「文壇史」を書けなかった坪内祐三

 坪内祐三が死んだ時、毎日新聞追悼文が出て、見出しに「無頼派」という言葉が使われていた。

 自分はそれを見て、ひどく違和感を覚えた。なぜなら、俺の中での坪内祐三とは、早稲田大学図書館で明治時代の雑誌を渉猟する人であり、『変死するアメリカ作家たち』や『雑読系』といった著書で、文学史の中でもマイナーな人物に光を当てる勤勉な読書家というイメージだったからだ。

 いや、正確に言えば、酒を飲まない俺にとって、そういう方面の仕事しか興味がなかった。だから、彼が死ぬまで、タイトルに「酒」が入った著作を読んだことがなかったし、そもそも坪内に「無頼派」的なものを求めていなかった。だから、「酒」の話から始まる毎日新聞の追悼文を読んで、世間はそっちに注目するのかと思った。

 もちろん、坪内の著作に『酒中日記』というのがあって、映画化までされているのは知っていたが、坪内にとってそれらの仕事は「余技」的なものなのだろうと勝手に推測していた。

 といっても、文芸関連の著作で、ここ最近「代表作」と言えるようなものを書いていたかというと、疑わしい。「坪内ならこれぐらいのものはいつでも書ける」というようものが続いていて、物足りなく感じることも多かった。

 俺が生前の坪内に期待していたのは、彼が伊藤整の衣鉢を継いで、新しい『日本文壇史』を書いてくれることだった。知識量的には申し分ないし、彼ほどの人気があれば、そのテーマで連載を持つことも可能だと思ったからだ。また、「文壇史」という枠を与えられてこそ、持っている能力を最大限に発揮できるんじゃないかとも妄想し、文壇史に正面からぶつかっていくことにも期待していた。

 だが、今回、『昼夜日記』や『酒中日記』を読んでみて、坪内は「文壇史」を書くことよりも、「文壇史」の登場人物になることを選んだ、という風に感じた。吉行淳之介永井荷風のハイブリッドというべきか。

 坪内は筆一本で食っていくにあたり、意識して「坪内祐三」というブランドを作り上げたと思う。例えば、普通だったら「地味」と一蹴されそうな本を、「シブい」と言い換え、新たな価値を付与したり、あえて「古くさいぞ私は」と言ってみたり、日記において自ら「ツボちゃん」と名乗ったりするのも、キャラ作り・ブランド作りの一環だ。特にユニークだったのが、「無頼派」と「読書家」を両立させたことで、どちらか片方だけだったら、長く売れっ子であることは難しかっただろう。坪内は、「新人類」と呼ばれた中森明夫野々村文宏より2、3歳年上だが、文筆家デビューは彼らより遅く、「若さ」という武器が最初からなかったから、どうすれば世間から注目されるかということを考える必要があった。

 さて、その「無頼派」の評価を確立させた『酒中日記』だが、その著作の主人公である「坪内祐三」という人間に対し、俺は良い印象を持たなかった。なぜなら、あまりに業界的で、如才なく、処世術に長けた男の姿をそこに見出したからで、それは「文学的」とは言い難いものだった。特に、自分は「団塊の世代」以上の男たちから好かれるとか、講談社の編集者から相撲の良い桝席のチケットをもらい、「もちろんもちろん野間社長ありがとう(社長、いつか一緒に大相撲見ましょうよ)」と書いたりするところなんか(引用は『続 酒中日記』より)。この連載に出たがる編集者が多かったというのも、多分に業界的だ。

 坪内は大久保房雄の『理想の文壇を』という本の書評で(『シブい本』に所収)、「表面に出て来る批評がよくて、裏で囁かれる批評が悪いのは、その作家にとって最も悪い状況である」という中村光夫の言葉を、大久保著の中から紹介していたが、その裏の批評が現れる場所の一つは、坪内が通った「文壇バー」であろう。石原慎太郎はある座談会で吉行に向かい、「お前、飲み屋で人の作品けなしたりするのやめろよ。姑息でいやらしいやつだな」と言ったらしいが(『昔は面白かったな 回想の文壇交友録』)、坪内はそういう場でオフレコの批評が行われているのを知っていたからこそ、バー通いを熱心に行っていたのではないか。川端康成なんか、酒を飲めないにも関わらず、文壇バーに顔を出していたが、それはやはり「監視」的な意味合いもあったはずだ。伊藤整は、「酒についての意見」で、「私は田舎の中学校の教員仲間と酒を飲むことによって、酒の飲み方、酒の世間的な飲み方を知り、酒と噓と妥協とが切り離されないものであることを知った」と書いたが、坪内の『酒中日記』が人気だったのは、そういうことを書かなかったからだろう。

 文筆家である坪内にとって、最も深刻だったのは、その酒量だ。2014年5月8日の酒中日記では、「五十六歳の誕生日。体調きわめて悪し。血をけっこう吐く」とある(引用は『昼夜日記』より)。が、その後も記憶がなるなるまで飲むということを何度も続けている。還暦が近い人間の飲み方とは思えないし、依存していたのではないか。延江浩によると酒乱でもあったらしい*1。こういう生活をしていたら、いつ潰れてもおかしくはない。福田和也が『新潮』に寄せた追悼文で、「僕が長生きして、文壇について語ると、それが全て真実になる。文壇史を捏造しよう」という坪内の言葉を紹介していたが、大量の酒を飲みながら、自分が「長生き」することを前提で生活していたのも、見通しが甘かった。伊藤整が、大久保房雄に依頼されて『日本文壇史』を書き始めたのは47歳の時で、本格的な仕事を残すとしたら、それぐらいには始めていないといけないのかもしれない。当時の伊藤は売れっ子作家だったが、まず『日本文壇史』を書いてから、他の仕事に取り掛かったという。

 高橋英夫が、『日本文壇史8』(講談社文芸文庫)の解説で、「伊藤整にとっては『日本文壇史』を書き続けることと、彼自身が「文壇」人として生きてゆくことは完璧に一体化していた」と書いているが、坪内にもそういった生き方を選択してほしかった。結局、坪内は持っている実力をフルに出さないまま逝ってしまったように俺には思える。 

 

変死するアメリカ作家たち

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シブい本

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続・酒中日記

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昼夜日記

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伊藤整全集〈23〉 (1974年)

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  • 出版社/メーカー: 新潮社
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昔は面白かったな回想の文壇交友録 (新潮新書)

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日本文壇史8 日露戦争の時代 (講談社文芸文庫)

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  • 出版社/メーカー: 講談社
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