深沢七郎

f:id:hayasiya7:20200620211147j:plain

 

藤枝静男

f:id:hayasiya7:20200620211419j:plain

 

三島由紀夫

f:id:hayasiya7:20200620211508j:plain

 

村上春樹

f:id:hayasiya7:20200620211722j:plain

 

 

 

素顔の文士たち

素顔の文士たち

  • 作者:田村茂
  • 発売日: 2019/11/28
  • メディア: 単行本
 

 

榊原和夫の現代作家写真館

榊原和夫の現代作家写真館

  • メディア: 単行本
 

  

文士一瞬 野上透写真集

文士一瞬 野上透写真集

  • 発売日: 2006/01/20
  • メディア: 大型本
 

 

文壇ゴシップニュース 第5号 ニーチェを読む渡邉恒雄あるいは精液でいっぱいの一升瓶、作家にとってパーティーとはなにか

今週は、「ニーチェを読む渡邉恒雄あるいは精液でいっぱいの一升瓶、作家にとってパーティーとはなにか」です。

note.com